古代欧州に転生したら捨てられたので、魔女の弟子になります〜友人たちの知識で西暦590年を生き延びたら、なぜか聖女扱いされました〜   作:パラレル・ゲーマー

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第14話 聖女ではなく、実務担当です

 どんよりと垂れ込めた冬の雲から、細かい氷雨がぱらぱらと落ちてくる。

 

 私は泥濘んだ道を慎重に歩きながら、肩から下げた麻の袋の重みを確認した。

 

 中には、「清めの作法」を説明するための木片のメモや、水を煮沸する理由を教えるための小石、薬草の束、師匠から持たされたよく分からない骨の護符、そして父親が削ってくれた護身用の木の棒が入っている。

 

 だが、私が何よりも強く握りしめていたのは、頭の中に構築した『自作の禁止ワードリスト』だった。

 

「……未来の話はしない。日本って言わない。フランスって言わない。細菌とかウイルスみたいな現代の医学用語は使わない。アウグスティヌスさんを歴史上の偉人扱いして舞い上がらない。自分が転生者だってことも言わない。賢者猫の話なんて論外。ハリポタのハの字も出さない。そして何より、ラテン語は必要最小限に……」

 

 ブツブツと呪文のようにつぶやきながら歩く私を、案内役として隣を歩いていた宣教者マルクスが不思議そうに覗き込んできた。

 

「何を、そんなに呟いているんだ?」

 

 彼が操るこの土地の言葉は、以前のひどい片言から見違えるほど上達していた。

 

 持ち前の真面目さで、村人たちとのコミュニケーションを通じて必死に学んだのだろう。

 

「面談前の、最終確認です」

 

「祈りか?」

 

「まあ、似たようなものですね」

 

 私は遠い目をして答えた。

 

「前世の社畜が、重要取引先とのプレゼン前にやるセルフチェックは、ほとんど祈りと同じなんですよ……」と内心で付け加えながら。

 

 やがて、灰色の森を抜けた私たちの視界に、カンタベリーの街並みが広がった。

 

 それは、私の知る泥臭い限界集落の村とも、エゼルベルト王の武骨で野性味あふれる居所とも全く違う空気を纏っていた。

 

 古いローマ時代の石造りの遺跡が土台として再利用され、その上に新しい木造の建築物が整然と並び始めている。

 

 広場の中心には、粗末な木組みではあるが、明確な「祈りの場」として整えられた空間があり、大きな十字架が立てられていた。

 

 行き交う人々の中には、フランク王国から持ち込まれたであろう鮮やかな織物を持つ商人や、羊皮紙の束を抱えた修道士たちの姿が見える。

 

「まだ完成した大聖堂都市ってわけじゃない。でも……」

 

 私は、冷たい空気に混じる独特の緊張感を肌で感じ取った。

 

「ここから何百年も続く、巨大な宗教的権威の拠点が育っていくんだと思うと、プレッシャーで胃が千切れそうになる……」

 

 当然、そんな感傷は口には出さず、私はただの「森から来た無垢な使い」のポーカーフェイスを貫いた。

 

 街を歩いていると、何人かの修道士や祈り手たちが立ち止まり、私をじっと見つめてくるのに気づいた。

 

 その視線には、異教の者に対する「警戒」、幼い子供への「好奇心」、そして何より、得体の知れない存在に対する「敬虔さに近い期待」が入り混じっていた。

 

「なんか、めっちゃ見られてるんですけど……」

 

 私が小声でこぼすと、マルクスが真剣な顔で頷いた。

 

「皆、すでに知っているんだ。森の使いが、あの西の村で病の子を救い、清い水を分けたということを」

 

「もう広報済みだったのね! 私の実績、完全に組織内で共有されてるじゃないですか!」

 

 私は、自分が想像以上に注目を集めている事実に、胃の辺りをギュッと押さえた。

 

 *

 

 案内されたのは、簡素だが隙間風のない、静かな木造の部屋だった。

 

 部屋の中央にある木の机越しに、その人は静かに座っていた。

 

 カンタベリーのアウグスティヌス。

 

 後の世の歴史書に太字でその名を残す、偉大なる宣教者。

 

 私は、彼をもっと豪奢な法衣に身を包んだ、威圧的で高圧的な権力者として想像していた。

 

 しかし、目の前にいる人物は違った。

 

 身に纏う修道衣は清潔だが、長旅と過酷な生活で擦り切れ、色褪せている。

 

 頬は痩せこけ、深いシワが刻まれている。

 

