古代欧州に転生したら捨てられたので、魔女の弟子になります〜友人たちの知識で西暦590年を生き延びたら、なぜか聖女扱いされました〜   作:パラレル・ゲーマー

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第8話 十を数えた日、森の奥で採用されました

 それから、五年が過ぎた。

 

 秋の夜長に炉のそばで丸まりながら聞いた「うちの子」という両親の言葉を、消えそうな火種のように胸の奥で守り続けながら、私は西暦六〇〇年頃の寒村で、無事に十歳という節目を迎えていた。

 

 この五年間の私の業務履歴は、控えめに言ってもブラック企業のフルスタック社員並みに多岐にわたっていた。

 

 食べられる若芽と毒草のかなり正確な判別。

 

 保存食をカビから守るための乾燥と燻製技術の習得。

 

 赤ん坊が弱った時の温め方。

 

 そして、あの強烈に苦い野草を、少量の粉でまとめ上げて「人間の胃袋が受け付ける薄焼き」に加工する調理技術の向上。

 

 さらには、年齢を重ねるごとに、私の中に潜む「魔力の感知能力」も少しずつ精度を上げていた。

 

 食材の腐りかけや、水に混ざった毒気、湿気のこもり具合などを、理屈ではなく「肌にへばりつくような違和感」として察知できるようになったのだ。

 

 村の女たちは、そんな私を便利に使い倒した。

 

「おい、この草の根は老爺の腹に入れても大丈夫か」

 

「この木の実は冬まで持つかどうか、お前が見て分けな」

 

「こっちは魔女様への供物に回すから、一番良いのを選んどけ」

 

 私は言われた通りに作業をこなした。

 

 内心では「年々、明らかに私の業務範囲が拡大してるんですけど! これだけのマルチタスクをこなしてるのに、給与が薄焼きの焦げてない端っこ一枚って、いくらなんでもやりがい搾取が過ぎる!」と悪態をつきながらも、村の中で「不可欠な労働力」として立ち回ることで、己の生存を担保してきたのだ。

 

 しかし、私のその「有能さ」は、同時に村人たちの目に「不気味な異質さ」として映り続けていた。

 

 あの春の挨拶の時に供物が微かに揺れたという噂。

 

 私が選別した食料だけが妙に長持ちするという事実。

 

 そして、十歳になった私の、子供らしからぬ落ち着き払った目つき。

 

 一方で、私の家の食料事情は、私がどれだけ役に立とうとも根本的に改善することはなかった。

 

 むしろ、私が十歳になる間に幼い弟妹がさらに二人も増え、口の数は暴力的に家計を圧迫していた。

 

 そして、運命の時は、ある秋の深まりとともにやってきた。

 

 村の年長者たちが、私の両親を呼び出し、決定を下したのだ。

 

「あの子も、とうとう十を数えた」

 

「もう、小さいとは言えまい」

 

「あのように魔女様の目に留まった子を、いつまでも村の端に置いておくのは筋が通らない。今年は、あの子を森の奥へ渡す」

 

 捨てる、とは言わなかった。

 

 渡す、あるいは預けるという、彼らなりの信仰と善意のオブラートに包まれた言葉だった。

 

 もちろん、母親は蒼白になり、父親は太い腕を組んで黙り込むことで激しい抵抗の意志を示した。

 

 五年前のように、なんとか私を家の内側に引き留めようとしてくれたのだ。

 

 だが、今の我が家には幼い弟妹がおり、彼らを冬越しさせるための備えは決定的に不足していた。

 

 それに加え、「このままあの子を村に留めおけば、魔女様への不義理となる」という年長者たちの論理は、この時代において絶対的な重みを持っていた。

 

 両親の抵抗も、ついに限界を迎えたのだ。

 

 その決定を聞かされた時、私は意外なほど取り乱さなかった。

 

 泣き喚くことも、逃げ出すこともなかった。

 

 なぜなら、五年前から覚悟の火種はずっと燻り続けていたからだ。

 

 あの食えない黒猫の予言。

 

 村人たちのヒソヒソ話。

 

 森の奥から感じた冷たい視線。

 

「……ついに、タイムリミットが来たか」

 

 私は自分の膝を抱えながら、静かにそう受け入れた。

 

 もちろん、怖い。

 

