古代欧州に転生したら捨てられたので、魔女の弟子になります〜友人たちの知識で西暦590年を生き延びたら、なぜか聖女扱いされました〜   作:パラレル・ゲーマー

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第10話 王様に紹介されたけど、政治が怖いです

 薬草の独特な匂いが立ち込める薄暗い小屋の中で、私は木の実の殻をすり潰す手を止め、こってりと油を絞られていた。

 

「水場の状況を見たこと、保存食の腐敗に気づいたこと、そして十字の男の動向を把握したこと。そこまでは及第点だよ」

 

 師匠である魔女様は、乾燥させた根を仕分けながら、一切こちらを見ずに淡々とダメ出しを続けた。

 

「だがね、誰が一番先に倒れたのか、その順番があやふやだ。母親が倒れ込んだ正確な時刻も聞き漏らしている」

 

「すみません……」

 

「それに、便の匂いだよ。もっと鼻を近づけて、どんな風に臭ったのかを正確に嗅ぎ分けてこないと、どんな毒が腹を荒らしているのか特定できないだろうが」

 

 私は顔を引き攣らせた。

 

「いや、いくらなんでも他人のアレを至近距離で嗅ぐとか、無理です! 精神的なダメージがデカすぎます!」

 

「死ぬ子供が一人増えるのと、お前の鼻が少し曲がるのと、どっちがマシだい?」

 

 氷のように冷たい一瞥を向けられ、私はぐうの音も出ずに視線を落とした。

 

「……鼻が曲がるほうです。次からはちゃんと嗅いできます」

 

「よろしい。命を扱うなら、自分の五感に遠慮するんじゃないよ」

 

 命を盾にされた現場教育は、逃げ道を完全に塞いでくる。

 

 ブラックな職場だが、言っていることが絶対的な正論だから反論すらできない。

 

 私は小さなため息をつき、再び木の実をすり潰し始めようとした。

 

「さて、今日の作業はそこまでだ。手を洗ってきな」

 

 唐突に師匠が立ち上がり、壁に掛けられていた厚手の外套を羽織り始めた。

 

「え? もう終わりですか? どこかへ採取に?」

 

「今日は、王に会いに行くよ」

 

 すりこぎが、カランと音を立てて手から滑り落ちた。

 

「……はい?」

 

「エゼルベルトだよ。このケントの地を治めている王だ」

 

 私は両目を限界まで見開いた。

 

「お、おうさま!? ちょっと待ってください! 私、昨日初めて出張をこなしたばかりのド新人ですよ!? 入社二日目でいきなり、取引先の役員面談に放り込まれるとか正気の沙汰じゃないです!」

 

「馬鹿をお言い。王は役員なんぞじゃない。王だよ」

 

「権力の桁が違った! もっと怖いじゃないですか!」

 

 パニックを起こして後ずさりする私の首根っこを、師匠は容赦無くひっつかんだ。

 

「お前を私の『使い』として外に出す以上、あの男には顔を繋いでおく必要があるんだよ」

 

「顔繋ぎって……そんな、大層な」

 

「万が一、お前が王の兵士や巡回している長老どもに捕まった時、私の名を出して身の安全を保証させるためさ。お前が勝手に森の女の弟子を名乗って村々をウロチョロすれば、ただの胡散臭い放浪児として縛り首になりかねないからね」

 

「命の危険が常に隣り合わせ!」

 

「それに」と、師匠は目を細めた。「王には王の広大な耳がある。私は森と泉を通じて微かな声を聞く耳を持つ。互いの耳が拾ったものをたまに突き合わせておかないと、色々と面倒なことになるのさ」

 

 つまり、情報交換と相互牽制を兼ねた大人の外交、ということらしい。

 

「要するに今日は、最大手の大口顧客かつ、この国の行政トップへの顔見せ営業……。新人に課されるハードルの高さが完全にバグってる」

 

 私は絶望的な顔で呟いたが、師匠はすでに戸口に立っていた。

 

 *

 

 森の奥深くにある、ねじれた古木と苔むした巨石が鎮座する節点。

 

 昨日味わった「空間の折り畳み」を前に、私はギュッと目を閉じて息を止めた。

 

 視界が反転し、胃の腑が雑巾のように絞り上げられる感覚。

 

 何度経験してもこればかりは慣れる気がしない。

 

 だが、今回はなんとか膝をつくだけで吐き気を抑え込んだ。

 

「着いたよ。目を開けな」

 

 師匠の声に恐る恐る目を開けると、そこは私が育った村の泥臭い森とは全く違う場所だった。

 

 風に乗って、馬のいななきと、大勢の人間の声、そしてかすかに金属が打ち合わされるような鋭い音が聞こえてくる。

 

