勇者として召喚された社畜、王女による魔力供給がないと死ぬブラック環境に配属。『解析』『構築』能力を悪用して王国も正義も神も容赦なく破壊する。   作:筆負野ユウ

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第74話 狩場

「私も行くよ」

 

馬腹を蹴ろうとしたところで、ララが馬を寄せてきた。

 

顔色は悪い。それでも、手綱を握る手は震えていなかった。

 

「来るな」

 

「足手まといにはならないって」

 

「知ってるよ。でも来るな」

 

ララの眉がわずかに動いた。

 

「なんで」

 

「ルナの横にいろ。あいつの護衛を、これ以上減らすな」

 

嘘ではない。ルナの側にララがいる意味はある。

ただ、それだけでもない。

 

エリサ一人を拾いに戻る。

そこにララまで連れて行って、二人まとめて失う可能性を増やす必要はなかった。

 

俺はそれ以上言わず、馬首を西へ向けた。

 

背後でララが何か言った気がした。

聞こえなかったことにする。

 

橋を失った王国軍は、もう街道を東へは戻れない。

戻るなら、浅瀬を使うしかない。

そして、浅瀬へ行く道は限られている。

 

敵もそれを知っているはず。

 

つまり俺は今、逃げる軍の流れに逆らって、敵が来るかもしれない道へ入りに行こうとしている。

 

考えれば考えるほど、良い判断ではない。

 

だから考えるのをやめた。

 

「どけ!」

 

なんだなんだと振り返り、俺を見ると皆、道を空ける。

 

比較的まともな部隊から先行して、行軍を再開している。

その間を縫って進んだ。

 

橋を落とした魔法使いだと気づいた者もいたかもしれない。

声を掛けたり、咎めてくる者はいなかった。

 

俺はノアが示した枝道を探した。

 

街道の右手。

藪が薄くなっている。

馬の蹄と荷車の轍が、草を潰して奥へ続いていた。

 

見つけた。

 

手綱を引き、枝道へ入る。

 

木の枝が顔の近くを掠めた。

道幅は狭い。馬を全力で走らせるには向いていない。

だが、ゆっくり行くには向いていない状況でもあった。

 

イノセント・ローズは持っている。

ルナから離れても三割程度の供給はある。

 

火球でも他の魔法でも、使おうと思えば使える。

いっそ、森を焼いてしまおうかとも考える。

 

だが、派手に撃てば撃つほど体内の魔力は減る。

エリサを拾う前に、手持ちの弾薬を軽くする馬鹿はいない。

 

必要な時だけ撃てばいい。

もっとも、必要な時が何度来るかは知らない。

 

どれくらい進んだだろうか。

 

木々の間から、川音が聞こえ始める。

浅瀬が近い。

 

少し進んだところで、前方の木陰が動いた。

 

ケンタウルスかと身構える。

 

しかし、人間の兵だった。

 

王国兵。

弓を構えている者もいる。

俺は馬を止めた。

 

「誰だ」

 

誰何の声が飛ぶ。

 

俺がケンタウルスやアマゾネスに見える視力なら、弓兵はやめたほうがいい。

 

俺の衣装でお偉いさんだと判断できないほどに、気が立っているのだろうか。

 

答えるより早く、奥から別の声がした。

 

「武器を下げなさい。味方です」

 

聞き覚えのある声だった。

 

木陰から馬が出てくる。

 

マリウス=グーリン伯爵。

 

整った顔に、いつもの腹立たしいほど落ち着いた表情を貼り付けている。

戦場の枝道で出くわすには、少し上品すぎる男だった。

 

「これは意外な方がいらした」

 

「道に迷ってな」

 

「王女殿下の側近が、撤退路と逆方向へ迷うとは。いい加減な指示を出した者を処罰せねばなりませんな」

 

「そいつは俺だ」

 

「なるほど。では処罰は後回しにいたしましょう。今死なれると、少々手続きが面倒です」

 

相変わらず、口の減らない男だ。

 

「お前は何をしてる」

 

「遊撃です。この先の浅瀬で奇襲を仕掛けます」

 

