勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。   作:筆負野ユウ

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第69話 はじめてのおつかい

――使える。

 

そう口にした時点で、俺の中では、いくつかの線が繋がっていた。

 

避難民の声は、まだばらばらだ。

怒りも、飢えも、怯えも、ルナへの感謝も、全部が混じっている。

 

このまま放っておけば、すぐにしぼむかもしれない。

あるいは、悪い形で爆ぜるかもしれない。

 

だが、向きは変わった。

 

ハンブディフへ。

城壁へ。

門の内側へ。

 

なら、あとは形を与えればいい。

 

「エリサ」

 

俺が呼ぶと、彼女はすぐにこちらを見た。

 

「なに? 悪い顔して」

 

俺がなにか企んでいることは、すぐに察したらしい。

ほんと、頼りになる。

 

「前に話してた避難民の顔役……さっき見てた男がそうだったか?」

 

「年嵩の人?」

 

「不満を言う連中が、顔色をうかがってたやつだ」

 

「ペトル」

 

エリサは短く答えた。

 

「近くの村の村長。村ごと逃げてきたみたい。ここに来てからも、何度か配給の揉め事を収めてる」

 

「娘は」

 

「イリナ。たしか、十五か十六。子どもと老人の世話をしてる」

 

そんな感じだったな。

子供に自分の碗を渡している様子は、俺も見ている。

 

「ペトルを動かせるか」

 

「何をやらせるかによるでしょう」

 

「ごもっとも」

 

あの男は、避難民の怒りを煽っている側ではない。

抑えている側だ。

だからこそ、使える。

 

だが、だからこそ、簡単には動かない。

 

「簡単に言えば、城門の前で泣き叫んで恨み言を言わせたい。なるべく大勢で」

 

「……なるほど。当然、嫌がるでしょうね」

 

「食料を積めば?」

 

「村長としては揺れると思う。でも、それだけなら、むしろ不満を抑える方を選ぶかも」

 

「なら何を積む」

 

エリサは答えなかった。

 

その沈黙で、俺はだいたい分かった。

 

「娘か」

 

「……ペトルは、村長としては我慢できる」

 

エリサの声は小さかった。

 

「でも、イリナが倒れるのは耐えられないと思う。あの子、自分の分を子どもに回してる。ペトルは、それを何度も見てるし」

 

俺はエリサを見た。

 

「お前、結構ひどいこと考えるな」

 

「セトの役に立つと思った」

 

軽い声ではなかった。

 

冗談で返すことはできた。

しなかった。

 

「ありがとう」

 

俺は言った。

 

「まだ、誰にも言うな」

 

エリサは頷いた。

 

◇◇

 

ペトルは、日に焼けた、いかにも農夫という男だった。

髪には白いものが混じっているが、背筋は伸びている。

手は大きく、爪の間には土の色が残っている。

 

畑で育って、畑で収穫されたような男。

そういう土臭い印象だった。

 

俺が近づくと、ペトルはすぐにこちらを見た。

 

「話がある」

 

「わしにですか」

 

「あんたにだ」

 

ペトルの視線が、俺の後ろへ動く。

ルナを探したのだろう。

 

だが、ルナはいない。

彼女は少し離れた場所で、ノアと城壁を見ている。

 

「聖女様からの御言葉ですか」

 

「違う。俺の独断」

 

ペトルの目が警戒に細くなる。

 

「聖女様の側近ともあろうお方が、いったいどんな御用向きで」

 

「ちょっと暴動の真似事をやってもらいたくて」

 

ペトルの顔が、はっきりと強張った。

 

「馬鹿な」

 

「娘が大事じゃないのか」

 

言うと、ペトルの顔がさらに強張る。

 

さっきより早い。

分かりやすい。

 

「何を」

 

「イリナ」

 

名前を出すと、ペトルの手が少しだけ動いた。

 

「いい娘だな。子どもに粥を譲ってる。老人にも椀を渡してる。自分の分を削ってる」

 

「黙れ」

 

「俺が黙れば、イリナが腹を満たすのか? なら黙るが」

 

ペトルが俺を睨む。

その視線に、殺意に近いものが混じる。

 

「このままだと、先に倒れるのはああいう奴だ」

 

