勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
王国の重装騎兵が動いた。
最初は、ゆっくりと。
丘の上で待たされていた騎士たちが、槍を揃え、馬首を下げる。
メイルの鎖が鳴る。
蹄が土を叩く。
人と馬と鉄の塊が、前へ出る。
ただ、それだけで戦場の空気が変わった。
アマゾネス騎兵が、さらに距離を取る。
当然だ。
軽騎兵は、重装騎兵を受けてはならない。
正面から受ければ、馬ごと砕かれる。
魔力で強化された騎士の突撃は、ただの騎馬ではない。
それは、動く城壁だ。
槍を生やした鉄の波だ。
「まだ走らせるな」
私は言った。
「隊列を崩すな。圧をかけろ」
命令が伝わる。
重装騎兵は、すぐには突撃に移らない。
前へ出る。
揃えて出る。
敵との距離を詰める。
その背後で、弓兵と魔法兵が撃ち続けている。
矢が飛ぶ。
石の矢が飛ぶ。
火球が落ちる。
ミストラティ騎兵の退路を狭めるように。
逃げ場を選ばせるように。
敵は速い。
だが、好きに走れるわけではない。
丘陵には起伏がある。窪みがある。
射線が通る場所と、通らない場所がある。
こちらは丘を取っている。
上から見ている。全てではないが、多くは見える。
見える敵を、押す。
「右翼、遅れるな」
私は言った。
トラキス公の軍も、ようやく前へ出ている。
遅い。だが、矢と魔法は飛んでいる。
いまは、それでよい。
足りないが、ないよりは良い。
敵の右側が詰まった。
ミストラティ騎兵の一群が、丘と丘の間で進路を変えようとする。
そこへ、王国軍の火球が落ちた。
草が燃える。
馬が跳ねる。
騎兵の列が乱れる。
「今だ」
私は言った。
「正面の騎士、走れ」
角笛が鳴った。
重装騎兵が、速度を上げる。
ゆっくりだった鉄の波が、一気に形を変えた。
槍が下がる。
馬体が沈む。
蹄の音が重なり、丘そのものが鳴っているようだった。
アマゾネス騎兵が散る。
だが、遅れた者がいる。
火球で進路を潰された一群。
石の矢を受けて馬を乱した一群。
疲労で反応が一拍遅れた一群。
そこへ、王国の騎士が突っ込んだ。
最初の衝突は、一瞬だった。
槍が馬を貫く。
人が飛ぶ。
軽装の騎兵が、鉄と肉の塊に弾き飛ばされる。
馬の悲鳴。
女の叫び。
鉄と骨がぶつかる音。
ミストラティ騎兵が、崩れた。
いや、局地的には、だ。
全体が崩れたわけではない。
アマゾネスたちは散り、逃げ、回り込み、なお射っている。
だが、初めて、明確にこちらが押した。
王国兵から歓声が上がった。
今度は、止めなかった。
兵には勝ちが必要だ。
自分たちは耐えているだけではない。
押せる。倒せる。
そう感じる瞬間が必要だった。
「深追いするな。隊列を保て」
私は命じた。
「崩れた敵だけを叩け。散った敵は追うな」
命令は飛んだ。
だが、戦場で命令が常に形を保つとは限らない。
一部の騎士が、逃げる敵を追った。
すぐに従士が続く。
後ろの歩兵が声を上げる。
傭兵も前に出ようとする。
勝ちの匂いは、人を動かす。
ときに、命令よりも強く。
「押さえろ」
私は言った。
「まだだ。まだ勝っていない」
そう。
まだ勝っていない。
だが、勝ちに近づいている。
その感覚は、私にもあった。
ミストラティ騎兵の動きは乱れている。疲労も濃い。
こちらの重装騎兵は、ほとんど消耗していない。
このままなら、敵にかなりの損害を与えられる。
パールスが来る前に、ミストラティ軍を戦えない形にする。
その目標に、手が届くかもしれない。
「敵中央、後退!」
物見が叫んだ。
「左翼も下がっています!」
「右翼側、丘の裏へ退避!」
報告が重なる。
敵は退いている。
逃げている。
そう見えた。
「追うべきです」
幕僚の一人が言った。
「ここで追わなければ、敵は立て直します」
分かっている。
逃げる敵を叩く。
軍が大きな損害を出すのは、しばしば追撃を受けた時だ。
