Fate/WhiteЯ ――蛇川市における怪奇現象、および聖杯戦争について――   作:サイベリアンザウルス

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Scene Ⅰ:観客席 (The Audience Seats)

 ジャワジャワジャワジャワ。

 

 まったくもって、セミの声がうるさくて嫌になる。

 

 七月二十日、一学期の最終日のことだ。蛇川(みかわ)高校二年生の中津淵(なかつふち)E(エドワード)(しょう)は、ぼんやりと左手を見ていた。周囲は明日から夏休みだ、という話題で持ち切りだが、将は、自分の左手の方が気になっている。

 

 というのも、今朝になって突然、左手の甲にアザが発現したのだ。何も覚えは無いが、ジクジクと火傷のように痛む。魔力が通っている感じもするので、呪術、あるいは魔術的なものだろう。こういうのは大抵ろくでもないと相場が決まっている。

 

 だが、自分の知識の中に、呪詛以外で急にアザが現れるというものは無い。家人に聞いても覚えがないと言う。そもそも、誰かに呪われるような謂れもない。

 かといって、今さら本家たる神社に聞きに行くというのも、無理な話である。あの母親は、分家の自分を敷居はおろか鳥居すらくぐらせてくれないだろう。うーむ、どうしようか。ひとりで悶々と考えていると、ダン、と机に手を置かれた。

 

「どしたの将軍」

 

 高村健二。将の親友である。将軍、というのは将のあだ名だ。

 

 将と健二は高校一年生の入学初日、初対面時に

「なあ、このEって何?」

 と無邪気に話しかけられて以来の付き合いである。

 

「Eはエドワード。母親がイギリス人なんだよ」

「へー、ハーフだ。中津淵エドワード将かぁ……え、じゃあ将軍じゃん」

「は? どこが?」

「エドワード、なんだろ? エドで将だから、江戸で将。つまり将軍」

「……あははは! 馬鹿みてぇ!」

 

 と、このような具合だ。この奇妙なあだ名をつけた張本人の健二は、嬉しそうに将の顔を見つめている。陸上部らしく焼けた肌に白い夏用制服がよく映える。

 

「そんな難しい顔して……え、何、手どしたん? 赤くなってる」

「知らね。お前に噛まれた」

「ニークニクニク! 人肉は美味いニクねぇ! じゃなくて、明日から夏休みよ、夏休み! あっついけどさ、ガッコー休みだぞ!」

「そうだった! 夏休み……ん? お前、部活は? 運動部だし練習あるだろ」

「運動部も文化部も、まるっとまとめて夏休みの活動は停止だよ」

「なんで?」

 

 健二は怪訝そうに眉をひそめた。

 

「なんでって……知らねぇの?」

 

 彼が言葉の続きを紡ごうとしたちょうどその時、教室のドアが開いた。全員が注目する。入ってきたのは新見ナナだ。

 この二年三組の担任なのだが、若くて美人、おまけに優しい、非の打ち所のない教員である。しかし、怒るとかなり怖い。健二は会話を切り上げ、慌てて自分の席に戻った。彼女の深い色の瞳が、こちらを探るように視線をよこした。全員着席したのを確認すると、ナナは教卓でプリントを整えた。

 

「プリント配るよー」

「はーい」

「あれ、先生手どうしたの?」

「カップ麺作る時に熱湯こぼしちゃったんだよねー」

「えー、お大事に」

「先生は夏休みどっか行くの?」

「うーん、どうだろうなー」

「あ! 分かった彼氏でしょ!」

「えー! ナナちゃん先生彼氏いんの!?」

「秘密でーす」

 

 彼女は意地悪そうに笑って、教卓でプリントを整える。

 

「ほら、夏休みの過ごし方配るからねー。夜遅くまで外に出ないことと、出かける時は何人かで出かけること。これ鉄則だからねー」

 

 ナナ先生がプリントを配り始める。その間も、生徒たちは誰とどこに行くとか、今度どこそこに集まろうとか、色んな話題で持ち切りだった。将は静かに目を閉じる。

 

 ザワザワザワザワ。

 

 まったくもって、ヒトの声がうるさくて嫌になる。

 

 ホームルームの終了と共に、教室の賑やかな様子も消え去っていく。特に理由もなく蒸し暑い教室に残っていた将は、夏休みの過ごし方をスクールバッグに詰め込んだ。

 

 ***

 

