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「ありがとう。綾小路くんにしては気が利くね」
「普通にお礼だけで良くないか? それと、零さないように気を付けろよ」
ココアに息を吹きかけ、ゆっくりと口を付ける桔梗。
「あっつ」
照明のついていない暗い部屋の中でココアを飲む2人の男女。ベッドを背もたれにして座る2人は別に恋人とかではなく、友達という関係性。しかも、少女は服を着ておらず下着姿のままである。
何も知らない第三者が見たら、まず間違いなく困惑した後で勘違いする光景だろう。
因みにオレはちゃんと「服を着ろ」と言っている。ただ、その返答が「後でね」というだけのこと。
「仕方がないから、綾小路くんとは『友達』でいてあげる」
「ありがとう、桔梗」
素直に礼を言うと、桔梗は赤い目元を伏せてココアに口を付ける。それからポツリと言葉を漏らす。
「……退学の件も、しょうがないから保留にしてあげる」
「そうか。保留だとしても助かる」
まあ、本人が自覚しているかどうかは不明だが、オレに『過去』を話した時点で、その心配はあまりしていなかった。
理由はとても簡単で、桔梗の本性と『過去』を暴露すると脅すだけで、桔梗の行動を封じられるからである。
池や山内、龍園とかだったら周囲は信じないかもしれないが、生徒会に所属しているオレは普通の生徒よりは信用があるはずだ。全員は信じなくても、何人かは疑惑を抱く。過去をバラされたくないと、過去の秘密を知る者が許せないと退学を狙っているのに、過去の秘密が全校生徒にバラされれば本末転倒だろう。それに気付かない程、桔梗も馬鹿ではないはずだ。
自分の過去を誰にも知られたくない。知っている者が許せない。それは間違いなく彼女の本心だろう。けど同時に、心の奥底では全てを知ってもらいたいという相反する二つの気持ち。
それ
「そうだよ。きちんとありがたがってね。本当に、『特別』なんだから」
「分かってる」
だからといって、別に嘘を吐いたわけではない。
桔梗と『友達』でいたいという気持ちは間違いなくオレの本心であり、本心だからこそ、桔梗の心に届いたのだろう。
まあ、それはそれとして…………。
櫛田桔梗の過去を知り、桔梗という『人間』を知れた。
万事問題なしーーーーオレのな!
「桔梗……鈴音の件なんだが」
「え、退学にしてくれるの!? ありがとう、綾小路くん!」
言ってない言ってない。
「桔梗と鈴音が同じ中学だったらしいが、話を聞く限り別々のクラスだろ? 桔梗は、鈴音がお前の過去を知っていることを前提で話を進めているが、本当にその事実を知っているのか? 知っているかどうかの確認は取ったのか?」
「……取ってない。取れるわけないって分かってて聞いてるでしょ」
「ああ、だから今からオレが確認を取る。別に良いよな?」
オレは携帯の電源を入れる。
暗い部屋を照らす新たな光源。桔梗は僅かな躊躇いを見せたが、ゆっくりと頷いた。
3コール程してから電話に出てくる。
「もしもし、こんな夜分に一体何の用?」
あんまり時間を気にしていなかったが、そろそろ10時になりそうだった。
携帯を机に置き、スピーカーに切り替えながら口を開く。
「悪い。少し聞きたいことがあるから連絡した。良いか?」
「何?」
「櫛田桔梗について聞きたいことがある。お前とき……櫛田って、もしかして過去に知り合いだったか?」
「……どうしていきなりそんなことを聞いてくるの? もしかして櫛田さんが何かトラブルでも起こしたわけ?」
トラブルなら既に起きたし、現在進行形でもあるかもしれない。
「理由はまだ話せない。それでどうなんだ? 櫛田とは知り合いだったか?」
「…………同じ中学だったわ。けれど、3年間別々のクラスだったし、接点なんか無かったわよ」
よし、知り合い未満。
「なら櫛田については大して知らないな。夜分遅くに悪かったが、おかげで助かった」
それじゃあーーと電話を切ろうとしたオレに待ったの声が掛かる。
「噂で聞いた範疇でしかないけれど、櫛田さんが学級崩壊を引き起こしたという話は聞いたことがあるわ」
オレは桔梗を見る。桔梗はワザとらしくニコニコと笑顔を浮かべていた。
待たないでさっさと電話を切っておけば良かった。
「あー……、詳細は分かるか?」
「学校側が徹底して情報を伏せていたから分からないわ」
お、セーフか?