「……敵が来ているのか」

 

「おそらく。後軍の崩れが早すぎます。敵が迂回路を使えば、橋周辺の部隊が挟まれる。ここで一度叩いておけば、敵は迂回にも警戒するでしょう」

 

「橋は落とした」

 

マリウスの目が、わずかに細くなった。

 

「……後続の部隊は渡し終えたのですか?」

 

「いいや」

 

「……それはまた」

 

「何か言いたいことがあるのか」

 

「ええ。ルナ殿下らしからぬ、見事なご判断かと」

 

驚き。

呆れ。

皮肉。

 

「ならば橋周辺の挟撃は、少なくとも今すぐの問題ではありませんね」

 

「そうだな」

 

「ですが、敵がこちらへ来ない理由にはなりません。浅瀬を抜かれれば、撤退列の横腹を食われる」

 

「だろうな」

 

「それで、あなたはなぜこちらへ」

 

俺は前方を見た。

 

枝道はさらに奥へ続いている。

この先に浅瀬がある。

その向こう側に、前哨が置かれていたはずだ。

 

「俺の奴隷を拾いに行く」

 

「奴隷……ああ、銀髪の?」

 

「ちょっとした手違いで、前哨に残されたもんで」

 

「ルナ殿下が、それをお許しに?」

 

「いいや。俺の独断だ」

 

マリウスは、少しだけ黙った。ほんの少し。

 

「……たいへん高価な奴隷のようですね」

 

「名も知らん王国兵全員よりは高い」

 

「それ、王女殿下の前で言ってないでしょうね?」

 

「似たようなことは言ったな」

 

「なるほど。あなたは長生きに向いていない」

 

「そんなことはないと思うが」

 

「いえ。確信できます。胃と頭髪は健康そうですがね」

 

マリウスは枝道の奥を見た。

 

「止めても、行かれるのでしょう」

 

「止めるつもりだったのか」

 

「一応。私も常識人の端くれですので」

 

「冗談は戦後にしろ」

 

「戦後に笑えるか分からない冗談は、今のうちに言っておくべきです」

 

よく舌の回る野郎である。

どこか、自分に似たものを感じてしまう。

悪い意味で。

 

「こちらは、浅瀬に敵を引き込みます。渡りかけたところを横から叩く。壊滅させる必要はありません。ここにも噛みつく犬がいると分からせればいい」

 

「犬にしては服が高そうだな」

 

「伯爵家では、犬も身なりにも気を遣うのです」

 

「トラキス公の犬じゃなかったのか」

 

マリウスが薄く笑った。

 

「あなたは、こちらの仕掛けを潰さぬ程度に暴れてください」

 

「難しい注文だな」

 

「あなたならお得意でしょう。迷惑をかけるのが」

 

「初対面の時から思ってたが、お前、性格が悪いな」

 

「あなたに言われるほどでは」

 

返す言葉がない。

いや、あるにはあるが、今言っている時間が惜しい。

 

俺は手綱を握り直した。

 

「敵はもう来ていると思うか」

 

「来ていると見て動いています。見えてから考える者は、遊撃には向きません」

 

「偉そうに」

 

「伯爵ですので」

 

やっぱり、むかつく貴族だ。

だが、使えそうな、むかつく貴族だ。

 

「行くぞ」

 

「どうぞ。ただし、死ぬなら私の目につく場所でお願いします。囮として使えます」

 

「文句は用事が終わってから言うわ」

 

「喋れるようなら、聞くだけ聞いて差し上げますよ」

 

俺は馬腹を蹴った。

 

マリウスの兵が道を開ける。

枝道の奥へ進む。

 

背後で、静かな号令が聞こえた。

兵が動く音。

隠れる音。

弓弦を確かめる音。

 

マリウスは浅瀬で待ち構えるつもりだ。

 

俺が行く先で敵を引っかければ、あいつが待ち構えて噛み付く。

頭に入れておこう。使えるものは使う。

 

枝道が急に大きくなったかと思えば、視界が開けた。

 

浅瀬。

 

ここを渡れば、先ほど通り過ぎた前哨の枝道へ出られる。

 