「読書感想文マジでダルくね?」

「ダルい。なんのために存在してんのかなこれ。ラノベでいいかな」

「あー、それもアリか。俺どうしようかなー」

 

 七月二十二日、午後三時過ぎ。

 

 図書館で小声で話していた将と健二は、適当な棚を見ながら愚痴をこぼしていた。夏休み期間ということもあり、図書館は子供の声で溢れていた。児童書に夢中になる子供や、読み聞かせ室で親に絵本を読んでもらっている子供、本など目もくれずに友達と喋っている子供、少し背伸びをして外国の本を読んでいる子供もいる。

 

 それを微笑ましいと見ている大人と、鬱陶しいと迷惑そうな顔をして本を読んでいる大人、特に気にせずマイペースを貫いている大人もいる。そんな喧騒を背に、背表紙をなめながら歩いていると、あ、と小さな声が聞こえた。

 

「中津淵くん、高村くん」

 

 嬉しそうに声をかけてきた彼女は黒田なぎさといい、彼らのクラスメイトだ。その手には既に五冊の文庫本がある。夢枕獏や太宰治など、なんとなく聞いたことのある名前と、見覚えのない外国の作家の名前がならんでいる。

 

「読書感想文の本、探しに来たの?」

「うん。黒田ちゃんはその本で読書感想文書くの?」

「うぅん、これは趣味で読む本。読書感想文の本は芥川賞の中から選ぼうかなって。去年の作品、まだ読んでないのもあるし」

「そうなんだ……芥川賞ね、芥川賞。うん、俺も好き」

 

 将が適当に頷くと、なぎさはクスクスと笑った。

 

「絶対嘘じゃん。あなたたちはもう決めたの?」

「ぜーんぜん決まんねー。マージでやばい。俺と将軍は読書感想文を既に落としている」

「巻き込むなや」

 

 なぎさは楽しそうに笑いながら、尚も蔵書を増やそうと画策している。本棚を見る綺麗な横顔から、将は目を離せなくなった。彼女がこちらを見た。目が合う。気恥ずかしくなって、将はそっと目を逸らした。

 なんとなく三人で雑談を続けていると、なぎさがわざとらしく人差し指を立て、こう言った。

 

「じゃあ、読書好きからアドバイスを授けましょう」

「マジか。俺ラノベしか読まんからお手柔らかに」

 

すかさず健二が合いの手を入れる。

 

「ふっふっふー……そうだねぇ、普段絶対手に取らないもの、とかどう? 例えばこういう、ヘミングウェイとか……太宰治とか!」

「お手柔らかは? お手柔らかは死んじゃったんですか?」

「あ、ライトノベル以外の本を読まないなら星新一、辻村深月なんかもおすすめかも。あとねー……」

 

 本について喋り始めると止まらない。黒田なぎさとはこういう生物なのである。宮部みゆき、ポー、桜庭一樹、果ては紫式部に清少納言……様々な名前を上げたが、ついになぎさは結論を出した。

 

「……という感じで色々あるけど、オススメはシェイクスピアだよ」

「マジかよ」

「ロミオとジュリエットの人?」

 

 将が言うと、なぎさは嬉しそうに頷いた。

 

「そうだよ。ロミオとジュリエットもそうだし、ハムレット、リア王とか、聞いたことない?」

 将は頷いた。

「聞いたことある。聞いたことしかないけど」

「あはは、素直でよろしい。史劇だとリチャード三世なんか傑作だよ。リチャード三世がめっちゃ悪いやつなんだけど、不思議と感情移入しちゃうんだよね。解説サイトとかあるし、結構オススメ」

 

「でもよぉ黒田ちゃん」

 健二が口を挟む。

「どうしたの?」

「台本だよ」

「うん、台本だよ。でもね、いいこと教えてあげるよ、高村くん」

「どんなこと?」

「読書感想文でシェイクスピアを選ぶとね……めっちゃしっかりやった感出る」

 

 健二の目の色が変わった。目に付いたシェイクスピアを手に取り、パラパラとページを捲る。そして諦めて本棚に戻した。その様子を見たなぎさは、恥ずかしそうに微笑んだ。

 

「えへへ、喋りすぎちゃったかも……。そうだ、私もラノベとか読んでみようかな。今度オススメ教えてね」

 そう言って、嵐のように彼女は去っていった。将と健二は顔を見合わせる。

「いかがなさいますか、将軍」

「せっかくオススメされたし、見てみる?」

「はっ!」

「お前アレだよな、死ぬタイプの部下」

「なんだと。上様とて容赦せんぞてめぇ」

「助さん格さんやっておしまいなさい」

「大名になってんじゃねーか」

 

