勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。 作:筆負野ユウ
王太子からの命令が届いた時点で、敵援軍の到着までは四日ほどしか残っていなかった。
早馬でも、距離は消せない。
命令が出された瞬間と、それをこちらが読む瞬間には、どうしても間がある。
今頃、本隊はミストラティ本国軍と戦っているかもしれない。
そう考えると、妙な感じがした。
こちらが羊皮紙を囲み、ハンブディフの城壁を睨み、避難民の粥の量を数えている間に、王太子本隊は丘の上で矢を浴びているかもしれない。
あるいは、もう勝っているかもしれない。
あるいは、まずいことになっているかもしれない。
分からない。
分からないが、こちらにも時間はない。
「本隊は勝てるんだよな」
俺が言うと、ノアは羊皮紙から目を上げなかった。
「勝ってもらわねば困る」
答えになっていない。
だが、それ以上の答えは誰にも出せない。
王太子の命令は明瞭だった。
ハンブディフを落とせ。
敵援軍が来る前に確保し、防備を固めろ。
言葉にすれば簡単だ。
だが、現実の城壁は、言葉ほど軽くない。
ハンブディフは、サボエほど大きな都市ではない。
城壁も低い。守備兵も多くはない。
普通に攻めれば、落とせる。
それは分かっていた。
問題は、普通に攻められないことだった。
◇◇
降伏勧告は、すでに数度行っていた。
使者を立て、条件を示し、返答を待つ。
その繰り返しだった。
条件は悪くない。
いや、かなり甘い。
明日中に開城するなら、守備兵の命は保証。
武装解除後、希望者は退去可。
市民への略奪、暴行、私刑は一切禁止。
都市評議会の存続を認め、有力者の権益も原則として保護する。
それ以降なら、やや厳しくなる。
守備兵は捕虜。
指揮官と評議員も拘束。
自治は停止。
備蓄と金銀は軍費として接収。
抵抗を指導した者は審問対象。
ただし、市民への狼藉はしない。
そこだけは、ルナが譲らなかった。
まあ、譲らないだろうとは思っていた。
むしろ、そこを譲るルナなら、こんなに面倒なことにはなっていない。
「相手は魔族ではないのですよ」
軍議の場で、ルナはそう言った。
「ハンブディフの人々には、同じ聖音を聞く者も多いはずです。剣を向ける前に、言葉を尽くすべきです」
ノアは苦い顔をした。
「殿下。彼らは今、我らに城門を閉ざしています」
「分かっています。ですが、だからこそです」
エリサは、その場にいた。
何も言わず、避難民の列へ目を向けていた。
俺も何も言わなかった。
ルナは善人だ。それは間違いない。
ただ、その善意には、本人が疑ったことのない線がある。
その線がどこに引かれているのか。今は考えないことにした。
考えても、城壁は低くならない。
「条件は効いています」
ノアは言った。
「評議会代表は、明らかに迷っています。ミストラティ本国からの指揮官は強硬ですが、ハンブディフの全員が同じ考えではありません」
「降ると思うか」
「確信は持てん」
「だよな」
手応えはある。
だが、確信はない。
あと一押しで降るかもしれない。
だから、力攻めをすれば、その一押しになるかもしれない。
逆に、攻めた瞬間、降伏派ごと潰してしまうかもしれない。
普通の指揮官なら、そこで迷わない。
迷っても、迷う時間を短くする。
だが、こちらの指揮官はルナだ。
そしてルナは、もう少しで言葉が届くかもしれない、と思っている。
その可能性は、実際にあった。
だからこそ、厄介だった。
◇◇
食料は、一度はどうにかなった。
王女の名。
ノアの名。
王家の信用。
高すぎる買値。
返済の見込みがあるのか怪しい証文。
それらを積み上げて、商人たちから麦と豆を引っ張った。
褒められた方法ではない。
だが、今日明日にも避難民が飢えて暴発する、という状況は避けられた。
少なくとも、その時は。
問題は、商人という生き物が、こちらの都合で動いているわけではないことだった。
ミストラティ本国軍が動いた。
王太子本隊が野戦に出た。
ハンブディフ方面へも敵援軍が向かって来ている。
そういう報が広がると、商人たちの動きは露骨に鈍った。
昨日まで来るはずだった荷が来ない。
買えるはずだった豆が、突然、先約ありになる。
麦袋を積んだ荷車が、途中の村で止まったまま動かない。
次に来るはずの商人が、別の道へ逃げたという噂まで聞こえた。
商人は戦争が好きだ。
戦争は儲かるからだ。
だが、戦場は嫌いだ。
死ぬからだ。
避難民への粥は、さらに薄くなった。
椀の底に穀粒が沈んでいるだけ、ありがたいと思え。
そう言っているような薄さだった。
もちろん、言えば殴られるだろう。
俺でも言わない。
避難民は一枚岩ではない。
ルナを聖女と呼び、手を合わせる者は多い。
王国軍の略奪から逃げ、別の王国軍に保護されているという状況の歪みを、見ないふりして感謝する者もいる。
子どもに粥が渡るだけで泣く者もいる。
だが、一度受けた施しは、すぐに当然になる。
