「そう遠くない内に襲来するわ」
と、言ったな。あれは嘘だ。
バーテックスの残党の存在が明らかになってからかれこれ一カ月経過し、暦は九月に移って二学期が始まってしまった。大赦からの続報もなく、勇者部は『本当に残党なんているのか』という空気になりつつあった。
「まぁ、弘法も筆の誤りって言うし? 神樹様も勘違いすることはあるよ」
放課後、備品の整理に忙しい部室でお姉ちゃんが笑いながら言った。それに対して夏凜さんは、
「そう気を抜いていると足元をすくわれるわよ。私の予想だと、明日か明後日あたりに来るわね」
「え~、明日は東郷さんのぼた餅作ってもらう日なのにー」
「ぼた餅なんていつでも作ってあげるわ」
「まったく二人は能天気ね! ……そんなことより」
夏凜さんが部室を見回す。
部室は今、ちょっとした百鬼夜行状態となっていた。私達の精霊が一斉に飛びだして、室内を飛び回っているのである。
満開の後、私達の精霊が増えた。それによって、私の精霊も元よりいた木霊と新しく加わった『雲外鏡』の計二体となった。
夏凜さんと大佐を除く人の精霊が増えて、それが一斉に部室を飛びまわっているのだから賑やかなんてものではない。どさくさに紛れて友奈さんの牛鬼が夏凜さんの義輝を捕食しているし、それはもうカオスだった。
『賑やかですね』
「そうだねー。これはもう、文化祭の出し物もこれでいいんじゃないかなぁ」
「だめよ、友奈ちゃん」
「ですよねー」
「それより、どうにかしなさいよこいつ等! 片づけの邪魔なのよ」
私の木霊が夏凜さんの頭の上でポンポン跳ねている。面白い。写真に撮っておこう。
大佐も精霊たちに人気だった。義輝を齧れなくなった牛鬼が大佐の二の腕に噛みついている。義輝も大佐がお気に入りみたいで、頭を刀で「ショギョームジョー」と言いながらペシペシ叩いていた。
「お友達みたいだね。ボディーランゲージで愛情を示してる」
お姉ちゃんが評する。
部室には平和な空気が流れていた。バーテックスとは無縁な、穏やかな時間。
でも、基本的にバーテックスのような類はそういうタイミングに襲来するもので、
「!」
スマートフォンが鳴り響いた。画面には、毎度お馴染み『樹海化警報』の文字。とんでもねぇ、待ってたんだ。いや、待ってなんかないけど。
「ほら、神樹様を疑うから。罰が当たったのよ」
「夏凜だって予測外してんじゃん。ただのカカシね」
「言ってる場合じゃないぞ」
窓の外の景色は樹海に呑まれつつあった。
また戦いが始まると思うと身体の芯が震える感じがするけど、これが終われば前に大佐が言った通りお役御免なわけだ。神樹様への最後の奉公だと思って、頑張らなくちゃ。
※
辺りはすっかり樹海に包まれた。久々に見る景色は綺麗で、ちょっとだけ見とれてしまう。私達は変身を済ませると軽く体操した。
「よーし、さっさと終わらせるわよ。私たちなら瞬きする間に、皆殺しに出来る」
お姉ちゃんが自信満々に物騒なことを仰る。
「あれ、そう言えば大佐は」
東郷先輩が大佐の不在に気が付いた。そう言えば、さっきまで部室にいたのに姿が見えない。いつもなら私達の変身と一緒に『デエェェェェェェェエン』と完全武装しているのに。
「ま、ジョンの事だから何かしらの準備でもしてるんでしょ。さ、おいでなすったわよー」
バーテックスは既に私達のそばまで来ていた。向うで土煙を上げながら疾走している。で、そのバーテックスなんだけど、
「あの『変質者』って前に樹が細切れにした奴よね?」
お姉ちゃんが首を傾げて言う。
確かに、向うで疾走しているバーテックスは以前の戦いで私が倒した面白い見た目の奴だ。メトロノームよろしく身体を振りながら走ってるアイツ。