そう聞いている。

 

浅瀬という言葉から、膝下くらいの水を想像していた。

しかし、だいぶ違った。

 

馬が一歩踏み入れた時点で、水が腹の下を叩いた。

さらに進むと、水面がぐっと上がる。

場所によっては、馬の首の下まで来た。

 

「これを浅瀬と呼ぶのは、だいぶ辛いものがあるだろ」

 

文句を言っても、水位は下がらない。

 

流れも弱くはない。

川底は石が多く、馬の脚が何度か滑った。

手綱を強く引きすぎれば、馬が嫌がる。

緩めすぎれば、流れに姿勢を崩される。

 

人が歩いて渡るにも厄介だ。

馬で渡るにも、楽ではない。

 

まして、荷車や負傷者を通す道ではない。

 

橋の代わりにならないこともない。

だが、橋ではない。

 

水音が大きい。

蹄の音も、声も、流れに飲まれる。

岸に立つ兵が何か言っているが、少し離れればもう聞き取れない。

 

なるほど。

マリウスがここで待つわけだ。

 

ケンタウルスでも、ここを駆け抜けることはできない。

水は速度を殺す。

隊列は伸びる。

弓を構えるにも、馬体が流れに揺れる。

 

浅瀬は道であり、罠でもある。

 

俺は慎重に馬を進めた。

急ぎたい。だが、急げば落ちる。

 

なんとか、東側の岸へたどり着く。

水から上がる場所は泥でぬかるんでいる。

馬が岸へ脚をかけ、蹄が滑る。

 

「おい、頑張れ。ここで転ぶと、俺もお前もかなり格好悪いぞ」

 

馬が答えるはずもない。

ただ、どうにか踏ん張った。

 

岸へ上がる。

 

水が鞍から流れ落ちる。

下半身はずぶ濡れだ。

季節はとっくに春だというのに水は冷たい。

 

俺は一度だけ振り返った。

 

西岸側では、マリウスの奇襲の準備をしている。

歩兵の他に重装騎馬もいる。

 

敵が渡河をする最中に襲い掛かるのだろう。

最悪、気づかれても、王国軍が随所で奇襲を狙っている可能性を、敵に考えさせる。

 

嫌な配置だ。

実に嫌な狙いだ。

 

あいつ、本当に性格が悪い。

きっと、そういう人間は、戦場では役には立つ。

信用できるかどうかは別だ。

 

俺は東岸側の枝道へ馬を入れた。

しばらく進む。

 

川音は背後に遠ざかる。

代わりに、別の音が混じり始めた。

 

――火が弾ける音。

 

音から察するに、大きな火球ではない。

 

そこに金属同士がぶつかる甲高い音、わずかに馬蹄の音も混じる。

 

戦闘。エリサかもしれない。

 

馬を進めると、藪の向こうに兵が見えた。

 

六人。

 

盾持ちが三人。槍持ちが三人。

 

その中央から少し外れたところに、見慣れた銀の髪があった。

泥と血で汚れ、外套の肩が裂けている。額にも傷がある。

 

だが、立っていた。目も死んでいない。

 

「エリサ」

 

こちらを見たエリサが、大きく目を見開くと、開口一番に言った。

 

「遅い」

 

「えぇ……せっかく助けに来たのに……」

 

「置いて行ったのはセトでしょ」

 

「俺じゃない。アッヅミノスだ」

 

「私を置いて行くような相手に預けたのはセト」

 

痛いところを突く。この戦役で初のダメージだ。

 

「元気そうで何よりだ」

 

「元気に見えるなら、セトの目が悪い」

 

他の兵たちの中には俺の顔を認識している者がいても不思議ではないが、俺たちのやり取りを訝しげにちらちら見ている。

 

ルナ殿下に賜った上等な軽鎧を身にまとった偉いさんに、不躾な態度で毒づく奴隷に戸惑っているのかもしれない。

 

「指揮官は」

 

俺が聞くと、盾持ちの一人が短く答えた。

 

「死にました」

 

「なるほど」

 

やはり、ケンタウルスはそこから潰すらしい。

 