 村の外へ出たこともないのに、あの不気味な森の奥へ引き渡されるのは恐ろしいし、何より、今まで私を守ろうとしてくれた両親と離れるのは、胸が張り裂けそうに悲しかった。

 

 でも同時に、私はどこかで悟っていたのだ。

 

「私みたいに、中身が社畜OLで謎の感知能力を持った人間が、この閉鎖的な村で一生『普通の農民の娘』として収まることなんて、どのみち無理だったんだ」

 

 村の大人たちを、一方的な悪人として恨む気にはなれない。

 

 彼らもまた、口減らしをしなければ村全体が冬の寒さと飢えに沈むという、ギリギリの生存ラインで生きているだけなのだ。

 

 *

 

 森へ向かう朝。

 

 空気はひどく冷たく、吐く息は真っ白に染まっていた。

 

 小屋の土間で、母親が私の前に膝をつき、粗末な麻の布袋を無言で押し付けてきた。

 

 中を開けると、丁寧に乾かされた薬草の束、数個の木の実、私が焼いたものよりずっと不格好な薄焼き、そして、母親自身が選んだ安全な木の根が詰め込まれていた。

 

 我が家のカツカツの備蓄から、身を切るようにして捻り出してくれたものだ。

 

 母親は、私の目を真っ直ぐに見据えて、掠れた声で言った。

 

「腹が減っても、一気に食うんじゃないよ。少しずつ噛んで食え。弱った腹を壊すからね」

 

「……うん」

 

「水気には気をつけな。布を濡らすと凍えるよ」

 

「分かった」

 

 母親の言葉は、それだけだった。

 

 現代のドラマのような抱擁も、涙ながらの別れの言葉もない。

 

 だが、最後に母親は、私の細い肩をガシッと強く掴み、絞り出すように言った。

 

「……気をつけて、行くんだよ」

 

 私は、胸の奥を太い杭で突かれたような痛みを覚えた。

 

 前世の日本なら、親が子供に「気をつけて」と声をかけるのは日常の挨拶にすぎない。

 

 だが、この圧倒的な貧困と無関心が支配する時代において、その一言は、奇跡のように重く、そして温かい響きを持っていた。

 

 背後から、父親が近づいてきた。

 

 彼は無言のまま、私の手に一本の硬い木切れを握らせた。

 

 鉈で先端を鋭く削り出し、私の小さな手に馴染むように持ち手を整えられた、短い木の杭のような護身用の棒だった。

 

 金属の刃物など渡せるはずもない中での、彼なりの最大の武装だ。

 

「……森は、手ぶらで歩くような甘い場所じゃねえからな」

 

 父親はそれだけ言うと、不機嫌そうに顔を背けてしまった。

 

 私を抱きしめることも、頭を撫でることもない。

 

 だが、その背中の丸まり具合が、彼の精一杯の悲しみを示しているように思えた。

 

「お父さん、お母さん……ありがとうございます」

 

 私は、現地の言葉で深く頭を下げた。

 

 涙がこぼれそうになったが、必死に唇を噛んで堪えた。

 

 その時、背中を向けたまま、父親が低く呟いた。

 

「……生きろ」

 

 私は顔を上げた。

 

 父親はもうこちらを見ていなかった。

 

 けれど、その一言は、母親の「気をつけて」と同じくらい重く、私の胸の奥に落ちた。

 

 村の境界まで、年長の女たち数人が私を連れて行くことになった。

 

 歩きながら、私を引率する女の一人が、事務的な口調で注意を促してきた。

 

「いいかい。あの方の前に出たら、余計な口は叩くんじゃないよ。目は伏せておきな」

 

「はい」

 

「向こうから言われるまで、勝手に食べ物に手をつけるんじゃない。だが、何かを聞かれたら、絶対に嘘はつくな。すべてお見通しだからね」

 

 私は内心で乾いた笑いを漏らした。

 

「なんかこれ、完全に就職活動の最終面接の直前アドバイスじゃないですか。私、これから森の魔女コーポレーションに新卒カードで入社するんですか?」

 

 見送りの列の端に、かつて春の採取で若芽を根こそぎ引っこ抜こうとして私に怒られた、あの泥だらけの子供が立っていた。

 

 その子が、私を見て小さな声で言った。

 

「お前……あの、ただの草よりは少しマシなやつ。あっちに行っても、また作れるのかよ」

 

 私は少しだけ口角を上げて笑い返した。

 

「たぶんね」

 

