勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。   作:筆負野ユウ

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第67話 蹄音

空が、黒くなった。

 

矢だった。

 

丘の上から。

右から。

左から。

正面から。

 

逃げていたはずのミストラティ騎兵が、稜線の上に並び、一斉に弓を引いている。

 

逃げていたのではない。

誘っていたのだ。

 

「盾を上げろ!」

 

叫びは、遅かった。

 

先頭の重装騎兵は、丘の斜面に入っていた。

盾を構えるには狭い。

馬を返すには遅い。

槍を振るには近すぎる。

 

矢が降った。

 

重装騎兵のメイルに、魔力を帯びた矢が突き立つ。

全てが貫くわけではない。むしろ、多くはメイルに弾かれた。

 

だが、馬の脚は違う。

関節は違う。

首筋は違う。

馬鎧の隙間は違う。

 

馬が崩れた。騎士が投げ出された。

後続が詰まる。そこへさらに矢が降る。

 

「止まるな! 抜けろ!」

 

幕僚が叫んでいる。

 

止まれば死ぬ。進めば丘を登る。

だが、登れば突進力は死ぬ。

 

重装騎兵の強さは、速度と重量にある。

平地で槍を揃え、馬体ごと押し込むからこそ、敵を砕ける。

 

いま、騎士たちは斜面を登っていた。

重い鎧。

重い馬具。

重い槍。

重い盾。

 

上から見下ろすアマゾネスに向かって。

 

最悪だった。

 

「弓兵、前へ! 魔法兵、援護!」

 

私は命じた。

 

「歩兵を急がせろ。騎士の背後を固めろ。盾を持てる者は前へ出せ」

 

命令が飛ぶ。

伝令が走る。

 

だが、戦場はすでに伸びている。

 

先頭の騎士。

遅れた歩兵。

さらに後ろの弓兵と魔法兵。

その全ての間に、丘と窪みが挟まっている。

 

声は届かない。旗は見えにくい。

角笛は鳴っているが、どの命令の音か判別しにくい。

 

ミストラティは、それを狙った。

 

波打つ丘陵。

見えない裏側。

伸びる隊列。

重装騎兵だけが先に出る瞬間。

 

そこを、待っていた。

 

「右の丘を押さえろ!」

 

幕僚が叫んだ。

 

一番右の丘上には、アマゾネス騎兵が二百ほど見え隠れしている。

こちらを見下ろし、矢を射ている。

 

魔法兵が石の矢を放った。

届く。

だが、当たらない。

 

アマゾネスは射つとすぐに下がる。

丘の裏へ消える。

別の場所からまた現れる。

 

こちらが追えば、また別の稜線から矢が来る。

 

「騎士を下げては」

 

誰かが言った。

 

「無理だ」

 

私は答えた。

 

下がれば、さらに崩れる。

 

丘の斜面で馬首を返せば、後続とぶつかる。

退けば、背を向ける。

背を向けた重装騎兵など、ただの大きな的だ。

 

前へ抜けさせるしかない。

あるいは、歩兵を追いつかせ、包囲を解く。

 

「歩兵を押し上げろ!」

 

私は叫んだ。

 

「盾を前へ。弓兵は稜線を抑えろ。魔法兵、盲撃ちで構わん。稜線の向こうを焼け!」

 

できる。

まだできる。

 

長時間の追撃をしたわけではない。

隊列は伸びているが、完全に切れてはいない。

先頭の騎士も、まだ壊滅してはいない。

 

ミストラティも分散している。

こちらを囲むため、丘ごとに分かれている。

ならば、それぞれを追い散らせばよい。

 

数では、こちらが上だ。

まだ、対処できる。

 

「中央の歩兵、前へ!」

 

「弓兵、止まるな!」

 

「負傷者を踏むな! 脇へ寄せろ!」

 

幕僚の声が重なる。

 

王国軍は乱れている。

だが、崩れてはいない。

 