 しかし、その双眸だけは、深い祈りと、現実に立ち向かう実務者の鋭さを同時に宿していた。

 

 彼は、ローマの安全な聖座から遠く離れ、言葉も文化も違う異教の地で、王権と土着信仰の狭間に立ちながら、命懸けで布教を指揮している「現場のトップ」なのだ。

 

 アウグスティヌスは、私を見ると、まず長い沈黙を落とした。

 

 十歳ほどの少女。

 

 粗末な服に薬草袋。

 

 だが、その目は村の無知な子供のそれではない。

 

 彼は、私の存在の異質さを一瞬で嗅ぎ取ったようだった。

 

 やがて、彼は静かな、だがよく響く声で口を開いた。

 

 “Tu es puella ex silva veniens?”

 

(君が、森から来た少女か)

 

 私の脳内で、そのラテン語が自動翻訳され、意味としてすとんと腑に落ちた。

 

 私は反射的にラテン語で答えそうになったが、ギリギリのところで脳内の『禁止ワードリスト』が赤ランプを鳴らした。

 

「いかんいかん、『ラテン語は必要最小限』ルールだ。ここで流暢に返しちゃったら、ただの怪しいやつになる!」

 

 私は、あえて彼が使った言葉には乗らず、現地の言葉で慎重に返答した。

 

「はい。森の使いです」

 

 よし、ラテン語を避けた。

 

 地雷回避成功だ。

 

 私は内心でガッツポーズをした。

 

 だが、アウグスティヌスの目が、スッと細められた。

 

 彼は当然気づいたのだ。

 

 私が、彼のラテン語の問いかけを「完全に理解した上で、あえて現地語で返してきた」ことに。

 

 ただの村の子供が、なぜラテン語のヒアリング能力を持っているのか。

 

 彼の中で、私に対する警戒と疑問のパラメーターが一つ跳ね上がったことなど、私は知る由もなかった。

 

「あなたは、何者ですか?」

 

 アウグスティヌスは、今度はたどたどしいが、明確な現地語に切り替えて尋ねてきた。

 

 ここで変なことを言ってはいけない。

 

 私は、用意していた一番無難な自己紹介カードを切った。

 

「私は、森の使いです。まだ見習いですが、村を回って、病人の水と、食べ物と、布の扱いを少しだけ見ています」

 

 よし、完璧な一般職アピールだ。

 

 しかし、アウグスティヌスは追及の手を緩めなかった。

 

「……それだけですか?」

 

 その鋭い眼光に、私は少し焦った。

 

 ここで身元を隠しすぎると、逆に「得体の知れない悪霊の類」として疑われるかもしれない。

 

 ある程度の情報は開示すべきだ。

 

「ええと……ただ、後の世の記憶が少しあるだけの、しがない見習いです」

 

 その瞬間、部屋の空気がピシリと凍りついた。

 

 背後に立っていたマルクスが、ハッと息を呑む音が聞こえた。

 

 アウグスティヌスが、信じられないものを見るように身を乗り出した。

 

「後の世、ですか」

 

「あっ」

 

 私は自分の失言に気づき、頭を抱えたくなった。

 

「しまった! 禁止ワードの『未来』は避けたけど、『後の世』も意味合い的には完全にアウトじゃん! 幻視者とか予言者みたいに聞こえちゃった!」

 

 アウグスティヌスは、震えるような低い声で確認してきた。

 

「あなたは……後の世を、知っているというのですか」

 

 ここで「はい、知ってます!」と答えるのは危険すぎる。

 

 私は全力でハードルを下げるべく、慌てて手を振った。

 

「ええ、まあ、ほんの少しだけです! 全部を知っているわけじゃありません。私は立派な学者なんかじゃなく、ただの働く女でしたし、詳しいことは友人から雑談で聞いただけですから!」

 

「働く女……」

 

「はい。後の世では、女も普通にバリバリ働きますから。あ、もちろん今の時代も村の女たちは働いてますよね。すみません、なんか意味が違いますね」

 

 ドツボにハマっていく感覚に冷や汗をかきながら、私は必死に軌道修正を図った。

 

 そうだ、相手を安心させなければ。

 

「でも、大丈夫です。安心してください」

 

 私は、とびきりの営業スマイルを浮かべて言った。

 

「後の世でも、あなた方の教えは、長ーく残っていますから」

 

 部屋の中が、今度こそ完全に、絶対零度の静寂に包まれた。

 

 アウグスティヌスが、目を見開き、掠れた声を絞り出した。

 

「……我々の教えが、後の世にも?」

 

「はい! しっかり残っていますよ!」

 

 私は、相手の不安を取り除けたと思って、さらに言葉を重ねてしまった。

 

「私は信徒じゃありませんでしたが、歴史に詳しい友人から色々聞いたこともありますので、一定の理解はあります。あなた方の教えは、すごく長く、広く、世界中の多くの人に伝わっていますよ」

 

 よし、キリスト教を敵視していないし、むしろ肯定的に捉えていると伝えられた。

 

 これで好印象間違いなしだ!

