Epics of the sky ~天空の叙事詩集〜   作:skyminstrel

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第1部 はじまりの空
第1章 第1話 流れゆく雲に


 さんさんと、輝く太陽。眼下には美しい平原と煌めく海。そっと耳をすませば、海岸に打ち寄せる波の音が、静かに聞こえてくるよう。

 

 横に目をやれば、緑に映える天突く山、そしてうっすらと白い水平線、地平線。そして上には、吸い込まれるような蒼が、どこまでも広がっている。

 

 空。遮るものは何もない、あらゆる方向に、どこまでも広がる世界。

 

 一羽の鳶が、翼を広げゆっくりと飛んでいく。大きく弧を描き、上昇しながら去っていこうという頃……それをはるかに超える高みを駆ける小さな影があった。

 

 やはり、鳥か? いや違う。陽光を弾く金属の翼に、尾部にあるのは同じく金属の尾羽のみならず、力強く炎を噴き出す穴。

 

 小さな飛行機だ。高速で大気を切り裂いていくその機体の操縦席では、一人の人影が頭を動かし、周囲を見渡していた。

 

 

 「チェックポイント通過。針路280へ旋回」

 

 高等練習機「フルーレ」のコクピットの中に、誰も聞くことのない声が漏れる。狭いながら、水滴型のキャノピーのおかげで広々とした雰囲気の操縦席。

 

 「左、クリア」

 

 左を向き、再びつぶやくのはそこに座る金髪の少年。歳のほどは、まだ十代半ばだろうか。

 

 そして、少年は右手に握る操縦桿をすっと倒す。それに合わせて視界一面の景色がぐっと傾き、機首の向く先の景色が流れていく。

 

 「針路よし」

 

 しばしの後、再び彼が手を動かすと、傾いていた景色が元に戻る。周囲の景色と計器、そして空図を見比べ、少年はまた前を向いた。フットバーを踏む足のブーツには、真新しい拍車を模した銀色の飾り。首に巻くスカーフの端には、”R.M”の小さな刺繍。

 

 ラファエル・マノック。それが、この少年の名。

 

 エミトリア王国騎士団の、従騎士の一人だ。

 

 

 ユミドラル大陸。それは中世以来の良き伝統を持ち続ける世界。

 

 封建制度に従い王が国を治め、貴族が城に住み、そして騎士たちはその主君と己の誇りのために、騎士道に則り戦う。

 

 だが、その伝統とともに高い技術もまた、ユミドラルの人々は備えている。技術は様々なものを生み出し、人々に与えた。電子機器、内燃機関、そして――航空機。

 

 航空機は、その高速と機動性によって、世界に革命をもたらした。

 

 かつて人が馬を乗り物とし、戦の形を変えた時のように。

 

 はるかな高みを行き、何物にも追いつかせぬ速度で戦場を駆けるその姿は、新たな時代の騎馬そのものだった。

 

 馬に乗り、平原を駆け抜けてきた人々――騎士は、その住みかを空に移した。維持するのに多くの資金を要し、思い通りに操り、戦うのには熟練の技が求められ、だがひとたび御しきれば戦場にて他の及ばぬ力を持つ航空機――戦闘機は、まさに騎馬。騎士達は空飛ぶ戦士となり、新たな愛馬を駆って生き続けている。

 

 だがたとえ地面から空へとその身を移し、馬から銀翼に乗り換えようとも、その魂は不変。天空騎士たちは飛ぶために生き、生きるために飛ぶ。それぞれの、守るべきもののために。

 

 そして今、その魂を胸に宿す騎士の卵が一人、大空を駆けていく。

 

 

 「ジャイロコンパス修正……よし。針路、右5度補正」

 

 ラファエルは的確に長距離飛行中の操作をこなす。騎士の家マノック家の長子として、日々修練に励む日々。まだ若いながら、彼は着実に技術を身に着けていっていた。機体は風の流れにもしっかりと対応し、進むべき針路へと導かれていく。

 

 「トレーナー35、こちらゴルディア伯領管制」

 

 と、不意に無線が彼の耳を打った。管制官だ。

 

 「貴機はまもなくこちらの空域を離脱する。管制を終了、識別信号リセット。有視界にて針路を維持せよ」

 

 「了解。管制を終了、識別信号リセット。」

 

 はきはきと答え、計器を設定。

 

 「高度計設定は30.01、天候異常なし。不死鳥の加護を!」

 

 「了解、不死鳥の加護を!」

 

 ラファエルは背を伸ばして答える。エミトリア王国の騎士達の合言葉と共に、交信は終了した。

 

 ここから先は、しばらく非管制空域だ。管制官の指示はなく、操縦士の判断がすべてとなる。

 

 「ふう……」

 

 一連の操作を終えると、ラファエルは少し体の力を抜いた。

 

 「いつ見ても……空は綺麗だな」

 

 そして、わずかに微笑む。騎士になるため、幼いころからずっと触れ、すっかり慣れた空。だがあの青とそれを彩る白い雲のコントラストには、何度見ても心を動かされずにはいられない、不思議な魅力がある。