「ただ、臭いものに蓋は出来ない。事件が明るみになった直後は、色んな憶測も踏まえて噂がたっていたわ。例えば、教室は滅茶苦茶にされて、黒板や机は誹謗中傷の落書きだらけだったとか。クラス内の誰かがイジメられたとか、酷い暴力行為を振るったとかね。本当に、曖昧な噂話が無数にあったわ」
本人は噂だと思っているようだし、真実を知っているわけではない。
やはりセーフだと思うのだが、どう思う? ……うーむ、ニコニコのままだな。
これ以上、厄介な発言が飛んでくる前にオレは鈴音に礼を言う。そして通話を切ろうと手を伸ばすと、その手を桔梗が遮ってきた。
「随分と口が軽いんだね、堀北さん」
「は?」「おい」
「聞かれたことを素直にペラペラと喋っちゃってさぁ。そんなに綾小路くんに頼られたことが嬉しくて仕方がなかったんだね」
「…………綾小路くん。どうして櫛田さんが居るのかしら? 今何時だと思っているの? まさか同じ部屋に櫛田さんと一緒にいるわけじゃないわよね?」
「そんなこと、堀北さんには関係ないよね?」
「っ、関係なくはないわ。櫛田さん、あなたはDクラスの生徒で、問題を起こして迷惑が掛かるのは私たちなのよ?」
「問題ってどんな? 私と綾小路くんが仲良くして、どんな迷惑がクラスに掛かるって言うの?」
「それは……あるでしょう、色々と。クラスを裏切るように仕向けたり、スパイ活動とか」
「う~ん、綾小路くんなら、わざわざそんなことを私にさせなくても、堀北さんぐらい簡単にやっつけられると思うけどなぁ」
「……言ってくれるじゃない」
電話越しでも鈴音が苛々を募らせているのが伝わって来る。反面、桔梗は口角を上げて楽しそうだ。
「安心して、きちんとクラス間の線引きはするから。私と綾小路くんが個人的に仲良くするだけで、堀北さんが不安に思うことは起こらないからね」
「信じられないわっ」
「あっそ。信じたくないなら勝手にすれば。私はとっても傷ついちゃうけどね」
桔梗は鈴音の返答を待たずに、携帯に手を伸ばし通話を切る。携帯も落とし、部屋は再び暗闇を取り戻す。
「ありがとう、綾小路くん。楽しかった」
心なしかお肌をツヤツヤさせながら桔梗は表の顔で笑顔を浮かべる。どの辺が楽しめたのかは不明だったが、本当に嬉しそうであり「そうか」しかオレに言えることはない。
「鈴音は桔梗の過去の出来事を、その真相を知らなかった。つまり、わざわざ藪を突いてまで退学に追い込む必要はない…………で、良いよな?」
「私的には、過去の一端を知っているだけでも許せないんだけど……綾小路くん、そんなに堀北を退学させたくないの?」
「ああ。鈴音とも友達だからな。退学は認められない」
例えひよりや有栖に頼まれたとしても、オレは断るだろう。
「あの女のどこが良いんだか……」
桔梗はつまらなそうに鼻を鳴らす。
「いいよ。今回は綾小路くんの、『友達』の頼みだからね。堀北の件は『保留』にしてあげる。だけどもし、堀北が私の過去を吹聴して回るようなら、その時は容赦なく退学に追い込むから」
「鈴音がわざわざそんなことをするとは思えないが、その時はオレも止めたりはしない。場合によっては協力することも約束するし、お前のフォローに回ったりもする」
「裏切らないでね」
「『友達』との約束を違える気はない」
桔梗はオレの目を見ながら、もう一度だけ「分かった」と口にする。
「信じる」とも。
これで話は終わりだ。
一時はどうなるかと思ったが、結果的には何とかなった。鈴音を退学させずに済んだし、桔梗とも『友達』として前より距離が縮まったはずだ。これでもう憂いはない。明日から始まる2学期に備えて寝るだけである。
なので……。
「まずは服を着てくれ。夏とはいえ風邪を引くぞ」
桔梗は「分かってる」と答えながらも、衣類に手を伸ばさず、何故かオレの胸に手の平を当ててくる。
「……何だ、ドキドキしてんじゃん」
「お前はオレを何だと思っているんだ? 確かに『普通』じゃない環境で育ってきたが、オレだって普通に人間だぞ」
なるべく視界に入れないように意識はしているが、何事にも限度がある。スタイルが良くて可愛い女の子が下着姿で、しかも部屋の中には2人だけ。これで何も感じていなかったら男として逆にヤバイだろ。オレだって人並に性欲はある。
