古代欧州に転生したら捨てられたので、魔女の弟子になります〜友人たちの知識で西暦590年を生き延びたら、なぜか聖女扱いされました〜 作:パラレル・ゲーマー
「続かない術は、術ではない」
師匠のその言葉を受けて、私は一晩中、頭の中で必死に思考を巡らせていた。
いや、徹夜で考え込んだわけではない。
前世の社畜脳に染み付いた「業務改善フロー」の回路が、無意識のうちに勝手にバックグラウンドで処理を進めていたのだ。
「久しぶりだ、この感覚……」
私は、寝台の藁の上でニヤリと笑った。
現場のヒアリング、要件定義、運用フローの設計、教育資料の作成、責任分界点の明確化、例外対応のマニュアル化、そしてチェックリストの作成。
前世で散々やらされてきた、あの血を吐くような「地獄の業務改善プロジェクト」の経験が、まさか六世紀のブリテン島で衛生インフラを構築するために役に立つ日が来るとは。
人生、何がどう転ぶか分からない。
翌朝。
冬の重い曇り空の下、師匠の小屋には炉の火が低く燃え、いつもの薬草の匂いが漂っていた。
だが、今日の私はいつものように朝から根っこを洗ったりはしなかった。
作業台の上に、木片、石、紐、乾いた草、木の実の殻、骨片、布切れ、そして小さな札代わりの木片をずらりと並べ、腕を組んでそれらを睨みつけていたのだ。
師匠が、怪訝そうに私を見た。
「何をしているんだい。朝から遊びかい?」
私は真顔で振り返った。
「清めの作法の、実装設計です」
「……じっそう、せっけい」
「はい。誰でも無理なく続けられる形に落とし込むための、段取り作りです」
師匠は、やれやれというように鼻を鳴らした。
「また後の世の変な言葉かい」
「言葉は変ですけど、中身は大真面目です。昨日師匠が言ったじゃないですか。相手の手で回せる形にして残してやるのが、本当の魔法の使い方だって」
師匠は少しだけ目を細め、作業台の前に立った。
「……ほう。なら、見せてもらうよ」
「はい。まず、最初に『絶対にやらないこと』を決めました」
私は、作業台の端に避けた木片を指差した。
「村の全員に、毎日完璧な清潔を求めるのは無理です。すべての飲み水を煮沸するのも無理。衣服や布を毎日洗うのも無理。病人を完全に隔離するのも無理。新しい水場を一から作るのも無理。……ですから、最初から『完璧』は捨てます」
「ほう」
「今回のプロジェクトの目標は、あくまで『腹下しと水場汚染の被害を減らすこと』。これだけに絞ります。特に、赤子、子供、産婦、弱った母親といった『ハイリスク層』を最優先で守る設計にします」
私は、この数ヶ月間で学んだことをすべて叩き込むつもりだった。
「自分の価値を上げるため」に動いていた五歳の頃から、「現場を回すため」に動く十歳の今。
私はただの善意を押し付けるのではなく、現場で確実に成果を出すためのプロとして考えていた。
「それで、具体的にはどうするんだい」
「ルールは、五つだけに絞りました。これ以上増やすと、現場が混乱して絶対に続きませんから」
私は、五つの木片を作業台の中央に並べた。
「一つ目。水場の上流や泉の近くでは、病人の布を洗わない。汚物を捨てない。腐ったものを流さない。捨てる場合は必ず下流か、離れた穴を指定します。……つまり、『水源汚染の防止』です」
「二つ目。病人が吐いた布、便で汚れた布、血のついた布は、家族の他の布と一緒にしない。布が足りなくて洗えない場合は、せめて一番汚れた布だけでも別の山に分ける。洗う時は泉のそばではなく、離れた場所で湯を使います。できなければ、灰や土で汚れを包んで隔離します。……『感染源の分離』ですね」
「三つ目。全員の水を煮るのは薪が足りないので、赤子、腹を下した子供、弱った母親、産婦の水だけは、一度火を通してから冷まして飲ませます。できれば器も分けます。……『ハイリスク層への優先的衛生管理』です」
「四つ目。毎日の手洗いを義務化するのは無理なので、村の女たちが『供物を置くタイミング』に合わせて、手を濡らしたり、濡れ布で拭ったり、炉の煙に手を当てたりする習慣を入れます。完全な洗浄にはなりませんが、手を清めるという意識の入り口になります。……『宗教儀礼への手洗い動作の埋め込み』です」
