万事屋銀ちゃん シャーレ支部日誌   作:Jon.Do

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シロコちゃん回です。メインヒロインをユウカかシロコか悩むくらいにシロコ可愛い。


銀ちゃんとロングライダーと。

 銀時はガタガタと激しく震えるスクーターのハンドルを必死に抑え込み、アクセルを限界まで捻りながらアビドスへと急いでいた。

 

「間に合え、間に合えっ……!」

 

 ヘルメットの隙間から吹き付ける砂混じりの風を浴びながら、銀時は焦燥感を露わに声を絞り出す。

 彼がこれほどまでに遮二無二スクーターを走らせている理由は、先ほど突然シロコから送られてきた、たった数行のモモトークのメッセージだった。

 

 ──────────

 

『暫く遠出することになったの。みんなには連絡入れてたんだけど、先生にも送っておこうかなって思って』

 

『は? 急にどした?』

 

『ん、大したことじゃないから。じゃあ、またね。先生』

 

 ──────────

 

 彼女は本当に口数が少ない。その短い文面の裏に、何か深い事情や思い詰めるようなことがあったのだろうか。

 銀時の脳裏に真っ先に浮かんだのは、かつてアビドスに滞在していた頃、一人で勝手に責任を背負い込んで対策委員会を退部し、カイザーに雇われようとしていたホシノから残されたあの手紙の一節だった。

 

『あの子は誰かが隣で支えていないと、道を踏み外しちゃう子だから……』

 

 ──つまり、彼女は突拍子もなくとんでもないことをやらかすタイプである、ということだ。

 普段から事あるごとに銀行強盗を提案してきたりと、その危うい片鱗自体は銀時もこれまで何度も見てきた。けれど、まさかアビドスを出ていこう、だなんて。あのホシノの言葉が、最悪のタイミングで現実味を帯びて銀時の胸に突き刺さる。

 

 そのメッセージを受け取った瞬間、銀時は隣のデスクで「ちょっと先生、まだ書類が残って──!」と呼び止めるユウカの声すら耳に入らないままにシャーレを飛び出し、そのままスクーターを走らせていた。

 

 流石はミレニアムの超技術で作られた機体というべきか、燃料の補給など一切気にすることなく砂漠の悪路を突っ走らせたまま、銀時はどうにか、見慣れたアビドス高等学校の校門の前へと辿り着くことができた。

 

 すると、ちょうどそこへ──薄手のスポーツタイプのライディングウェアを身に纏い、首にかけたタオルで額の汗を拭いながら、愛用のロードバイクを押して校門を出ようとしていたシロコとどうにか出くわすことができた。

 

「……ん? 先生?」

 

 スクーターのブレーキを軋ませて滑り込んできた銀時の姿に、シロコは不思議そうにパチパチと目を瞬かせる。

 

「シロコ! お前今回は何考えて、暫く出て行くなんて……!? 待て、早まるんじゃねえ!」

 

「ん……? そんな必死になって、どうしたの? 私、さっき出発前にロードバイクの点検がてら、学校のトラックを200周くらい走って調整してたところなんだけど……どうしてアビドスに?」

 

「どうしてはこっちのセリフだっての! どこ行くつもりなんだお前は!? まさか借金に片を付けようと、どっかの金庫でも襲うつもりじゃねえだろうな!?」

 

 息を荒くしてまくし立てる銀時を見つめ、シロコは少しだけその耳をピクピクと動かした。やがて、彼の慌てぶりの理由を自分なりに解釈したのか、シロコはふっと銀時に顔を寄せ、どこか嬉しそうな笑顔を見せた。

 

「……もしかして、先生……」

 

「ああ!?」

 

「……先生も運動に興味、湧いてきた? 一緒に自転車で遠出、してくれるの?」

 

「……は?」

 

「キヴォトス縦断ライディング」

 

 シロコは当然のように、その耳をぴこぴこと揺らしながら言った。

 

「キヴォトス縦断ライディング!?」

 

「ん、さっきモモトークで送った通り。先生のおかげでアビドスの財政にも最近少しだけ余裕ができてきたから。前から一度やってみたかったんだ、本格的なロングライド」

 

 シロコはいつになくワクワクとした、輝くような眼差しをしながら愛用のロードバイクのハンドルを愛おしそうに撫でる。

 

