「ご馳走様でしたっと」
将は手を合わせ、おにぎりの残骸を片付ける。ゴミ箱にビニールを捨てようとして、ふとスポンジが目に付いた。
「……宙雷」
「あん?」
静かに声をかけると、兄は目線こちらに寄越した。
「あいつ、ホームズっつってたよな」
「おう」
「ホームズって、シャーロック・ホームズ、なのかな……」
兄は鼻を鳴らした。
「あんな邪悪なホームズ見たことねぇよ。子供泣くわ」
「大人も泣くって」
軽口を叩き合い、装備を整える。この間、ライダーは哨戒に出ている。
「てかなに、家帰ったら叔母さん刺されてたんだよな?」
「うん。それであいつが……チッ、マジでなんだよあいつ……ヘラヘラ笑ってやがったんだ」
「典型的な異常者だな。で何とか逃げ出して、ライダーを召喚した。そしたらホームズの野郎がストーカーしてきたと」
「逃げたというか、逃がされたって感じだけど……あの時、何も出来なかった」
手に取った単語帳を握りしめる。表紙が湾曲した。無力感に包まれる。とにかく、悔しかった。
刺され、倒れた智子を置いて逃げなければならなかったこと。
ホームズに何も通用しなかったこと。相手に飲まれて、普通に話してしまったこと。
そして、恐らくこれからライダーに守られっぱなしになること。
自分でも意外なほど、将は陰陽師という仕事に誇りを持っているようだった。
「落ち着けっての……ん、その単語帳は?」
「ああ、これ? 符」
「符?」
「うん、符。こっちが封じたやつで、こっちが空のやつ」
それとこれは、と次々に説明を始める将に、宙雷は待ったをかけた。
「……将。お前まさか悪霊や怨霊を、単語帳に貼り付けてるのか?」
「うん。貼って剥せるスティックのりで。付箋みたいで便利だし」
「……」
宙雷は言葉を失い、双子の弟から目を背けた。
――この天才め。
その言葉をぐっと飲み込み、目頭を押さえた。将は不思議そうな顔でそれを覗き込んでいる。シッシッと手を振ると、彼は一歩離れた。
「何?」
「そんな雑にして、暴走とかしねぇのかよ」
「しないし、したことない。暴走するような封印式組むのは三流以下のド
将はそう言って笑った。
「……悪霊を貼って剥せるスティックのりで貼るな、この天才め……」
宙雷は堪えきれずに呟いた。
「あ、おやつ持っていく? 干し芋とか」
「好きにしろ」
***
「やぁやぁ!! ただいま戻りました貴方様方のライダ」
「声でかいって」
「深夜だぞ」
哨戒を終え戻ってきたライダーの、洗練された美声は威風堂々、そして無駄によく響いた。双子に口々に注意を受け、彼はキュッと口を閉ざした。
「すみません」
いよいよ、三人で教会へ向かう。
玄関前の街灯の下には名前の分からない小さな虫と、それを餌とする蜘蛛が巣を張っており、ライダーはそっと顔を逸らした。
「将」
「ほ?」
「馬鹿みてぇな返事すんな」
宙雷は言い、将にフルフェイスのヘルメットを投げ渡す。全体は黒だが、白で天の川のような模様が描かれていた。宙雷自身は、同じ型の紺色を既に被っている。
「後ろ乗れ」
「……うわ、バイク! かっけぇ、無免許?」
「んなわけねぇだろ!! 去年の五月に取ったんだよ」
「誕生日のすぐ後だ」
「そう。かっけぇだろ」
ドヤ顔の宙雷を無視してヘルメットを被ろうとして、ふと気がついた。
「バイクって二人乗りいいの?」
「いいの。いいからさっさと乗れ」
「でも怖いな」
「聖杯戦争の方が怖ぇだろ」
「そりゃあそうだけどさぁ」
「あのー……」
見かねたライダーが右手を挙げた。
「将殿、馬のご経験は? あれば私の馬を。無ければ共乗りさせていただきますが」
将はぱちくりと瞬きをし、うーん、と考えた。
「ライダーさん」
「はい」
「馬って、揺れます?」
「ええ、かなり」
「……じゃあ、宙雷のバイクに乗せてもらう」
「最初からそうしろ馬鹿が」
「口悪い!」
振られた騎士は、「おやおや」と呟きながら首を振り、少し寂しそうに霊体化した。翻した
***
夏の夜風を全身に浴びると、蒸し暑いのに不思議と涼しく感じた。止まるとベタベタとまとわりつく熱気が、バイクの速度で扇風機のように過ぎ去っていく。虫の合唱を置き去りに、宙雷の浴衣の端折りがバタバタと音を立てた。
「……」
ふと、秘密基地がある方角の山を見て、将は目を細めた。
存外な安全運転で教会に着いた。ヘルメットを置き門をくぐろうとすると、ライダーが念話で
(私はここでお待ちしております)
と言った。
「あれ、ライダーさん入らないの?」
「教会は完全中立地帯だ。武力の塊であるサーヴァントは原則立ち入り禁止だよ」
宙雷が伸びをしながら言い、歩いていく。将もそれに続いた。教会の扉の下から、薄らと光が漏れている。重い扉を開けると、カソックを着た男性が書き物をしていた。
「やぁ、こんばんは」
彼はにこやかにそう言った。だが、双子の興味はそれ以上に、別の場所に注がれていた。
「……何あれ、布団?」
「だよな、見間違いじゃないよな」
男は朗読台と呼ばれる、小ぢんまりとした台の奥にいる。しかし、その手前、出入口側に、布団が敷いてあった。薄手の掛け布団は、ちょうど人間一人分くらい盛り上がっている。
神父の男は困ったようにその布団を見ていた。
「――いいかい、少年共」
布団から声がした。双子は思わず身構える。だが将は、その澄んだ声に既視感を覚えた。
「健康というのは、規則正しい生活から作られる。それ即ち、早寝早起き朝ごはんというやつだ」
ムクリと起き上がった。女だ。長い髪が重力にしたがって垂れ下がる。
「……うっそ」
将は思わず声を出した。彼女には見覚えがある。当然だ。
「決して、こんな深夜に聖杯戦争のために教会に来ることではないんだよ」
若くて美人な女性だった。寝起きの声であれど、将が彼女の声を聞き間違えるはずが無い。
「……ナナちゃん先生?」
「はぁい。中津淵からも出るとは思ってたけど、まさか君とはね、中津淵