「なにが言いたい」

 

「そろそろ限界なんじゃないのか」

 

村を捨ててから、そう長いこと経つわけじゃない。

それでも、避難民は痩せてきている。

見たところ、イリナは特に。

 

「俺なら、あんたの村の連中にだけ食料を多く回せる。なにかあれば治療班も回せる。撤退になれば、荷車に乗せる順番も多少は動かせる。もちろん……」

 

「脅しか」

 

「そうだ」

 

誤魔化す気はなかった。

 

「援助の申し出でもある。取引でもある。買収でもある。好きな名前で呼べ」

 

「外道が」

 

「その通り」

 

ペトルは一歩近づいた。

 

年嵩の男だが、まだ力はあるだろう。

殴られれば多少は痛いかもしれない。

まあ、それだけだ。

 

それならそれで、交渉材料になる。

今度は娘のイリナと話し合いだ。

 

しかし、ペトルは殴り掛かってこない。

 

耐える。

ここでも、耐える。

 

そしてなにも言わない。

うつむいて黙っている。

 

考えているのだろうか。

村のこと。娘のこと。

 

ならばここで、あえて上げたハードルを少し下げてやる。

 

「ああ、暴動ってのは少し言葉が悪かった。別に血は流れない。誰も死なない。みんな幸せになる提案だ」

 

「……何をさせたい」

 

「大勢で門へ向かって騒げ。食料を出せと叫べ。税を取ってきた民を見捨てるのかと叫べ。門を叩け。泣け。怒れ。城壁の上に聞かせろ」

 

「それは暴動じゃないのか」

 

「だからそうも言ったでしょ」

 

「血が流れる」

 

「流さないようにしろ」

 

ペトルは俺を睨んだまま、息を荒くした。

 

「兵に石は投げるな。門を破壊しようとするな。だが、門前を人で埋めろ。城壁の内側に、あんたらの声を叩きつけろ」

 

「都合のいいことを」

 

「都合よくやるために、あんたを使う」

 

ペトルは笑った。

乾いた笑いだった。

 

「わしらは道具か」

 

「そうだ」

 

イリナが、少し離れた場所からこちらを見ていた。

 

ペトルもそれに気づいたのだろう。

一瞬、表情が揺れた。

 

エリサの言った通りなのだろう。

 

村長としてなら、ペトルは耐える。

村の者を危険に晒さないために、怒りを飲み込む。

だが、父親としては違う。

 

俺はそこを押した。

 

「娘が大事なら、働け。黙っていても、あの子は飢える。騒いでも危ない。なら、どちらが少しでもマシか選べ」

 

「お前は、聖女様のそばにいて、それを言うのか」

 

「ルナのそばにいるから言ってる」

 

ペトルが黙った。

 

「ルナは、あんたらを本気で助けたいと思ってる。だから頭を下げた。だからハンブディフに食料を求めた。あれは本気だ」

 

「なら、なぜ貴様がそれを汚す」

 

「汚さないと届かないからだ」

 

ペトルの目が、また険しくなる。

 

「綺麗な声だけで門が開くなら、それでいい。だが、開かない。あの都市は正しく閉じている。正しくあんたらを見捨てる。なら、正しさだけで済まないものを見せるしかない」

 

「なんとも……」

 

「やるか、やらないか」

 

ペトルは黙っていた。

 

俺は、最後にもう一押しした。

 

「イリナを守りたいなら、声を上げろ」

 

ペトルの口元が歪んだ。

 

「石は投げさせん」

 

「それでいい」

 

「門は壊さん」

 

「いいよ」

 

「女と子どもは前に出さん」

 

「……ん、それもいい」

 

「だが、門前までは行って抗議する」

 

「充分だ」

 

「聖女様の名を、これ以上汚すな」

 

少しだけ笑いそうになった。

 

いや、笑った。

 

「もう汚れてる。あんたが気づいていないだけだ」

 

ペトルは、何も言わなかった。

 

◇◇◇

 

暴動は、思ったより静かに始まった。

 

いや、静かではない。

声は大きい。

怒号もある。

泣き声もある。

 

だが、人間の群れが壊れる時の音ではなかった。

 