 木々の隙間から見え隠れするのは、巨大で頑丈な木の柵。

 

 その内側には、村の小屋とは比較にならないほど巨大で立派な建造物がいくつも立ち並び、多くの人々が忙しなく行き交っていた。

 

「ここ、どこですか……?」

 

「王の居所のすぐ外の林さ。直接、広間の中に飛ぶような無作法はしないよ」

 

「へえ、師匠でも一応、アポイントの礼儀みたいなものは気にするんですね」

 

「相手が王ならね」

 

「相手によって態度を変えるタイプだった!」

 

 私は、柵の向こう側の圧倒的な「富」の匂いに気圧されていた。

 

 同じ西暦六〇〇年頃だというのに、私がいた限界集落と、この王の居所とでは、文明のレベルが数世紀分も違うように感じられる。

 

 私たちは林を抜け、正面の巨大な門へと向かった。

 

 厳重に武装した門番たちが立ち塞がり、槍を交差させて私たちを睨みつける。

 

 しかし、師匠が顔を上げた瞬間、門番たちの顔色があからさまに変わり、慌てて槍を引いた。

 

「……森の奥の方か」

 

「すぐに王へお知らせしろ!」

 

 一人が駆け出し、残りの門番が私たちを丁重に、しかし酷く怯えた様子で中へと案内し始めた。

 

「えっ、アポなしの飛び込み営業なのに、即通されるんですか?」

 

 私が小声で囁くと、師匠は前を向いたまま鼻を鳴らした。

 

「向こうだって、私を門前で待たせて変に機嫌を損ねたくないのさ」

 

「なるほど。クレーム対応における最優先の要注意顧客扱いってわけですね。納得です」

 

 私の存在に気づいた門番の一人が、鋭い視線を向けてきた。

 

「その子は?」

 

「私の使いだよ」

 

 師匠が短く答えると、門番はさらに警戒心を強めたように私から距離を取った。

 

「肩書きが重すぎる……。森の使いって、便利だけど社会的信用度としては相当グレーゾーンじゃないですか……」

 

 案内されたのは、天井が高く、太い柱で支えられた巨大な広間だった。

 

 中央には大きな炉があり、その奥の一段高い場所に、獣の毛皮が敷かれた豪奢な木の椅子が置かれていた。

 

 だが、王はそこにふんぞり返ってはいなかった。

 

 彼は広間の中央で、屈強な戦士たちや、異国風の上質な衣をまとった交易商人らしき者たちに囲まれ、刻みを入れた木片や、荷の印を示す小さな札のようなものを指差しながら指示を飛ばしていた。

 

 その傍らには、十字の祈り手が持ち込んだものらしい羊皮紙の断片も置かれていたが、王自身が主に見ているのは、刻みを入れた木片と荷の印の方だった。

 

 師匠の姿を認めるなり、彼は周囲の者たちを手で制し、こちらへ歩み寄ってきた。

 

 王族としての圧倒的な威厳。

 

 野性味を感じさせる逞しい体格と、分厚い筋肉に覆われた腕。

 

 髪や髭は荒々しくも整えられ、その身にはフランクやローマの意匠を感じさせる、精緻な金属の装身具が鈍く光っている。

 

「……やだ。めっちゃワイルド系のイケメン王様じゃん……!」

 

 私は思わず内心で黄色い声を上げかけたが、直後に全力で自分にビンタを食らわせた。

 

「馬鹿! 相手はこの国の最高権力者だぞ! 十歳児の栄養失調ボディで何をドギマギしてるんだ、前世の平和ボケした脳みそが腐ってんのか!」

 

 エゼルベルト王は、私たちの前に立つと、ただ荒々しいだけではない、酷く知的な、そして相手の奥底を見透かすような目で師匠を見た。

 

「久しいな、古い泉の守り手よ」

 

 彼は完全にへりくだるわけではなく、かといって見下すわけでもない、絶妙な敬意を含んだ口調でそう呼んだ。

 

「お前のところの十字の連中が、また西の森の近くで要らん騒ぎを増やしているようだよ」

 

 師匠の皮肉めいた挨拶に、王は少しだけ口角を上げた。

 

「騒ぎを増やしたのか。それとも、今まで泥に埋もれて見えていなかった騒ぎを、目に見える形に引きずり出しただけなのか。見方によるのではないか?」

 

「ふん。随分と口が上手くなったね」

 

「王という生き物は、剣ではなく口を動かすことで、流れる血の量を減らすものだ」

 

 二人の間には、長年の付き合いから来る独特の緊張感と、互いの力量を測り合うようなヒリヒリとした空気が流れていた。

 

