朝辺よるこの戦略的5分間 作:睦月 紫陽花
「思うに、死体が腐ること自体が愛の証明なんじゃないかと思うの」
夕陽のなか。彼女は窓辺に腰掛けながら、指を一本立てて言った。
なんて事を言うんだ。
秋介はたぶん、変な顔をしていたと思う。
「だから、うん。納豆も愛かな」
腐ってるから。
「なんて理論だ」
今日のお昼の学食は納豆だったのかもしれない。
青年はぽりぽりと頭を掻いた。
「秋介、どう思う?」
「知らねぇー……」
取り留めのない会話。話題。ほんの五分くらいの時間たち。
だからこれは、そう。
朝辺依窶子の暇つぶしなのだろう。
──
⠀ ⠀ 【朝辺よるこの戦略的5分間】
──
「
「はい」
入学式の終わった教室で、中年の先生の声に返事。
二つ隣の一番後ろ、窓際。彼女は返事をしていた。
変なヒトだな、と思った。
それが朝辺依窶子を初めて見た時のファーストインプレッションだ。美人だ。藍色の髪に少しの外ハネ。でも目つきが恐ろしい。三白眼みたいに、悪いわけじゃない。ただ迫力があるのだ。
お化けみたいな視線は、人を寄せ付けなかった。
初めての印象はその後も尾を引くから、大事だよ、とビジネスマンの姉は言っていた。だから朝辺依窶子は変なヤツなのだ。今後とも。
「こんにちは、
だから、放課後。
そんな風に声を掛けられるとは微塵も思っていなかった。
──
「はっ、はっ」
と教室を目指しながら息を切らし走る。
4月の上旬だというのにワイシャツは少し汗ばんでいた。
というのも、クラス委員の仕事のせいで部活に遅れているからだ。それに加えて、バスケ部のシューズを教室に置き忘れるという痛恨のミス。踏んだり蹴ったりだ。うっかりのせいでもある。そうして、急ぎながら3階のB組まで駆け上がる。
遂にたどり着いた教室の扉をガラリと開いた時に聞いたセリフが、上記のものだ。秋介は変な顔をしていたと思う。
「……えっ、と、アサベさん?」
汗に首元をつまみぱたぱたとしながら疑問符を投げかける。
静かな、音楽室で聞くみたいな声は表情を変えずに投げ返されてきた。
「ぎこちないわね、言葉が」
彼女は夕陽の差し込む、電気の付いてない教室で、窓際の机に座って外のグラウンドを眺めていた。何してんだ、とまずは思う。勉強をして居残っていた、という訳ではなさそうだ。
「どうしたらぎこちなさは取れると思う? 秋介くん」
彼女は唐突に質問を投げかけてくる。まだ学校が始まって一週間くらいなのに、名前を覚えてんのか、と驚きつつ、秋介は教室の後ろのロッカーとは名ばかりの荷物置きに放置してあったシューズケースを回収しようとした。
「えっ、と」
くるくるとシューズケースの紐を指で巻き取りながらながら眉を寄せる。
なんだこの人、と。いきなり話しかけてきては、内容が不思議だ。朝辺さんってこんな人だったのか、と秋介は思った。
「そりゃ、油でも挿せばいいんじゃない?」
別に会話は嫌いなわけじゃない。だけどとにかく今は部活に行きたかった。秋介はすこし投げやり気味に答えた。すると朝辺依窶子は口に手を当てて、上品に驚いて見せた。
「あら、自転車通学?」
「……そうだよ、今朝ちょうど挿してきたんだよ」
適当に答えた内容の、図星を突かれた秋介はちょっと止まる。あんまり考えないで返事をしたのがバレたのかもしれない。バツが悪いな、ととっとと教室から退散しようと、抜き足で一歩踏み出した。シューズは回収した。あとは教室のドアを出るだけ、と、いうところで。
ふぅんと朝辺依窶子は鼻を鳴らした。
「まぁ、潤滑油と言うものね」
聞いたことのあるセリフだ。
主に姉から。秋介はちらりと朝辺依窶子の様子を伺うが、彼女は教室の天井をぼんやり見ている。こっそり出て行こうとしているのはバレてなさそうだ。二、三歩また歩いて、思ったことを適当に口にする。
「ぬるぬるしてそうだな」
「好きでしょ? ぬるぬる」
はっ? と思わず言いそうになった。
秋介は努めて“何言ってんだこいつ”という視線を朝辺依窶子に投げかけた。彼女はキョトンとしながら言う。強い西日が彼女の輪郭を暗くして、眩しかった。
「私、メカブとかオクラとか好きよ」
そうかよ、と言って秋介は遂に扉にたどり着く。
変な会話をしてしまった。
お化けに化かされたみたいだ。もう一度、出る寸前に教室を振り返ると、朝辺依窶子はまだ天井のあたりをぼんやり見ていた。ま、いいか、と彼は教室を出ていった。
会話は特に発展しない。一分ちょっとの時間。