兵はまだ命令を聞いている。

旗はまだ立っている。

重装騎兵も、押されながらなお戦っている。

 

ならば、まだ軍だ。

 

軍である限り、立て直せる。

 

◇◇

 

ミストラティの矢は、冷静だった。

 

勝ちに浮かれていない。

突撃してこない。

無理に殺しきろうともしない。

 

高いところから射る。

動きにくい相手を射る。

騎士の馬を狙う。

歩兵の足を止める。

魔法兵を散らす。

 

そして、こちらが反撃すれば、すぐに丘の裏へ消える。

 

「厄介な」

 

私は吐き捨てた。

厄介などという言葉では足りない。

 

彼女たちは、こちらの重装騎兵を恐れている。

だから正面から受けない。

 

こちらの数を恐れている。

だから固まらない。

 

こちらの弓と魔法を警戒している。

だから同じ場所に留まらない。

 

恐れているからこそ、正しく戦っている。

強い敵だった。

 

「敵が騎士の背後へ回ります!」

 

物見が叫んだ。

 

左側の窪みを抜け、アマゾネスの小群がこちらの騎士の背後へ出ようとしている。

あれを許せば、騎士は前後から射られる。

 

「予備の歩兵を左へ回せ」

 

「予備は薄いです」

 

「薄くても回せ!」

 

「は!」

 

「魔法兵、左の窪みへ火を入れろ。進路を塞げ」

 

火球が飛ぶ。

草が焼ける。

煙が上がる。

 

アマゾネス騎兵の小群が進路を変える。

完全には止まらない。

だが、遅れた。

 

それでよい。

 

一つずつ遅らせる。

一つずつ塞ぐ。

一つずつ剥がす。

 

一度に全てを解決しようとすれば、何も解決できない。

 

「殿下」

 

幕僚が言った。

 

「トラキス公の右翼が、止まっています」

 

私は振り返った。

 

右翼。

トラキス公の旗。

 

動いていない。

 

いや、正確には、わずかに動いている。

だが、それは戦うための前進ではない。

戦線に加わる動きでもない。

 

位置を保っている。

後方を守る形に整えている。

 

「伝令を」

 

私は言った。

 

「前進を厳命。今すぐ騎士の右背後へ入れ。包囲を解け」

 

「は!」

 

伝令が走る。

 

待つ。

待つ時間が、長い。

 

その間にも矢は降る。

騎士が倒れる。

馬が悲鳴を上げる。

歩兵が斜面を登る。

 

伝令が戻った。

 

「トラキス公より、返答」

 

「言え」

 

「流れ矢により、指揮を担う元帥が負傷。軍の統制回復のため、即時前進は困難とのことです」

 

一瞬、音が遠くなった。

 

流れ矢。

元帥が負傷。

統制回復。

 

よくもまあ、これほど白々しい言い訳を瞬時に用意できるものだ。

 

「そんなわけがあるか」

 

私の声は、低かった。

 

周囲の幕僚が動きを止める。

 

「再度伝えろ」

 

私は言った。

 

「王の代理人として命じる。前進せよ。今動かぬなら、命令違反と見なす」

 

「は」

 

伝令が走る。

 

コスタ卿が、私の横に来た。

 

「公は、動きませぬか」

 

「動かす」

 

私は答えた。

 

「動かせねば……」

 

「はい」

 

コスタ卿の返答は短かった。

 

分かっている。

彼も分かっている。

 

トラキス公が動けば、右側の圧は減る。

騎士の背後へ回ろうとする敵を抑えられる。

こちらの歩兵も追いつきやすくなる。

 

動かなければ、先頭の騎士が孤立する。

 

それだけだ。

 

政治ではない。

権威でもない。

今この瞬間は、ただの戦場の算術だ。

 

だが、戦場に政治を持ち込む者がいる。

 

いや、違う。

 

戦場から政治が消えることなどない。

それを分かっていながら、私は腹を立てている。

 