昨日までかろうじて粥と呼べた物が、今日は黒麦と豆の泳ぐスープになった。
兵にはまだ固いパンが出ている。
俺たちの土地で、なぜ俺たちだけ飢えるのか。
聖女様が助けてくれるのではなかったのか。
そもそも、その聖女様は、俺たちの村を荒らした連中の仲間ではないのか。
そういう声が出るのは当然だった。
俺はそれを責める気にはなれない。
人間は腹が減る。
「不満を言う人も出てきてるわ」
エリサが言った。
「見りゃ分かる」
避難民が集まるようになってから、エリサは幕舎の外ではフードを被っている。
避難民の多くは人間だ。
しかし、アマゾネス国家の勢力圏であり、ハーフエルフを見たくらいで大騒ぎをする連中は少ないはずだ。
なにか思う所でもあるのかもしれない。
俺も深く聞こうとも思わない。
そして、避難民の仮設集落へ、よく行っている。
なにかをするわけじゃない。
ただ、話を聞いたり、様子を見てくる。
そして、見たり聞いたものを、俺に教えてくれる。
今のように。
別に、俺が指示を出したわけではない。
――食料供給を減らされた避難民が、どう思うか考えてる?
そう言ったあの日から、彼女は集落へ通い出した。
「でも、王女を心底憎んでいるわけじゃない」
「まあ、殺したり奪ったりする連中よりマシだからな」
「そういう話じゃなくて」
エリサは避難民の列を見ていた。
「期待したのよ。助けてくれるって。だから、減らされて怒ってる。最初から何もくれない相手には、ああいう怒り方はしないわ」
俺は黙った。
分からなくはない。
だが、俺が見ていたのは、胃袋の数と麦袋の残りと、兵の不満だった。
エリサの視線は、避難民の列の端にいる年嵩の男で止まっていた。
不満を口にする者たちが、その男に目を向け、声を少し落とす。
少し離れたところでは、若い女が子どもに椀を渡していた。
男はそれを見て近寄ると、何か言いかけ、結局黙った。
エリサは、その二人をしばらく見ていた。
エリサは人の機微を見る。
きっと、今もなにかが見えている。
俺は、そういうものを見るのが得意ではない。
「面倒だな」
「うん」
エリサは小さく頷いた。
「でも、まだ爆発してない」
「爆発したら困る」
「知ってる」
エリサは、俺ではなく、ルナを見た。
「王女も、たぶん知ってる」
「知っててどうにかできるなら苦労しない」
「そうね」
エリサの声は静かだった。
その静けさが、少しだけ気になった。
エリサはまだ、ルナを見ている。
◇◇
使者が戻ったのは、その後だった。
ノアが報告を受ける。
俺も横で聞いていた。
内容は、悪くない。
評議会代表は、即時開城の条件に強い関心を示している。
守備兵の退去、評議会の存続、有力者の権益保護。
その辺りについて、細部の確認があった。
迷っている。
たぶん、そう見ていい。
だが、同時に、拒まれたものもあった。
「城外の避難民については、どうだった」
ノアが問うた。
使者はわずかに表情を曇らせた。
「受け入れは拒否されました」
まあ、そうだろう。
避難民を入れれば、食料消費が増える。
治安も悪くなる。
衛生も悪化する。
敵の工作員が紛れ込むかもしれない。
攻城を受ける都市としては、当然の判断だ。
使者は続けた。
「食料の供出も、拒否されました」
「理由は」
「彼らは市民権を持たず、現状は王国軍の管理下にある。よって食料は渡せぬ、と。王国軍の兵糧に転用されぬ保証がない、とも」
それも当然だった。
ハンブディフ側は、普通の判断をしている。
普通の都市指導者として、普通に城を守ろうとしている。
だが、その報告を聞いたルナの顔が変わった。
「受け入れないのですか」
ノアがルナを見た。
「殿下」
「そもそも食料が不足しているのですか?」
使者は少し、間を置いてから答える。
「市庁舎への道中で見た限り、市民が困窮しているという印象はありませんでした」
まあ、そうだろう。
大動員は目立つ。その間、敵側も準備はする。
どんな準備をしていたかまで知らないが、前線の都市に多少の食料を集積するくらいはする。
「それなのに、受け入れるどころか、食料を分け与えることも出来ないのですか」
「殿下。ハンブディフ側の判断は、軍事的には当然です」
「当然」
ルナは、その言葉を繰り返した。
声が小さかった。
「彼らは、平時にはあの人々から税を取っていたのでしょう。畑を耕させ、道を直させ、荷を運ばせ、この地の一部として扱ってきたのでしょう」
ノアは何も言わなかった。
「それなのに、市民権を持たないからといって、門の外に置くのですか」
「殿下」
ノアの声に、警戒が混じる。
「今は交渉中です。こちらの言葉は慎重に」
ルナは聞いていなかった。
いや、聞こえてはいただろう。
だが、止まらなかった。
彼女は立ち上がった。
最初、俺はその意味が分からなかった。
「殿下?」
ノアが呼びかけるが、返事はない。
ルナは歩き出す。
ノアも、思い出したように、遅れて追いかける。
「殿下、どちらへ」
ルナは答えない。
嫌な予感がした。
「おい、なにを」
答えない。
怒っている?