最初に動いたのは、ペトルの村の男たちだった。

 

「門を開けろ!」

 

「食料を出せ!」

 

「税は取っただろう!」

 

彼らが前へ出る。

その後ろに、他の村の者たちが続く。

 

ハンブディフの城壁の前へ。矢が簡単に届く距離へ。

だが、門を壊すような道具は持っていない。

 

ペトルが声を張った。

 

「石を拾うな!」

 

その声に、男たちの動きが止まる。

 

「女と子どもを前へ出すな! 門へ走るな! 声を届けろ!」

 

ペトルは必死に、暴走を押しとどめている。

自分で扇動しておいて、よくやる。

 

なるべく、血は流さないで欲しい。

しかし、絶対はない。

 

「食料を出せ!」

 

「俺たちは外で飢えているんだ!」

 

「取るだけ取って、見捨てるのか!」

 

門を叩けと言ったはずだが、門には触れない。

すぐ近くまで寄るだけだ。

 

別の村の者たちも乗った。

 

彼らはペトルに従っているわけではない。

だが、ペトルが示した形に、自分の怒りを乗せた。

 

イリナは、後方にいた。

 

子どもたちを下げ、老人を座らせ、泣き出した女の肩を抱いている。

声を上げてはいない。

彼女がそこにいることで、前に出ようとした何人かが踏みとどまる。

 

エリサは正しかった。

この父娘は、使える。

 

城壁の上がざわついている。

 

兵が下を見ている。

弓を構える者もいる。

だが、構えるだけ。

 

射れば、制御が効かなくなる。

いや、この場の問題だけじゃない。

 

聖女の呼びかけに応じて集まった、飢えた民へ矢を射った都市になる。

平時には税を取り、有事には門外へ置き、そのうえ声を上げた民を射た都市になる。

 

それは、今この場の状況以上に後を引く。

ハンブディフ側も、それは分かっている。

 

門は開かない。食料も出ない。

 

だが、彼らは声を止められない。

 

「悪い顔してる」

 

エリサが横に来て言った。

 

「そうか?」

 

「うん」

 

「お前が考えたんだろ」

 

「一部はね」

 

エリサは否定しなかった。

 

その顔に、勝ち誇った色はない。

むしろ、少し苦しそうだった。

 

「嫌になったか」

 

「少しね」

 

「なら、やめるか」

 

「やめないわ」

 

即答だった。

 

「セトの役に立つから」

 

また、この言葉。

露骨に言葉にするようになったのが何故かは分からない。

 

俺は、なにかを言おうとしてやめた。

 

ここで優しい言葉をかけるのは簡単だ。

だが、優しい言葉は時々、ひどく残酷になる。

 

「役に立ってるよ」

 

だから、そう言った。

 

エリサは、小さく頷いた。

 

◇◇

 

「俺が使者に行く」

 

そう言うと、ノアは眉をひそめた。

 

ルナもこちらを見た。

 

「セトが?」

 

「ああ。城内を見てくる。倉の位置、兵の顔色、評議会の空気。何か気づけるかもしれない」

 

口実だった。

 

嘘ではない。

見れるなら見る。

 

だが、本命はそこではない。

 

「危険です」

 

ルナが言った。

 

「使者を殺すような非常識をやる状況かよ」

 

「ですが」

 

「それに、俺の方が向いてる」

 

その言葉に、ノアが静かに反応した。

 

「何にだ」

 

「嫌な交渉に」

 

ノアは、しばらく俺を見ていた。

 

俺が何をするつもりか、すべて分かったわけではないだろう。

だが、何かをするつもりだとは分かったはずだ。

 

「条件に、一文を加えます」

 

ノアは言った。

 

「避難民については、王国軍が責任を持って抑える、と」

 

「いいね」

 

俺は、被せ気味に賛同した。

賛同してしまった。

 

不自然だったかもしれない。

 

軽く咳払いをして、誤魔化すように続ける。

 

「明日中に降伏すれば、避難民の暴走は王国軍が責任を持って抑える、だ」

 

「暴走ではありません」

 

ルナが言った。

 

その声には、痛みがあった。

 

「彼らは、助けを求めているだけです」

 

「そうだな」

 

