今世は強火ファンになるけどすぐばれてしまう話。

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前世では後の国民的女優の幼なじみで命の恩人だった

 

 放課後の薄汚い部室には、テレビの音と、部員たちのやたら元気な声が響いていた。窓の外はもう夕方。カーテンの隙間から差し込むオレンジ色の光が机の上を照らす。そこには飲みかけのペットボトルやお菓子の袋が散らばっていて、いつものようにだらしなく、いつものように騒がしかった。

 

「ほら始まるぞ。今日のドラマ」

 

「新ヒロインかわええ」

 

「この子、今いちばん人気じゃね?」

 

――映像研究会。

 

 名目上はそういう部名だが、実態はこの通り、ほぼドラマ鑑賞会である。

 

 ソファや床に適当に座った部員たちは、好き勝手に騒いでいる。誰かはスマホで出演者のプロフィールを見ていて、誰かはすでに推しの名前を連呼していた。俺もその輪に混ざっていたが、正直なところ、内容にはそこまで興味がない。ただ、部室での活動はこれだけなのでとりあえず居座っていただけだ。

 

 画面には20代前半くらいの人気若手女優が映る。明るい笑顔で登場した瞬間、部室の空気が一気に沸いた。さっきまでだらけていた連中が、急に前のめりになる。

 

「おお、きたきた!」

 

「顔ちっさ!」

 

「やっぱ演技うまいなぁ」

 

 部室は大盛り上がりだ。部員がこの女優の意外な特技を紹介する。すると別の部員も作品の豆知識を説明する。ドラマ鑑賞そっちのけで知識自慢の場と化したのを確認し、俺はポテチをつまみながら、ぼんやり画面を眺める。ヒロインがどうとか、演技がどうとか、正直あまり頭に入ってこない。ふーん、くらいの気持ちで、適当に相槌を打っていた。炭酸の抜けたコーラを口に含む。

 

 画面が切り替わったその時だった。

 

 若手女優の上司役として、一人の女性が現れた。落ち着いたオフィスカジュアルの服装の彼女は三十代半ばほどに見える。画面の中で静かに立っているだけなのに、彼女から目を離せない。

 

「……あ」

 

 無意識に口から漏れた。

 

 どこかで見た。見たことがある、なんて生易しいものじゃない。知っている。知っているどころか、名前を呼ぶより先に、声の調子まで思い出せそうな感覚が胸の奥からせり上がってくる。どうしてざわつきと切なさをこんなにも感じてしまう?

 

「お、泉さんだ」

 

「この人も演技うまいよな」

 

「まだ結婚してないよなこの人」

 

 友人たちの声が、さらに遠くなる。生まれてから記憶は深さがわからず濁ったままだった。その下に何かが眠っているはずなのに届かない。その中でも彼女のいる場所だけを確かめるようにゆっくりと拭った。笑顔。目元。話し方。首をかしげる癖。画面越しのその仕草のひとつひとつが、水を底を伝えるように澄んでいた。

 

 頭の奥で、何かが弾けた。

 

 ――寒い冬の日。

 

 ――女の子が泣いている。

 

 ――『カズくん!』

 

 ――血。

 

 ――痛み。

 

 ――『お願い、死なないで!』

 

「ぶっ!?」

 

 飲んでいたコーラが見事に噴き出した。勢い余って机の上に飛び散り、隣にいた友人のノートまで少し濡らしてしまった。

 

「うわっ!」

 

「きったねぇ!」

 

「何してんだよ!」

 

 盛大にむせ返る。喉が痛い。鼻までツンとする。涙まで出てきて、視界が一瞬ぐしゃぐしゃになった。

 

「ごほっ、ごほっ、ごほっ……!」

 

 息ができない。苦しい。でもそれどころじゃない。頭の中では20年分くらいの記憶が、高速道路で玉突き事故でも起こしたかのように次々と衝突していた。断片が断片を呼び、意味のあるようなないような映像が、勝手に脳内で再生される。

 