 政治家同士の高度なジャブの応酬だ。

 

「それで?」と、王の視線が、師匠の影に隠れるようにしていた私へと向いた。

 

「今日は珍しい連れがいるな」

 

 師匠は私の肩をポンと押し、一歩前へ出させた。

 

「これからは、時々こいつを私の使いとして走らせる。顔を覚えさせておこうと思ってね」

 

 私は心臓が口から飛び出しそうになりながら、必死に礼をした。

 

 前世のビジネス研修で叩き込まれたお辞儀と、村の長老に対する土下座スレスレの敬礼が混ざり合い、結果として奇妙な屈伸運動のような動きになってしまった。

 

 王が、面白そうに喉の奥で笑う。

 

「ほう。まだ随分と幼いな」

 

「こいつは時々、遠い『後の世の夢』の欠片を口走って変な動きをするが、気にしないことだね」

 

「ちょっと師匠! 紹介の文句が雑すぎません!? もうちょっとこう、有望な新人アピールとかないんですか!」

 

 私が小声で抗議すると、師匠は平然と続けた。

 

「頭のネジは少し緩んでいるが、耳と鼻と腹は十分に使える。村の泥を這いずり回る術も知っている」

 

「人材紹介の推しポイントが『耳と鼻と腹』って! 猟犬のスペックじゃないですか!」

 

 王は私の百面相を見て、さらに楽しそうに目を細めた。

 

「面白い。では、森の小さな使いよ。そなたの名は?」

 

 私は緊張で裏返りそうになる声帯を必死にコントロールし、自分の現地での名前を名乗った。

 

「……覚えておこう」

 

 王が静かにそう言った瞬間、私の胃壁がキュッと音を立てて縮み上がった。

 

「一国の王に名前を覚えられた……! 光栄すぎて逆に胃に穴が開きそう!」

 

「さて、森の女よ。最近、島の具合はどうだ」

 

 王が本題に切り込むと、師匠も表情を引き締めた。

 

 ここからは、互いが握っている情報のすり合わせだ。

 

「南東は、お前が十字の連中を大っぴらに招き入れてから、祈りの形が目に見えて歪み始めているよ。北西の島にいる古い祈り手どもは、相変わらず海風のようにしぶとく根を張っている」

 

 師匠は淡々と、しかしブリテン島全土を俯瞰するようなスケールで語り始めた。

 

「西に居座る古い十字の者たちは、ローマから来た新しい言葉をひどく嫌がっている。東の王どもは相変わらず、古い神の名を騙って不毛な血を流し続けている。……内陸では飢えの気配が濃い。泉の水が腐った村が増えている。今年は、赤子の産声よりも、腹を空かせた母親のうめき声の方が多い年になるだろうね」

 

 王は無言のまま、師匠の言葉を一つ残らず脳内に刻み込んでいるようだった。

 

「……西の古い十字の者たちは、まだローマの使者と手を握ろうとはせぬか」

 

「手を握るどころか、背中から爪を立てる機会を虎視眈々と狙っているよ」

 

「だろうな。連中の頑固さは岩のようだ」

 

 私はその会話を聞きながら、前世のキリスト教オタクの友人が居酒屋で熱弁していた歴史の授業を思い出していた。

 

『六世紀のブリテン島ってさ、キリスト教だからって一枚岩じゃないんだよ。ローマ教皇から派遣されてきたアウグスティヌスたちと、もともと土着化していたケルト系のキリスト教会が、復活祭の日付やら権威の所在やらでバチバチに揉めるの。同じ神様を信じてるのに、政治が絡むと超絶面倒くさいことになるんだよね』

 

 なるほど、神様が同じでも人間が違うと揉めるのか。

 

 人類って、いつの時代も本当に大変だな……。

 

「私の下へ集まる者たちも、一枚岩ではない」

 

 王もまた、自らの内情を少しだけ明かした。

 

「海の向こうのフランクの者たちは、十字の祈りとともに豊かな交易品を持ち込んでくる。ローマの者たちは、祈るための土地と、目に見える権威を求めている。そして、私に付き従う土着の長老たちは、私がどこまで新しい祈りを許すのかを、息を潜めて見張っている」

 

 王は、太い指で玉座の肘掛けを軽く叩いた。

 

「古い神を捨てきれぬ者たちと、新たな十字の印を受けた者たちを、同じ広間に座らせて酒を飲ませねばならぬ。王の仕事というのも、骨が折れる」

 

 私はその言葉に、エゼルベルト王の底知れぬ凄みを感じた。

 

 彼はただの野蛮な戦士ではない。

 