指揮官を失って、なお六人でここまで下がってきたのなら、少なくともこいつらはただの腰抜けではない。隊列と呼べるほど綺麗ではないが、完全に崩れてもいない。

 

背中を見せず、じりじりと下がってきたのだろう。

それが一番ましだと分かっているからだ。

 

枝道の奥に、ケンタウルスがいた。

 

見える限りでざっと二十以上はいる。

 

全員が一気に近づいてくるわけではない。道を塞ぐように広がり、こちらとの距離を保っている。

 

森へ入って回り込む様子もない。

 

巨体だ。人間なら潜れる枝も、あいつらには邪魔になる。原野や丘なら厄介でも、深い森では機動力が死ぬ。そこで好きに動けるなら、とっくに退路を塞いでいるだろう。

 

それにしたって、慎重な立ち回り。むしろ臆病。

つまり、連中はここで決めるつもりがない。

 

この先に浅瀬があることを知っている。

水へ入れば、こちらの足は鈍る。そこを射るつもりだ。

 

狩場は、ここではない。

 

「エリサ、乗れ」

 

俺は馬を寄せた。

 

エリサ一人なら、俺の未熟な馬術と強化でも、まあ運べる。そう考えた。

 

エリサは鐙へ手をかけず、俺の外套を掴んだ。

 

「少しだけ、耳を貸して」

 

俺はエリサの提言にだいたい、いつだって耳を傾ける。

心の広い俺は――嘘だ。それが役に立つことを知っているだけだ。

 

手綱に掴まり、エリサに引かれるまま、耳を近づける。

 

エリサは声を落とした。

 

「私だけ乗せて逃げたら、この兵たちは切り捨てられたと思う」

 

「事実だな」

 

「ただでさえ限界の彼らは、崩れる。追いすがろうとして背中を向ける。すぐ射られる」

 

「なるほど」

 

「そうしたら残るのは私たち二人。二人乗りの馬で、ケンタウルスを振り切れると思う?」

 

思わない。

 

「……こいつらを使えってことか」

 

「その方がまし」

 

悪くない提案だ。

 

どうせ追いつかれるなら、こいつらを使い潰してから逃げに転じても同じことだ。

なら、まずは使うべきだろう。

的は散らした方がいい。

 

「分かった」

 

俺は馬上から兵たちを見た。

 

「ここからは俺が指揮を執る。……あぁ、俺は王女のクロスであるところのセトだ」

 

家名は、ない。

いや、本当は瀬戸が家名で、名前は理人なのだが、もうなんかそんな感じになっている。

 

兵たちは、互いを見た。

 

不満はあるだろう。こいつに従っていいのかってところか。

だが、ここで揉めるほど余裕のある連中ではなかった。

 

俺は馬に乗っている。装備も悪くない。魔法も使える。何より、本来の指揮官がいない。

 

表面上、兵たちは従った。

 

それで充分だ。

 

「盾三枚は横陣を維持。槍は盾の間から突き出さなくていい。背後で敵の接近に備えろ」

 

はっきり言って、槍は役に立たない。そんな距離まで敵が近づいて来る時点で、おそらくは絶望的だ。

 

俺は前方へ爆発魔法を撃った。粘着榴弾ではない。単純に時限式で爆ぜる。

狙いはケンタウルスではない。空中で炸裂し、轟音をまき散らす。

先頭の数騎がわずかに足を緩める。

 

「背を向けていい。下がれ」

 

兵とエリサが下がる。

 

十歩。十五歩。

 

「そこで陣を組め」

 

盾持ちが構える。

 

俺はもう一発撃った。また、空中で爆ぜる。

 

その間に馬を下げる。

 

ケンタウルスの弓が上がった。

 

「エリサ」

 

「分かってる」

 

俺の横を、小さな火球が抜けた。

 

エリサの火は弱い。だが、狙いはいい。矢を射ようとした一騎の足元で弾け、馬体が横へ逃げる。

 

俺は大きな盾を構築し、矢を防ぎながら兵たちの位置まで下がった。

 

「もう一度」

 