 

 私は内心でドヤ顔を決めた。

 

 だが、アウグスティヌスたちの受け取り方は、私の想定とは全く逆ベクトルに振り切れていた。

 

「この少女は……我々の信仰が、遥か未来まで世界を覆うという『神の計画』を、はっきりと告げた」

 

 異教の森から現れた少女が、キリストの教えの永続性を予言する。

 

 それは、彼らの宗教観において、とてつもない意味を持つ「奇跡の啓示」に他ならなかったのだ。

 

 アウグスティヌスは、震える手を机の上で組み、慎重に、言葉を探すように尋ねた。

 

「では……あなたは、我々の教えを否定しに来たのではないのですね?」

 

「もちろんです! 否定するつもりなんて微塵もありませんよ」

 

 私は大きく頷いた。

 

「私は森の使いですが、病人の前では、森の知恵も十字の祈りも、手を貸せるところは協力して貸した方が絶対にいいと思っています。現にマルクスさんも、あの時、泥を被って汚い水を運んでくれましたし」

 

 私は、横に立つマルクスを見上げて微笑んだ。

 

「病人の前で、あんな風に一生懸命に汚い水を運んでくれる人は、少しも怖くありませんから」

 

 マルクスの目が、感動でわずかに潤んだ。

 

 アウグスティヌスは、マルクスの働きを正当に評価する私の態度に安堵しつつも、ますます底知れない謎に包まれていった。

 

「あなたは……十字を恐れないのですね」

 

「恐れないというより……理解はあります」

 

 私は、前世の知識を踏まえて誠実に答えた。

 

「後の世でも、あなた方の教えは本当に大きなものですから。……あっ、でも私は信徒というわけではないので、教義についてあまり偉そうなことは言えませんけどね」

 

 あくまで「私は部外者です」という謙遜のつもりだった。

 

 しかし、教会側には「信徒ですらない異教の少女が、神の教えの深淵を理解し、その未来までを予見している」という、あまりにも超越的な存在としてインプットされてしまった。

 

「さて、本題に入りましょう」

 

 私は、変な空気を払拭すべく、持参した木片を机の上に並べた。

 

「今日は、私が村で実践している『清めの作法』について、情報共有とすり合わせをしに来ました」

 

 私は、病人の水を火にくぐらせること、病の布を水場から離すこと、赤子や産婦の水を分けること、供物の前に手を清めること、腐った食べ物を弾くことなど、衛生管理の基本ルールを説明した。

 

 アウグスティヌスは、身を乗り出して真剣に耳を傾けてくれた。

 

 私は、彼らにも受け入れやすいように、言葉を丁寧に「翻訳」して伝えた。

 

「森では、『泉の口を汚さない』と言います。あなた方の言葉なら、『神の前に立つ前に自らの手を清める』と言い換えられるかもしれません」

 

「森では、『弱き腹へ入る水は火をくぐらせる』と言います。あなた方の教えなら、『弱い者を先に守る慈悲の行い』と言えるのではないでしょうか」

 

 私は「どうですか、これなら共通言語として落とし込めますよね?」という実務的な提案のつもりだった。

 

 だが、アウグスティヌスの瞳孔が、驚愕でわずかに見開かれた。

 

「この少女は……異教の作法を、見事に我々の神学的な『慈悲』と『清め』の文脈に繋ぎ合わせている。なぜ、ただの森の使いが、これほどまでに主の教えの筋道を深く理解しているのだ?」

 

 私の善意の翻訳作業が、彼らの中で勝手に「神聖な知恵の証明」へと変換されていることなど、露知らず。

 

 説明を終えると、アウグスティヌスは長く、深く息を吐き出した。

 

 そして、私を真っ直ぐに見つめ、恐る恐る、だが核心を突く問いを投げかけてきた。

 

「あなたは……聖なる者なのですか?」

 

「……え?」

 

 私は一瞬、何を言われたのか分からず硬直した。

 

「聖人、あるいは聖女。……神が我々を助けるために遣わした、聖なる助け手なのですか」

 

「えええええっ!?」

 