 目の前では彼女が笑っている。テレビの中で。大人になった姿で。あの頃よりずっと落ち着いている。その声はただ懐かしさを残して耳に触れる。

 

 生きている。

 

 生きている。

 

 生きている。

 

「……え。」

 

 俺は固まった。さっきまでのだらけた姿勢のまま、完全に動けなくなる。友人が肩を叩いてくるが、それすら遠い。頭の中では、さっきまでのドラマの内容なんて完全に吹き飛んでいた。

 

「そんなに見とれるほど好きなの?」

 

「いや、お前、そんな年上趣味だったのか?」

 

 友人たちの茶化す声が飛んでくる。だが、俺の耳には半分くらいしか入ってこない。震える指でテレビを指差した。指先まで妙に冷たい。自分でも、何を言おうとしているのかよく分からないまま、口だけが勝手に動く。

 

「あの人……」

 

「うん。」

 

「生きてる。」

 

「……は?」

 

「いや、そういう意味じゃなくて。」

 

「生きてるだろ。当たり前だろ。」

 

「そうじゃなくて!」

 

 勢いよく立ち上がる。椅子がガタンと倒れ、床に鈍い音を立てた。周囲の視線が一斉に集まるが、そんなものを気にしている余裕はない。心臓がやたらうるさくて、頭の中がぐちゃぐちゃで、なのに妙にひとつだけはっきりしている。

 

「俺、ちょっと帰る!」

 

「えっ、ドラマまだ始まったばっかだけど!?」

 

「整理させて!」

 

 それだけ叫んで部室を飛び出した。廊下に出た瞬間、さっきまでの騒がしさが嘘みたいに静かで、自分の足音がやけに大きく響いた。

 

 廊下を全力疾走しながら、俺の頭の中には一つの驚きが繰り返されていた。

 

「ちゃんと役者になれたのか!」

ーー

 数日かけて、ようやく記憶の整理がついた。

 

 俺には前世があった。名前は矢野カズ。ごく普通の大学生だった。

 

 近所には、俺を「カズ君」と慕ってくる5つ年下の女の子がいた。

 

 泉香澄。

 

 役者になることを夢見て、毎日のように台本を読んでは、俺を観客代わりにして演技を披露していた。

 

 その姿に影響された俺も、映像制作に興味を持つようになり、卒業後は制作プロダクションへの就職が決まっていた。

 

 ……もっとも、その前に死んだ。

 

 香澄を庇って車に轢かれ、22歳で人生を終えた。

 

 そして気づけば、佐久間太郎として新たな人生を歩んでいた。

 

 今世では高校二年生。

 

 テレビで彼女を見たあの日、前世の記憶を思い出した。

 

 つまり、今の俺は17歳。

 

 香澄は……34歳くらいか。

 

「ずいぶん歳の差になったな」

 

 思わず苦笑が漏れる。

 

 前世では5歳差の妹のような子だったのに、今では17歳も年上だ。すっかり色気のあるお姉さんになって……。

 

 それにしても――。

 

「よくここまで売れたな」

 

 画面の中で堂々と芝居をする彼女を思い浮かべる。

 

 夢を語っていたあの少女が、今や誰もが知る人気女優になっている。

 

 主演ドラマは毎クールのように話題になり、映画でもヒット作に出演。朝の情報番組では定期的に特集が組まれ、化粧品や飲料のCMにも引っ張りだこ。雑誌の表紙を飾るのも珍しくなく、名前を知らない人のほうが少ないくらいだ。

 

 しかも、ただ人気があるだけじゃない。

 

 演技派としても評価されていて、若手の頃に新人賞を取ってからは、主演女優賞や最優秀女優賞まで獲っている。舞台にも挑戦して、そっちでも高い評価を受けていたはずだ。

 

 あの頃、台本を抱えて一生懸命にセリフを覚えていた香澄が、今ではそんな場所に立っている。

 

 俺は自然と笑みを浮かべた。

 

「……よかった。」

 

 せっかく思い出したのだ。もう一度、彼女のファンになろう。今度は近所の兄ちゃんじゃない。遠くから応援する一人のファンとして。

 