「すごく大袈裟な感じがする名前だけど、実際はキヴォトスの公道に沿って、あちこちの自治区を回るだけだから。もし本気で文字通りの未開地まで含めた縦断をしようとしたら、何ヶ月もかかるだろうし……今回はただの、ちょっと長いサイクリング」

 

「……なんだ、そーゆーことかよ……」

 

 銀時は全身の力が一気に抜けたように、ぐったりとスクーターのハンドルに片腕を置き、軽く俯いて深いため息をついた。

 自分の勘違いと、相変わらず言葉が足りなさすぎる少女に振り回された疲労感が、一気に肩にのしかかってくる。

 

「ん……よくわからないけど、誤解させちゃったみたいだね。ごめん。……でも、私のためにこんなに必死になって、心配してもらえるなんて思ってもみなかった」

 

 シロコは少しだけ申し訳なさそうに耳を伏せたが、その瞳にはどこか温かい色が宿っていた。普段はあまり感情を表に出さない彼女にしては珍しく、素直な言葉が口を突いて出る。

 

「いや、いい。俺の早とちりだっただけだし……。ところで、そんな大層な旅に一人で行くのか?」

 

 銀時はスクーターのシートにどっかりと腰を落ち着かせ、額の汗を手の甲で拭った。アビドスの面々がシロコを一人で放り出すとも思えなかったが、彼女の口から返ってきたのは予想外の答えだった。

 

「ん。みんなも誘ってみたんだけど、あんまり乗り気じゃなかったから。四千キロをたったの三週間で走り抜くだけの、ごく普通のメニューなんだけどな……。もしかして、みんなこのライディングウェアのデザインが好みじゃなかったのかな? 長時間効率よく走る時は、こういう機能性のあるピチッとしたウェアが一番いいのに」

 

 シロコは自分の体にフィットしたスポーツウェアの裾を少し引っ張りながら、不思議そうに首を傾げた。その表情は至って真剣そのものだ。

 

「そーゆーことじゃねえと思うぞ絶対。単純にその過酷すぎる移動距離と日数にドン引きしただけだと思うぞ銀さんは」

 

 プロのロードレーサーでも白目を剥きそうな数字をサラッと言ってのける少女に、銀時は思わずツッコミを入れた。しかし、シロコにはその常識外れな数字がどれほど異常か、いまいちピンと来ていないようだった。

 

「ん……? そうかな。でも取り敢えず、そろそろ出発するね。あまり遅くなると今日の目標地点に届かなくなっちゃうから」

 

 そう言うと、シロコはロードバイクに跨り、背中に担いだ大きなバックパックのストラップをきゅっと締め直して、身を軽く揺らした。

 

「準備は万端。予備のチューブと空気入れ、各種修理道具、携帯の充電器と予備バッテリー、あと野宿用のコンパクトなキャンプ用品とか洗面用具も……」

 

 彼女が指折り数え上げる旅の装備を眺めながら、銀時は呆れ半分、感心半分といった様子で、彼女の背中にある大きな荷物を見上げる。

 

「野宿もするとかだいぶ本格的だなおい。女子高生の一人旅の装備じゃねえぞそれ」

 

「ん、場所によっては人気のない道を何日も走らなきゃいけなかったりするから。私は最悪3日くらいなら寝ないで走り続けられるけど、ロードバイクと私自身の体力のパフォーマンスを維持するためにも、やっぱり最低限の休憩は取らないとね」

 

 さらりと言ってのけるシロコの恐るべき身体能力に、銀時は思わず遠い目になった。アビドスの面々がこの超過酷な旅路を辞退した本当の理由が分かった気がした。

 

「……本当に一人で……大丈夫なんだろうな、お前さんは。アビドスん中じゃなかなかのスタミナ持ちだし」

 

 ふう、と銀時は本日何度目か分からないため息を漏らし、眉を下げながらも、どこか諦め気味の仕方なさそうな笑みを浮かべて見せる。だけど、と銀時は真面目なトーンを少しだけ混ぜて続けた。

 

「……休憩するごとに連絡は絶対入れろよ。途中で倒れられちゃ夢見が悪くて敵わねえ」

 

「ん……そっか、モモトーク。それがあればいつでも連絡できるもんね。わかった。休憩するごとに連絡入れるよ」

 

 シロコは小さく笑みを浮かべてから、細い指先でハンドルをきゅっと握り直した。

 

