Fate/WhiteЯ ――蛇川市における怪奇現象、および聖杯戦争について――   作:サイベリアンザウルス

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Scene Ⅳ:ヨークの太陽と不満の冬、王は現れる(The Sun of York and The Winter of Discontent,Enter the King)

 こいつは一体全体何を言っているのだろう。

 眼前にナイフを突き付けられた将は、じっとホームズの目を見た。琥珀色の美しい瞳だ。だが、その瞳は将の目ではなく、将の左手を見ている。

 

「……それが人に物を頼む態度かよ、人殺し」

「酷いこと言うな。まだ殺してない」

「まだってことは今から殺すのか」

「君の返答と僕の気分次第だね」

 

 将は密かに符を一枚、右手の人差し指と中指で挟んだ。

 

「……嫌だと言えば?」

 

 ホームズはウィンクをした。目線を一瞬だけ、智子に向ける。将はその一瞬を逃さなかった。

 

「汝、彼の者を闇に落とせ――野衾(のぶすま)!」

 

「お」

 

 符が青白く燃え上がり、人の頭ほどある影が現れた。ムササビのような、コウモリのような影は、紳士の顔にへばりつく。突如視界を遮られたホームズは、慌ててへばりついた物を引き剥がそうとする。

 

「汝は頑強、決して倒れることなかれ――ぬりかべ!」

 

 今度は三枚、符が燃える。智子とホームズを隔てるように、巨大な壁が現れた。よく見れば、間の抜けた顔がついている。玄関に走った。ぬりかべはちょっとやそっとでは壊れない。それは検証済みだ。

 スリッパを脱ぎ捨て、大慌てでスニーカーに履き替える。外へ飛び出し、坂道を駆け降りる。目指すのは、例の神社だ。

 

 ホームズは野衾と名付けられた()()を顔から引き剥がした。途端、それはさらりと空気中に解けて消えた。

 

「なるほど、構築……いや、これは……」

 

 彼は楽しそうに笑い、コンコン、とぬりかべを叩いてみた。壁は無機質に佇んでいる。ぎょろりと、間の抜けた目が彼を睨んだ。ホームズは意外そうな顔をした。

 

「動くのか、びっくりした。まぁ、なんにせよ上物だ。彼を逃す手はないね。僕ってやっぱり運がいいなぁ」

 

 彼は微笑んだまま、光の粒になって消えた。

 

 とにかく走った。家の前の坂道を下ると、少しの間平坦な道になる。線路があるためだ。踏切を超え、将は二枚の符を燃やした。

 

「汝長く、宙を舞え――一反木綿」

 

 ――残弾……九枚。キツいな……。

 

 今日捕らえたばかりの怨霊を早速消費することになるとは思わなかった。

 

「叔母さんを本殿まで運んで」

 

 一反木綿。一反(九メートル)はあろうかと言う空飛ぶ布の妖怪である。薄らと反対側の景色が見える姿なのは、怨霊を一反木綿の姿に変換しているからだ。

 

 野衾、ぬりかべ、一反木綿。これらは日本に伝わる妖怪ではあるが、将が使役するそれは、妖怪そのものではない。符を媒介して魔力を通し、悪霊や怨霊を別の存在と定義付け、妖怪として使役するという式神術だ。

 一反木綿が智子を巻きとって、悠々と空を飛んでいくのが見えた。本殿には強力な結界が張ってあり、部外者はそう簡単には侵入できない。

 

 ――よし、これで……。

 

 あとは自分が逃げ切るだけである。水の音が聞こえてくる。もう神社はほど近くだ。メッセージアプリで本家の兄に救難信号を送る。急な坂道を下りきり、川沿いを全力疾走する。

 

 足が痛い。夏の蒸し暑い空気が肺を満たす。有り得ない状況なのに、頭だけはやけに冷静だった。たまにいるのだ、ああいう凶暴な霊が。きっと、そういうたぐいの怨霊だ。本家に協力を要請して、叔母さんの治療もしないと。