 そう決めると、彼女の巨大ポスターを取り寄せ自室に貼った。

ーー

 それからというもの、俺の生活は少しだけ変わった。

 

 ドラマは香澄が出演しているものを優先して観るようになり、映画も公開初日に足を運ぶ。バラエティ番組に出ると聞けば録画し、雑誌のインタビューにも目を通した。

 

 映像研究会でも例外ではない。

 

「今度はこれを観よう!」

 

 そう言って俺が持ってきたのは、香澄が主演を務めたサスペンス映画だった。

 

「また泉さん?」

 

「もう聞き飽きたんだけど、その名前」

 

「最近そればっかじゃん」

 

「いや、今回はマジで外せない。泉香澄の芝居が一番映えるタイプの作品なんだよ。序盤は静かなんだけど、後半で一気に空気を持っていく。特にこのシーン、目線だけで全部説明してくるから絶対見てほしい」

 

「うわ、始まった」

 

「またその熱量かよ……」

 

「頼むから一回落ち着いてくれ」

 

「お前らが落ち着きすぎなんだよ。あの人、演技で殴ってくるタイプなんだぞ」

 

「その例え、もう聞きたくないんだけど」

 

 半ば強引に上映すると、見終わった部員たちは思った以上に満足そうな顔をしていた。

 

「……普通に面白かった」

 

「悔しいけど演技すげぇな」

 

「次は何?」

 

「次はこれ。泉さんの主演作なんだけど、今度はさっきと真逆で、感情を抑えた芝居がめちゃくちゃ効いてる。派手じゃないのに、気づいたら全部持っていかれるんだよ。あとこのラスト、絶対に見逃すな。あそこで全部ひっくり返るから」

 

「まだ語るの?」

 

「もう勘弁してくれよ……」

 

「お前、一本見せるたびに解説が長いんだよ」

 

「それだけじゃない、毎回熱が入りすぎなんだって」

 

 それ以来、部室で流れる作品は少しずつ香澄の出演作が増えていった。気づけば俺は、すっかり泉香澄布教係という扱いになっていた。

 

 部長がふと思い出したように尋ねる。

 

「そもそもさ」

 

「ん?」

 

「お前、前まで芸能人とか全然興味なかったよな」

 

「ああ」

 

「なんで急に泉さんのファンになったんだ?」

 

 部室の視線が一斉に俺へ集まる。

 

 俺は少しだけ胸を張って、当然みたいな顔で言った。

 

「そりゃ、あの人の芝居を見たら推すしかないだろ」

 

「また始まった……」

 

「もうその顔やめろって」

 

「何言ってんだお前」

 

「いや、マジで。泉香澄って、ただ可愛いだけの女優じゃないんだよ。表情の切り替えが異常にうまいし、泣く芝居も笑う芝居も全部本物に見える。しかも役によって空気が変わる。あれは才能だろ。才能の暴力だろ」

 

「うわ、長い」

 

「しかも熱い」

 

「急に語り出した」

 

「語るに決まってるだろ。あの人の作品、一本見たら次が気になるからな。気づいたら別の作品も追ってるし、インタビューも読みたくなるし、出演情報を見つけたら録画予約もする。あれは沼だ。完全に沼」

 

「もういい、もうわかったから」

 

「わかったから一回座れ」

 

「熱烈すぎるだろ」

 

「本当にすごいんだって。特にあの、何も言わないで感情だけ伝える芝居は伝家の宝刀。あれ見たら絶対に忘れられない。あれだけで世界取れる」

 

 部室の視線が、今度は呆れと疲労の混じったものに変わる。

 

「お前、完全にファンの布教トークじゃん」

 

「そうだよ。だから布教してるんだろ」

 

「開き直ったな」

 

「開き直るも何も、いいものはいいって言うべきだろ。まずはこの映画から見直せ。で、次にこのドラマ。そしたら絶対わかるから。あの人がどういう芝居をするのか、どこで化けるのか」

 

「宗教の押し付け?」

 