同じことを繰り返す。

爆発魔法にも慣れられてしまい、あまり怯まなくなった。

 

次は銃弾を構築して飛ばす。

数発が当たったが、距離が遠くては貧弱だ。

だが、近付けば殺傷力を持つと、相手にも伝わったはずだ。

 

俺が撃つ。兵とエリサが下がる。盾を構える。エリサが俺の後退を支援する。俺が合流する。

 

ひどく面倒な撤退だった。

全力で走った方が、当然だが早い。

 

だが、背を向けて走るわけにはいかない。

 

ケンタウルスはそれを待っている。背中を見せる瞬間を。隊列が崩れる瞬間を。

誰か一人が遅れ、誰か一人が焦り、誰か一人が逃げ出す瞬間を。

 

これがケンタウルスの戦い方。

派手さはなく、嫌らしい。

 

それでも、浅瀬は近づいてきた。

 

川音が徐々に大きくなってくる。

 

そして、視界が開けた。

 

浅瀬。

 

水面が鈍く光っている。

 

西岸の木々は静かだった。

マリウスの姿は見えない。

歩兵も、騎兵も、旗もない。

 

本当にまだいるのか。

もしかして、俺たちを見捨てて逃げたか。

 

いや、違うか。

そもそも、勝手に当てにした俺が悪い。

 

あの嫌な貴族は、何か仕掛けるようなことを言っていた。だが、俺を助けるとは言っていない。俺が勝手に、ここまで戻ればなんとかなると思っただけだ。

 

「槍から渡れ」

 

槍持ち三人がこちらを見る。

 

「その後ですぐ、俺とエリサ。すぐに盾だ。盾は流されないように気を付けろ。援護は俺たちに任せろ」

 

本当は役に立たない槍を捨て駒に、俺とエリサが先行して渡りたい。

しかし、それは流石に示しがつかないという気がする。

 

マリウスが当てにならない以上、こいつらには限界まで役に立ってもらいたい。

 

槍持ちを先頭に、浅瀬へ入った。

水はすぐに腰近くまで来た。流れに足を取られ、一人が槍を支えにして踏ん張る。

 

「乗れ」

 

今度はエリサも逆らわなかった。鐙に足をかけ、鞍の前へ上がる。

 

人数が少ないので、順番といってもほとんど同時だ。

だが、形は大事だ。形が崩れると、人間はすぐに自分の都合だけを見始める。

 

馬腹の下を流れが叩く。さらに進むと、水面がぐっと上がった。馬が嫌がり、首を振る。

 

「我慢しろ。正念場だぞ」

 

ペットに話し掛ける人間を、動物並みに理解不能な連中と思っていた。

しかし、馬に乗るようになってからは、けっこう話し掛けているような気がする。

 

背後で、ケンタウルスが動いた。

ここで来た。

 

連中は一気に距離を詰めてきた。今までの慎重さが嘘のように、道の上を滑るように迫る。

 

数は、三十騎以上いるかもしれない。

 

渡河に入った瞬間が殺し場。

そういうことだ。

 

矢が来た。

 

多い。

 

しかも、狙いの多くが俺に集まっている。

 

指揮を執り、魔法を撃ち、盾を作る馬上の男。

ケンタウルスから見ても、先に潰すべき相手なのだろう。

 

知ってた。

 

俺は馬上で身体をひねり、大きな盾を構築した。

まあ、盾と言うか、持ち手の付いた板だが。

灰色の金属質が背後に広がる。

 

敵は距離を詰め、強烈な直射を叩き込んでくる。

 

俺は盾を自分の側に傾け、角度を作ってやる。

矢をなるべく受けきるのではなく、はじく。

避弾経始というやつだ。

 

それでも、魔力の盾が揺らいだ。

 

一枚、二枚、三枚。

 

魔力の層が剥がされていく。

部分的なひび割れが、徐々に広がっていく。

弾くたびに表面が削れる。欠ける。角度によっては穴が開く。

 

俺がマテライズしたものは、数秒で壊れる。

それを防ぐために、構築した盾に再構築を重ねる。

 