「ん……ありがとね、先生。おかげで頑張れるかも」

 

「俺に連絡入れるだけでか?」

 

 銀時は少し照れくさそうに首の後ろをボリボリと掻き、半目で彼女を見つめる。

 

「私にとってはすごく大切なこと、だから。……それじゃ、行ってきます。先生」

 

 そう言い残すと、シロコはペダルに足を乗せ、力強く踏み込んだ。

 

「おう、気張ってこいよ」

 

 爽やかな風を切り裂きながら、ぐんぐんと加速していく。銀時はスクーターに跨ったまま、砂埃の向こうへと駆け出し始めたシロコの真っ直ぐな背中を、その姿が小さく見えなくなるまでじっと見送っていた。

 

 ──────────

 

「……てなわけでさ。アイツを見送ったってわけ」

 

 銀時はシャーレのオフィスに戻るなり、ソファにどっかりと腰を下ろしてそう言った。

 

「あはは……確かにメッセージがそれだけだと、不安になっちゃいますよね……」

 

 彼が仕事を放り出して飛び出した当初は、書類から逃げ出したとしてかなりの剣幕で怒っていたユウカだったが、事情をすべて聞き終えると、ようやく納得した様子で苦笑いを浮かべた。手元に抱えていたバインダーを机に戻し、ふうと息をつく。

 

「……てか縦断で4000キロか……キヴォトスってそんな広いんだな」

 

 銀時は自分のスクーターのメーターを思い出しながら、しみじみと呟いた。東京から福岡まで往復してもお釣りがくるような距離を、女子高生が自転車一台で走破しようとしている事実が、未だに少し信じられないのだ。

 

「何言ってるんですか、先生。キヴォトスは数多くの学園自治区が集まった巨大な学園都市なんですから、それくらい当然ですよ」

 

 ユウカは呆れたように肩をすくめると、待ってましたと言わんばかりに人差し指を立ててみせた。

 

「いいですか? 私たちのミレニアムや、ゲヘナ、トリニティといった主要な学園の自治区だけでも、それぞれが一つの大都市や地方並みの面積を持っているんです。それに加えて、アビドスのように広大な砂漠を抱える地域や、どこまで続くか分からない荒野、さらにはどこの学園にも属さない未開拓の無法地帯まで含まれているんですよ? それらを縦断するとなれば、公道を通るルートだけでも四千キロなんてすぐに達してしまいます」

 

 ユウカは端末を操作し、ホログラムの簡易的な広域地図を空間に投影して見せる。

 

「むしろ、その距離をたったの三週間で、しかも自転車で回りきろうとするアビドスのシロコさんのスケジュールが完全に常識を逸脱しているんです。……全く、無事に帰ってきてくれればいいですけど」

 

 地図を見つめながらそう締めくくったユウカの横顔に、銀時は「全くだよ、あのアイツのスタミナはバグってんだわ」と同意するように、気楽な調子で鼻を鳴らす。

 

 その瞬間、銀時の着流しの懐からピコン、と軽快な通知音が響いた。

 

『先生、そろそろアビドスを抜けるよ』

 

 画面に表示されたシロコからの短いメッセージに、銀時は思わず目を丸くして端末を見つめた。

 

「え、少し前に出たばかりだろ。早えな……」

 

「……本当に早いですね。アビドスの広大な自治区を、自転車でもう抜けそうだなんて……」

 

 横から画面を覗き込んだユウカも、流石に計算外だったと言わんばかりに驚きの表情を浮かべる。

 呆気にとられる二人の前で、画面には続けて次のメッセージがぽんと表示された。

 

『最初の休憩はここら辺で、明日の昼ちょうどくらいになると思う。位置情報、送っておくね』

 

 送られてきたマップのピンは、アビドスを完全に離れた遥か遠くの地点を指している。どうやら彼女は、今夜は一晩中走り続ける気満々のようだった。

 

「……なるほどねえ……」

 

 銀時は端末の画面を眺めながら、ぽりぽりと頬を掻いた。彼女の驚異的なペースに感心しつつも、律儀に約束を守って連絡を入れてくる教え子の姿が、どこか頭から離れない。

 

「……まあ、大体先生の考えることはわかりました。シロコさんのことが気になって仕方ないんでしょう?」

 

 ユウカはフッと息をつき、バインダーを胸に抱え直して銀時をじっと見据えた。

 