 

「どこへ向かうのかな?」

 

 気が付くと、刺さっていた。ナイフが、腹に。目の前にはホームズがいた。

 

「……あ?」

 

 ズルリと抜き取られる。傷口が熱い。いつ刺された、いつから居た、なんでこんなことを、痛い、痛い、痛い、ちくしょう、こいつ、こんなにも平然と人を傷付けやがる。

 

「ダメだよ、逃げたら。ほら、僕のマスターになるって言って。早く。君を殺すのは勿体ないんだから」

 

 もったいない。勿体ないと言ったのか、この男は。ふらつく身体を根性で制御する。ポケットから符を取り出した。今度は、五枚。今日捕縛した怨霊の中でも強いものだ。

 

「お、今度は何を見せてくれるの?」

 

 彼は笑っている。

 

 腹が立った。無性に腹が立った。なんでこんな奴に殺されなきゃならないんだ、と思った。こんな所で死んでたまるか、とも思った。

 

「……汝は我に侍るべし」

 

 将は呟く。

 

「これなるは命、怨、護の三つ巴、これこそ我に相応しく。急急如律令」

 

 五枚の符が青白く燃え、一瞬、悲鳴を上げた。そして、将の指先、鉄砲の形にした指先に収束されていく。

 

「――テメェは地獄に行くんだよ! 喰らえや、指鉄砲!」

 

 パン、という乾いた音と共に、極小結界に封じ込められた怨霊が発射された。銃弾と同じ速度で射出された怨霊は、着弾と同時に超高圧状態から解き放たれた。

 

「これは……」

 

 ホームズの身体に、怨霊がまとわりついた。悲鳴とも呻きとも分からない音をあげる怨霊は、彼の首を絞めあげようとする。

 

 指鉄砲と言えば聞こえは可愛らしいものだが、蓋を開ければ五体の怨霊と呪いの集合体。殺傷能力はガラスを割れる程度だが、呪詛としては最悪だ。人に当たれば最低一週間はまともに動けないという極悪砲である。

 傷口を押さえ、将はまた走り出す。

 

「――やるねぇ、あの子……ますます欲しい」

 

 ホームズは、厭な笑みを浮かべた。まとわりつく怨霊をナイフで切り裂き、彼は歩みを進める。

 と、違和感があった。力が入りづらいのだ。着弾箇所を観察して、なるほど、と手を打った。

 

 ――若干の魔力の乱れ……そんなことも出来るのか。

 

 彼は笑みを崩さない。

 

「あは、やっぱり彼がいい。えっと……ああ、名前なんてどうでもいいか。いくらでも変えられるし」

 

 無我夢中で走り、神社の手前までたどり着いた。

 鳥居をくぐった。

 ここからは長い階段だ。

 

「……大丈夫、大丈夫……いける、俺なら出来る……!」

 

 そう自分を鼓舞して、一段飛ばしに階段を駆け上がる。指鉄砲の反動と、刺された傷がズキズキと痛む。意識が朦朧とする。自分が呼吸をしているのかどうかすら分からない。今出せる全力を出すしかない。

 

 最後の一段を踏み込んだ。

 

「ハァッ、ハァッ……いってぇ……返信来てねぇ……」

 

 既読すらついていない。スマホをスリープ状態にして、社務所へ向かう。電気が付いていなかった。限界が来た。張り詰めていたものが緩み始める。足がもつれ、歩くのが難しくなる。涙が滲み、視界がぼやけ始める。

 

「どこだよクソッ……やべぇ、死ぬって……」

 

 ふらつきながらも本殿へ向かう。その途中、拝殿の奥、神楽舞台が明るかった。その明かりに引き寄せられるように、将はよろよろと走り出した。

 

 ――死にたくない、ちくしょう……誰か、なんでもいい……死にたくない、死にたくない!