「五つ目。腐りかけの根、湿った保存食、虫食いの実は、無事な食料と絶対に混ぜない。捨てるかどうかの判断は後回しでいいから、とにかくまず物理的に分ける。……『不良在庫の隔離』です。これが一番重要です」
私は一気に説明を終え、師匠の反応を待った。
師匠は、しばらくの間、腕を組んだまま無言で並べられた木片を見つめていた。
沈黙が痛い。
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……どう、ですか?」
師匠は、フッと息を吐き出し、口の端を少しだけ上げた。
「……やるじゃないかい」
「!!」
私の顔が、パァッと明るくなった。
「やりました! 師匠からの高評価、いただきましたァ!」
「もっと、後の世の理屈をそのまま押しつけてくるかと思っていたがね。だいぶ現実の暮らしに合わせて削ぎ落としたじゃないか」
「はい。薪も水も布も、圧倒的に足りない現場ですからね」
「一つ一つの決まり事は小さい」
「はい。小さくしました。でも……」
「続く」
師匠が、私の言葉を引き取った。
「そうだね。これなら、あの忙しい村の女たちでも続けられるだろう。……段取りが良すぎるね」
私は胸を張って、ドヤ顔を決めた。
「段取りなら、社畜なんで完璧ですよ。これでも前世では、バリバリ働くOLでしたからね!」
「……おーえる?」
「後の世の、働く女です!」
師匠は呆れたように笑った。
「働く女なら、この島にも山ほどいるよ」
「たしかに!」
私は自分で突っ込んで笑ってしまった。
師匠はすぐに真面目な顔に戻り、私を見た。
「なら、その働く女たちに、この決まりを『続けられる形』にして、納得させてみせな」
「はい! 任せてください!」
*
私たちは、最初の試験導入先として、師匠が昔から面倒を見ている、森の縁にある小さな村を選んだ。
そこは古い泉があり、春の挨拶や供物の習慣が色濃く残っている。
村の女たちは師匠を恐れつつも深く信頼しているため、「森の作法」として新しいルールを導入するには最適な環境だった。
村の広場に集められた女たちを前にして、私は深呼吸をした。
年長の女が、鋭い目で私と師匠を交互に見る。
「……その小さい使いが、新しい作法を持ってきたって?」
私は内心で「小さい使い呼び、完全に肩書きとして定着してるな……」と冷や汗をかきながらも、一歩前へ出た。
師匠は、私の後ろで腕を組んだまま黙っている。
「今日は私に説明させろ」という無言のプレッシャーだ。
「……森の泉を守るための、新しい作法です」
私はいきなり「見えない病原菌が~」などという野暮な現代知識は口にしなかった。
そんなことを言っても反発されるだけだ。
彼女たちの「森の言葉」に翻訳して伝える必要がある。
「泉の水は、森の口です。森の口へ病の布を戻すと、病は水に乗って家へ帰ってきます。だから、泉のそばを汚さないでください」
「弱った子の腹へ入る水は、病の影を連れて入りやすい。だから、一度火をくぐらせてください」
「腐った根を無事な根と寝かせると、悪い匂いが良い根へ移ります。分けてください」
「供物を置く手は、先に濡れ布で拭うか、水へ顔を見せてください」
私の説明を聞いた村の女たちは、顔を見合わせ、やはりというべきか眉をひそめた。
「森の作法ってのは分かるがね……手間が増えるんじゃないのかい」
「水を全部火にかけるなんて、そんな薪はないよ」
「布なんて余ってないのに、病の布をどうやって分けるんだい」
「病の子が出たら、看病だけで手一杯でそれどころじゃないよ」
反発の嵐だ。
だが、ここまでは完全に私の想定内だった。
「いいえ、手間は増やしません。増やしたら続かないので」
私ははっきりと断言し、一つ一つの反論を潰しにかかった。
「水を全部火にかける必要はありません。赤子と、腹を下した子と、産婦の水だけです。鍋一つ分で構いません。健康な大人は今まで通りでいいです」
女たちは少し虚を突かれた顔をした。
「全員分やれ」と説教されると思っていたからだ。
「病の布を分けるために、新しい布を用意しろとは言いません。一番汚れた布を、他の家族の布と同じ山に置かない。それだけでいいです。洗えないなら、せめて土か灰をかけて、別の場所に置いてください」
「洗わなくてもいいのかい?」
「洗えないなら、まず『混ぜない』。それだけで十分です」
完璧を求めない。