 私は椅子から転げ落ちそうになり、両手を激しく振って全力で否定した。

 

「違います違います! 絶対違います! そんなの恐れ多すぎます!」

 

 顔から火が出るほど恥ずかしい。

 

「私はただの森の使いです! まだ根っこを洗ってるだけのしがない見習いですよ! 一応、後の世であなた方の教えについて雑学として聞いたことはありますけど、信徒ってわけじゃありませんし、聖女とか、そんな大それたものじゃ絶対にないです!」

 

 激しい否定に、アウグスティヌスは少しだけ安堵したような、だが同時に戸惑うような顔をした。

 

 普通なら、ここで「そうか、勘違いだったか」と収まるはずだ。

 

 しかし、私はここで、前世のビジネスパーソンとしての悪癖――『相手の解釈には口を出さない』という免責事項を、うっかり付け足してしまったのだ。

 

「ただまあ、そちらが私の言動をどう解釈して、どう運用するかまでは、私には関与できませんけどね」

 

 ピタリ、と。

 

 部屋の空気が、完全に止まった。

 

 私としては、「私はマニュアルを提供しただけなので、そっちの組織内での解釈や運用方法はそっちに任せます」という、ごく当たり前の実務的な発言だった。

 

 しかし、修道士たちの耳には、こう変換されて響いた。

 

『私は自らを聖なる者とは名乗らない。しかし、私の正体をどう解釈するかは、お前たちの信仰の目にかかっている』

 

 ――これは、我々の信仰心を試す「試し」なのではないか?

 

 そもそも、真に聖なる者ほど、自らを聖女だと驕り高ぶることはないではないか。

 

 そんな特大の地雷を爆発させたことにも気づかず、私はアウグスティヌスの次の言葉を待った。

 

 アウグスティヌスは、慎重に、言葉を噛みしめるように言った。

 

「……では、我々は、共に在ることができると考えてよいのですね?」

 

「ええ! もちろんです!」

 

 私は、ようやく話がまとまったと大喜びした。

 

「病人を救うという最前線では、完全に共存できます! 森の女たちは水と草の扱いを知っています。あなた方は祈りの言葉と文字を持っています。王は国を動かす掟を出せます。それぞれが自分の得意な領域でできることをすれば、助かる人は絶対に増えますから!」

 

「話せば分かってくれると思ってました! やったー、交渉成立ですね!」

 

 私は満面の笑みで拍手した。

 

 アウグスティヌスも、静かに頷き返した。

 

 だが、彼の心中は穏やかではなかった。

 

「異教の森の使いが、我々十字の者との共存を明確に認め、むしろそれを主導しようとしている。……これは、歴史的な転換点かもしれない」

 

 面会の最後に、アウグスティヌスが一つだけ問いかけてきた。

 

「あなたは……誰の命で、ここへ来たのですか?」

 

 私は少し考えた。

 

 師匠か?

 

 森か?

 

 それともマルクスに呼ばれたから?

 

 私は、嘘をつかず、ありのままを答えた。

 

「師匠からは、『変なことを言うな』と釘を刺されました。でも、基本的には私の行動は放任……任せると言われています。だから、自分の判断で来ました」

 

 私は胸を張った。

 

「清めの作法は、森の中だけで独占して抱え込むより、あなた方にも知って使ってもらった方が、絶対に病人が多く助かると思ったので」

 

 アウグスティヌスは、深く目を閉じた。

 

「……自分の判断で」

 

 森の使いという立場でありながら、自らの強固な意思で、異教と十字の橋渡しを行い、病人を救済するマニュアルを惜しげもなく提供する少女。

 

 その主体性の強さが、彼らにとってどれほど異質で、かつ神聖なものに映ったか。

 

 私には想像もつかなかった。

 

「あなたの言葉を、慎重に受け止めます」

 

 アウグスティヌスが深く頭を下げるのを見て、私はホッと胸を撫で下ろした。

 

「はい。清めの作法は、現場が回らなくなるほど難しくしすぎないでくださいね。薪が足りない村では、赤子と病人の水だけでいいです。布を分けられないなら、まず一番汚れた布だけ別にしてください」

 

 私は、去り際に一番大事なことを念押しした。

 

「続かない作法は、作法ではありませんから」

 

 アウグスティヌスは、その言葉を噛み締めるように復唱した。

 

「続かない作法は、作法ではない……」

 

「はい。師匠の受け売りですけどね」

 

「あなたの師は、恐ろしいほどに賢い方なのですね」

 

「めっちゃ怖いですけど、すごく賢くて実務的です」

 