秋介はまもなく部活が始まる。
あとにはガラリという、スライド式ドアの閉まる音だけがあった。
──
また、二日後くらい。
放課後の教室にて。
「思うに──」
今度は入部届を机に忘れた秋介は、デジャビュのような光景に目を疑った。放課後、部活前にバスケ部の部長に提出しようと思った紙が無くて、慌てて取りに戻ったら、またあの美人がいたからだ。まぁ、美人のアタマにお化けみたいだけど、という但し書きがつくが。
彼女は教室の入り口でびっくりしている秋介に対し、何事もなかったかのように口を開いた。
「この世は、一人で生きるにはつらすぎるのよ。だから一人じゃないって確信が欲しいんだと思う」
何を言っているのか。
スポーツばかりやってきた秋介にはこういう哲学てきなナントカはわからない。
ともあれ、会話に応じないのは気まずい。だから頭をガシガシ掻きながら応じた。
「愛だの恋だのってハナシ?」
「そう。色んなことをむりやりパッケージした戯れ事」
どうやら合っていたらしい。
彼女は一定のペースで頷くように喋る。日中は殆ど喋るところは見たことないのに不思議なことだ、と秋介は思う。
そして自分の机に辿りつく。奥の方にくしゃくしゃに固まったプリント類があるが、入部届だけは綺麗にしまっておいた。大事に取り出し、手に持つ。
「ざれごとって、くだらないハナシみたいなことか?」
「ええ、下らない冗談。くだらない戯れのことば遊び」
彼女は相変わらず夕陽に照らされながら窓辺に腰掛けている。部活とか入らないのかな、と思ったがヘンに踏み込んで地雷を踏みたくはない。今は忘れ物を取りに来ただけの隙間時間なのだ。へぇ、と幾分か適当な相槌を打ちながら秋介は出口に足を向けた。
「でも世界一素敵な戯れ事よ」
だから、彼女のひとことに足を止めるとは自分でも思わなかった。
首だけで振り返れば、いつもの生気のない薄い色の瞳で彼女はこちらを見ている。
なんで振り返ったのかは分からない。
なんだか声のトーンが違ったからだろうか。
今までのよりもより明瞭な、より朝辺の意識が滲んだ言葉、みたいな。そんな感覚。
だから思わず振り返ってしまった。
そして目が合う。
その瞬間、秋介は心臓を鷲掴みにされたような、ドキリとした感覚を覚えた。朝辺依窶子は妙な気配の女子なのだ。人付き合いも、趣味嗜好もよくわからない。だけど雰囲気がある。よくクラスの男子が話していた。
「世界いち……」
「世界の定義にもよるけれどね」
彼女が喋る。ぐわりと目の前の存在が強くなる。
秋介は黙って、彼女から目が離せないでいた。まるで映画館でウトウトしていたら、いきなり大きな音が鳴って、飛び起きて、ドキドキしながらスクリーンの話を眺め始めたような感覚。
「ねぇ、思わない? 自分一人じゃないって、孤独なのは、恥ずかしいのは、自分一人じゃないって思うと胸骨が軽くなって呼吸が深くなって世界が広がる感じ」
おっ、と声が出て、次の瞬間誰かの呼び出し放送が掛かった。
それで金縛りが解けたように、秋介は我に返って呼吸を思い出し、瞬きを繰り返した。今の迫力はなんだった。まるで、本当にお化けじゃないか、と。
「寂しいのかよ、朝辺は」
話の意図が分からず、でも、妙に注目してしまったことが悔しくて、唇を尖らせながら秋介は疑問をぶつけた。
彼女は表情ひとつ動かさずに答えた。
「そう、って素直には言わないわ」
「んー……ん? じゃ、結局どっち?」
秋介は首を捻る。難しいハナシは苦手なのだ。それですぐに答えを求めて、よく姉に怒られている。
朝辺依窶子はほっそりとした白い指を一本立てて、教室の前のドアを指差し、言った。
「部活、行かなくていいの?」
その行動に、あっ、ヤベと秋介は慌てて教室のドアに手を掛ける。
入部届は持った。明日から部活の日々が始まるだろう。体育館に急がなければ。
そして出ていく間際、2日前とは違い、首だけ動かして教室の中へ大きな声で言った。
「寂しいなら、言えよ! 俺でよければ話し相手になるぜ」
言うだけ言って、返事は聞かずにドアが閉まる。
教室の中は、電気が消えていて外から運動部や吹奏楽の金管楽器の音が聞こえてくる。だから余計静かになった。
朝辺依窶子はしばらく動かずに彼が出て行った教室のドアを眺めて、5分ほど経った後にポツリとつぶやいた。
「……本当に?」
その言葉は誰に拾われることもなく。
教室の木目の床に吸い込まれて消えていった。
今は、まだ。