来たる日のための裁判には、六法全書を持ち込まない   作:ほてぽて

3 / 5
3. 消えた猫②

 

 

 喫茶店を出る。

 

 ガラス戸の向こうで店員が会釈をした。

 私は軽く頭を下げて商店街へ足を向ける。

 

 片手にはスマートフォン。

 胸ポケットにはメモ帳。

 録音機もある。

 

 準備は万全だった。

 

「おじさんも付いてきてくださいね」

 

 後ろを振り返る。

 鷺森恒一は気怠そうに欠伸をしながら歩いてくる。

 

「ああ……いるぞ」

 

 返事だけはする。

 やる気はない。

 それでも付いてくる。

 

 私は少しだけ気合いを入れた。

 今の私なら見つけられる気がした。

 

 情報を集める。

 整理する。

 繋ぎ合わせる。

 

 そうすれば答えは出る。

 

 きっと。

 

 まずはパン屋だった。

 

「おばあさんとこのタマか?」

 

 店主が腕を組む。

 

「昨日の夕方に見かけたかな」

 

 私はすぐにメモを取る。

 

 昨日、夕方。

 パン屋前。

 

 次は魚屋。

 

「いたよ」

 

 魚を捌きながら店主が答える。

 

「昨日の午後にな。小魚欲しそうに見てたから少しやった」

 

 昨日午後。

 魚屋。

 

 さらに記録。

 

 八百屋。

 

「今朝見たかな」

 

 野菜を並べながら答える。

 

「日向で寝てたぞ」

 

 今朝。

 八百屋前。

 

 私は次々に書き込んでいく。

 

 商店街を行き交う人にも声を掛けた。

 

「今日の昼に公園で見たかも」

 

「猫が集まってるところにいた」

 

「昼くらいに走ってた」

 

「昨日は喫茶店の前で寝てたな」

 

「知らない」

 

「裏通り歩いてたぞ」

 

「見てない」

 

「分からない」

 

 情報が増える。

 

 どんどん増える。

 

 なのに。

 

 私は眉を寄せた。

 

「……おかしい」

 

 立ち止まる。

 

 メモ帳を開く。

 

 書き込まれた証言。

 

 昨日の夕方。

 

 昨日の午後。

 

 今朝。

 

 昼。

 

 公園。

 

 裏通り。

 

 魚屋。

 

 喫茶店。

 

 八百屋。

 

 全部違う。

 

 一致する情報がない。

 いや、

 正確には違う。

 全部が一致している。

 

 タマはいつも通り商店街を歩いていた。

 それしか分からない。

 

 ボールペンを頬に当てる。

 

「んー……」

 

 唸る。

 

 恒一はその後ろで缶コーヒーを飲んでいた。

 

 何もしていない。

 本当に何もしていない。

 

 私は聞き込み。

 私は記録。

 私は整理。

 私は推測。

 

 おじさん。

 缶コーヒー。

 以上。

 

「わりぃ、トイレ行ってくる」

 

「……あ、はい」

 

 恒一が喫茶店の方へ戻っていく。

 

 私は近くのベンチに腰掛けた。

 

 去っていく背中を見る。

 

 少しだけ不満が湧く。

 もっと協力してくれてもいいのに。

 

 そう思う。

 けれど。

 私が勝手に首を突っ込んでいるだけとも言える。

 

 元々はおばあさんの依頼だ。

 

 恒一は付き合ってくれているだけ。

 

 それも分かっている。

 

 分かっているけれど。

 

「探してくれてありがとうねぇ」

 

 声がした。

 

 顔を上げる。

 

 依頼人のおばあさんだった。

 

「毎日顔見せてくれるんだよ」

 

 優しく笑う。

 

「朝になると来てねぇ」

 

「ご飯食べて」

 

「縁側で寝て」

 

「夕方になると出ていくんだ」

 

 少し寂しそうだった。

 

「息子みたいなもんでねぇ」

 

 その言葉に私は何も言えなくなる。

 

 ただ頷く。

 

「大丈夫です」

 

 代わりにそう答えた。

 

「絶対に見つけますから」

 

 おばあさんは少し驚いたように笑った。

 

 そしてポケットから何かを取り出す。

 

 飴玉だった。

 黄色い輪っかの飴。

 昔ながらの駄菓子。

 

 懐かしい。

 

「ありがとう」

 

 受け取る。

 

「無理しないでねぇ」

 

 その言葉を残しておばあさんは去っていった。

 

 私は飴を見つめる。

 

 少しだけ想像したら、胸が痛かった。

 

 

 毎日来る。

 ご飯を食べる。

 寝る。

 そして帰る。

 

 当たり前のこと。

 

 それだけのこと。

 

 それだけなのに。

 

 帰ってこなくなる。

 

 空の皿。

 毛布。

 そこに猫がいないだけ。

 

 

 そんなことがある。

 

 私は飴を握る。

 

 その時だった。

 

「戻ったぞ」

 

 聞き慣れた声。

 

 恒一が戻ってきた。

 

 ベンチへ腰を下ろす。

 深く背を預けて、足を投げ出す。

 昼寝を始めそうな姿勢。

 

 いや。

 

 たぶん始める。

 この人はそういう人だ。

 私はしばらく黙って見ていた。

 

 そして。

 

 限界だった。

 

「あの」

 

「ん?」

 

「おじさんも探してください」

 

 少し語気が強くなる。

 

 恒一は気にした様子もない。

 

「探してる」

 

 即答。

 

 私は眉をひそめた。

 

「どこをです?」

 

「猫」

 

 沈黙。

 

 腹が立つ。

 どうしてそんなに呑気でいられるのか。

 

 十四歳。

 

 高齢猫。

 

 事故だってある。

 病気だってある。

 誰かに連れて行かれたかもしれない。

 どこかで動けなくなっているかもしれない。

 

 死んでいるかもしれない。

 

 考えたくない想像ばかりが浮かぶ。

 

 どんどん。

 どんどん。

 悪い方へ。

 

 最悪の方へ。

 転がっていく。

 

 見つけなきゃ。

 早く。

 

 何か起きてからじゃ遅い。

 取り返しがつかなくなってからじゃ遅い。

 

 私は立ち上がった。

 

「もういいです」

 

 恒一がこちらを見る。

 

「私一人で探しますから」

 

 声が少し震えていた。

 

「おじさんはそこで寝ててください」

 

 吐き捨てるように言う。

 

 そして歩き出そうとする。

 

 その背中へ。

 恒一の静かな声が落ちた。

 

「瑠夏」

 

 足が止まる。

 振り返らない。

 

「猫はな」

 

 少し間があった。

 

「お前より猫やってる歴が長ぇぞ」

 

 私は眉を寄せる。

 

 意味が分からない。

 けれど。

 その声だけは妙に落ち着いて聞こえた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。