 フランク王国やローマ教皇庁との外交的価値を正確に理解しつつ、国内の保守派である異教徒たちを一気に切り捨てるような愚策も取らない。

 

 絶妙なバランス感覚で綱渡りをする、超一流の政治家なのだ。

 

 ふと、王の視線が再び私へと向いた。

 

「森の小さな使いよ。そなたは昨日、西の村で十字の若者と居合わせたそうだな」

 

 ビクッと肩が跳ねた。

 

「は、はい」

 

「どう見た?」

 

 私は師匠の顔を盗み見たが、師匠は無表情のまま沈黙を保っている。

 

 助け舟を出す気はないらしい。

 

 私は慎重に、言葉を選びながら答えた。

 

 キリスト教側を褒めちぎれば、古い信仰の象徴である師匠の顔を潰すことになるかもしれない。

 

 だが、あのマルクスという青年が泥だらけになって看病していた姿を、嘘で貶めることは私にはできなかった。

 

「……必死に、祈っていました。でも、祈るだけじゃなく、自分で水を運び、汚れた布にもためらわずに触っていました。村の大人たちに疑われて、冷たい目を向けられても……逃げずに、ずっと病人のそばにいました」

 

 王は少しだけ目を細め、私の言葉の裏を探るように見つめた。

 

「では、使えるか?」

 

「病人の前では……使える、良い人でした」

 

 私がそう言い切ると、王はフッと表情を和らげて笑った。

 

「良い答えだ」

 

 隣で、師匠が短く鼻を鳴らした。

 

「よ、よし! 王様面接、なんとか及第点をもらえた!? でも横の上司の機嫌が全く読めないのが一番怖い!」

 

 会話の終盤、王は姿勢を正し、師匠に対して厳かに言った。

 

「森の女よ。西の村の水の件、助かった」

 

「……」

 

「病の村が荒れ、不満が暴動に変わってからでは、王の耳に届くのが遅すぎる。そなたの耳は、私の耳よりも遥かに早い。感謝する」

 

 王が素直に礼を述べたことに対し、師匠はそっけなく返した。

 

「無駄な礼を言う暇があるなら、森の泉をこれ以上汚させないように差配することだね」

 

「努力しよう」

 

「努力だけでは、濁った水は澄まないよ」

 

「師匠! 一国の王様相手にも容赦がなさすぎる! 心臓に悪いからちょっと手加減してください!」

 

 私が内心でハラハラしていると、王は苦笑しながら、今度は私の方へ向き直った。

 

「森の小さな使いにも、礼を言おう」

 

「えっ」

 

「病に伏した子を見つけ、的確に処置したと聞く。よく働いてくれた。感謝する」

 

 王様から直接の労い。

 

 前世の末端社員だった頃には、社長から声をかけられることすら無かったのに。

 

 私は完全にテンパってしまい、変な声を出した。

 

「へへっ、恐縮です。ありがとうございます……!」

 

 すかさず、師匠の鋭い肘打ちが私の脇腹にクリーンヒットした。

 

「痛っ!」

 

「王の御前で、情けない奇声を上げるんじゃないよ」

 

「だ、だって、王族に直接褒められたんですよ!? しかもこんないい匂いのするワイルド系イケメン王様に!」

 

 王は私の慌てふためく様子を見て、再び声を上げて笑った。

 

「後の世の言葉を口走るだけでなく、考えていることがすべて顔に出るらしいな。森の女の使いにしては、随分と感情が豊かだ」

 

「す、すみません!」

 

 ふと、私の視界の端、広間の奥の薄暗い場所に、見慣れない気配を感じた。

 

 粗末な麻布ではなく、明らかに上質な、異国の意匠が施された布を纏った女性の姿。

 

 彼女の胸元には、十字の印が輝き、周囲には恭しく控える従者たちがいる。

 

「……あの方って、もしかして」

 

 私が小声で呟くと、師匠が僅かに口元だけを動かして答えた。

 

「フランクから来た女、王妃ベルタだ。十字の祈りを、この屋敷の最も奥深くに持ち込んだ張本人たちの一人だよ」

 

 歴史の教科書に載るような重要人物たちが、今、私と同じ空間で呼吸している。

 

 その事実に、私は得体の知れない興奮と、同時に恐ろしさを感じていた。

 

 *

 

 王の屋敷を辞し、再び森の節点へと向かう帰り道。

 

 極度の緊張から解放された私は、大きく伸びをしながら言った。

 

「はあー、緊張した。でも、エゼルベルト王様、すごくいい人そうでしたねー」

 

 師匠は、歩みをピタリと止めた。

 

「……そうかい?」

 