 この村にも、ほんのわずかだが、私との間に繋がった情のようなものがあったのだ。

 

 *

 

 かつて春の挨拶で立ち止まった、古い大木と石積みの場所を越える。

 

 そこから先は、村人が決して立ち入らない不可侵の領域だった。

 

 空気が、明確に変わった。

 

 鳥の甲高い鳴き声が遠のき、足元の苔がふかふかと深く沈み込む。

 

 周囲を取り囲む木々はどれも異様に太く、威圧感すら漂わせている。

 

 ふと横を見ると、苔むした岩に混じって、明らかに人の手で加工されたローマ時代の四角い石材の残骸や、古墳のような不自然な盛り土が転がっていた。

 

 ここが「普通の森」ではないことを、私の胸の奥に眠る魔力が、共鳴するように微かに震えて教えてくれた。

 

 森の中腹、奇妙な形にねじれた巨木の根元にある、澄んだ小さな泉の前に出た。

 

 周囲には、人の顔のようにも見える幾何学的な文様が刻まれた古い石が配置されている。

 

 年長の女たちは、ここでピタリと足を止めた。

 

 これ以上は、死んでも進む気はないという強固な意志が感じられた。

 

 彼女たちは泉の前の平らな石の上に、持参したささやかな供物を置いた。

 

 そして、私の背中を押して、その石の前に立たせた。

 

「春を分け、冬を越させ、病を遠ざける森の主よ。村の子を、ここにお預けいたします」

 

 年長の女が、朗々とした声で古い口上を述べた。

 

 私は息を潜めながら内心で突っ込んだ。

 

「完全に引き渡し書類の口頭提出が完了しちゃったんですけど! クーリングオフ期間とかないんですか!」

 

 深い森の静寂が、しばらくの間続いた。

 

 そして。

 

 バキッ、と枯れ枝を踏み折る音がして、森のさらに奥から『それ』が現れた。

 

 派手な魔法の光も、煙の演出もない。

 

 いつの間にか、そこに立っていた。

 

 老婆のようにも見えるし、壮年の女のようにも見える、年齢不詳の人物だった。

 

 背筋は少し曲がっているが、その瞳だけは異様に爛々と輝き、若々しい生命力に満ちている。

 

 身に纏っているのは、おとぎ話の魔女のような黒いローブではない。

 

 獣の皮、織りの粗い麻布、乾いた草の束、小さな骨、鳥の羽、薬草がパンパンに詰まった袋。

 

 そして、胸元にはローマ時代の錆びた青銅の留め具や、魔除けの石の護符がジャラジャラとぶら下がっていた。

 

 まさに「森そのものが歩いている」ような出立ちだ。

 

 魔女様は、私たちの前に立つと、第一声でこう放った。

 

「……遅い」

 

 冷たく、地を這うような声だった。

 

 優しさや慈愛など微塵も感じられないその一言に、年長の女たちはビクッと肩を震わせ、地面に這いつくばらんばかりに頭を下げた。

 

 私も反射的に背筋をピンと伸ばして直立不動の姿勢をとった。

 

 魔女様は、頭の先から足の先まで、値踏みするように私の全身をねめ回した。

 

「……五年も待たせたね」

 

 私は思わず目を丸くした。

 

「えっ……待ってたんですか? 私、五年前の春の時点でエントリー完了してたんですか!?」

 

 心の中で叫んでいると、魔女様は私の考えを読んだかのように、淡々と語り始めた。

 

「春の苦い若芽を、変なふうに薄く焼いて食わせた子だろう。腐りかけの根を迷わず弾き、腹を壊すものを毛嫌いし、森の恵みを人の口に入る形へねじ曲げる子だ」

 

 私の全身から滝のような冷や汗が吹き出した。

 

「怖い怖い怖い! 私の村での行動履歴、全部筒抜けじゃないですか! どんな監視ネットワーク張ってるんですか!」

 

 魔女様は、私の怯えた顔を見て、短く言い捨てた。

 

「使える」

 

 私は、あまりのストレートな評価に脱力しそうになった。

 

「拾う」でも「救う」でもない。

 

「使える」。

 

 私の採用理由は、完全に「実務業務への適性が高いから」だったのだ。

 

 引き渡しの儀式が終わり、年長の女たちが逃げるように村へ帰ろうとする。

 

 私は、振り返って、遠くに見える村の方角を見た。

 