私の設計思想が、ここで活きる。
「洗い場はそこしかないんだよ。どうするんだい」
「泉の口のすぐ近くではなく、少し下った流れで洗ってください。どうしても無理なら、病の布を洗った日は、その水を絶対に赤子には飲ませないでください」
「そんなこと、毎日は覚えられないよ」
「それなら、木の枝を一本、水汲み道の入り口に立ててください。病の布を洗った日は、その枝に布切れを結ぶ。赤い布ならもっと良いです。それを見れば、今日は誰かが布を洗った日だとすぐに分かります」
「可視化だ……!」
後ろで師匠が「かしか?」と呟いたのが聞こえた。
「はい。見れば一目で分かる印を作って、現場の共有漏れを防ぐんです」と小声で返す。
「そんな細かいこと、毎日できるかい」
最後に残った反発に対して、私は首を横に振った。
「毎日じゃなくていいです。病の家、赤子のいる家、産婦のいる家だけ。……まずは、この冬が終わるまで。それだけでいいです」
女たちは、顔を見合わせた。
これなら、なんとかできそうな気がしてきたのだろう。
だが、最後に年長の女が鋭い目を向けてきた。
「……つまり、森の使いは、私らの今までのやり方が『汚い』と言いたいのかい」
空気が凍りついた。
ここで一歩でも間違えれば、プロジェクトは頓挫する。
「上から目線の指導」だと受け取られれば、現場の協力は絶対に得られない。
私はすぐに、深く頭を下げた。
「違います。私は、あなたたちのやり方のおかげで、あの冬を越すことができたんです」
私は顔を上げ、女たちを一人一人見つめた。
「食べられる草のことも、冷たい水の扱い方も、赤子の抱き方も、私はすべて、村の女たちから教わりました。あなたたちの知恵は正しいです」
「……」
「でも、病は水に戻ることがあります。良い根に、悪い根の匂いが移ることがあります。それを少しだけ避けるための、森の新しい作法なんです」
私が自分の村で泥水をすすって育った経験が、私の言葉に嘘偽りのない重みを与えていた。
年長の女は、少しだけ張り詰めていた表情を和らげた。
「お前は……村の女に育てられた子だね」
「はい」
師匠が、ゆっくりと前に出た。
ここからは、私の作った実務ルールを「森の作法」として権威づけし、儀式化するフェーズだ。
「泉の口を汚すな」
師匠の深く響く声が、広場に落ちた。
「病の布は、家の布と寝かせるな。弱き腹へ入る水は、火を一度くぐらせろ。供物の手は、先に水へ顔を見せろ。嫌な匂いの根は、良き山へ混ぜるな」
女たちは、静かに頷いた。
この短い言葉の羅列なら、暗記できる。
「キャッチコピーが強い……。師匠、広報担当としての文言作成能力が高すぎる」
年長の女が、深く頭を下げた。
「森の作法なら、若い女たちにも守らせるよ」
こうして、私たちの「清めの作法」は、最初の村での試験運用――パイロット導入を開始した。
*
それから数週間の間、私は何度かその村へ足を運び、作法がきちんと回っているかを確認した。
最初はやはり不完全だった。
枝の印を立て忘れる家があったし、病の布を別山にしたものの、うっかり子供が触ってしまうこともあった。
煮た水を冷ます前に赤子に飲ませようとして火傷しかけた母親もいたし、腐った根を別にしたのに「もったいない」と夜中に戻そうとする男までいた。
私はその度に、怒鳴るのではなく、現場の状況に合わせて手順を微調整していった。
「枝の印は泉の横じゃなくて、水汲み道の入り口に立てた方が目に入りやすいよ」
「病の布の山は、子供の手が届かない高いところか、籠の中に入れて」
「煮た水は、器を二つ使って移し替えながら冷ますと早いよ。器がないなら、浅い木皿に少しだけ移して」
「怪しい根は捨てる前に、鶏の餌に回せるか確認しよう。でも人間の保存食には絶対に戻さないで」
師匠は後ろで見ているだけだったが、私の現場対応力には内心で感心してくれているようだった。
そして、一月が経った頃。
年長の女から、師匠へ報告が上がった。
「今年は、泉のそばの家での腹下しが、明らかに少ないよ」
別の女たちも口々に言う。
「赤子の腹が荒れにくくなった気がする」
「病の布を分けた家では、下の子へ熱が移りにくかった」
「腐った根を混ぜなかったから、残りの保存食が前より長く持ったよ」
「水を火にくぐらせるのは面倒だが、弱った子には確かに効くようだね」