「失礼な。最近気づいたんだけど、俺は実は前世から応援してたんだよ」

 

「何言ってんだお前。言い方がもう怖いんだよ」

 

「頼むから今日はこれで終わりにしてくれ」

 

 当然の反応だった。けれど、冗談で言ったわけじゃない。

 

 矢野カズだった頃から、俺はずっと彼女を見ていた。近所の空き地で、台本を握りしめては何度も同じセリフを繰り返す小さな女の子。

 

 誰に褒められなくても、夢を口にするたびに目を輝かせていたあの頃から、俺はあの子の一番近くで、いちばん最初の観客だったと胸を張って言える。

 

 そんなことを説明したところで与太話としか思われないだろう。

 

 だから俺は、ただの熱烈なファンとして、今日も全力で布教することにした。

ーー

 今日は十月二日。

 

 香澄の誕生日だ。

 

 前世では毎年、両家そろって誕生日を祝っていた。

 

 俺の母さんがごちそうを作って、向こうのおじさんがお酒を持ってきて、最後はケーキのろうそくを一緒に吹き消す。台所に立つ母さんの煮物の匂い、居間に広がる甘いクリームの香り、香澄がろうそくの火を前に少しだけ頬を赤くして笑う顔。そんな光景が、あまりにも自然で、当たり前で、毎年同じように繰り返されるものだと信じていた。

 

 今は、そんなことをする立場じゃない。胸の奥に、懐かしさとも痛みともつかないものがじわりと広がる。俺は、数え切れないファンの一人に過ぎない。そう言い聞かせるたび、どこかでまだ、あの食卓の温度や、香澄の笑い声の余韻が指先に残っている気がした。

 

「ファンなら誕生日くらい祝わないとな」

 

 スマホを取り出し、何なら喜ぶだろうか考える。ブランド物は重い。花も、事務所に山ほど届くだろう。だったら食べ物か。

 

 ……あ。

 

 そういえば、香澄は意外と好みが渋かった。ケーキより、地元の和菓子屋のぜんざい。甘いものなら、あれが一番好きだったはずだ。

 

 そこまで考えたところで、ふと我に返る。

 

 ――いや、待て。

 

 こんなものを送るのは、さすがに気持ち悪いんじゃないか。

 

 誕生日に、彼女の好物を事務所宛てに送りつける。ファンとしては普通なのかもしれないが、俺の中ではどうにも距離が近すぎる気がした。

 

 そう思ったのに、次の瞬間には別の言い訳が浮かぶ。

 

 でも、彼女が昔から本当に好きだったものだし。今もきっと喜んでもらえるだろう。

 

 そうやって自分に都合のいい理屈を並べながら、俺はスマホで店名を検索した。

 

「まだあるのか」

 

 店は代替わりこそしていたものの、今も営業を続けていた。

 

 懐かしくなって店のホームページを眺める。写真に写るぜんざいは、昔とほとんど変わっていないように見えた。 

 

 俺は何の疑問も抱かず、店に電話をかけた。

 

「すみません。詰め合わせを地方発送でお願いしたいんですが」

 

 配送先は、香澄の所属事務所。電話を切ったあとになって、ふと我に返る。

 

「……まあ、ファンレター代わりみたいなもんだよな」

ーー

 街の人が厚手のダウンを羽織る季節になった。

 

 学校帰り、何気なくスマホでニュースを眺めていると、一つの記事が目に留まる。

 

 『人気女優・泉香澄、毎年同じ日に墓参り。その相手とは』

 

「……墓参り?」

 

 嫌な胸騒ぎがした。

 

 記事を開くとそこには、帽子を深く被り、花束を抱えた香澄の写真が載っていた。

 

 スマホを持つ手に力が入ったまま記事を読み進めた。

 

 毎年この日に仕事を休み、欠かさず地元の墓参りに訪れていること。

 

 関係者の証言として、「若い頃から続けている習慣」だということ。

 

 さらに、記者の取材によれば、相手のこの男性は近所の話では香澄の幼なじみだったそうだ、とも書かれていた。

 