俺は言った。

 

「だから、抑える必要がある。助けを求める声が、大きな暴動にならないように」

 

ルナは黙った。

 

その沈黙をどう読むべきか、今は考えなかった。

 

◇◇◇

 

ハンブディフの門は、当然ながら大きくは開かなかった。

 

小さな通用門が開く。

俺と、本来の使者役で今回は付き添いの文官。

それに護衛役の兵が中へ通される。

左右には槍を持った兵。

顔色は悪くない。

だが、落ち着いてもいない。

 

城内は整っていた。

 

少なくとも、飢えている町の匂いはしない。

通りには荷車があり、井戸には人が並び、店の戸も完全には閉じていない。

 

だが、声は聞こえていた。

 

門の外から。

 

食料を出せ。

門を開けろ。

税は取っただろう。

見捨てるのか。

 

低い石壁と城門は、声を遮らない。

 

市庁舎へ向かう途中、窓の隙間から城門の方を見ている女がいた。

こちらと目が合うと、慌てて戸を閉める。

 

ハンブディフ側の、先導の兵が舌打ちした。

 

外の声は、城内にも届いている。

そして、届いてほしくない者たちがいる。

 

効いている。

 

評議会代表は、顔の長い男だった。

アマゾネスに乗られるほどの馬面というわけだ。

街の名士か、行政官上がりか。

手は綺麗だが、目は油断していない。

 

その横に、ミストラティ側の指揮官がいた。

 

アマゾネス。

 

実際に目にするのは初めてだ。

女しかいない魔族だったな。

いや、実は男もいるんだったか。

 

やけに露出の多い皮と金属の鎧。

長い髪を後ろで縛っている。

 

ん?

 

ん??

 

――この鎧、ララのとそっくりだ。

 

他では見たことないぞ?

ララと同じ性癖の持ち主?

アマゾネスはみんなこの格好なのか?

 

いや、いまは素敵な鎧のことなど、どうでもいい。

ララとは違い、隆起が控え目な胸元から目を逸らし、思考も戻す。

 

ミストラティ側の態度は分かりやすい。

硬い。胸の質感の話ではなく、態度が硬い。

 

「条件は聞いているはずですね」

 

俺は定型通りの挨拶を済ますと、柔らかい態度で言った。

 

「明日中に開城していただくのが、こちらの望みです」

 

評議会代表はにこやかに言う。

 

「ええ、承知しておりますとも。それで、この度の御用向きは?」

 

「明日中に開城していただく際、こちらから提示できる条件の追加を」

 

「ほう」

 

代表の目が、僅かに光る。

ニンジンの追加を喜ぶ馬そのものだ。

 

「外の声の件、知ってますよね」

 

「……はは。いやはや、なんとも困ったものですな」

 

「彼らの暴走は、我々が責任を持って抑えます。明日中に開城していただければ」

 

馬面が、少し困惑気味に俺の目をじっと見る。

ニンジンが期待外れで、こちらの意図を察しかねているようだ。

 

「うちの王女、優しいんですよ」

 

「ええ、我々の民をも大変に思いやっていただいているようで」

 

少しの嫌味。

たぶん、外交儀礼の範囲内。

 

「明日降れば、条件はいい。明後日でも、別に殺されるわけじゃない」

 

「ええ、ご配慮痛み入ります。寛大なお申し出には……」

 

「明日中に降伏しろ」

 

馬面の眉が動いた。

 

「使者としては、いささか礼を欠く物言いですな」

 

「礼が欲しければ、門を開ければいい」

 

「評議会の調整もある。それなりの時間は掛かる」

 

「だから言ってる。明日中だ」

 

ミストラティ側指揮官が口を開く。

 

「脅しに来たのか」

 

「脅し? とんでもない。私は事実を伝え、忠告し、あなた方の命を救う提案をしに来たんですよ」

 

俺は大袈裟に、両掌を天井に向けて『Why?』のポーズをとった。

 

「勘違いするなよ。繰り返すが、うちの王女は優しい。明日中に降れば、市民は守る。評議会も残る。あんたらの命も助かる」

 

馬面が、こちらをじっと見た。

 

「それ以降でも、命は取らないというお話だったはずですが」

 