攻撃を受ける前提なので、強度が必要だ。

硬く構築した盾に更なる魔力で強化を施す。

 

それでも破壊された部分に、また構築をかけて補修する。

穴が開いた部分を塞ぐ。ひび割れた部分を繋ぐ。新しい矢が来る。さらに塞ぐ。

 

ほんと、馬鹿みたいに魔力を食う。

 

雨の中で傘を差しているのではない。

雨の中で、破れ続ける傘を編み続けているようなものだ。

 

イノセント・ローズからの補給が流れ込む。

 

まだ、余裕はある。

 

だが、燃費が悪い。

 

こんな浪費、いつまでもは、続けられない。

 

盾持ち三人は、盾を構えたまま後退していた。

だが、水流が盾を煽る。水位は胸ほどまである。

正面に向けたつもりでも、流れで角度がずれる。

 

真ん中の一人がよろけた。

 

矢が、その隙間へ入った。

男の肩が跳ねる。

水面へ倒れる。

 

川の流れに、赤いものが混じった。

 

同時に、馬の尻に矢が刺さった。

 

馬が跳ねた。

 

「わっわっ」

 

情けない声が出た。

 

馬が暴れる。水中で後脚を跳ね、身体をよじる。

エリサが俺の外套を掴む。俺は手綱を握ったが、制御できる動きではない。

 

このままだと落ちるかもしれない。

 

馬を捨てる判断を下し、エリサを抱える。

 

「ちょ、どこを掴んで……ッ!」

 

左手に柔らかい、しかし確かな感触が返ってくる。

気にしている場合ではない。

 

右手の盾に対する意識が薄れていた。

 

再構築がわずかに疎かになっていた。

 

肉体に対する魔甲は、そもそも張っていない。

 

そんなリソースは回せていない。

 

盾には穴が開いていた。

 

ちょうど、ケンタウルスの使う矢じりほどの穴。

 

すぐに塞げる。

 

そう思った。

 

そこを矢が通った。

 

やけにゆっくりに見えた。

 

どんな確率だよ。

 

それとも狙って射ったのだろうか。

 

那須与一かよ。

 

いや、さすがに偶然か。

 

そう思った。

 

右脇腹に衝撃が走った。

 

痛みはなかった。

 

鎧が防いでくれたのだろう。

 

上等な軽鎧を下賜してくれたルナに少しは感謝すべきか。

 

馬はまだ暴れている。

 

さっさと降りよう。

 

右足を鐙から外し、持ち上げようとする。

 

上手く上がらない。

 

温かい液体が下腹部を伝い、腿へと流れるのを感じた。

 

また、馬が跳ねた。

 

世界が傾く。

 

肉体が重力から解放されたような錯覚。

 

左手はいつの間にか、エリサを抱えていない。

 

何かに叩きつけられた。

 

それほど衝撃ではない。

 

痛くもない。

 

わき腹から腿にかけて感じていた暖かさも消えた。

 

いや、全身が冷たい。

 

周囲もよく見えない。

 

呼吸は無意識に止めていたようだ。

 

ああそうか。

 

俺は落馬して川に落ちたのだ。

 

上下の感覚がない。

 

いや、落ち着けば、川底が見える。

 

足を付けて、立ち上がる。

 

水面から顔が出た。

 

「セト!」

 

「うるさい」

 

声は出た。

 

分かってる。状況は分かってる。たぶん。

 

水中の右脇腹に手をやる。

硬い棒が生えているのが分かる。

 

馬はなお暴れている。やはり、もう使えない。

 

エリサが青ざめた顔で、駆け寄ってくる。

 

先ほど構築した盾は、もう手元にはない。

何秒経ったか分からない。崩壊したかもしれない。

 

もう一度、盾を構築する。今度は左手で。

 

エリサは、脇腹の異物に配慮しながら、俺の右側へ回り肩を貸してくる。

 

「このまま下がるぞ」

 

「歩けるの?」

 

「俺が歩けないと判断したら、お前だけ逃げろ。兵どもは、お前の言うことは聞かない」

 

「なにを……ッ」

 