 そして最後には、

 

 『泉の交際報道がない理由は、この男性との忘れられない過去にあるのではないか――』

 

 そんな憶測で締めくくられていた。

 

 スマホの画面を睨みつける。指先が震えるほど腹が立った。

 

「ふざけるな……」

 

 俺の口から出たのは喉の奥から絞り出したような低い声だった。

 

 他人のプライバシーを詮索して、面白半分で記事にする。何が「その相手とは」だ。何が「忘れられない過去」だ。

 

 ただ話題になればいい。アクセスが稼げればいい。そんな下卑た匂いが、行間からでも鼻についた。何も知らないくせに、知ったような顔で人の過去を切り売りするな。

 

 だが、それ以上に胸を締め付けたのは、別のことだった。

 

「……毎年、来てたのか」

 

 「矢野カズ」が死んでから、17年。香澄は一度も忘れていなかった。

 

 俺は勝手に思い込んでいた。

 

 役者として成功して、たくさんの仲間に囲まれ、充実した人生を送っているのだと。

 

 だからこそ、俺は「一人のファン」として遠くから応援していればいい、と思っていた。

 

 それなのに彼女は今も、俺を引きずっている。忘れられないどころか、毎年墓前に立ち続けるほどに。

 

 胸の奥が、重く沈む。俺が送っていた匿名の贈り物。あれは本当に、彼女の応援になっていたのか。俺がのうのうと贈り物を送り続ける資格なんてあるのか。

 

 画面を閉じても、黒のコートを着た香澄の姿だけが、頭から離れなかった。

ーー

 年が明けた。

 

 夕食を済ませ、自室でテレビをつける。この日は香澄が新作映画の番宣でバラエティ番組に出演している。

 

「久しぶりにこういう番組出るな」

 

 リモコンを置き、背もたれにもたれながら見始める。

 

 彼女はバラエティ適性も高い。司会者の無茶ぶりにも軽快に返し、共演者のボケを拾って笑いを広げる。話すテンポも心地よく、気配りもうまい。スタジオは終始笑いに包まれていた。

 

「さすがだな」

 

 昔は人前で話すのが得意なタイプではなかった。オーディションの自己PRで緊張していた姿を知っているだけに、今の堂々とした姿は素直にすごいと思えた。

 

 番組も終盤。司会者が悪戯っぽく笑う。

 

「ところで泉さん!」

 

「そろそろ良いお相手はいないんですか?」

 

 スタジオがどっと沸く。

 

「やめてくださいよ~」

 

 香澄も笑いながら両手を振る。周りも笑っている。きっとテレビを見ている人も、「司会者の軽いイジリ」くらいにしか思わないだろう。

 

 でも。

 

「……」

 

 俺には、その笑顔が少しだけ硬く見えた。勘違いかもしれないが、あの週刊誌の記事が頭をよぎる。

 

 毎年墓参りに行く彼女。独身を貫く理由を勝手に憶測される記事。そして、今も笑顔でその話題を受け流す彼女。

 

「……俺のせいなのか」

 

 思わず呟く。 

 

 俺が死んだから? 俺が守ったから?

 

 テレビの向こうでは、番組が次の話題へ移っていく。俺だけが、その場に取り残されたような気分だった。

 

 何もしないのが一番だと思っていた。遠くから見守ることが、彼女のためだと思っていた。でも、本当に彼女は前を向けているのだろうか。

 

「……駄目だ」

 

 このままじゃ駄目だ。俺が伝えなければならない。もう俺のことは罪悪感を持たずに忘れてもいい。幸せになってほしい。

 

 そう伝えるためだけに、一通だけ手紙を書き匿名で事務所に送った。

ーー

  手紙を送ってから、一週間ほどが過ぎた。もちろん返事を求めてもいない匿名のファンレターだ。あの手紙で、少しでも香澄が前を向いてくれればそれでいい。

 

「……寒っ」

 

 放課後。制服のポケットに手を突っ込みながら、近道の路地を歩く。

 