隊列が乱れ、背を向け、指揮が薄くなる。
そこを叩く。
戦場の常識だ。
だが、相手は軽騎兵だ。
追えば、こちらの戦列が伸びる。
丘陵地帯で伸びれば、見えない場所が増える。
ミストラティ騎兵が反転すれば、こちらは不利になる。
分かっている。
分かっているが、時間はない。
明日にはパールスが来る。
この機を逃せば、次はないかもしれない。
「敵後方の荷は」
私は問うた。
「丘の向こう、幕舎付近に集積があるとのことです」
物見が答えた。
「食料か」
「断定はできません。ですが、荷馬で運んできた物資です。麦、豆、飼葉の可能性は高いかと」
食料。
その言葉が、周囲の者たちの耳に入った。
こちらの兵糧は二日分。
敵は腰を据える準備をしている。
その敵の後方に、荷がある。
あれを奪えば。
活動期限が伸びる。丘に留まれる。
明日のパールスに対する選択肢が増える。
あるいは、撤退するにしても、余裕ができる。
敵に打撃を与え、さらに食料を奪う。
危険はある。
だが、得るものも大きい。
「追撃する」
私は言った。
幕僚たちが、一斉にこちらを見た。
「ただし、散るな。騎士だけを先に行かせるな。歩兵と盾持ちから離れすぎるな。弓兵、魔法兵も前進。丘を一つ越えるごとに隊列を整えろ」
言いながら、無理を言っていることは分かっていた。
追撃とは、整然と行うほど遅くなる。
遅くなれば、敵を逃がす。
速くすれば、隊列が伸びる。
両方は取れない。
だが、言わねばならない。
「トラキス公にも伝えろ。右翼は敵の回り込みを警戒しつつ前進。こちらと足並みを揃えろ」
「は!」
伝令が走る。
私は、逃げるミストラティ騎兵を見た。
彼女たちは散っている。ばらばらに見える。
しかし、どこかでまだ糸が繋がっているようにも見えた。
いや。
そう見えるだけかもしれない。
戦場では、敵の全てが策に見える。
恐れすぎれば機を逃す。
侮れば罠に落ちる。
その間を選ぶのが、指揮だ。
「進め」
私は言った。
「敵を逃がすな」
◇◇
追撃が始まった。
最初は、整っていた。
重装騎兵が前へ。
その後ろに従士と歩兵。
さらに後方から弓兵と魔法兵が続く。
丘を下る。
谷を抜ける。
次の丘へ登る。
そこで、最初の乱れが出た。
重装騎兵は速い。
歩兵は遅い。
盾持ちはさらに遅い。
魔法兵は足場を選ぶ。
弓兵は射線を探す。
丘を越えるたびに、差が出る。
差はすぐに広がる。
「足並みを揃えろ」
伝令が叫ぶ。
だが、前の騎士には届きにくい。
蹄の音。
兵の叫び。
逃げる敵。
勝ちの熱。
戦場は、声を食う。
逃げるミストラティ騎兵は、丘の裏へ消える。
こちらの騎士が追う。丘を登る。
その向こうには、もう別の騎兵がいる。
追えば、また逃げる。
捕まらない。
だが、追い散らしてはいる。
時折、遅れた敵を槍で突く。
馬を倒す。
矢を受けたアマゾネスが落ちる。
戦果は出ている。
出ているからこそ、止まりにくい。
「敵、さらに後退!」
「幕舎の方へ下がっています!」
「荷馬が見えます!」
報告が来る。
敵の幕舎。
荷馬。
積まれた物資。
近づいている。
私は丘の上から、それを見ようとした。
地形が邪魔をする。見える場所と見えない場所がある。
だから、物見と伝令に頼るしかない。
「トラキス公は」
私は問うた。
「右翼、前進はしております」
「遅いな」
返答はなかった。
遅い。
間違いなく遅い。
だが、完全に止まっているわけではない。
命令には従っている。そう言える程度には動いている。
腹立たしい。
「再度伝えろ。足並みを合わせろ。敵を逃がすな」
「は」
伝令が走る。
正面では、諸侯の旗が前へ出ていた。いくつも。
予定より前だ。功を焦っている。
逃げる魔族。
見える戦果。
奪える荷。
これで前に出ない者の方が少ない。
「抑えろ」
私は言った。
「騎士だけを突出させるな」