「その通り。うちの王女は殺さない」

 

「なにが言いたいのですかな」

 

「舐めてるんだろ」

 

俺は続けた。

 

「あんたら、ぎりぎりまで粘っても大丈夫だと思ってる。力攻めに遭ってから降っても、うちの王女が甘いから命は助かる。市民への狼藉もない。私は降伏派でしたと言えば、たぶんその連中の話も聞いてくれる」

 

ミストラティ側指揮官の目が険しくなる。

 

「だから、なにが言いたい」

 

「大正解だ」

 

俺は笑った。

 

「その通り。うちの王女は優しい。拘束はされたって、寛大に扱われるだろうさ」

 

馬面も、指揮官も、俺の言葉を待っている。

意味を計りかねている。

 

「でも、あの騒いでる連中はどうかな」

 

俺が動かした避難民の声。

嘆き。

怒り。

怨嗟。

 

「外に出て聞いてきたらどうだ」

 

「避難民の暴走については、王国軍が責任を持って抑える。そう仰った。お持ちになった書にもそうある」

 

評議会代表は条件書に目を落とした。

 

「そうだよ。明日、降ればな」

 

俺は言った。

 

「つまり、それ以降は知らない」

 

誰も答えない。

 

「彼らが誰になにをしようと、俺たちは関知しない」

 

部屋の空気が明らかに重くなった。

 

「俺たちがこの街に入る時、この街が抱えきれない数の獣がなだれ込む。奴らは飢えてるからな。まずは食い物だろうけど」

 

「飢えさせているのは貴様らだろう」

 

ミストラティ側指揮官が言った。

 

「そう思うなら、外へ出て説明すればいい。門を開けてな」

 

指揮官の口元が歪む。

開けられるわけがない。

 

「暴徒と化した連中が、この街を食いつくすだろうな。飢えが治まったって、止まらない。どこまでやるかな。少なくとも、あんたら指導層は恨まれてるから……考えるまでもないな」

 

沈黙。

馬面が、先ほどまでより長く見えるのは気のせいか。

 

「明日中に降れ」

 

俺は誰の顔も見ずに言った。

 

「明日なら、王国軍が責任を持って抑える。避難民は暴走しない。市民への狼藉もない。評議会も残る。あんたらは、市民を守るために素早く決断した為政者になれる」

 

「明後日なら?」

 

「命は助かるかもな。避難民から逃げ隠れ、王国に保護を求めれば」

 

俺は肩をすくめた。

 

「うちの王女は優しいから」

 

「それ以外は」

 

「知らない」

 

馬面の喉が動いた。

 

「仮に命が助かったとして、外の連中は、あんたらを許すと思うか? 王国軍が入った後、誰がハンブディフを治める? 今の評議会か? それとも、外で叫んでいる連中に顔向けできる誰かか?」

 

「それは内政への干渉だ」

 

「戦争だぞ」

 

俺は言った。

 

「内も外もあるか」

 

しばらく沈黙が落ちた。

 

馬面は、ゆっくりと息を吐いた。

 

「明日」

 

彼は言った。

 

「明日中に、正式な返答をいたします」

 

「降伏の返答か」

 

「正式な返答です」

 

「まあいい」

 

俺は立ち上がった。

 

「待ってる」

 

◇◇

 

戻ると、ノアがすぐに近づいてきた。

 

「どうだった」

 

「好感触」

 

短く答える。

 

「明日中に返答するそうだ」

 

ノアの表情がわずかに緩んだ。

 

「それは」

 

「降るとは言ってない。でも、かなり傾いてる」

 

ルナもこちらへ来た。

 

「セト。無事でよかった」

 

「使者を殺す度胸はなかったらしい」

 

「それで、なにか気づいたのですか」

 

「え?」

 

口に出た。

 

一瞬考えてから、しまった、と思った。

 

そんなことも言った。

一仕事終えて、気が緩んでいたかもしれない。

 

ルナの目が、わずかに細くなる。

 

「城内を観察すれば、何か気づけるかもしれない。そう言っていました」

 

「ああ」

 

俺は少し考えた。

 

「まあ、食料はある。兵は疲れてる。市民にも外の声は届いてる。そのくらいだな」

 