「もしかすると、元々二体が対に存在する個体なのかも」
「双子ってこと?」
東郷先輩の分析に友奈さんが訊き返す。なるほど、それなら納得。なんか腑に落ちない感じもするけど、うだうだ言ったところでバーテックスを倒せるわけではない。
「さー! さっさと倒してしまうわよ!」
夏凜さんが意気込む。
さっさと倒してしまうことには大賛成だった。
でも、ここへ来て、どうしても足がすくんでしまう。さっきから自分を奮い立たせてきたわけだけど、今度また身体の機能が無くなったら……治るとは、治るとは分かっていても、私は怖い……。
それはみんなも同じなようで、どうしても一歩踏み出せずにいる。恐れを知らぬ勇者だと思っていたけど、全くお笑いだ。
しばし沈黙が続いた後、夏凜さんが「よし!」と覚悟を決めたように声を上げた。
「私が行くわ」
「えっ、夏凜ちゃんが行くなら私も」
「友奈はもう満開してるでしょ。私は、まだだから」
そういえば、夏凜さんは自分だけ満開していないことをひっそりと気にしていた。私たち自身は別段何か言うつもりはなかったけど、コンプレックスに似たものを感じていたのかもしれない。
「行くわよ!」
夏凜さんは友奈さんを振り払うと地面を蹴り、跳躍した。
そして、飛び上がった瞬間、飛んできた
「ヴェッ」
撥ねられた彼女は踏まれた蛙のような声だして私達のそばに落下してきた。かなりショッキングな映像だったけど、叩きつけられた夏凜さんは全く無事で、目を回してパニックになっているだけだった。凄い。
いや、それよりも突如飛来したハリアーⅡだ。轟音を上げながら私達の真上をパスする、樹海の風景と見事にミスマッチな代物に私達は声を失った。
しばしすると、みんなのスマホに着信があった。大佐からだ。
『ごめんなさいヨ』
「ちょっとジョン、アンタどこ行ってたの?」
『ハリアーの準備をしていた。ここは俺に任せろ』
「任せろって、ちょっとジョン!」
お姉ちゃんは電話口に怒鳴っていたけど、間もなく切られたようで、私達の方を向いて肩を竦めた。
電話が切れると大佐を乗せたハリアーⅡは私達の上を旋回し、機首を疾走するバーテックスに向けた。次の瞬間、機体に装備された機関砲が火を噴き、弾幕がバーテックスの身体を引き裂いた。バーテックスは軋みを上げながら転倒する。ハリアーⅡはその上を悠々とパスしていった。
「やることが派手ね」
胸のサイズが派手な東郷先輩も驚嘆の声を上げる。
ていうか、通常兵器の攻撃はバーテックスには効かないんじゃなかったっけ。だからこそ、
それに、大佐の航空支援は利はあれど害はない。せいぜい世界観が崩壊しかけるだけで、確実にダメージを与えている。
「敵が弱っているわ! 封印の儀、行くわよ!」
お姉ちゃんの号令で一同は跳び上がった。例え大佐がとんでもない攻撃力を持っていたとしても、封印の儀ばかりは私達
もがくバーテックスを取り囲む形で私達は降り立った。
「大人しくしろマヌケェ」
封印が始まるとバーテックスは例のごとくベロンと御霊を出現させる。
でも、今回は様子が違った。ベロンとした瞬間、大当たりのパチンコよろしくとんでもない量の御霊がドンジャラ溢れ出してきた。こんな光景はさすがの私も初めてだ。
「ひゅ~、キメェ」
「ど、どうしますか風先輩!?」
「どうするって、片っ端から潰すしかないんじゃないの?」
溢れ出る御霊を前にして途方に暮れる勇者部一同。そんな私たちの耳に、エンジンの轟々たる音が響いてきたのはその時だった。
大佐の乗ったハリアーⅡが、私たちから少し離れた場所でホバリングしている。ミサイルの先端がキラリと光った。こっちを狙ってるのかな?