「でも! その前にちゃんと今日の仕事のノルマはこなしてもらいますからね! 先生がサボったら、シロコさんの旅の応援どころじゃなくなりますから!」

 

「へいへい、わかってますよーだ」

 

 銀時は盛大なため息をつきながら未処理の書類の山へと手を伸ばし、シャーレのオフィスには再び、ペンを走らせる静かな音が響き始めるのだった。

 

 ──────────

 

 次の日。シロコが休憩場所として選定したのは、どこまでも続く青い海を見渡せる、海岸道路沿いの小さな東屋だった。

 銀時は彼女の到着よりも随分と早めにその場所に着き、潮風に吹かれながら待っていた。すると少しして、遠くの地平線から陽炎を揺らし、もの凄いスピードでこちらへと向かってくる一台のロードバイクの姿が見えた。ペダルを漕ぐ足の回転は衰えるどころか、むしろ加速しているようにすら見える。

 

「……やっぱり、先生だ。どうして、ここに……?」

 

 東屋の前に滑り込み、綺麗にブレーキをかけて止まったシロコは、ヘルメットの下から驚きに満ちた目を丸くした。

 

「どうしても何も、こーゆー過酷な旅にはサポーターがついてるもんだろ。ほら、こーゆーのを持ってきてやったりとかさ」

 

 銀時はよっこらしょとベンチから立ち上がると、背負っていた大きなバッグから様々なものを手際よく取り出し、木製のテーブルの上に並べていった。

 汗を拭うための清潔な新しいタオル、キンキンに冷えたスポーツドリンクが入ったボトルを数本、その冷たさを維持するための保冷剤付きのケース。さらに、ここ一番の踏ん張り時に効きそうなエナジードリンク。そして、頭から被ったり機材を洗ったりできるように、大きめのボトルに並々と入った大量の水。

 

「……これ、私のために……?」

 

「お前以外に誰がいるっつーんだよ。徹夜で走りっぱなしなんだろ? そろそろタオルも汗でぐしゃぐしゃになって匂ってくる頃だろうし、持ってた飲み物もすっかり温くなってんだろーから」

 

 シロコはきょとんとした様子でテーブルの上の冷たい物資を見つめ、それから銀時の顔を、何度も交互に見遣った。言葉は少なかったが、その耳が驚きと微かな喜びで小さくピクピクと動いていた。

 

「……あ、ありがとう。ちょうど残りの水分も心許なかったから、本当に助かる」

 

 シロコは差し出されたボトルの冷たさを確かめるように両手で受け取ると、ほっとしたように息を吐いた。

 

「いーんだよ。取り敢えずそこで涼んでけ。冷やしたカットフルーツも持ってきてあるからな」

 

 銀時はそう言って、カバンの奥からさらに別の保冷ケースを取り出そうとした。だが、そんな彼の至れり尽くせりな様子を見て、シロコは少しだけ俯きながら、躊躇いがちに言葉を口にする。

 

「……えっと、私、やっぱり先生に迷惑……」

 

「迷惑じゃねーよ」

 

 銀時はシロコの言葉を遮るように、あっさりと、けれど遮る余地のないトーンでそう言った。

 

「こーゆーチャレンジは、若いお前らだからこそできることなんだよ。俺はこれでも一応お前の先生なんだし、生徒のやりたいことのサポートくらい、できるだけするっつーの」

 

「……先生」

 

 シロコはその言葉を噛み締めるように静かに視線を落とすと、嬉しそうに小さな笑みを口元に浮かべた。それから、体内に籠った熱を逃がすためか、彼女は徐にライディングウェアの首元のジッパーへと手をかけ、それをすうっと少し下ろして胸元を露わにした。

 

「!? おま、急に何を……!?」

 

 もちろん、肝心な場所というか、胸元の大切な部分まで見えているわけではない。海水浴場の水着姿などでも普通に見えるほどにしか開かれていない。……とは言え、あまりにも躊躇いのない仕草で突然目の前でウェアを緩ませた彼女の行動に、銀時は盛大に狼狽えながら、慌ててバッと顔を背けて目を逸らした。

 