 私は軽く笑って、頭を下げた。

 

「では、私はこれで戻ります。今日はありがとうございました」

 

「マタ、来ル?」

 

 マルクスが、名残惜しそうに聞いてきた。

 

「必要があれば、また情報共有に来ますよ」

 

「また、お話を」と、アウグスティヌスも言った。

 

「はい。師匠に怒られない範囲で、変なことを言わないように気をつけます」

 

 私は、意気揚々とカンタベリーの建物を後にした。

 

「よしっ! 完璧! 聖女扱いもちゃんと全力で否定したし、未来の話も最低限に抑え込んだ。禁止ワードもほぼ守れたし、お互いの強みを活かした共存体制の構築に成功したぞ!」

 

 私は、鼻歌交じりで泥道を歩き、帰りの節点へと向かった。

 

 *

 

 森の節点に戻り、ワープの吐き気に耐えて小屋へ帰還すると、師匠が腕を組んで待ち構えていた。

 

「どうだった」

 

 私は胸を張って報告した。

 

「バッチリ交渉成立です!」

 

「……何を言ったんだい」

 

「私は森の使いですって名乗って、後の世でもあなた方の教えは残ってますよって安心させて、清めの作法はあなた方にも使えます、現場で共存できますって伝えました! あ、もちろん『私は聖女じゃありませんから、解釈はそちらに任せます』って、ちゃんと否定もしておきましたよ!」

 

 師匠は、ピタッと動きを止め、深い、深いため息をついた。

 

「どうしました?」

 

「……あんた、自分が地雷原をタップダンス踊りながら駆け抜けてきた自覚、本当にないのかい?」

 

「えっ!? いや、だいぶ気をつけて言葉を選びましたよ!?」

 

「それでそれかい。……頭が痛いね」

 

 *

 

 その頃、カンタベリーの薄暗い部屋では、アウグスティヌスとマルクス、そして数人の主だった祈り手たちが、重苦しい沈黙の中で顔を見合わせていた。

 

「彼女は……聖女、なのでしょうか」

 

 マルクスが、震える声で問いかけた。

 

「しかし、本人は違うと明確に否定したぞ」

 

 別の祈り手が言う。

 

「だが、真に聖なる者ほど、自らを聖なるとは決して言わぬものだ。しかも彼女は、『解釈はそちらに委ねる』と、我々の信仰の真贋を試すようなことまで口にした」

 

 アウグスティヌスは、机の上で手を組み、冷静に状況を整理しようとしていた。

 

 彼は決して、盲目的な狂信者ではない。

 

「彼女は、我々の教えが遥か後の世にも残ると告げた。それを真なる啓示と受け取るべきか、異教の森が見せた幻と受け取るべきかは、私にも分からない」

 

「では、悪しき魔女の類だと?」

 

「いや。味方と呼ぶには、彼女はあまりにも深く森に属している。……だが、敵と呼ぶには、彼女はあまりにも病人に寄り添い、慈悲に満ちていた」

 

 アウグスティヌスは、決断を下した。

 

「この件は、ローマへ報告する」

 

 周囲の修道士たちが、息を呑んで身を強張らせた。

 

「教皇グレゴリウス聖下へ、直接ですか?」

 

 マルクスが問う。

 

「そうだ。この最果ての地では、森と泉の古い力がまだ深く根を張っている。その深淵の中から、我々の言葉を解し、教会の未来を語り、病人を救済する作法をもたらし、我々との共存すら拒まぬ少女が現れたのだ。……これは、一介の宣教者である私が軽んじてよい事態ではない」

 

 アウグスティヌスは、羊皮紙を引き寄せ、羽ペンをインクに浸した。

 

「彼女を、どう記しますか」

 

「『聖女』とは断じない。かといって『魔女』とも書かない。『森の使いと呼ばれる少女』と記す。……ただし、彼女が我々の教えが後の世にも残ると語ったこと、そして、彼女の教える清めの作法が、現実に多くの病を退ける可能性があることは、詳細に記しておく」

 

 蝋燭の火が揺れる中、書簡が封じられた。

 

 それは、やがて海を渡り、ローマ教皇庁の奥深くへと届けられることになる。

 

 主人公は、まだ知らなかった。

 

 自分が「ちょっと衛生マニュアルの擦り合わせに行ってくるだけ」のつもりで向かったその面談で。

 

 実際には満面の笑顔で特大の地雷原を駆け抜け、踏み抜いた爆弾の破片がカンタベリーを飛び越えて、遠くローマの教皇の足元にまで飛んでいってしまったことを。

 




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