ルナは、避難民の仮設集落へ向かう。
黙って、一人で、歩いていく。
なにをするつもりなのかは、分からない。
俺には見当もつかない。
しかし、なにかあっては困る。
護衛としては、付いて行くしかない。
ノアが必死で止めている。完全に無視。
初めて見る光景だった。
ルナは、決して感情的な人間ではない。
極めて情緒的な人間であるだけだ。
怒りに我を忘れるような姿は、見たことがない。
わめき散らすような姿も、見たことがない。
涙は、二度だけ見たことがある。
集落へ近づくと、避難民たちが、何事かとこちらを注視する。
すでに見慣れた聖女様の、いつもと違う雰囲気に、小さなどよめきが起こる。
ルナは大きく息を吸い込むと、普段は決して出さないような、大きな声で呼びかけた。
「皆さん、私と一緒に、ハンブディフの城壁へ来てください!」
◇◇
城壁の前。
ハンブディフの城壁は低い。
市内の建物の屋根が、城壁の上から覗いている。
その気になれば、敵の弓が簡単に届く距離。
そこにルナは立っていた。
避難民たちは、少し離れた後方に集まっている。
それでも、城壁の上からは充分に圧を感じる距離だった。
俺は、いつでもルナの前に壁を構築できる距離に控えている。
同じく側に立つノアの顔は、青ざめていない。
ただの無表情。なにかの臨界を突破してしまったのかもしれない。
「ハンブディフの方々、聞いてください」
ルナは、城壁へ向かって言った。
ルナの声は、よく通った。
不思議なものだと思う。
戦場の声は、怒鳴っても届かないことがある。
蹄の音、鎧の音、人のざわめき、風。
それらに削られて、言葉はすぐに薄くなる。
だが、ルナの声は違った。
大きいだけではない。
よく響く。
聞いてしまう。
城壁の上の兵も。
こちらの兵も。
避難民も。
皆が、ルナを見ていた。
「ここにいる人々は、あなた方の敵ではありません。あなた方の城を攻めるために来た者たちではありません。村を追われ、家を失い、飢えている人々です」
そう言ってから、避難民の列を見やる。
「なぜ、この人々を門の外に置くのですか」
それは、問いだった。
降伏勧告ではなかった。
交渉でもなかった。
問いだった。
感情のこもった、まっすぐすぎる問い。
「見えているはずです。この人たちが、ここにいることを。飢えていることを」
ハンブディフのお偉いさんなら『お前らが攻めて来るからだろう』の一言で終わる問い。
「彼らはこの地を耕し、税を納め、道を直し、荷を運び、あなた方の都市を支えてきた人々ではありませんか。城壁の内に住まぬからといって、飢えたまま外に置かれてよい人々なのですか」
避難民の中から、いくつか『そうだ』と同調する声が漏れる。
「門を開けられない事情があるのなら、せめて食料を分けてください」
ノアが、隣で小さく溜め息をついた。
そして、つぶやくように小さな声で言った。
「……馬鹿か」
俺は耳を疑った。
でも、確かにそう言った。
ルナに聞こえなかっただろうか。
特に反応がないので聞こえなかったのか。
それとも、聞こえないふりか。
どちらでもいいか。
俺も内心では同じだった。
馬鹿か。
本当に馬鹿か。
交渉の時点で、避難民の受け入れを打診するのは、まあいい。
しかし、食料の供出要求はまずい。
敵にこちらの弱点を自分から教えた。
避難民を切れないと教えた。
しかも、供出された食料を兵糧に充てないと言って、相手が信じる理由がない。
それでも、ルナはそれを交渉に盛り込んだ。
彼女の中に、避難民を切る選択肢はない。
そして弱点を、交渉の机の上に置いてしまうだけなら、まだしも。
城壁の上の兵にも、城壁の外の避難民にも、聞こえる形で晒してしまうとは。
