Fate/WhiteЯ ――蛇川市における怪奇現象、および聖杯戦争について―― 作:サイベリアンザウルス
七月二十四日、午後八時。
「いらっしゃいませー……あ、村山さん。こんばんは。いつもの?」
「よう、将ちゃん。いつもの頼むよ」
個人経営の居酒屋『弾談』の配膳と接客が将の仕事である。昔ながらのこの居酒屋は、いつも常連で賑わっている。時折来る新規客もすぐに打ち解けるような明るさと賑やかさに溢れた店だ。
今夜も常連の村山が暖簾をくぐる。続いて数人が入ってきて、店内は賑やかな空気に包まれた。店主の陶山博一と、妻の和美は、オープンキッチンの厨房から将に指示を出し、将はそれに従い動く。
将にとっては、叔母の家よりも居心地のいい空間だった。
「それにしても、最近物騒だねぇ」
村山が言った。
「そうですねぇ。村山さんも気を付けてくださいね、あんたが来なくなったら、私さみしいんだから」
「和美ちゃんにそんなこと言われたら、俺もやる気出ちゃうよ」
「おいおい、困るよ村山さん。和美は俺の奥さんだよ」
「ははは! 取ったりしないって!」
酔っぱらいというのは往々にして面倒なものである。ほかの常連客と話していた将は、店長も奥さんもすげぇな、なんて思っていた。
「まぁ、陶山家は安泰でも、物騒なのは変わりないよ。あんな事件、この蛇川市で起こるたぁ思わなかった」
ご機嫌に話していた村山が急に表情を少し曇らせたので、将は首をかしげた。
「……なんかあったんすか、村山さん」
「おや、将ちゃん知らないかい? 殺しだよ、殺し。それも普通の殺しじゃねぇ、見つかった遺体は、心臓だけが抜き取られてるって話さ」
「えー……怖いっすね……あ、なんかうちの高校生、運動部も文化部も関係なく、全部活夏休みの活動停止なんすよ。それでかな」
「ああ、そうだろうね。ともかく、将ちゃんも気を付けな。下手人はまだ捕まってないからね」
「うん、ありがとう、村山さん」
「おう。ところで将ちゃん」
「はい?」
「手、どうしたんだい。火傷?」
「うーん、そうかも。なんかちょっと前から痛いんですよね」
「あれまぁ。お大事に」
村山はコップに残った酒を一気に飲み干し、「おあいそ!」と言った。
村山、フルネームを村山元吉。彼は今夜、心臓を抜き取られた遺体になる。
七月二十五日、午後四時三十分。
将は今日も弾談でのアルバイトだ。メッセージアプリのクラスグループの通知が騒がしいが、今はそれどころでは無い。朝の鍛練を終え、昼寝をして、うっかり寝すぎてしまったのだ。
「坊ちゃん、そろそろお出になる時間では?」
という智子の声掛けが無ければそのまま寝過ごしていたかもしれない。スマホと財布、それと、暇な時に読む用の本、空の符などをカバンに突っ込み、将は慌てて玄関に向かう。急がなければ電車の時間に間に合わなくなる。
「じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい、坊ちゃん。お夕飯はどうなさいますか?」
「分かんないんで、また連絡します!」
「近頃は物騒ですから、お迎えにあがりましょうか?」
「いや、あの、大丈夫! 大丈夫なんで! いってきます!」
叔母の声を振り切り、将は駅ではなく、山へ向かった。バイトの前に、行くところがある。陰陽師の仕事だ。
草木を掻き分け、進んでいく。この蛇川市は、人口十一万人程度の地方都市であり、あたりは小高い山に囲まれている。中心には大きな川が流れており、川の近くには、将の実家の中津淵神社がある。
この山は中津淵神社の管轄下にあり、とある理由から悪霊や怨霊などが溜まりやすい。