 その時だった。路地の先に、一台の黒塗りの高級車が停まっているのが見えた。

 

「?」

 

 高級そうなセダンの横には、黒いスーツ姿の男が二人。映画のワンシーンみたいだな、と思いながら横を通り過ぎようとすると、

 

「佐久間太郎さんですね」

 

 声を掛けられた。

 

「……どなたでしょうか」

 

 男の一人が胸元から名刺を差し出す。

 

「失礼いたします。私、泉香澄の所属事務所でマネージャーをしております」

 

「……は?」

 

「泉が、お待ちですのでお乗りいただけますか」

 

「…………」

 

 なぜ知られた? そんな馬鹿な。名前も住所も書いてない。

 

 考えるより先に体が動いた。

 

「すみません、人違――」

 

 くるりと踵を返し、全力で走り出そうとした瞬間には、

 

「申し訳ありません」

 

 両脇をがっちり掴まれた。

 

「えっ」

 

「お話だけですので」

 

「いやいやいや! 話だけならその掴み方はおかしいでしょう!」

 

「ご安心ください。すぐ終わります」

 

「待ってください俺は何もしていません!」

 

「調べはついています」

 

「何をですか!?」

 

 じたばたともがく。高校二年生の力では、鍛えた大人二人に敵うはずもない。

 

 車の後部座席のドアが静かに開く。俺はそのまま、半ば担がれるように車へ押し込まれた。ーー

 「はじめまして、佐久間太郎さん――」

 

 一拍置いて、彼女は静かに微笑んだ。

 

「……それとも、カズ君?」

 

 心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。背中を冷たい汗が伝う。逃げ道はない。そう悟った瞬間、頭の中で警報が鳴り響いた。探偵に追い詰められた犯人は、きっとこんな気分なのだろう。

 

 それでも俺は、どうにか平静を装った。ここで崩れたら終わる。絶対にボロは出さない。

 

「は、はじめまして。佐久間太郎です。お会いできて光栄です」

 

 声が少し上ずった。まずい。自分でもわかるほど不自然だ。だが、香澄はそれを責めるでもなく、ただ静かに俺を見ていた。その視線が、まるで逃げ場を塞ぐように重く感じた。

 

 一度深呼吸してから、わざとらしく周囲を見回す。

 

「これは芸能人に会わせるドッキリか何かですか? どうして普通の高校生が国民的女優と対面できるんです?」

 

 言いながら、内心では必死だった。話題を逸らせ。頭を回しているのに、心臓だけは落ち着かない。

 

 香澄は小さく首を横に振る。

 

「出会えたのは、君のおかげだよ」

 

 そう言うと、テーブルの上に一通の封筒を置いた。見覚えがある。俺が送った手紙だった。

 

 視界が一瞬、白くなる。喉が乾き、指先が冷える。なのに背中だけは汗ばんでいる。

 

「この手紙……あなたが書いたのよね?」

 

「待ってください!」

 

 思わず身を乗り出す。声が裏返りそうになるのを必死で押さえた。

 

「僕はただのファンです!」

 

 慌てた様子に香澄はくすりと笑う。けれど、その目には次第に涙が滲んでいた。

 

「毎日のようにファンレターは届くの」

 

 封筒をそっと撫でながら続ける。

 

「でもね、こんなに笑えて……こんなに泣けた手紙は初めてだった」

 

 その言葉に、胸の奥がぎゅっと縮む。追い詰められているのは俺なのに、なぜか彼女のほうが苦しそうだった。

 

 懐かしそうに目を細める。

 

「手紙には演技の練習を見てくれた思い出を書いてくれたでしょう? 確かにあなたに『目を見て演技しなさい』って言われてたわ」

 

 その一言で、さらに息が詰まる。平静を装えば装うほど、内側の動揺がひび割れていく。

 

「最初はね、身内の悪戯かとも思った」

 

 彼女は少し笑う。

 

「でも、どうしても捨てられなかった」

 

 そして俺を見る。

 

「……その前のプレゼントも、ありがとう。久しぶりで美味しかったわ」

 