私は、内心でガッツポーズをキメていた。
「よっしゃあ! 順調じゃん! 導入プロジェクト大成功!」
だが、師匠はすぐに冷水を浴びせてきた。
「まだ一冬も越えていないんだ。調子に乗るんじゃないよ」
「はい。でも、最初の手応えとしては悪くないですよね?」
師匠は、フッと短く笑った。
「……悪くない。やるじゃないかい」
「やったー!」
私は再び胸を張った。
「言ったでしょう? 段取りなら、社畜なんで完璧です!」
「その、しゃちくというものは、そんなに役に立つのかい」
「少なくとも、上からの無茶振りを現場で回る形に落とし込む能力だけは、嫌というほど鍛えられましたからね」
「それは、実に魔女向きだね」
「嬉しいような、嬉しくないような……!」
私たちは、久しぶりに声を上げて笑い合った。
だが、実務がうまく回り始めると同時に、政治の方も動き始めていた。
村での作法が定着し始めると、あの若い宣教者マルクスも、それを見て学んでいた。
彼は、病人の水を煮ること、布を分けること、病の家から戻った後に手を清めることを覚え、それを「十字の祈り」の作法の中に取り入れようとしていたのだ。
「あ、もうパクられてる……」
私は遠目からそれを見て呟いた。
前回の師匠の言葉通り、命が助かるならそれでいい。
でも、自分が苦労して設計した運用フローが、あっさりと十字側の作法として横取りされていくのは、少しだけ複雑な気分だった。
「自分で言い出したことだけど、本当に持ってかれるとちょっと悔しいな……」
「良い術は真似されるものさ。悔しがる暇があるなら、次の手を考えな」
「はい……」
その時。
私の脳裏に、すっかり抜け落ちていた超特大のタスクがフラッシュバックした。
「あっ」
「どうした」
「そういえば、アウグスティヌスさんに会わなきゃいけないんだった!」
師匠は、半眼になって私を見た。
「……忘れていたのかい」
「わ、忘れてたわけじゃないです! 清めの作法の実装で手一杯で、スケジュールの優先順位が下がってただけです!」
「それを世間では忘れていたと言うんだよ」
「ぐうっ」
私は頭を抱えた。
あのマルクスが、カンタベリーのアウグスティヌスに私のことを報告し、彼が私と「会って話したい」と言っている件だ。
師匠は深い溜息をついた。
「……あんまり、変なことを言うんじゃないよ。基本的に、うちは放任主義だから任せるが……」
「魔女の教育方針、急に自由!」
「自由というより、自分の失敗の尻は自分で拭けというだけだよ」
「放任主義じゃなくて、完全なる自己責任主義だった!」
「それでも行くなら、行っておいで」
「はーい。では行ってきます!」
私は、気楽な返事をして小屋の荷物をまとめ始めた。
面会用の準備といっても、大したことはない。
清めの作法の木片メモと、病人の水を火にくぐらせる説明の準備。
そして、頭の中で「絶対に言ってはいけない禁止ワードリスト」の作成だ。
「未来」
「日本」
「フランス」
「細菌」
「ウイルス」
「キリスト教が広がる歴史」
「あなたは歴史上の人物です」
「私は転生者です」
「賢者猫」
「ハリポタ」
「禁止ワードが多すぎる……。面談難易度がエグいことになってる」
「その顔は、また余計なことを考えている顔だね」
師匠が呆れたように言う。
「禁止ワードリストを作ってました。社畜の面談スキルです!」
「なら、口を閉じる技も覚えな」
「それが一番難しいやつ!」
私は、自分の作法がうまく回り始めたことに少しばかり自信を持っていた。
だから、アウグスティヌスとの面会も、「現場担当者として、きちんと清めの作法の有用性を説明すれば、なんとか乗り切れるだろう」と、甘く考えていたのだ。
マルクスが待つ、カンタベリーへと続く節点に向かいながら、私は「ちょっと作法の説明に行ってくるだけだ」と、軽い足取りで歩みを進めた。
彼女はまだ、知らなかった。
自分がただの実務担当者として、清めの作法を説明しに行くつもりでいるその先で。
すでに彼女の扱いが「森の使い」から「聖女か、それとも魔女か」という、とんでもなく面倒な二択へと、勝手にランクアップしかけていることを。
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