「中央、歩兵の主力が追いつきます!」

 

報告が上がった。

ようやくか。

 

前方を見る。

 

王国の歩兵が、盾を構えて斜面を上がっている。

遅い。だが、来た。

 

弓兵と魔法兵も後ろから続く。

騎士の背後に空いた隙間が、少しずつ埋まっていく。

 

「よし」

 

私は息を吐いた。

 

まだだ。

まだ立て直せる。

 

「歩兵は騎士の後ろへ入れ。盾を上げろ。弓兵は稜線を狙え。魔法兵は敵が消える丘の裏へ撃ち込め。敵を居座らせるな」

 

命令が飛ぶ。

王国軍は動いた。

 

遅れた。

乱れた。

それでも、動いた。

 

ミストラティ騎兵の包囲が、少し緩む。

 

こちらの矢が丘上へ届き始める。魔法が火を噴く。

アマゾネスたちが、一度、稜線から下がる。

 

「押せ!」

 

私は言った。

 

「騎士を救え。包囲を切れ」

 

兵たちが声を上げる。

 

これで勝てるとは、とても言えない。

だが、壊滅は避けられる。

避けねばならない。

 

◇◇

 

先頭の騎士たちは、よく耐えていた。

 

馬を失った者は、徒歩で槍を構えている。

倒れた仲間を盾にする者もいる。

馬上に残った騎士は、斜面を無理に登らず、横へ広がろうとしている。

 

さすがに王国の騎士だった。

 

誇りだけではない。

訓練がある。

経験がある。

鎧がある。

魔力がある。

 

簡単には死なない。

簡単には崩れない。

 

だからこそ、ミストラティは馬を狙う。

脚を狙う。

隙間を狙う。

騎士を殺すより、動けなくする。

 

上手い。

本当に、腹立たしいほど上手い。

 

「敵、左の丘から再接近!」

 

「右もです!」

 

「中央の騎士、押し返しています!」

 

報告が重なる。

 

戦場は、いくつもの小さな戦いに分かれていた。

右の丘。

左の丘。

中央の斜面。

騎士の背後。

歩兵の前列。

魔法兵の射線。

 

それぞれで勝ったり負けたりしている。

私は、それを一つの軍として繋ぎ直さねばならない。

 

「左へ予備を回すな。中央を厚くしろ」

 

「しかし左が」

 

「左は火で抑えろ。中央が切れれば終わる」

 

「は!」

 

「騎士には後退ではなく、横へ広がれと伝えろ。坂を無理に登るな。敵を引きずり下ろせ」

 

「は!」

 

「弓兵、射程を合わせろ。高い敵を狙うな。稜線から出た瞬間を狙え」

 

「は!」

 

一つずつ。

 

一つずつだ。

 

混乱を解く。

線を繋ぐ。

崩れを止める。

 

レオトバイ。

お前ならできる。

 

私は自分にそう言い聞かせた。

 

王太子であること。

王の器であること。

それらは、飾りではない。

 

この瞬間に、必要なものだ。

 

「トラキス公、動きません!」

 

再度の報告だった。

 

「返答は」

 

「統制回復中につき、前進困難と」

 

「そうか」

 

私は、自分でも驚くほど静かに言った。

 

怒りはあった。

だが、怒っている暇はない。

 

トラキス公は動かない。

ならば、動かないものとして扱う。

 

「右翼への期待を捨てる」

 

私は言った。

 

「中央で受ける。左をさらに薄くしろ。右背後は騎士の一部を割いて抑えろ」

 

「騎士を割けば、中央の圧が」

 

「トラキス公が来ないなら、そうするしかない」

 

幕僚は黙った。

すぐに命令を伝えた。

 

決断とは、可能性を捨てることだ。

 

トラキス公が動く可能性を捨てる。

右翼が包囲を解く可能性を捨てる。

その代わり、今ある兵で線を作る。

 

痛い。

だが、まだ致命傷ではない。

 