 すると、シロコは用意されていた大きなボトルを手に取ると、躊躇うことなく頭からぱしゃっ……と水を被り、火照った体や頭を濡らし始めた。

 ボトルに入った水はしっかりと冷たく、浴びるだけでも心地がよかった。灼熱の太陽の下、何時間も走り続けて汗でベタついていた肌の違和感がすうっと薄まり、体中の疲労まで一緒に洗い流されていく気がする。

 

「ん、……すごく気持ちいい」

 

 ふう……と満足そうに息をつき、シロコは短く切り揃えられた銀髪を濡らす水を払うように、犬のように頭をブルブルと振った。水滴が陽の光を浴びてキラキラと周囲に飛び散る。

 

「……ありがと、先生。その、なんて言うのかな……こんな風に、誰かにしっかりサポートしてもらえたの、初めてで。……先生が来てから、毎日新しいことがあって。とても楽しい」

 

「……そーかよ」

 

 銀時は彼女から目を逸らしたまま、ぶっきらぼうに返事をした。

 一瞬だけ視界に入ってしまった彼女の胸元。普段は制服のせいか着痩せしているように見えて意識していなかったのだが……ノノミやアヤネのそれほどではないにしても、そこには年頃の女の子らしい、健康的でしなやかな膨らみの丸みがあった。その残像がどうしても脳裏から振り払えず、銀時はバツが悪そうにポリポリと首の後ろを掻いていた。

 一方のシロコも、水滴を拭いながら、自分の胸の奥で普段感じることのなかった妙な違和感のようなものに、ふと首を傾げる。

 

(……どうしてだろ。心臓の音、いつもよりうるさい。走るのをやめて、息はちゃんと整えてるはずなのに……)

 

 いつもなら運動の後にこれほど動悸が長引くことなんてない。砂漠の炎天下で四千キロの旅に出る時ですら平然としていられた心が、目の前の男の、ほんの少しの視線の揺らぎや不器用な優しさに触れただけで、おかしなリズムを刻み始めている。

 シロコは胸元に片手を当て、ぽつ、と小さく呟いた。

 

「……変なの。こういうのも、初めて」

 

「あ? 何が?」

 

「んーん、なんでも。そんなことより、フルーツ食べたい。早く出して」

 

「その前にお前はその開いた胸元をどーにかしろっての……。目のやり場に困んだろーが」

 

 銀時は呆れたようにそうブツブツと呟きつつも、手元だけを動かして、改めて保冷ケースからよく冷えたタッパーを取り出すのだった。

 

 ──────────

 

 二人が東屋のベンチに向かい合わせになって、よく冷えたカットフルーツを静かに食べていたところ、ふとシロコが頭の上の獣耳をパタパタと揺らしながら、銀時に問いかけた。

 

「……そういえば、先生」

 

「ん?」

 

「さっき、私がウェアのジッパーを下げて少し緩めた時、先生慌てて目を逸らしたよね。なんで?」

 

「ぶっ……!」

 

 不意を突かれたその問いかけに、銀時は口に含んでいた桃の汁が変なところに入りそうになり、激しくむせ返りながら自分の胸元をドンドンと叩いた。対するシロコは、からかう風でもなくごく真面目に純粋な疑問として問いかけている様子で、濡れた髪を軽く傾けて彼を見つめている。

 

「……先生って、大人だよね。大人なら、その……女の人の肌とか、そういうの見慣れてるんじゃないかなって思って」

 

 シロコはフォークで梨の切り身をつつきながら、至って淡々と、まるで明日の天気でも尋ねるかのような気軽さで言葉を重ねる。

 

「……お前さぁ、女の子がそーゆー生々しい話すんなら同性相手にしなさいって。男相手に、それも一応は大人で教師の立場にある人間相手にする質問じゃねえぞマジで」

 

 銀時は自分の胸元をトントンと叩いてようやく呼吸を整えると、未だに少し赤みの残る顔を隠すように、わざとらしく眉間にシワを寄せて説教じみた口調を気取る。だが、シロコはそんな彼の態度に怯む様子もなく、じっとその半目を見つめ返した。

 

「でも、知りたい。先生の、その……女性遍歴」

 

「女性遍歴言うな。生々しさが倍増すんだろーが。……お前さんが期待してるよーな相手はいねーよ、こちとら万年独身だ独身」

 

 あからさまに嫌そうな顔で突き放す銀時だったが、シロコはふむ、と小さく顎を引くと、さらに一歩踏み込んだ疑問を口にしようとする。

 