「そ、そのぜんざいは送りましたけどーー」

 

 香澄は静かに息を吐いて告げた。

 

「やっぱり」

 

 その一言が、決定的だった。

 

 まるで、最後のピースがはまった瞬間の探偵の声みたいだった。もう逃げられない。こちらが何を言っても、彼女の中ではすでに答えが出ている。そう理解した途端、膝の力が抜けそうになる。

 

「勘違いしているみたいだけど、私、誕生日は非公開なの」

 

「……え」

 

「それに、あのお店のぜんざいが好きだなんて、一度も外で話したことはないわ」

 

 俺の喉が鳴る。乾いた音が、自分でもはっきり聞こえた。香澄は苦笑して言った。

 

「最初はね」

 

「気味の悪いプレゼントだと思った」

 

「どうして、ファンに教えていないはずの好物を、誕生日に送ってくるのよって」

 

 テーブルの引き出しから、一枚の紙を取り出す。

 

「だから、送り主だけは確認して残してもらったの」

 

「そのあと、この手紙が届いた」

 

 彼女は封筒を胸に抱いた。

 

「点と点はすぐにつながったわ」

 

 部屋が静まり返る。

 

 その沈黙が、何よりも恐ろしかった。言い逃れができない。すでに詰んでいる。そう突きつけられているのに、なおも口を開けば、さらに自分の首を絞めるだけだとわかってしまう。

 

「いや……俺は……」

 

 言葉が出ない。どの面して彼女に向き合えばいいのか。

 

 香澄は一歩、俺に近づいた。逃げるな、と無言で言われている気がした。震える声で問いかける。

 

「ねぇ」

 

「……カズ君なの?」

 

 俺は俯いたまま動けない。視線を上げれば、全部終わる気がした。最後に見せるのは往生際の悪い沈黙だけだ。

 

「お願い」

 

 その声は、人気女優・泉香澄ではなかった。昔、泣きながら俺の服の裾を掴んでいた、小さな女の子の声だった。

 

「あなたは……誰なの?」

 

「お願いだから……答えて」

 

 もう、ごまかせなかった。俺はゆっくりと顔を上げる。

 

「思い出したのは……この歳になってからなんだ」

 

 香澄の肩が震える。

 

「ずっと、記憶に膜のようなものが覆いかぶさっているような感覚だったんだ」

 

「でも、君の演技を見た瞬間、それが全部取り払われた」

 

 一歩だけ自ら近づく。もう逃げる必要がないと、自分に言い聞かせるためだった。

 

 昔と同じように、優しく笑う。

 

「……立派になったね、香澄ちゃん」

 

 その呼び方を聞いた瞬間。香澄の瞳から、大粒の涙があふれ落ちた。

 

「あれからオーディションにも落ちたし。売れるまで長かった。……それでも主演になれたときカズ君のお墓の前で挨拶できて」

 

「ありがとうって言えたの」

 

「それなのに……賞を取っても作品がヒットしても。ずっと会えないのが辛くて」

 

「何のために頑張ってるんだろうって何回も思った……!」

 

 彼女が抱え込んでいた事にこれまで何もしてやれなかった。この時も自分にできたのは黙って彼女を抱きしめるだけだった。17年の空白をお互いに埋めるように。

 

ーー

 休日。

 

「悪い。今日は予定がある」

 

 映像研究会のグループチャットで遊びの誘いを断る。

 

『珍しいな』

 

『お前が休日に予定とか雪でも降るぞ』

 

『まさか女か?』

 

 最後のメッセージには既読だけ付けてスマホをしまった。

 

 ある意味、間違ってはいない。今日は香澄の久しぶりの休日だった。

 

 駅前で待っていると、マスクやキャップ姿の女性が小走りでやって来る。淡いベージュのトレンチコートに、白いブラウスと薄手のロングスカートを合わせた春らしい柔らかな色合いの服装だった。変装姿がかえって上品さを際立たせている。

 

「お待たせ、カズ君」

 

 その呼び方に思わず周囲を見回した。

 

「その名前はやめてくれ」

 

