永久凍土上の石板について   作:シロン茶

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準備会議

憲法草案準備局の会議室には、淡い光が差し込んでいた。机の上には、ヒルダが置いた条文案があった。


文官たちは静かに読み進めて慄く。

 

「皇帝陛下を公僕と……畏れ多いことだ……」

 

「皇帝陛下のご判断を再審するなど……」

 

誰かが言いかけて、口を閉ざした。

 

 

ヒルダは、文官たちの表情を観察していた。驚きと恐怖の中に、少しずつ、ある種の「納得」が、ゆっくりと広がっていくのが見て取れた。

 

「……これは」

 

一人の文官がたまらなくなったように声を出した。

 

「失礼ですが、これは新しい制度の提案というより……すでに運用されていた原則の整理ではありませんか」

 

沈黙と共に、文官たちは周りの顔色をうかがいあっていた。誰もが同じ名前を思い浮かべている。摂政皇太后の前で、それを口にする勇気がないだけだ。

 

若い文官が、ためらいながらも口を開いた。

 

「……摂政皇太后陛下。つまり、我々の指針は故オーベルシュタイン元帥なのでしょうか」

 

ヒルダは静かに首を振った。

 

「いいえ」

 

その声は驚くほど平静だった。

 

「個人の思想に国家を委ねるつもりはありません」

 

彼女は条文案の上に指を置いた。

 

「必要なのは、人ではなく機能です」

 

誰も声を出さない。

しかし沈黙の性質が変わっていた。

これは単なる制度改革ではない。

皇帝個人の意思そのものだった帝国を、別の原理へ移そうとしている。

そのことを、全員が理解し始めていた。

そして、別の恐怖が姿を現した。

若い文官がヒルダの前に進み出て、震える声で尋ねた。

 

「では、摂政皇太后陛下は、憲法は誰が制定すべきとお考えですか。一歩間違えれば反逆の行為です。……議会をお開きになるのですか」

 

その問いには、皇帝大権を侵す恐怖と、同盟モデルを真似ることへの心情的な抵抗と、議会参加資格を旧来の帝国騎士(貴族)限定とする懸念が込められていた。

新帝国の文官は平民も多い。


ヒルダは全員を見回した。

 

「私が提案するのは、臨時憲法制定会議です。構成員は、旧帝国の法曹、ローエングラム王朝の行政官僚、軍法の専門家、私が指名する文官。そして皇帝陛下ご自身です」

 

文官たちの間にざわめきが広がった。

 

「皇帝陛下を……会議の構成員として?」

 

まだ幼児である陛下に? という言外の疑問に、ヒルダは頷いた。

 

「そうです。つまり、これはまだ下準備にすぎません。条文の審議と起草において、皇帝陛下が成人した後に、一票の構成員として議論に参加していただくことで初めて動き出します」

 

ヒルダは静かに続けた。

 

「皇帝という『個人』が、自らの『権力』と対等に議論する。その上で承認される法でなければ意味がない」

 

若い文官が声を震わせた。

 

「……それで初めて、『帝国が制定した』と言える、と?」

 

ヒルダはゆっくりと頷いた。

 

「皇帝が自らを制限する法を、自らの手で承認する。その瞬間をもって、憲法は自律的な法主体として誕生します」

 

会議室に、長い混沌の果てに地平を見たような、静かな確信の沈黙が落ちた。


ヒルダはゆっくりと息を吐き、条文案の束に指を置いた。

 

「もし、私たちの想定より早く、帝国に議会が設立された場合には、議論は加速します。時間があるようでありません。さあ、始めましょう」

 

長い廊下を渡りながら、ヒルダは窓際に歩み寄った。外には、まだ冬の名残を引きずった灰色の空が広がっている。その景色は、オーベルシュタインの覚書と同じ色をしていた。
しかし今、彼女の瞳には、ほんのわずかだが、光が宿っていた。




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