エリサはそれ以上言わなかった。

 

俺は盾を維持したまま、浅瀬を進んだ。

 

マリウスの部隊は、やはり現れない。

 

何か事情があったのかもしれない。

俺を間接的に謀殺するという判断なのかもしれない。

 

まあ、それが必要と判断すれば、俺でもそうする。

 

また、盾が削られる。穴も開く。

再構築。繰り返し。大丈夫。魔力にはまだ余裕がある。

大丈夫。大丈夫だ。

 

ゆっくり、下がる。

 

エリサが、敵の攻撃の隙間を縫って、火球を放つ。

あまり、弓の勢いが緩んだようには感じられない。

 

ゆっくり、下がる。

ゆっくりしか、下がれない。

 

盾持ちの二人は、まだ律儀に俺の近くにいる。

彼らの盾には矢が一、二本突き立っているように見えるが、背後からはよく分からない。

俺に攻撃が集中したせいが大きいが、きっとひび割れたりはしていないだろう。

 

なんで俺の構築した盾は、脆いんだろう。

そうでなければ、こんなに魔力を垂れ流さなくても済むのに。

 

そんなことを考えていたところで、西岸へ最初の槍持ちが上がった。

 

水から這い出し、泥の上に膝をつく。次の槍持ちも続く。

そこで振り返って陣を組むはずだ。

 

少なくとも、そう命じた。

 

浅瀬の向こうで、ケンタウルスの先頭が水へ入った。

 

「セト」

 

エリサが、耳元で囁いた。

 

「あいつ、逃げるかも」

 

「どいつ」

 

「左の槍。もうこっちを見てない」

 

次の瞬間、本当に走り出した。

槍を捨て、泥を蹴り、西岸の奥へ向かって駆け出した。

 

一人走れば、残りが釣られる。

ここで西岸側の形が崩れれば、終わるかもしれない。

 

左手は盾で塞がっている。

俺は右手を上げた。

 

短い杭を組む。

 

脇腹の矢が動き、腹の中で何かが引っかかった。

 

息が詰まる。

 

それでも撃った。

 

逃げた槍持ちの背中に突き刺さる。

男は前のめりに倒れ、泥の上を滑った。

 

誰も声を上げなかった。

 

「次に逃げた奴も撃つ」

 

兵たちが俺を見た。

 

これでいい。

まだ、俺は恐れられる必要がある。

 

西岸へ上がる。

 

足元が滑る。エリサが俺を支えた。槍持ちの一人も、嫌そうな顔で肩を貸した。

 

「嫌そうだな」

 

「重いんです」

 

「正直でよろしい」

 

泥の上へ座らされた。

 

座るつもりはなかった。だが、立っていると脇腹の矢が揺れる。揺れるたびに視界が白くなる。

 

盾持ち二人が、俺を守る形でケンタウルスとの間に立ち塞がる。

 

エリサが腰の剣を抜いた。

 

「切る」

 

「え、俺を? なんで? 置いて逃げろとは言ったけど……」

 

「矢柄」

 

「ちゃんとそう言って」

 

エリサは返事をせず、矢柄を切った。

 

魔力で強化された切っ先は、ほとんど衝撃を残さなかったが、それでも痛い。

 

短くなった矢が、脇腹に残る。

 

「抜かないのか」

 

「下手に抜いたら死ぬわ」

 

「知ってる」

 

「じゃあ黙って」

 

エリサは魔法薬の小瓶を出し、傷の周辺へかけた。

いつか嗅いだ消毒の匂いがした。

 

次の瞬間、焼けるような痛みが来た。

 

歯を食いしばって耐える。いつかのように奇声は上げない。

 

「治療っていうのは、もっとこう、優しさがあるものじゃないのか」

 

「戦場では貴重品なの」

 

さらにエリサの手が傷口の近くへ触れた。

 

淡い魔力が流れ込む。

 

治癒魔法。

 

肉を繋ぎ、矢傷を塞ぎ、重傷を治すようなものではない。

自己治癒を少し促し、出血を鈍らせ、痛みを少しだけ鈍らせる。

 