「ん、じゃあ童て──」

 

「言わせねーよ!? あと一文字で社会的に死ぬわ! 言うな!」

 

 とんでもない単語をサラッと口にしようとした教え子を、銀時は全力のツッコミで制止した。

 

「ったく、なんで女の子ってどいつもこいつも、いざそーゆー話になると興味持っちまうんかね……。男子高校生の修学旅行の夜よりタチ悪ぃわ……」

 

 銀時は心底疲れたように盛大なため息をつきつつ、手元に残った桃の切り身をぱく、と口に放り込みながら言葉を続ける。

 

「いいか、お前はまだ嫁入り前の未成年だろ? それに俺にとっては教え子。大人として、大人と子供の間に引かれた超えちゃいけねえラインっつーか、諸々の境界線があんの。だから目を逸らすのが大人のマナーってやつよ」

 

 そうやって、どこか自分に言い聞かせるように語る銀時の言葉を聞きながら、シロコは手元のフルーツのタッパーに視線を落とし、ポツリと呟いた。彼には聞こえないほどの、ごく小さな声で。

 

「……先生になら、別に超えられても、いいのに」

 

「あん? なんか言ったか?」

 

「ん、何も言ってない。……この梨、すごく甘くて美味しいね」

 

 シロコはすっと話を逸らしつつ、みずみずしい果物を再びぱくっと口にし、幸せそうな笑みを浮かべる。そんな彼女の様子に銀時はそれ以上追及することもできず、「そりゃ良かったな」と、未だに残る喉の奥の熱さを誤魔化すように冷茶を煽るのだった。

 

 ──────────

 

「……本当に、いいの? 使ったタオルとか、空のボトルとか預けちゃって」

 

 休憩を終えて東屋の屋根から出たシロコが、使用済みの荷物が入った袋を手にした銀時に問い掛ける。その表情には、ほんの少しの申し訳なさが滲んでいた。

 

「こんなの持ったまま走ってたら嵩張って仕方ねえだろ。タオルは洗って干しといてやるよ」

 

「……ありがとう、すごく助かる」

 

 シロコは目を細めるようにして笑みを浮かべ、銀時を見つめた。ぶっきらぼうで、言葉遣いもだらしない。けれど、こうして自分の無茶を心配してくれて……誰よりも近くで助けてくれる。

 

「本当は少しだけ、心細かったけど。ひとりじゃないんだね、私」

 

「……お、おい……?」

 

 ふと、シロコの突然の行動に、銀時の声が裏返った。

 

 彼女がすっと手を伸ばしてきたかと思えば、銀時の手首をごく自然に掴み──そのまま彼女自身の頬へと持ち上げたかと思えば、すりすりと愛おしそうに擦り付けてきたからだ。シロコはそっと目を閉じて、自分のものとは明らかに違う大人の男の掌の分厚さや、皮下に浮かぶ骨の太さを確かめるように、その温もりに身を委ねている。

 

「……よし、チャージできた。また頑張ってくるね」

 

「え、待て待て。何さっきの。何その未知のスピリチュアルな儀式……」

 

「行ってきます。また休憩する場所、決めたら教えるね」

 

「お、おい……!」

 

 銀時が慌てて呼び止めるよりも先に、シロコは軽やかにロードバイクに跨ると、再び勢いよくペダルを踏み込んで自転車を走らせ始めた。

 砂埃の向こうへと遠ざかっていく彼女の後ろ姿を見送りながら、銀時は自分の掌を見つめる。そこには未だに、先ほどまで触れていた彼女の吸い付くような肌の感触と、女の子特有の圧倒的な柔らかさの余韻が残っていた。

 

「……女の子って怖え」

 

 ポツリと、銀時は誰もいない東屋の公道でそう一言だけ呟いた。男子高校生のノリで突っかかってきたかと思えば、急にこういう無自覚な凶器を振り回してくるのだから、本当にたまったものではない。

 そうして銀時は、まだ少し熱い掌をズボンのポケットに突っ込むと、重い腰を上げてスクーターへと戻るのだった。

 

 ──それから数日の間。彼女から休憩場所の連絡が入るたびに、銀時がスクーターを飛ばして補給物資を届けに行くという二人の日々が続くこととなる。




ここまで読んでくださりありがとうございます。
シロコちゃんのスチールの汗の生々しさが好きです(真顔)
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