「本当に、それが目的だったのですか」

 

今度は俺が黙った。

 

ルナは馬鹿ではない。

 

善良で、情緒的で、戦争に向いていない。

 

だが、馬鹿ではない。

 

「急に交渉が進みました」

 

ルナは言った。

 

「あなたが使者に行った後で」

 

「俺の交渉が上手かったんだろ」

 

「セト」

 

茶化せる声ではなかった。

 

「条件に、避難民の暴走は王国軍が責任を持って抑える、と加えました」

 

「そうだな」

 

「なぜ、その一文で交渉が進んだのですか」

 

俺は答えなかった。

 

「避難民は、本当に自然にあそこまで動いたのですか」

 

ルナの声は震えていない。

ただ、硬かった。

 

ばれたなら仕方ない。

もう、ばれても構わないところまで来た。

 

「俺がやった」

 

ルナの顔が少し白くなる。

 

「彼らを扇動したのですか」

 

「なんと言うか……方向を与えたな」

 

「同じことです」

 

「違う。本格的な暴動にはしていない。石も投げさせてない。門にも突っ込ませてない。女と子どもも前には出してない」

 

「誰に、何を言ったのですか」

 

「避難民の顔役に話した」

 

「なにを」

 

「食料と治療と荷車」

 

ルナは、俺を見つめた。

 

「それだけですか」

 

答えなかった。

答えないことが、答えになると分かっていた。

 

「……あなたは」

 

ルナは目を閉じた。

 

「私の言葉を利用したのですね」

 

「そうだ」

 

「彼らの飢えを」

 

「そうだ」

 

「ハンブディフを降すために」

 

「そうだ」

 

ルナは黙った。

 

怒っている。

傷ついている。

それは分かった。

 

「今回は上手くいった」

 

俺は言った。

言い訳ではない。

 

「血は流れてない。避難民は完全な暴徒にはなってない。ハンブディフはかなり揺れてる。明日には降るかもしれない」

 

「それを、私に喜べと言うのですか」

 

「違う」

 

俺は首を振った。

 

「結果を見ろと言ってる」

 

「同じことです」

 

ルナの声が強くなった。

 

「それが、あなたのやり方なのですね。私が許した範囲を、少しだけ広げる。私の言葉を、私の望みを、私が思った形とは違うところへ持っていく」

 

俺は黙った。

 

前にもやった。

裁量権の拡大解釈。

捻じ曲げ。

 

そのことも言っているのだろう。

 

「ですが」

 

ルナは続けた。

 

「完全に、私の願いから離れているわけでもない」

 

その言葉は、彼女自身を傷つけているようだった。

 

「それが間違いだと、言い切れない」

 

絞り出すように、続ける。

 

「……私は、何を怒ればいいのですか」

 

答えはあった。

 

俺に怒ればいい。

戦争に怒ればいい。

自分の甘さに怒ればいい。

ハンブディフに怒ればいい。

 

どれも正しい。

どれも足りない。

 

だから、俺は答えなかった。

 

ルナは城壁を見た。

 

避難民の声は、まだ続いている。

 

門を開けろ。

食料を出せ。

見捨てるのか。

 

「次からは」

 

ルナは言った。

 

「私に言ってください」

 

「採用しないだろ?」

 

「分かりません」

 

――分かりません、とはね。

 

意外な言葉だった。

 

ルナは、少しだけ呆れたような顔をした。

 

怒りは消えていない。

失望もある。

傷も残っている。

 

それでも、決定的な断絶にはならなかった。

 

たぶん、今回は上手くいった。

 

本当に、今回は。

 

◇◇

 

その夜、避難民の声は遅くまで続いた。

 

ペトルは声を枯らしながら、前に出すぎる者を抑えた。

イリナは子どもたちを後ろに集め、泣く女たちを慰めた。

 

ハンブディフの門は、最後まで開かなかった。

食料も出なかった。

 

だが、城壁の上の明かりは、いつもより多かった。

 

人が動いている。

評議会が揺れている。

守備兵も、指揮官も、眠れていない。

 

そう思えた。

 