しかし、声は追いつかない。
こちらが丘を越える間に、先頭の騎士たちはさらに先へ進む。
後ろの歩兵は遅れる。弓兵と魔法兵は射線を失い、また走る。
隊列が伸びている。
それは分かっている。
分かっているが、止めるには惜しい。
敵も乱れている。
敵も疲れている。
敵も逃げている。
ここで止めれば、ミストラティは立て直す。
パールスが来る。明日が来る。
明日が来れば、我々は苦しくなる。
「進め」
私は言った。
自分に言い聞かせるように。
「まだ進める」
◇◇
ミストラティ騎兵は、ばらばらに逃げていた。
そう見えた。
一群は右へ。
一群は左へ。
小さな群れは、丘の裏へ消える。
負傷者を乗せた馬が遅れ、別の騎兵がそれを引いている。
秩序はない。
そう見えた。
だが、奇妙なことに、完全には崩れない。
逃げる方向はばらばらなのに、全体としては東へ下がっている。
こちらを誘うように。ただし、誘っていると断言できるほど露骨ではない。
上手い。
本当に、上手い。
私は奥歯を噛んだ。
「敵の後方幕舎まで、あとどれほどだ」
「丘二つほど」
物見が答えた。
近い。
近いが、遠い。
丘二つ。
言葉にすればそれだけだ。
だが、実際には登り、下り、また登る。
そのたびに隊列は伸びる。
重い騎士と、軽い敵との差が出る。
歩兵はさらに遅れる。
それでも、進む価値はある。
あそこには荷がある。
食料があるかもしれない。
敵の拠点がある。
そこを叩けば、ミストラティ軍はこの戦場に留まれなくなるかもしれない。
「殿下」
幕僚が言った。
「このままでは、先頭が伸びます」
「分かっている」
「一度、隊列を整えるべきでは」
正しい。
正しい進言だった。
ここで隊列を整えれば、危険は減る。
歩兵と弓兵、魔法兵も追いつく。
騎士の背後を支えられる。
だが、その間に敵は逃げる。
荷を移す。
幕舎を捨てる。
再び距離を取る。
そして明日、パールスが来る。
「あと二つ」
私は言った。
「幕舎の丘まで進む。そこで整える」
幕僚は何か言いたげだった。
だが、頷いた。
私は正しいか。
分からない。
だが、今ここで止まることが正しいとも思えなかった。
勝ちを掴みかけている。
敵の背を見ている。
食料が見えている。
明日の敵が迫っている。
この状況で、完全な安全を選ぶことなどできない。
「前へ伝えろ。幕舎のある丘で隊列を整える。それ以上の深追いは禁じる」
「は!」
伝令が走る。
間に合えばよい。
そう思った。
思った時点で、私は自分が不安を抱えていることを知った。
◇◇
先頭の重装騎兵が、次の丘を登る。
馬の脚が鈍る。
重い鎧。
重い馬具。
重い騎士。
下りならば勢いになる。
平地ならば圧になる。
だが、登りは違う。
突進力が死ぬ。
それでも騎士たちは登った。
逃げる敵を追って。
見える戦果を追って。
王国の槍として。
丘の上に、最初の騎士が出た。
そして、止まった。
なぜ止まった。
私は一瞬、理解できなかった。
次の騎士が、丘の上へ出る。
その馬も止まる。
後続が詰まる。
「何をしている」
私が言った時、丘の向こうから音がした。
角笛。
ミストラティのものだ。
短く。
鋭く。
まるで、隠していた刃を抜くような音だった。
丘の上へ出た騎士が斃れる。
そして、稜線の上に、騎影が並んだ。
逃げていたはずのミストラティ騎兵。
右の丘にも。
左の丘にも。
正面の丘にも。
ばらばらに逃げていたはずの群れが、丘の上でこちらを見下ろしていた。
弓が持ち上がる。
私は、ようやく理解した。
逃げていたのではない。
丘の裏へ消えていたのだ。
見えない場所へ。
こちらの隊列が伸びる場所へ。
「止まれ!」
私は叫んだ。
だが、先頭はもう丘へ入り込んでいる。
後続は詰まり、歩兵は遅れ、弓兵と魔法兵はさらに後ろだ。
ミストラティの弓が引き絞られた。
丘の上から。
こちらを見下ろして。
空が、黒くなった。