小高い山の小川にかけられた橋を渡り、ふう、と一息ついた。Bluetoothヘッドホンを装着し、ゲゲゲの鬼太郎を再生する。将にとって、最近流行りのバンドよりも、国民的アイドルよりも、何よりもテンションが上がり、精神が安定する音楽が、このゲゲゲの鬼太郎だ。幼い頃から慣れ親しんだこの曲は、暗いながらも軽快で、将の心を軽くしてくれる。
「ゲゲゲのゲ〜……っと、あったあった。」
将は立ち止まる。周囲を見渡せば、大きめの木が何本もあり、その幹には藁人形や女児が好みそうな人形など、様々な人形が釘で打ち付けられている。
呪いスポット、というやつだ。何故ここなのかは分からないが、皆、人を呪いたい時はここに来るらしい。そんなにも呪いたいものなのだろうか、というか。
――丑の刻参りって神社の御神木に藁人形を打ち付けるんじゃなかったっけ。
そんな雑念を振り払い、彼は記入済みの符を、人差し指と中指で挟み、顔の前に構えた。
「汝の瞳は我が瞳。汝の
途端、符が青白く燃え上がり、将の視界が変わる。位相が変わる。瞬きをすると、世界が暗くなった。そして、先程まで無かったものが見えるようになる。
「おー……溜まってんなぁ。やっぱ夏だからかな」
怨霊である。
こういう、怨念や悪霊などが溜まりやすい場所――呪いスポットや自殺スポットのような――に出向いて、溜まった霊を捕縛するのが中津淵の分家の仕事だ。モヤのようにその場をふわふわと浮いている怨霊に、空の符を向ける。
「縛」
短い言葉と共に軽く手を振れば、怨霊は瞬く間に形を失い、符に取り込まれ、文字となる。この符は何かと便利なので、ズボの取り出しやすいポケットに入れておく。その場にいた怨霊たちを、デイリークエストをクリアするかのように片付けた将は、ゲゲゲのゲ〜、と歌いながら下山した。今度こそ、バイトの時間だ。
「おはようございます」
「おはよう、将ちゃん……あら。ズボンにひっつき虫ついてるよ」
和美が指をさす。
「うぇ、マジか。近道してきたからかも」
「うふふ、そんなに急がなくたっていいのに。ほら、外で取ってらっしゃい」
「はーい」
――もしも叔母さんが本当のお母さんだったら、こんな感じなのかな。
将は一瞬浮かんだ考えをすぐに打ち消し、ひっつき虫を少し遠くの方に放った。智子には世話になっている。そんなことを考えるのは、失礼だろう。
――母と思ってくださいな、なんて、そんなこと……。
ひとつ、深呼吸をして、将は店内に戻って行った。
午後八時三十分。
昨晩、ほど近くの工事現場でガス爆発があったとか、殺人事件があったとかで、今日は店を早く閉めることになった。片付けをしながら、将は気になったことを口にした。
「それにしても、村山さん、来なかったっすね」
毎月二十五日は、村山が妻と連れ立って夕飯を食べに来る。来られない日は、わざわざ電話をかけてくる程だ。だが今日は、何の連絡も無かった。
「そうだねぇ、事件に巻き込まれてなきゃあいいんだけどね」
博一は言い、テキパキと食器を拭きあげていく。
「まぁ、何かあれば連絡が来るさ。将ちゃん、今日は上がりな」
「あ、はい。お疲れ様です」
「気を付けてね」
電車に乗って、本を開く――前に、スマホを確認する。クラスグループの通知が騒がしかったのを、すっかり忘れていた。
「……え」
人の少ない電車の中で、思わず小さな声が出た。グループは、なぎさと連絡が取れないという話題で持ち切りだった。今朝からスマホを開いていない将にも、心配の声が上がっていた。
高村健二:将軍大丈夫?
♡LENA♡:返事しろー
いさみ:死んだ?
和奏♪:シャレにならないって
と、こんなふうに。将は慌ててメッセージを送信した。
将軍:将軍帰還! めちゃくちゃ昼寝してバイト行ってた! 無事!
高村健二:上様を名乗る不届き者じゃ!
いさみ:曲者じゃ!
♡LENA♡:出合え、出合え!
高村健二:たたりじゃ!
将軍:たたりは違くね? てか黒田ちゃんどうしたの?