 

 雲の形や空の色は、同じときは二つとしてないから、だろうか。そう、ふと思う。だから飛行機乗りにとっては、たとえ同じ航路でも毎度の飛行が心躍る冒険なのだ。

 

 冒険、と言えば。ラファエルは、数日前に宮廷の舞踏会で給仕をした際に聞かされた話を思い出していた。

 

 騎士たる者、いつか冒険の旅に出、困難を乗り越え、そこで想う女性や主君を見つけ、それを守るために自らをささげるものだと。そう、貴婦人たちがラファエルら成りたての従騎士たちに語り聞かせてくれた。

 

 むろん、ラファエルたちには詳しく理解することはできない。だが、その心に高鳴る何かを感じたのは確かだった。

 

 未だ、師匠の下で修練中の身。今日も長距離航法訓練を兼ねた、師匠の届け物を遠くの領主に届ける「雑用」の飛行だ。

 

 けれど。

 

 この飛行の先に、どんな冒険が、どんな出会いが、待っているのか……

 

 

 静かな飛行が続く。エンジン音以外に、耳にするものは長らくない。非管制空域では、めったに無線も入ってこない。

 

 眼下には、一面に広がる森林地帯。エミトリア王国の北の辺境地帯だ。ごくまれに開拓村がある程度の場所。推測航法の訓練でなければ来る事もないだろうな、とラファエルはふと思う。実際、他の飛行機は管制圏を離れてから全く見ない。

 

 かといって、もちろん気を抜きすぎてもいけない。時計と速度計を見比べて位置を確かめ、他機警戒のため頭を巡らせ……

 

 「うん……?」

 

 前方、一面の青の中に、何かが光ったのを認めた。きらきらと光る、二つの点がこちらに近づいてくる。

 

 ラファエルは目を凝らす。点は見る見るうちに近づいてくると、鋭角的な形の胴体と三角形の翼を持つ機影となる。

 

 「シュライク……リグジェリアの戦闘機?」

 

 リグジェリア王国。ラファエルの母国エミトリア王国と大陸を二分する国家である。その国の飛天騎士団が使う戦闘機が二機、ラファエルの機よりもさらに速いスピードで頭上を飛び越していこうとしていた。

 

 ラファエルは、とっさに空図を見る。今いる場所はリグジェリアとの国境近くではあるが、十分な距離のある場所。となると、あれは迎撃ではない。その事実に、ほっと胸をなでおろす。うっかりよその領空を侵して機関砲で歓迎されるのはごめんだ。

 

 二筋の飛行機雲を曳き、去っていく機影。きっと、どこかの城の舞踏会でも参加しに行くのだろう。

 

 そう思い、再度前を向いた時だった。

 

 「あれは?」

 

 前方の地面に、異質なものを見た。

 

 一面に広がる森の中に、一つの開拓村。それは、空図にも描かれている。だがその横に、大きく開けた土地があったのだ。

 

 千メートル四方程度の土地が、平らにならされている。土地のところどころに小屋などが置かれ、牛が放されており、明確な標識も、施設も見えないが。

 

 「飛行場……?」

 

 ラファエルは首を傾げた。そうとしか思えない広さと形。だが、空図にその存在を示す印はない。公に知られていない飛行場が、ラファエルの行く先にあった。

 

 開拓村の住民が最近、勝手に作ったのだろうか。それにしては、規模が大きすぎる。

 

 「いったい、何だ?」

 

 ラファエルはスロットルを絞ると、そっと操縦桿を前に倒す。機体は機首をわずかに下げ、ゆっくりと降下を始めた。冒険心にはやる従騎士は、謎の土地の正体を探るべく、大地へと近づいていく。

 

 高度を落とすにつれ、その詳細が分かってくる。一見自然のままの地面の芝生は綺麗に手入れされ、また小屋は形や作りがあまりに不自然で、いかにも張りぼてのようなものだ。

 

 ますます深くなる疑念とともに、さらに高度を下げ……

 

 「あっ!」

 

 見えたものに、ラファエルは声を出していた。

 

 土地を囲む森の木々。その下に身を隠すようにひっそりと置かれていたのは、自然の風景におよそ似合わぬ無機的な物体。

 

 リグジェリア飛天騎士団の紋章を描いた、戦闘機。シュライクだ。

 

 「馬鹿な!」

 

 額を一筋の汗が流れる。この辺りは辺境とはいえ、エミトリア王国の領土。なぜそこにこんな謎の土地――もう飛行場で間違いない――があって、そこにリグジェリアの機体が。

 

 しかも、母国はそのことを知っていない。

 

 これがあってはならないことだというのは、未熟なラファエルの頭でもわかった。

 

 急ぎ、このことを伝えなければ。最寄りのエミトリア天空騎士団の飛行場へ向かうべく、スロットルを開いて旋回した、その時。

 

 ガガガガガッ!