お姉ちゃんが慌てて大佐に連絡をつける。
「もしもし」
『どうした』
「どうしたじゃないわよ。もしかしてだけど、ここにミサイルでも撃ち込もうとしてるんじゃないでしょうね」
『その通り!』
「何偉そうに言ってるのよ!」
『心配するな。対地用のマーベリックミサイルだから、威力は絶大だ』
「そういう問題じゃないの……ヤバいみんな逃げるわよ!」
お姉ちゃんがそう言ってみんなが飛び退いたのと大佐がミサイルを発射するのはほぼ同時であった。
『ぶっ飛べ!』
ハードポイントから切り離されたミサイルは次の瞬間には炎を吐きながら御魂の群れへと突き進んだ。ミサイルは群れに直撃するや大爆発を起こして、逃げようとしていた私達を吹き飛ばした。
私なんて一番そういう動きが鈍いわけだから、必然的に一番爆風の影響を受けやすいわけで、爆風にあおられたときは意識が一瞬持っていかれそうになった。で、身体を強かに打ち付けてしまって、その痛みで現実世界に戻って来た。声が出たら、大佐に文句を十ダースくらい言ってやるところだ。
まあ、御魂は大佐の爆撃で跡形もなく吹っ飛んだわけだけど。
大佐からみんなに着信があった。
『これで済んだ』
「アンタって誰かに野蛮だって言われたことない?」
夏凛さんが言った。
『いつも平気でやってることだろうが! 今さら御託を並べるな!』
「そんなぁ」
ハリアーⅡが着陸すると、コックピットから筋肉が現れて、はしごも使わず飛び降りた。
「
そんな彼にお姉ちゃんは呆れたように言った。
「相変わらずドンパチ賑やかなバーテックス退治ね。樹海を傷つけてない?」
「ノープロブレム」
「ならいいの」
いいんだ。
そうこうしてるうち、樹海が解除されていく。
「樹海化が溶けたら部室の片づけよ~」
「はーい」
……ああ、これでやっとのこと終わりなんだ。
そう思うと、嬉しいような、少し寂しいような。もっとも、寂しいと思うのは幻覚みたいなものなのだろうけど。
※
「あれ」
樹海化が解けるといつもは学校の屋上にある祠へと出る。しかし、友奈、美森、メイトリックスの三人は見知らぬ場所へと帰って来た。
「ここは……」
「どこ?」
友奈と美森は辺りを見渡してここがどこなのかを把握しようとする。どうやら神社の近くらしく、鳥居がでんと構えていた。
メイトリックスも辺りを見渡す。そして、すぐそばに聳える構造物を発見した。
「見ろ! 象さんだ!」
「大橋だこの歴史的バカモンが」
「大橋かぁ。結構遠いとこまで来ちゃったんだね」
夕日はもう少しで沈みそうで、空を照らすのは光の残滓だけだった。荘厳だが、どこか不気味さの漂う場所である。
すると、
「会いたかった~」
と、のんびりした調子の声が三人の耳を撫でた。声のする方は鳥居の向こう側で、三人は五メートル間隔で足音を立てずにそっと覗きこんだ。
鳥居の向こうには一台のベッドが置かれていた。そして、その上には全身を包帯でくるんだ、あまりにも痛々しい姿の女の子がいて、三人を微笑みながら見つめていた。
「ずっと呼んでたんだよ、わっしー。別れてからずぅっと会いたいと思ってきた……ようやくその日がやってきた。長かったぜ」
「大佐の知り合い?」
友奈がそっと尋ねる。
「いや、知らない」
「じゃあ、東郷さん?」
「いいえ、こんなキャラがブレブレな子とは初対面だわ」
「今度余計なことを言うと口を縫い合わすぞ」
包帯の少女は少し寂しそうな顔を見せた後、笑顔に戻った。
「『わっしー』っていうのは、私の昔の大親友のことで、時々思い出すんだ~。私は乃木園子。よろしくね」
「ゆ、結城友奈です!」
「東郷美森です」
「ジョン・メイトリックスだ」
三人も自己紹介をする。園子は笑いながら「はじめまして」と答えた。
戸惑いながら、友奈が質問する。
「あそこに、祠があるでしょ? 戦いが終わった後なら、呼び寄せられるんじゃないかなって」
「なるほど、でも、何でまた……」
「伝えておきたいことがあったの。余計なお世話かもしれないけど」
園子は大橋を愛おしそうに、また恨めしそうに見やった。
「私も、みんなと同じ
「えっ、そうなんですか!?」
友奈が驚いて言う。