まだだ。

まだ、立て直せる。

 

そう思った。

 

その時だった。

 

 

東から、音が来た。

 

最初は、気に留めていなかった。

 

その音が、徐々に大きくなっていることに気が付いた。

 

地鳴りかと思った。

 

次に、大きくではなく、近づいていることに気が付いた。

 

低く。

重く。

遠く。

 

だが、地震ではない。

 

規則がある。

拍がある。

無数の蹄が、大地を叩く音。

 

幕僚の一人が東を見た。

私と向き合っていた者も、振り返る。

 

戦場の音の中で、それは少しずつ大きくなった。

 

馬の蹄音。

 

いや、馬ではない。

蹄音ではある。

だが、違う。

 

重い。

深い。

広い。

 

「まさか」

 

誰かが言った。

 

私も、そう思った。

 

まさか。

 

明日ではなかったのか。

 

物見の報告では、明日。

この戦場へ届くのは、明日。

 

まだ猶予があるはずだった。

その猶予を使って、ミストラティを叩くはずだった。

 

東の丘陵の向こうに、影が現れた。

 

最初は、一つ。

次に、いくつも。

 

馬のようで、馬ではない。

人の上半身。

馬の下半身。

 

ケンタウルス。

 

初めて見る魔族の軍勢だった。

 

大きい。

 

まず、そう思った。

 

荷運びに使う重量種のような馬格。

だが、動きは重くない。

曲芸に使う軽量種のような軽やかさ。

 

我らの重騎兵、騎士が使う馬より力強く。

アマゾネスが使う馬より速い。

 

一歩が大きい。加速が違う。

丘陵を越える動きが、こちらの想定していた騎兵のものではない。

 

すぐに理解した。

 

物見の予想より、遥かに素早く行軍したのだ。

到着予想が、大きくずれた。

 

明日ではない。

今だ。

 

「パールス……」

 

誰かが呟いた。

 

その声は、戦場の音に呑まれた。

 

ケンタウルスの軍勢が、丘の上に広がる。

まだ遠い。まだ、こちらに突っ込んできたわけではない。

 

だが、見えている。

見えてしまった。

 

それだけで、戦場の意味が変わった。

 

騎士の馬が先に怯えた。

 

鼻を鳴らし、脚を踏み替え、騎士の手綱に逆らう。

人間より先に、馬が理解していた。

 

あれは、同じ馬ではない。

同じ蹄の音ではない。

 

ミストラティ騎兵が、再び稜線に現れる。

彼女たちの動きが、明らかに変わった。

 

待っていたものが来た。

そういう動きだった。

 

王国兵の歓声は消えていた。

先ほどまで僅かに残っていた勝ちの熱が、急速に冷えていく。

 

騎士は斜面で戦っている。

歩兵は追いついたばかり。

弓兵と魔法兵も分散して戦線を支えている。

トラキス公は動かない。

 

その東に、パールスが現れた。

 

ここからの巻き返しは――。

 

私は、その言葉を最後まで考えなかった。

考えれば、命令が遅れる。

 

「全軍、中央へ寄せろ!」

 

私は叫んだ。

 

「騎士を戻せ! 歩兵は盾を固めろ! 弓兵、魔法兵は東へ備えろ!」

 

命令を飛ばす。

声を張る。

旗を振らせる。

角笛を鳴らす。

 

だが、戦場は広がっている。

こちらの軍は伸びている。

ミストラティは丘の上から射っている。

 

そして、東から重い蹄音が近づいている。

 

「トラキス公へ伝令!」

 

私は叫んだ。

 

「今すぐ中央へ寄せろ! 全軍を収容する。遅れれば潰れるぞ!」

 

伝令が走る。

間に合うか。

分からない。

 

何もかもが、分からない。

ただ一つだけ、はっきりしていた。

 

明日の敵は、今日来た。

 

その瞬間、王国軍の勝利は消えた。

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