本質的な治療ではない。

死ぬまでの時間を、少し引き延ばす作業だ。

 

――え、俺、死ぬのかな。

 

腹に力を入れると、矢じりが内側から肉を擦るのが分かる。

呼吸を浅くしても、血は止まらない。

エリサの魔法は効いている。

効いていて、この程度なのだ。

 

ケンタウルスの先頭が、浅瀬の中腹まで進んだ。

こちらの指揮官役を射たことで、勢いづいたらしい。

 

盾持ちの一人が、盾を構えたまま、ちらりと俺を見る。

 

ようやく、俺を見捨てる算段でも始めたのだろうか。

ちと、遅いような気もするが。

 

こちらの生き残りは少ない。

その少ない連中すら、俺を守りたいわけではない。

 

先頭のケンタウルスが弓を持ち上げる。ずいぶんと近付いた。

大きな馬体の首に当たる部分が人間に似た上半身という構造上、上半身の位置が高い。騎乗した人間よりは、渡河の最中に弓を射るのに支障は少ない。

 

馬鹿め。

いや、馬人なのか。

 

俺は座ったまま、盾持ちの隙間から手を出した。

 

杭を構築する。

 

細く、硬く、重く、速く。

 

撃つ。

 

杭は水面の上を抜け、先頭のケンタウルスの胸へ刺さった。

 

上半身がのけぞる。

馬体が崩れる。

水しぶきが上がった。

 

油断して近づいてくるからだ、マヌケ。

 

少し気分が良くなった。だが、それだけだ。

 

次が来る。

その次も来る。

 

ケンタウルスが次々と浅瀬へ入ってくる。

先ほどより少し慎重さは見せているが、もう止まらない。

こちらが負傷していることも、人数が少ないことも、見えている。

 

俺はきっと動けなくはない。

きっと戦えなくもない。

 

だが、きっとそれをやっていい状態ではない。

 

走れるか。

無理だ。

 

出血が酷くなる以前に、腰をひねった瞬間、矢尻が腹の中で暴れ回る。

抜こうにも、矢尻が肉を引っかく。想像するだけで腹が冷える。

 

盾持ちの一人が、また、ちらりと俺を見た。

 

俺の顔ではない。

 

脇腹の矢。

そこから流れる血。

それから、森の奥。

 

順番に見た。

 

いよいよ見捨てられるのかもしれない。

 

まあ、立場が逆転しただけの話である。

 

さっきまで俺は、こいつらを切り捨てるか判断する側だった。

今度は、こいつらが俺を捨てる側になる。

 

遅いが、判断自体はいい。

俺でもそうする。

 

その時、東岸の深い茂みが割れた。

 

鉄の音がした。

馬の息。

低く構えられた槍。

 

木々の影から、重装騎兵が現れた。

 

二十騎ほど。

 

その先頭に、見覚えのある嫌な貴族がいた。

 

マリウス=グーリン伯爵。

 

「なんだよ。いたのかよ」

 

思わず、そう言った。

 

あいつは、浅瀬を渡って東岸で待ち構えていた。

なんとなく、渡河中を叩いて、あとは川を利用して西岸で守るイメージでいた。

それだけではなかったようだ。

 

こちら岸の茂みからも歩兵の隊列。

 

渡河中のケンタウルスを、両岸から挟む。

 

マリウスが槍を下げた。

 

「かかれ!」

 

重装騎兵の突進。

東岸の陸地にいたケンタウルスに襲い掛かる。

 

いくらケンタウルスとはいえ、これに正面からぶつかれば無事では済まないだろう。

 

西岸の歩兵部隊からは、弓。

渡河中のケンタウルスに矢が突き立つ。

 

トラキス公の犬が、ようやく噛みついた。

 

敵の判断は早かった。

東岸の連中は、ほとんど重装騎兵にぶつかることなく、撤退を開始した。

速度ではまるで適わない。追わない。

 

川に入ったケンタウルスは十騎にも満たない。

彼らは東岸の重装騎兵を突破して、自陣へ帰ることも出来ないだろう。

 

この浅瀬は、やはり狩場だった。

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