 

「助けて、誰か……誰でもいいから……」

 

 半ば無意識に呟きながら走る。神楽舞台では、誰かが何かをしていた。誰かは分からない。だが、人だ。人がいる。何度も転びそうになりながら、将は舞台に上がった。

 

 その後ろに、ホームズがいた。

 

 ***

 

 少し前。

 中津淵F(フィリップ)宙雷(そら)は、サーヴァント召喚の準備をしていた。

 

 ――サーヴァント。境界記録帯(ゴーストライナー)。過去の英雄を使い魔に、ねぇ。それに、なんでも願いが叶う奇跡の聖杯、か……とんだ眉唾もんだぜ。

 

 中津淵神社の拝殿兼神楽舞台。ここが、宙雷が最も集中出来る場所だ。布を敷いて、召喚陣を描く。そこまでやって、やる気がなくなった。その場に座り込む。

 本殿の方で、両親が座り込んで何かを話している。

 

 ――ま、いいか。とりあえず召喚しちまえばこっちのもんだし。あー、やる気出ねぇ。

 

 用意した――と言っても、母親がだが――触媒は、とある王族の紋章を象った徽章。太陽を模したそれは、かの無敵にして無敗の王、エドワード四世を喚ぶためのものだ。

 

「……やるかぁ。お母さんうるさそうだし……」

 

 特に願いもなく、魔術にも前向きではなく、基本的にやる気のない宙雷は「はーどっこいしょ」とおっさんのようなことを言いながら渾身の力を込めて立ち上がった。

 他家の魔術師が見れば助走を付けてぶん殴りに来そうな様子だが、運のいいことに、ここには他家の魔術師はいない。彼は浴衣の袖をまくり、召喚陣に手を向ける。

 

「えーっと……素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。降り立つ風には壁を――」

 

 召喚陣がぼんやりと光を帯び始める。さすがの宙雷も集中し始める。だからだろうか、侵入者に気付けなかったのは。

 

「誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ――は?」

 

 どちゃりと音がして、神楽舞台に人が倒れ込んできた。血まみれだ。流れる血が薄く輝く召喚陣を穢していく。

 

「た、すけ、たすけて、誰か……」

 

 うわ言のようにつぶやく顔をよく見ると、見覚えのある顔だった。当然だ、自分と全く同じ顔をしている。叔母の家にいるはずの双子の弟。

 

「……え、将?」

 

 ――なんでそんな血まみれで、ここにいる?

 

 召喚陣が一際大きく輝いた。そして、光が消える。

 将の後ろにいた男が、楽しそうにナイフを振り下ろした。

 

「将!!」

 

 宙雷は叫んだ。

 

 コツン、という硬質な足音。途端、ナイフが弾き飛ばされた。

 

「やれやれ、全く――」

 

 初めて聞く声。宙雷は声の方を見ようとして、既にその対象が目の前にいる事に気が付いた。

 

 男だった。赤い髪に、ところどころ金色が混じっていて、炎のようだと思った。真っ黒の衣装は、夜の闇よりも深く、全てを飲み込みそうだ。

 彼は周囲を見渡し、最後に将を見て、深いため息をついた。バサリと大きく外套(マント)を翻す。彼の持つ巨大な鎌は、彼の衣装と相まって、死神を彷彿とさせた。

 

 黒い男は、血まみれで倒れ込んだ将に顔を向けた。将は、彼の白猪の仮面越しに、その瞳を見た。

 

 視線が交わる。その瞬間において――確かに、彼らは互いを見ていた。

 

 男は、よく通る声で言葉を続けた。

 

「――よりにもよって、栄光ある夏に私を喚びますか。不満の冬の最中だというのに」

 

 ナイフの男が将の左手を見て、肩を竦めた。

 

「……あっちゃっちゃ。取られちゃったよ」

 

 将の左手のアザは形を変え、三つの模様になっていた。

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