 そこには見えないけれど、私を送り出してくれた両親がいる。

 

「気をつけて、行くんだよ」という母の声。

 

「生きろ」という父の不器用な声が、耳の奥に蘇る。

 

 生きろ。

 

 そうだ、これは口減らしじゃない。

 

 私が生きるための、両親なりの最大の選択だったんだ。

 

 私は、涙で滲む視界の中、村に向かって深々と頭を下げた。

 

 胸の奥から熱いものが込み上げてきて、鼻をすすり上げた。

 

 さあ、ここから感動の「新しい師匠との優しい生活」が始まる……。

 

「可哀想に、辛かったね。今日から私がお前の師だよ。まずは温かいスープでも飲みなさい」

 

 そんな展開を期待して振り向いた私の耳に、魔女様からの容赦ない指示が飛んできた。

 

「泣くのは歩きながらにしな」

 

「……え?」

 

「日が落ちる前に小屋へ戻るよ。ボサッとしてないで、その荷物を持て」

 

 そう言って、魔女様は自分が背負っていた重そうな背嚢と、薬草が詰まった巨大な麻袋を、ドサリと私の足元に放り投げた。

 

「ぐっ……重っ! 弟子入り初日、しかも感動の別れの余韻が一秒も冷めないうちに荷物持ちですか! まあ、新人の仕事としては正しいですけど!」

 

 私は涙を引っ込め、必死にその荷物を抱え上げた。

 

 私たちは、道なき森の奥へとさらに進んでいった。

 

 しばらく歩くと、巨大な古い木の根元と、苔むした岩が重なり合い、小さな泉が湧き出ている奇妙な空間に行き当たった。

 

 魔女様は、その岩肌に刻まれた古い紋様のようなものに、ゴツゴツとした手を触れた。

 

 そして、私を振り返って言った。

 

「吐くなら、先に言いな」

 

「……は? 何をですか?」

 

 魔女様が岩を撫でた瞬間。

 

 私の周囲の空間が、文字通り「ぐにゃり」と折り畳まれた。

 

「うわああああああああっ!?」

 

 視界が反転し、三半規管が凄まじい勢いでシェイクされる。

 

 胃袋が喉の奥までせり上がってくるような強烈な吐き気。

 

 耳元で凄まじい風切り音が鳴り響き、足元の湿った土の匂いが、一瞬にして乾いた灰の匂いへとすり替わった。

 

「おええええっ……!!」

 

 私は、見知らぬ小屋の土間に膝から崩れ落ち、盛大にえづいた。

 

「ほう。一度で吐き戻さないとは、随分と丈夫な腑をしているねえ」

 

 上から降ってきた魔女様の声に、私は涙目で抗議した。

 

「世界が折り畳まれたんですけど!? 私の胃袋も一緒に折り畳まれかけたんですけど!? ていうか、褒める基準が野蛮すぎません!?」

 

「慣れな。明日から毎日使うんだから」

 

「明日から!?」

 

 フラフラと顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、魔女様の拠点となる「小屋」の全貌だった。

 

 それは、おとぎ話に出てくるような可愛らしい魔法使いの家ではない。

 

 作業場、薬草の乾燥室、保存食の倉庫、怪しげな診療所、そして雑多な情報基地が一つに合体した、完全なる「ブラック事業所の現場」だった。

 

 天井からは無数の薬草の束が吊り下げられ、むせ返るような匂いを放っている。

 

 壁には獣の骨、古い布、謎の木札、貝殻、そしてローマ時代の青銅の金具が所狭しと打ち付けられている。

 

 棚には中身の分からない壺や粉袋が並び、部屋の中央には巨大な炉と石臼が鎮座していた。

 

「すごい……薬草も、保存食も、道具も、全部揃ってる……!」

 

 私が目を輝かせていると、魔女様が私の後頭部を軽く小突いた。

 

「ポカンと見ている暇があるなら、そこの籠に入っている根を洗いな」

 

「初手、根洗い!」

 

「洗い終わったら細かく刻め。刻んだら鉢で練れ。練ったら丸めろ。丸めたら平たい石の上で乾かす。さあ、手を止めるんじゃないよ」

 

 私は慌てて籠の前に座り込み、冷たい水で泥だらけの根を洗い始めた。

 

「あのー! 魔法の杖とか、黒いローブの支給とか、呪文の基礎授業とかはないんですか!?」

 