 結局健二はシェイクスピアを借りず、桜庭一樹の本を一冊借りた。将はとりあえず目に付いたシェイクスピアを一冊と、宮部みゆきを一冊、計二冊借りてみた。

 

「黒田ちゃんすげーよなー、めっちゃ本持ってたよな」

 図書館からの帰り道、借りた本を見ながら健二が言った。

「えーっと、なんだっけ。太宰治は覚えてる」

「あとなんか、老人と海……だっけ。よく分かんねぇけど、死ぬほど本好きなんだろうな」

「だろうな。シェイクスピアとか名前しか知らないけど……まぁ黒田ちゃんがオススメしてくれたし」

「何借りたの?」

「なんだっけ……」

「黒田ちゃんにぶん殴られんぞ」

「黒田ちゃんそんなことしねぇよ」

 

 そんな会話をしながら、その日は健二と別れた。

 夏は日が長い。既に午後七時を回っているのに、まだ太陽はオレンジ色に輝いている。綺麗な夕日を背に、慣れ親しんだ歩道を歩く。その足取りは、徐々に重くなっていく。家に帰ると、あの人がいる。だが、帰らないという手はない。ついに玄関の前に立った。小さく深呼吸をして、家の鍵を開けた。

 

「おかえりなさい、坊ちゃん」

「えーっと……ただいま、です」

 

 ひんやりとした人工の冷気が将を包む。冷やしすぎだろう、とも思うが、自分のためにやってくれているので文句も言えない。

 ニコニコと微笑んでいるのは、叔母で養母の、中津淵智子である。兄で中津淵家当主の中津淵雷太郎に預けられたこの甥っ子を、宝石のように可愛がっている。

 

「さ、さ、荷物を預かりますよ。もう夏休みですね、ご予定は?」

「あー、バイトっすね……」

「まぁ……金銭であればこちらで工面すると、いつも申していますよ」

「いや、でも、いつまでも頼ってらんねーし。マジ大丈夫なんで。いつもありがとうございます、叔母さん」

「叔母さんだなんて。母と思ってくださいな」

 

 将は曖昧に微笑み、自室に向かう。

 ――無理すぎ……グロい……。だから夏休みとか冬休みとか、嫌いなんだ……。

 真綿で首を絞められている。そんな感覚だった。

 スクールバッグを投げ出して、ベッドにダイブする。叔母が悪くはないのは分かっている。自分の気持ちの整理が付いていないだけだ。だが、これは多分、愛ではない。本家から託された大事なお子に働かせているだなんて知られたら、面目が立たない。こんなところだろう。陰陽術の特訓は足腰立たなくなるほど厳しいくせに。

 

「……本、読んでみよ……」

 

 気を紛らわせたくて手に取ったのは、宮部みゆきだった。冒険の話だ。小学生がひょんなことから異世界へ行き、自分の運命と世界の命運をかけた戦いに挑む話のようだ。

 

 ――そんなこと、あるわけないだろ。異世界なんて……。

 一瞬でも、この少年のようになりたいと思ってしまった自分が嫌になった。

 

 非日常に浸りたいだなんて、子供っぽい夢はもう捨てなければならない歳だ。大学のことや、家のことも考えなければならない歳だ。あの優秀な双子の兄と、否が応でも才能の差を見せつけられる歳だ。

 

 そんな現実から目を背けたくて、将はまた本を手に取った。今度は、シェイクスピアだ。パラパラとページを捲ってみると、台本をそのまま文庫本に落とし込んだような形式だった。

 

「……わかんね。誰がどれだよ……」

 

 最初からよく分からない、と思った。不満の冬って何。登場人物も馴染みがない。ランカスターとか、ヨークがどうとか。何とか公とか、誰々伯とか。そして、主役らしきリチャード三世が初っ端から陰気すぎる。

 

「……うわ、エドワードって、俺じゃん」

 

 あれ? と思って、将は登場人物のページに戻ってみた。

 

 ――エドワード多くね? あんまエドワードの子供にエドワードって付けなくね? そんなもんなの?

 

 などと考えているうち、なんだか眠くなってきて、将は気だるさに身を任せるまま、目を閉じた。

 

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