和奏♪:なぎさ一昨日から家帰ってないらしい。既読もつかない
将の脳裏に、村山との会話、そして今日来なかった彼の存在が過ぎった。嫌な予感というのは、ざわざわと胸の辺りに溜まっていく。適当に会話を切り上げた将は、一旦読書をする事にした。
「……うーわミスった……」
リチャード三世。シェイクスピアの傑作であり、中世のイングランドの王権を巡る、薔薇戦争についての史劇である。宮部みゆきの小説を持ってきたつもりだったが、慌てていたため間違えたらしい。気乗りはしないが、とりあえず開いてみる。
グロスター公『今や我らの不満の冬は、ヨークのこの太陽によって、栄光の夏へと変えられた』
――だから、不満の冬ってなんだよ。
読書意欲を無くした将は、智子に連絡をし、最寄り駅に着くまでの間、スマホのゲームをしていた。
最寄り駅。
改札を抜けて、帰路に着く。自販機で何かを買おうかとも思ったが、なんとなくやめた。Bluetoothイヤホンからは、カランコロンの歌が流れていた。
夏の虫というのは、とにかく騒がしい。草むらにわらわらと集まり、リリリリ、ジージー、と、何虫かは知らないが、演奏会をしている。だが、そんなイヤホンを貫通してくる鳴き声も、草むらの近くを通ればシンと静まり返る。
虫の声で賑やかな坂道を上り、将は家の前に立った。花壇で騒いでいた虫たちが、一斉に声をひそめた。
――……?
妙な感じがする。違和感の正体を探し、気がついた。いつも家に張っている結界に、僅かな乱れ。あの叔母が、何もないのに結界を乱すとは思えない。
――嫌な予感、当たってなきゃいいけど。
玄関の鍵を開け、ドアを開ける。
「おかえりなさい、坊ちゃん」
といういつもの文句は聞こえなかった。廊下には誰もおらず、電気もついていない。
「……叔母さん?」
将は小さく声をかける。リビングの方で、カタン、と物音がなった。
――なんだ、いるじゃん。
ほっと胸を撫で下ろす。もしかしたら、叔母は具合が悪いのかもしれない。なら、結界を張るのは自分が変わらなくては。スリッパを履いて、リビングのドアを開けた。
「ただいまです。叔母さん、結界乱れて、た……」
見知らぬ男がいた。紳士風の、整った顔立ちの、外国人の男だ。男がこちらを見た。穏やかに微笑んでいる。
「やあ、こんにちは。いや、この時間ならこんばんはかな。こんばんは」
彼が口を開いた。テノールの、優しそうな声だった。ふと、手を見る。ナイフを持っていた。ぽたりぽたりと、血が滴っている。血の滴る先を見る。
智子が倒れていた。腹部から血を流している。男のナイフの血は、どうにも彼女の血だったらしい。
認識すると同時に、ツンと、血のにおいがした。
「……は?」
将の口から出てきたのは、声と言うよりは、音だった。脳の処理が追いつかない。心臓がバクバクとうるさく鳴っている。
「……え、なに……」
よく見れば、智子の手には、符が握られていた。抵抗の証だ。
「……何してんの、お前」
危険。
警戒。
直感した。
――人間じゃない、こいつ。
紳士風の男は、にこやかに身体をこちらに向けた。
「この家の子?」
将は答えない。背筋が凍るとは、まさにこの事か。ナイフをグレーのハンカチで拭いながら、男は勝手に言葉を続けた。
「まぁ、そうだろうね。そうじゃなきゃあ僕と同じ不法侵入者――おや?」
男が将の左手を見た。
「おや、おやおやおや――あはは、これは運がいい。ねぇ、君。ちょっとお願いがあるんだけど、聞いてくれるかな。ああ、聞かなくてもいい、聞かせるから」
男は帽子をとって、優雅に礼をした。そして一歩、将に歩み寄る。びしゃりと、智子の血が彼の革靴に、ズボンの裾にはねる。じわりと、赤色が黒くなっていくのが見えた。
「僕の名はホームズ。気軽にホームズさん、と……いや、これじゃ二番煎じだ。よし、こうしよう。僕の名はホームズ! よろしく頼むよ」
ホームズは、指をさすかのように、ナイフを将に向ける。血を拭ったばかりの刃が綺麗に光る。そして、にこやかな顔のまま続けた。
「で、お願いなんだけどね。君、僕のマスターになってくれないかな? はい、と答えてくれるだけで構わないんだけど」