「そんなもんが腹の足しになるかい。動け」

 

 完全に、薬草加工工場の新人アルバイトの初日である。

 

 私は必死に根を刻みながら、自分の認識の甘さを呪った。

 

「魔女の弟子って、もっとこう、森の動物たちと歌いながらお鍋をコトコト煮るようなスローライフだと思ってたのに……。やってることは、私の村での労働と本質的に変わらないじゃないですか!」

 

 だが、魔女様の指示の出し方は、村の女たちよりもずっと厳格で、一切の妥協を許さなかった。

 

「その丸薬は絶対に潰すな!」

 

「その包みの色を間違えるんじゃない、それは産婦の血止めだ!」

 

「こっちの粉は子供には毒だ、絶対に混ぜるな!」

 

 その切迫した声から、私は彼女の扱う「薬」が、文字通り人間の生死に直結しているのだと理解した。

 

 だからこそ、彼女は新人の私を甘やかす暇などないのだ。

 

 作業の合間に、魔女様はふと手を止め、炉の火を見つめながら語り出した。

 

「……このブリテンの島は、広すぎる」

 

「王と名乗る有象無象があちこちにいて、祈りの形も村ごとに違う。だが、病は待ってくれない。赤子の熱も、冬の飢えも、待ってはくれない。なのに、まともに使える手の数が、圧倒的に足りないんだ」

 

 私は石臼を回す手を止めて、魔女様を見た。

 

「えっと……つまり、魔女様が、この島全体のお医者さんみたいなことを、一人でやってるんですか?」

 

「島全体を繋いで見られる者が、私を含めて片手で数えるほどしかいないんだよ」

 

 魔女様は、忌々しそうに舌打ちをした。

 

「南東にはローマの十字の祈り手がデカい顔をして入り込んできた。北西の島の祈り手たちも活発に動き出してる。西の連中は自分たちの古いやり方に固執して話を聞かないし、東の王どもは相変わらず古い神の名を騙って人殺しの戦ばかりしている。……その結果、どうなると思う?」

 

「……どうなるんですか?」

 

「森と泉にすがる声が、倍に増えた。病人で溢れかえっているんだよ。だから、私はお前が育つのを待っていたんだ」

 

 私は白目を剥いた。

 

「ブリテン島全土を、実質ワンオペで回してる!? 過労死しますよ! この時代、労基署はないんですか!? あ、ないんだった!」

 

「私は、お前を保護したわけじゃない」

 

 魔女様は、鋭い眼光で私を射抜いた。

 

「食わせてやる。雨風をしのぐ寝床もやる。薬と魔法の理も教えてやる。……なら、死ぬ気で働け」

 

「転職先も、ゴリゴリのブラック企業だったァァァ!」

 

 私は心の中で絶叫しながら、再び石臼を猛烈な勢いで回し始めた。

 

 魔女様は、先ほどの「空間の折り畳み」……つまり、ワープについても簡単に説明してくれた。

 

「どこへでも勝手に飛べるわけじゃない。古い大木、枯れない泉、遺跡の石、古墳、供物が置かれた境界……そうした『土地が記憶している節点』から節点へと、道なき道を畳んで渡るんだ」

 

「でも、それってすごく便利ですね」

 

「馬鹿を言うな。土地の機嫌を見誤って無理に渡れば、最悪の場合、身体の骨がずれたまま戻らなくなるぞ」

 

「骨がずれる!? 怖すぎる! リスク高すぎませんか!?」

 

「だからお前も、早く慣れることだね」

 

 その日の夕方。

 

 山のような薬草の処理を終え、ようやく少し休めるかと思った矢先。

 

 魔女様が鍋をかき混ぜながら、唐突に言った。

 

「明日は、西へ行くよ」

 

「西……ですか?」

 

「ここから少し離れた、森の縁にある小さな谷の村だ。春先から、子供の激しい腹下しが続いていてね。水場が腐っているのか、保存食に毒が混ざったのか、新しい祈り手の変な儀式のせいなのか……何かが悪い」

 

 私はコクリと頷いた。

 

「なるほど。じゃあ、明日は師匠がその村を見に行くんですね。私はここで留守番しながら根っこを洗ってます」

 

「何を言ってるんだい。私は明日、北の産婦のところへ行く。……西の村には、お前が行け」

 

 私は、自分の耳をパタパタと叩いた。

 

「……はい? 今、なんて?」

 