 

 

 突然後ろから聞こえた、けたたましい音。その音に、ラファエルの背筋が凍り付いた。

 一瞬、自分の耳を疑った。ありえない、いや「あってはならない」その音がしかし、気のせいではないことは、キャノピーのすぐ外をかすめるオレンジ色の光によって示される。

 

 「なっ、嘘だろ?!」

 

 叫びながら後ろを振り返るラファエル。その両眼には、至近距離に迫ったシュライク戦闘機、二機の機首がはっきりと映っていた。

 

 ガガガッ! ドドドドッ!

 

 そのうち近いほうの一機の機首が、先ほどの音と共に激しく瞬く。撃ち放たれる20ミリ機関砲弾が、フルーレの機体に襲い掛かった。

 

 「っ!」

 ラファエルは突然の攻撃におののきながらも、とっさに操縦桿を倒し、フットバーを蹴り飛ばす。

 

 振り回される体。機体は急旋回で、敵の刃を紙一重でかわした。彼はもうすぐ初陣を迎えてもいい歳だ、初歩的な戦闘機動は知っている。だがあまりに突然に訪れた危機に、手元が震えて機体はぐらつく。

 

 「リグジェリア軍機へ、こちらエミトリアの練習機!」

 

 激しい遠心力が全身を締め上げる中、かろうじて国際無線へ声を絞り出す。

 

 「繰り返す、こちらは練習機だ! 直ちに攻撃を中止されたし!」

 

 必死に叫ぶラファエル。だが、相手は全く動きを変えず、旋回で逃れようとするラファエルの後ろにやすやすと追いすがり、次なる一撃を放った。

 

 ビシッ!

 

 機体のどこかに、弾が突き刺さる音。ひっ、とラファエルはうめく。だが幸い、機体はまだ飛行を続けている。

 

 「なぜ……練習機を!」

 

 この機が練習機なのは、塗装と識別信号、そして今の交信から分かるはず。だというのになぜ、攻撃を。しかも、こちらの領土の上で!

 

 疑問が渦巻く。だが、考えている余裕は一瞬たりとも無かった。

 

 こちらは練習機に乗る騎士見習い、相手は戦闘機に乗る、おそらく一人前の騎士。歴然とした性能と腕の差を見せつけるかのように、敵機はラファエルの後ろへとにじり寄ってくる。

 

 「くそっ……」

 

 このままでは追いつかれる。

 

 そう判断したラファエルは一瞬、機体を水平に戻す。シュライクが真後ろについた瞬間、思い切ってエンジンを絞るとともに、ぐっと機体を傾け降下反転。

 

 距離を詰めていたその相手は追随できず、ラファエルを取り逃がす。一瞬、息をついたラファエルだったが、即座にその判断は甘かったことを悟った。

 

 距離のあった、もう一機の敵。その射角からは、逃れられていなかった。

 

 オレンジ色の光の帯が、こちらへと延びてくる。一か八かの動きで速度を失っていたラファエルは、目をつぶるしかなかった。

 

 ガガン! ガンガンガン! バアン!

 

 体中を揺さぶる振動。機体の上面全体に、弾が叩き込まれる。穴だらけにされたフルーレは、その燃料タンクから炎を噴き出した。

 

 「うっ、だめだ!」

 

 一目で消火不可能とわかるその火災に、ラファエルは愛機の最期を悟る。左手を伸ばし、脱出装置のレバーを握るが……

 

 「こ……ここで脱出したら」

 

 機首の向く先には、先ほど見えていた開拓村があった。ここで脱出したなら、機体はおそらくあのど真ん中に突っ込んでしまうだろう。

 

 「針路を……変えないと!」

 

 右を見れば、人のいなさそうな岩山。ラファエルは必死に操縦桿を引き、機体をそちらへ向けようとする。

 

 無辜の民を蹄にかけることなかれ。師匠から教わった、騎士の教えに従うべく。

 

 敵機は撃墜を確信したのか、すでに見えなくなっていた。

 

 炎が燃え広がる。その熱で更なる傷が広がっていく機体の反応は悪い。

 

 「頼む、向いてくれ!」

 

 火災がコクピットまで迫る中、それでも全力で操縦桿を引き続ける。その思いが伝わったのか、フルーレは最後の力を振り絞るかのようにそちらへと針路を変えた。

 

 「よし!」

 

 ラファエルの手が、脱出レバーを引く。バン、という音とともにキャノピーが吹き飛び、直後に彼の体は空へと打ち出された。

 

 助かった、そう思ったときだった。

 

 ドオン!

 

 フルーレの燃料タンクが、ついに爆発を起こす。今しがた機体から離れたばかりのラファエルの体に、爆風が容赦なく襲い掛かる。

 

 「う、うわああああああ!」

 

 ラファエルの意識は、そこで途絶えた。

 

 

 破片と煙をまき散らしながら、一機の小型機が落ちていく。その煙の下、小さな落下傘が一つ、風に揺られながら地面へと近づいて行っていた。

 

 機体が岩山の一角に激突して砕け散ってから、しばらくの後……その落下傘は、静かに地面に降り立った。

 

 勇敢な従騎士が守ろうとした、開拓村の傍に。

 

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