「じゃぁ、その包帯はバーテックスに?」
「ううん。違うよ」
「じゃ、じゃあ……」
「うるさいなぁ、いちいち質問ばかりしやがってトークショーの司会のつもりか? 黙ってろ」
「ご、ごめん」
園子は視線を膝に落とすと微笑みを崩さないまま、やはり寂しそうに、
「もし、このことを知っていたら、もっと友達と、たくさん遊んで、たくさん笑ってたんだろうなって、少し後悔してるの。だからさ、伝えておきたくて……」
園子は言うとポツリと涙を落とした。先ほどから口を閉じていた美森がそっと訊く。
「あなたの話はスカートの上から尻を撫でるようなもんだ。どうも、今一つ、実態が見えてこない。つまるところ、あなたは私達に何を伝えたいの?」
美森の指摘に園子は一度黙った。そして、小さく息を吸って、三人を見据えながら、彼女は口を開いた。
※
昨日は驚いた。樹海化が解けたら友奈さんに東郷先輩、おまけに大佐までいなくなってるんだもの。大佐に関しては度々失踪するから気にしないものの、友奈さんに東郷先輩がいなくなったのは驚きだった。
でも、今日は普通に学校に来ていたようだし、神樹様の手違いか何かだったのだろう。ただ、少し元気がないように見えたのは気になるけど。
そのせいもあってか、今日は部活はお休みだった。
部活の帰りはおおよそお姉ちゃんと私は別行動になる。お姉ちゃんは夕飯の買い物に行かなきゃならないからだ。でも、今日みたいに早く帰れる日は一緒に買い物へ行ったりする。だから、学校の正面玄関でお姉ちゃんの姿を認めた私は「一緒に帰ろう」という意味を込めて手を振っていた。
「あっ、樹!」
お姉ちゃんが駆けてくる。で、両手を合わせて「ゴメン!」と頭を下げた。
「先帰っててくれない? 友奈と東郷に呼び出されててさ」
友奈さんと東郷先輩に?
「それで悪いんだけど、夕飯の買い物してきてくれる? メールで送っといたから」
私がそれを承諾するとお姉ちゃんはお礼を言いながら階段を駆け上がって行った。友奈さんと東郷先輩が呼びだすというのも珍しい。もしかすると、昨日のことについて話すのかもしれない。
(気になるなぁ)
でも、こっそり聞くほどのガッツはないから、私は大人しく校門をくぐると買い物へと繰り出した。
私が買い物から帰宅してしばらくすると、お姉ちゃんも学校から帰って来た。
『お帰り。買ってきたものは冷蔵庫に入れてあるから』
「……ありがとう……」
びっくりするほど元気がない。肩を落として、目もどこかうつろに見える。お姉ちゃんらしくもねえです。
お姉ちゃんは重い足取りのまま着替えるべく自分の部屋へと消えていった。あんな感じのお姉ちゃんは、どこかで見たような気がする。
でも、部屋から出て来たお姉ちゃんは「さー! 美味しいご飯作るわよー!」と、いつも通りの元気さに戻っていて、私がそれ以上思い出すことは無かった。
晩御飯はキエフ風カツレツだった。鶏肉の中に香草入りのバターが入っているアレだ。それを齧りながら、黙々とした食事が続いた。
「……樹、どう? 美味しい?」
私は頷く。キエフ風カツレツは激ウマだった。
「そう」
しばし沈黙が続く。そして、お姉ちゃんはまた口を開いた。
「えっと、劇の練習しなきゃねー。ジョンの作った筋肉質な脚本に、私が素敵な脚色を加えておいたから、そりゃぁもうケッサクよ!」
私は箸をいったん置いて、皿の横に置いてあったスケッチブックに文字を書きこんだ。
『私は台詞のある役は出来ないから』
「あ……」
お姉ちゃんの顔に影が走るのを、私は見逃さなかった。
『裏方の仕事を頑張るね』
「そ、そうね……」
お姉ちゃんは口元に笑顔を浮かべて答えると、食事に戻った。
どうも、お姉ちゃんはまた何か隠しているような気がする……いや、間違いなく隠している。それも、私に訊かれると本人としては不味いようなことだ。それを隠すために、無理な空元気を装っているんだ。
コイツは何か裏がありますぜ。
(明日、探りを入れてみよう……)
そう思いながら、少し味の濃いお味噌汁を啜った。
次回はまた鷲尾回を予定しております。
ホントは鷲尾回をもっと早い段階で入れたかったというのは秘密だ。