「もっとドキドキしてくれても良いと思うけどね。修行僧でも目指してるわけ?」
桔梗はそう言いながらオレの手を両手で掴む。
そのまま何の躊躇いもなく、オレの手を自分の胸に導いた。
手の平全体に広がる柔らかな感触。ドクドクドクとーー心臓の鼓動も一緒になって伝わって来る。
「これぐらいが普通だから」
「っ」
顔を赤くしながら、まるで挑むようにオレを見つめてくる桔梗。
そのくせ、どんどんと早くなっていく鼓動の音。恥ずかしいならやらなければ良いのにとは思うが……人生初めて触れた女性の胸。もう少しだけ触って感触を楽しみたい気持ちがある。
なので是非とも続けて欲しい。
「ぷっ、さっきよりドキドキしてる」
「当たり前すぎる……」
桔梗はもう一度だけ片手を伸ばし、オレの鼓動の音を確かめながら笑った。
とても嬉しそうだ。
「綾小路くん」
「どうした、桔梗?」
「何でもない。ただ言ってみただけ」
「……そうか」
「そうよ」
ドキドキドキと鼓動を早めながら、彼女は淡く微笑んだ。
ーーピンポーンーー
部屋に響くインターホンの音。顔を上げるオレと桔梗。
時間は10時を少し過ぎている。こんな夜分に誰だ? 非常識だな。
オレが対応するより先に、ガチャリと扉が開かれる音。
「お邪魔するわよ」
「非常識だな!?」
オレは桔梗の顔を見る。
ーー鍵は!?
流石の桔梗も動転した様子でオレを見る。
ーー忘れてたっ!
オレはともかく、下着姿の桔梗を見られるのは流石にヤバイ。言い訳も難しいし誤解は必須。
オレは『最高傑作』に恥じない軽快な動きで、お呼びではない来訪者の前に立ち塞がる。
「どうして電気を消しているの。暗いじゃない」
そう言って玄関の照明をつける鈴音。そのまま玄関に置かれた靴……桔梗の靴に目をやった。
「やっぱり櫛田さんが部屋に来ているのね。こんな時間まで男の部屋に上がり込んで、一体何を考えているの? 非常識だわ」
「鏡でも持ってこようか?」
「不要よ。それよりも部屋に上がらせてもらうわ」
なんて不遜なーー。
「って、待て待て。勝手に上がるな。帰れ」
「帰るわよ。櫛田さんを連れて一緒に」
「お前がわざわざ言いに来なくても、桔梗にはオレから言っておく。というか、もう帰る寸前だったんだ」
「桔梗……? あなた、櫛田さんのことを名前で呼ぶの?」
今はどうでもいいだろ、そんなことはっ。
「……らしくないわね。何をそんなに焦っているの? それに、部屋が暗いのはどうして? 綾小路くん、あなたは櫛田さんと一体何をしていたの?」
確かに胸は触ったが、そんな目を向けられるほどやましいことは……いやアウトか? しかし、正直に話せる内容でもない。
「自分の行動を振り返った方が良いよ、堀北さん。
「櫛田さん……」
服をきちんと身に着けた桔梗が顔を出す。
彼女はそのままオレの横に立った。
「清隆くん、今日は本当にありがとう。とっても楽しくて、とっても嬉しかったよ」
「お、おう」
頬を染めながらも可憐に微笑む桔梗。
表の作られた表情なのは分かったが、いつも以上にグッとくる……が、鈴音の冷たい視線のせいで落ち着かない。
「また明日ね、清隆くん。おやすみなさい!」
「お、お休み」
「ほら、堀北さんも、早く部屋に戻ろう」
「ちょっと、勝手に触らないでっ。腕を放しなさい!」
上機嫌な桔梗と不機嫌な鈴音。
Dクラスの少女2人が、バタバタとオレの部屋から出て行った。
訪れる静寂の中で、オレは深い溜息を吐く。
あのままの雰囲気だと、少し危なかったかもしれない。それをぶち壊した鈴音には、多少の感謝はしなくもなくもない……かもしれない。
まあどっちにしろ、疲れた……。
◇綾小路清隆
・原作と違い、πタッチの感触を味わった。しかし、最後の最後で一気に疲れが押し寄せて来た。占いで女難の相が出ていたことを思い出す。
◇櫛田桔梗
・初めて友達となった日。本性を受け入れられていた時点で好感度は高い。
綾小路なら自分の『過去』を知っても、
◇堀北鈴音
・部屋に不法侵入してくるヤベー女。