「私たちは、あなた方の食料を奪うつもりはありません。差し出された食料を、兵糧に用いることもありません。王女ルナの名において、聖音の前に誓います」
言った。
また、言ってしまった。
「どうか、この人々を見捨てないでください」
ルナは頭を下げた。
王女が。
聖女が。
敵の城壁へ向かって。
「あなた方が治めてきた民を、あなた方の手で見捨てないでください」
沈黙が落ちた。
ハンブディフの城壁から返答はなかった。
旗は動かない。
門も開かない。
守備兵が互いに顔を見合わせているが、食料の袋が出てくるはずもない。
当然だ。
出すわけがない。
だが。
避難民の中から、声が上がった。
「聖女様が……」
小さな声だった。
別の声が続く。
「言ってくれた」
「俺たちのために」
ここまで付いて来た者は、元々がルナに好印象を持つ者がほとんどだろう。
聖女様が完全に自分たちの側に立ってくれている。
そう見える。
いや、嘘でも演技でもない。
だから、そう見える。
「税は取っただろう」
空気が変わった。
「門を開けろ」
誰かが言った。
まだ怒号ではなかった。
独り言に近かった。
だが、次の声が続いた。
「開けられないなら、食料を出せ」
「俺たちは外で飢えているんだ」
「税は取っただろう!」
「取るだけ取って見捨てるのか!」
声は増えていく。
大きくなる。
熱を持つ。
形を持つ。
「城の中には倉があるんだろう!」
「俺たちはこの地の民だ!」
俺は、眉をひそめた。
椀が薄い。
粥が足りない。
兵には飯がある。
聖女様は助けてくれるのではなかったのか。
さっきまで、一部の不満はルナへ向いていた。
ここまで付いて来た者の中にも、ルナを胡散臭い目で見ている者が僅かにいた。
そんな者たちの不満が、少しずつ動いている。
その怒りの置き場が、変わっていく。
ハンブディフへ。
城壁へ。
門の内側へ。
「聖女様は俺たちに飯をくれたぞ!」
「門の内側だけが人間か!」
ルナは敵に弱みを見せた。
軍事的には悪手だ。
交渉としても、褒められたものではない。
まともな指導者なら、食料など出さない。
だが同時に、ルナは飢えた人々の前に立った。
自分たちのために頭を下げる王女として。
自分たちの空腹を、城壁の内側へ届ける声として。
俺にはできない。
俺が同じことを言っても、誰も信じない。
敵はもちろん、避難民だって信じない。
兵糧が欲しいだけだろう、と言われて終わりだ。
だが、ルナは違う。
本気で言っている。
本気で約束している。
本気で飢えた人間のために頭を下げている。
だから効く。
腹立たしいほど、効いていた。
俺は、避難民の列を見た。
怒りはまだ荒い。
ばらばらだ。
放っておけば暴発するか、しぼむ。
だが、風向きは変わった。
これは、使える声になる。
圧になる。
城壁の外に置かれた、飢えた人間たちの声。
ハンブディフは、門を開けられない。
食料も出せない。
だが、拒めば、その声を背負うことになる。
戦後も。
明日も。
門の内側にいる者たちの記憶にも。
俺は、ようやく気づいた。
城壁の外に、飢えた人間を置く。
城壁の内に、食料を抱えた者たちを閉じ込める。
受け入れれば腹が減る。工作員が混じる。
拒めば恨みが残る。怨嗟の声に囲まれる。
そんな状況を思い描いていた。
それを作る簡単な案を、思いついていた。
そして、そのすべてを、なかったことにしていた。
やれないからではない。
やるデメリットが大きいからでもない。
提案する価値がないからだ。
ルナが採るわけがないからだ。
言えば、却下される。
そして俺を見る目だけが変わる。
損しかない。
なのにルナは、善意だけで、それに似た形を作ってしまった。
「……使える」
小さく呟いた声は、避難民のざわめきに紛れた。