「えー、嫌」

 

 いたずらっぽく笑う。

 

「それなら敬語もやめて」

 

「今は香澄の方が年上だろ」

 

 17歳と35歳の二人が歩くと、周囲からはどう見えるのだろう。

 

「アラフォー入口で悪かったわね」

 

 むっと頬を膨らませる。

 

「そんなこと気にしてない」

 

 俺は肩をすくめた。

 

「そっちこそ、高校生と歩いてるところを撮られたらまずいんじゃないか」

 

「カズ君はカズ君でしょ」

 

 香澄は昔と変わらない笑顔で言う。

 

「それに、ただ買い物してるだけじゃない」

 

「世間はそう見てくれないと思うけどな……」

 

「じゃあ、変装は完璧ってことで」

 

「油断するなよ」

 

 結局押し切られ、そのままショッピングモールへ入った。

 

 香澄は楽しそうに店を見て回る。新しい食器を手に取っては悩み、本屋で小説を立ち読みし、洋服売り場では「これ似合うかな?」と俺に聞いてくる。その姿は、テレビで見る国民的女優ではなく、昔近所を一緒に歩いていた女の子のままだった。

 

「ちょっとお手洗い行ってくるね」

 

「ああ」

 

 しばらくの時間、俺は入口近くのベンチで待つことにした。

 

「……佐久間?」

 

 嫌な声がした。

 

 振り向くと、映像研究会の部員が3人いた。

 

 まずい、と反射的に背筋が伸びる。どうしてこういう時に限って、よりにもよってこいつらが現れるんだ。頭の中で言い訳を組み立てようとするが、焦れば焦るほど言葉が散らばっていく。

 

「やっぱ佐久間じゃん!」

 

「休日に予定ってこれか!」

 

「何してんだ?」

 

「い、いや、一人で買い物だけど」

 

 口に出した瞬間、自分でも苦しいと思った。ベンチに座っている時点で不自然だし、周囲を見回す仕草も完全に挙動不審だ。せめて平静を装おうとするのに、声が少し上ずってしまう。

 

「ベンチで?」

 

「ちょっと休憩」

 

「へぇ?」

 

 3人ともニヤニヤしている。

 

「なんか怪しいな」

 

「もしかして彼女待ちか?」

 

「違う!」

 

 反射的に否定したが、声が大きすぎた。しまった、と思った時にはもう遅い。余計に怪しまれるやつだ。俺は慌てて咳払いをして、視線を逸らしながら言い直そうとする。

 

「いや、その、違うっていうか……別に、そういうんじゃなくて……」

 

 言葉がまとまらない。頭の中では「ただの偶然」「たまたま」「友達と来てるだけ」と候補が浮かぶのに、どれも口に出すには無理がある。しかも三人は完全に面白がっていて、逃がす気がない。

 

「じゃあなんでそんな慌ててんだよ」

 

「いや、それは……」

 

 喉が詰まる。手のひらにじっとり汗がにじむのが分かった。どうにかして話題を逸らさなければ、と視線を泳がせたその時だった。

 

「お待たせ、カズ君」

 

 最悪のタイミングで後ろから聞き慣れた声がした。

 

 香澄はマスクを付けていたが、完全に油断していたのかサングラスは外していた。

 

 部員たちの視線が一斉に彼女へ向く。

 

「……ん? カズ君?」

 

 なぜここでその呼び方を!?

 

「ちょっと待て」

 

「その顔どこかで……」

 

 

 




主人公
 20歳で幼なじみの子を守って死亡。生まれ変わってから17歳の時に前世を思い出す。無自覚に相手に気づかれるサインを与え、中途半端に関わったのが運の尽き。

泉香澄
 17歳の頃主人公に守られる。初恋の相手でお世話になった主人公を失ったショックのまま国民的女優になる。30代半ばになり主人公を認識してから事務所の力を使って対面する。年齢? まだ健全です。

部員
 突然一人の役者に夢中になった主人公。恋人ができたと思ったらその人であることに気づき宇宙猫。

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