「お前が行って、現地の様子を聞いてこいと言ったんだ」

 

「わ、私が!?」

 

 私はパニックになって立ち上がった。

 

「無理無理無理! 昨日まで村で木の実を拾ってただけの五歳……いや十歳児ですよ!? そんな疫学調査みたいなこと、できるわけないじゃないですか!」

 

 魔女様は、まったく取り付く島もない態度で指示を並べ立てた。

 

「何を食ったか。誰が一番先に倒れたか。水はどこの井戸から汲んでいるか。草はどの斜面で採ったか。便の色と匂いはどうだったか。熱の上がり方はどうか。赤子は泣いているか。母親はちゃんと食えているか。新しい祈り手は村に入り込んだか。王の使いは通ったか。……全部、聞いてこい」

 

 私は、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。

 

「営業だこれ……! 完全に、新規クライアント先の現状把握のための現地ヒアリング営業だ!」

 

「エイギョウとはなんだい」

 

「私の前世における、ノルマとストレスにまみれた地獄の業務形態です!」

 

「ほう。なら、お前はそれに慣れているということだね」

 

「慣れてません! 泣きながらやってたんです!」

 

 私が半泣きで抗議すると、魔女様はため息をついて、少しだけ声のトーンを落とした。

 

「お前は、まだ普通の村の子供の顔をしている。私が直接行けば、村の連中は恐れをなして口を閉ざすか、嘘をつく。だが、お前なら、女たちのそばに座り込み、子供の顔をして自然に話を聞き出せるだろう」

 

「……」

 

「それに、お前は食い物の腐りかけの匂いを嗅ぎ分け、草の違和感を拾える。女たちの手元をよく観察し、会話の断片を正確に記憶できる。村で生き残るために身につけた、お前のその『立ち回り』が、必要なんだよ」

 

 私は、ぐうの音も出なかった。

 

 空気を読み、怒られないように質問し、相手の嘘を見抜き、必要な情報を引き出して記憶する。

 

 まさか、前世で培った社畜の営業スキルと、この五年間で村の女たちから叩き込まれたサバイバル処世術が、こんな六世紀のブリテン島でパーフェクトに再利用される日が来るとは。

 

 夜。

 

 私は、薬草の匂いが染み付いた、久しぶりにふかふかした藁束の寝床の上に寝転がっていた。

 

 身体は泥のように疲れているのに、頭の中は興奮と不安でぐるぐると回っている。

 

 ふと、母親から渡された布袋と、父親が削ってくれた木の棒を胸に抱きしめた。

 

「気をつけるんだよ」

 

「生きろ」

 

 両親の不器用な声が耳の奥で蘇り、私は音を立てずにポロポロと涙をこぼした。

 

 お父さん、お母さん。

 

 私、なんとか生きてるよ。

 

 転職先はとんでもないブラックだったけど。

 

「おい、寝る前に明日の段取りを頭に叩き込んでおきな」

 

 薄暗い炉の向こうから、魔女様の容赦ない声が飛んできた。

 

「西の森縁の村だ。腹を壊す子が三人、母親が一人倒れている。井戸、草、保存食、祈り手、全部漏らさず聞け。帰ってきたら、すぐに私に報告だよ」

 

「……報告」

 

「分かったらさっさと寝な」

 

「弟子入り二日目で、いきなり単独出張!? しかも現地ヒアリングと帰社後の報告会!? 魔女の修行って、もっとこう、静かに魔法陣を書いたりする時間があるんじゃないんですか!?」

 

「薬草も練るし、陣も書くよ。……お前が西から帰ってきてからね」

 

「帰ってから、さらに残業確定!?」

 

「働き者なんだろう? 村の女たちから、よーく聞いていたよ」

 

 私は、布袋をきつく抱きしめたまま、盛大に白目を剥いた。

 

 その夜、私は心の底から理解した。

 

 村さえ出れば、あの理不尽な労働から解放されるなどという甘い幻想は、春になれば食べ物が地面から湧いてくるという思い込みと同じくらい、愚かなものだったのだ。

 

 魔女の弟子とは、森の奥で優雅に薬草をコトコト煮込むような、ファンタジーな職業ではない。

 

 ブリテン島全土を股にかけ、ワープで出張し、現地ヒアリングを行い、帰ってから詳細な報告を上げるという、古代の超絶ブラック外回り職だったのである。

 




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