ノアは、ほとんど眠らずに次の条件書を整えていた。

ルナは祈っていた。

エリサは何も言わず、俺の近くに座っていた。

 

明日。

明日には、返答が来る。

 

降伏か。

それに近い何かか。

 

少なくとも、俺はそう思っていた。

 

翌朝。

 

城壁の上の空気が変わっていた。

 

昨日までの迷いが消えている。

 

兵の立ち方が違う。

旗の位置が違う。

門の内側から響く声にも、妙な張りがある。

 

使者、昨日は俺の付き添いだった男が戻った。

 

顔色が悪かった。

 

「返答は」

 

ノアが問う。

 

使者は、唇を湿らせた。

 

「ただ、検討中と」

 

まだ、なにかある。

誰も言葉を発さず、続きを待った。

 

「昨日までとは、明らかに城内の空気が違います。活気が蘇ったと言いますか。それにハンブディフは態度を硬化させているように思えます」

 

まだ、誰も言葉を発しなかった。

 

俺は城壁を見た。

昨日とは違う。

 

何かがあった。

俺たちが知らない何かが。

 

そう思った。

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今世は強火ファンになるけどすぐばれてしまう話。


総合評価:3302/評価:8.57/短編:1話/更新日時:2026年07月22日(水) 17:54 小説情報

【書籍化】 ま! よ! け! の! 塩! (120年分)(作者:哀森賢人/哀しみを背負ったゴリラ)(オリジナル現代/ホラー)

【書籍化決定!】2026年08月24日 GCノベルズ(GCN文庫)様より発売中!▼  自分の部屋の天井の四隅を同時に見てみよう。▼  大丈夫。何も起きないから。絶対なにも起きないから、大丈夫だから。ね?ね?▼夜の山をじっと見続けると、何か光るモノが見えるよ。▼それが動いていたら、スマホで動画を撮ってみよう。▼きっとバズるよ。ほら撮って。▼    寝る前に布団…


総合評価:27656/評価:9.09/連載:50話/更新日時:2026年09月05日(土) 23:27 小説情報

分身スキルの最強戦術って自爆特攻じゃね?(作者:sasarax)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

異世界に転生したにもかかわらず、奴隷として酷使される日々。▼剣も魔法も学べず、唯一の武器は自分の分身を生み出すスキルだけだった。▼なんとかその分身スキルを使って成り上がろうと試行錯誤する中、主人公は気付く。▼分身の自分であれば死んでも別に問題ないじゃないか、と。▼足らない力の代わりに命をかける。▼守るべき誰かを自分の命を投げ捨てて守る。▼大丈夫。だって、分身…


総合評価:19153/評価:8.96/連載:91話/更新日時:2026年09月17日(木) 16:31 小説情報

鑑定スキルで未来ある若者の人生を正しい方向に捻じ曲げ続けてきた男、捕まる(作者:ニガサー)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

転生者のタレスはチート染みた鑑定スキルで、未来ある才能に恵まれた若者に、才能の使い方を教えることにハマっていた。▼そんなタレスによって、人生を正しい方向に捻じ曲げられた若者、数知れず。▼しかしタレスはそんなこと一切気にせず、今日も才能ある若者を導いては彼らの脳をバチバチに焼き尽くしていた。▼そんなある日、タレスのもとにかつて導いた少女が英雄になって訪れる。▼…


総合評価:8344/評価:7.84/連載:4話/更新日時:2026年05月14日(木) 19:05 小説情報

クソボケ激メロ術師の現代伝奇バトルでハーレム構築スローライフ希求譚(作者:所羅門ヒトリモン)(オリジナル現代/冒険・バトル)

 クソボケ激メロ術師の現代伝奇バトルでハーレム構築スローライフ希求譚。▼ 世界観が重くて、ヒロインの過去も重めだけど、主人公の周りでだけは『日常』や『青春』が謳歌されるやつ。▼ ザックリ言えば、バトル系少年マンガの女性キャラクターって魅力的な娘多くない?▼ 彼女たちとラブコメしてたほうが幸せじゃないか? って気づいてしまった男の話。▼ なお、別に少年マンガの…


総合評価:19805/評価:8.83/連載:37話/更新日時:2026年08月12日(水) 12:01 小説情報


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