「え? だって、礼儀正しかったし、師匠みたいな古い信仰の人にもちゃんと敬意を払ってたし。病気の村の人たちのことも、ちゃんと気にかけてたじゃないですか」

 

 私の無邪気な感想に、師匠は氷のように冷たい目で私を見下ろした。

 

「いいかい。あれが、このブリテン島にキリスト教を広め、古い世界を終わらせようとしている最大の張本人だよ」

 

 私は、ハッとして言葉を失った。

 

「十字の祈り手たちを受け入れ、土地を与え、広間への出入りを許し、王妃の祈りを保護している。南東の島の祈りの形を根底から書き換えている、その中心にいるのがあの男だ」

 

「え……じゃあ、なんで師匠は、あんな風に普通に交流してるんですか? 敵同士なんじゃないんですか?」

 

 師匠は、自嘲するように鼻で笑った。

 

「私への牽制だろうよ」

 

「牽制……?」

 

「あの男は、私と直接言葉を交わすことで、森の目がどこまで王の領分を監視しているかを探っているんだ。私を広間へ通せば、不満を抱える森の女たちや古い長老どもに『王はまだ古い信仰を蔑ろにしてはいない』というポーズを示せる。そして、私の使いであるお前の存在を認めれば、お前を王の目の届く範囲に縛り付けることができる」

 

 私は、背筋に冷たい水が流れるのを感じた。

 

「こっちも同じさ」と、師匠は続ける。

 

「あの男と話せば、王がどこまで十字の祈りに傾いたかが測れる。どの村で不満が爆発しそうかも分かる。お前の顔を売っておけば、万が一王の配下に捕まっても、言い訳が立つ。……お互いに、相手の腹の中を探り合いながら、笑顔で牙を見せ合っているだけさ」

 

「大人の世界って……難しすぎます」

 

 私が肩を落とすと、師匠は再び歩き出しながら、さらに重い事実を突きつけてきた。

 

「あの王は、決して悪い男じゃない」

 

 師匠の声には、深い溜息のようなものが混じっていた。

 

「だから、厄介なんだよ」

 

 昨日出会ったマルクスという青年の顔が、私の脳裏をよぎった。

 

 彼もまた、善良で、必死に人を助けようとする祈り手だった。

 

「残虐で悪い王なら、森は人を隠し、泉は道を閉ざして抵抗すればいい。だが、あの男のように『善い王』は、道を整備し、病人を助け、交易で富をもたらし、理にかなった法を作る。……人は当然、それに従い、豊かさを選ぶ」

 

「……それって、村の人たちにとっては、良いことなんですよね?」

 

 私は恐る恐る尋ねた。

 

「人間にとっては、良いことだろうね。……だからこそ、古い森は負けるのさ」

 

 師匠のその言葉には、圧倒的な力を持つ時代のうねりに対する、静かな諦観が込められていた。

 

 *

 

 小屋へ帰還した後、私はさっそく薬草小屋の隅で、泥だらけの根っこを冷たい水で洗う作業に放り込まれた。

 

 王族と面談したという非日常の余韻など、粉々に打ち砕かれるような地味な重労働だ。

 

 冷たい水で手を赤く腫らしながら、私はぼんやりと考えていた。

 

 マルクスは、本当にいい人だった。

 

 エゼルベルト王も、魅力的で立派な王様だった。

 

 でも、その二人ともが、私の師匠である魔女様が守ろうとしている「古い森の世界」にとっては、致死的な毒となる変化を運んでくる存在なのだ。

 

 一方で、師匠魔女様は決して「優しいいい人」ではないが、現実の病人と向き合い、命を繋ぐための知恵と薬を与え続けている。

 

 誰が純粋な敵で、誰が絶対的な味方なのか。

 

 そんな単純な二元論では、この世界は割り切れない。

 

「この島……政治も宗教も、人間関係のレイヤーも、複雑怪奇すぎでしょ……」

 

 私が深いため息をついた瞬間。

 

「手が止まってるよ! 日が暮れる前にその根を全部洗い終わらないと、夕飯は抜きだからね!」

 

 背後から師匠の容赦ない怒声が飛んできた。

 

「ひぃっ、すみません! 今すぐ洗います!」

 

 その日、私は初めて身をもって知った。

 

 王様が優しく微笑んでくれることと、その人がこちらの味方であるということは、まったく別の話なのだということを。

 

 そして、魔女の弟子という職業には、薬草の処理と腹下しの原因究明と出張だけでなく、王族相手の高度な政治的駆け引きの顔見せまで含まれているらしいということを。

 

 私の新人研修のカリキュラムは、いくらなんでも広範囲に及びすぎていた。

 




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