Epics of the sky ~天空の叙事詩集〜 作:skyminstrel
「ラファエル、無事だったか!」
「よかった、くたばったかと思ったぜ」
騎士団の城に入ったとたん、ラファエルは二人から盛大な歓迎を受けた。
「ありがとうございます、師匠。ありがとう、マーティン」
ラファエルのペイジ以来の師匠、クーアフルスト・シュナイダー。そして同じく、訓練開始以来の兄弟弟子、マーティン・マクガイア。
騎士団の中で最も身近な二人の顔を見て、ラファエルは心の底から安堵した。知らず知らずのうち、顔を綻ばせていた。
「なんとか、無事に帰ってきました」
ビスタ飛行場に着陸してすぐ、ラファエルは師匠たちのいる城に連絡を入れ、無事を伝えた。そしてしばらく休んだのち、近くに滞在していた騎士の機体に乗せてもらい、拠点となる城まで戻ってきたのだった。
なお、やはり着陸滑走はうまくいかなかった。
接地まではどうにかなった。だが減速に入った直後、尾が大きく振られ、リトルベアは滑走路上で横を向いた。主脚と尾輪を痛め、翼端も擦った。飛行機としては無事とは言いがたい。
トマスやウィリアム、そして村の皆には後で詫びねばならないだろう。
もっとも、ラファエルが怪我もなく地面に立てた時点で、今回は上出来と思うしかない。
「いろいろと聞くべきことがあるが、まずは体を休めるがいい。話は明日に聞こう」
にこやかな笑顔で、師匠が言う。
飛行に関してはとても厳しいが、普段は温厚な師匠だった。
「ああ、その通りだ。手続きとか俺がやっておくから、今日は楽にしていろよ」
同じくマーティンが続ける。ややぶっきらぼうなところがあるが、根はやさしいラファエルの幼馴染である。
が、
「いえ、今すぐ話させてください」
ラファエルは、疲れた体をおしてそう言った。
師匠とマーティンが目を丸くする。
「一つだけ、大切なことです!」
*
「それは、本当なのか」
城の一室。
ラファエルの話を聞き終えたクーアフルストは、低い声でそう問うた。
「はい。神に誓って本当です。なんとしても、開拓村を解放せねば」
「ひどいことしやがる! 何だよ、まったく……!」
ラファエルの言葉に、マーティンが壁を叩きながら叫ぶ。
「静かにせよ、マーティン」
クーアフルストは、ゆっくりと首を振った。
「国境の辺境では、中央の目が届かぬことをよいことに、こうした無法がまかり通ることがある。ましてや、相手が秘匿飛行場まで作っていたとなれば、ただの越境では済まぬ」
その言葉は冷静だった。だが、声の奥には怒りがあった。
「師匠、すぐにでも軍を送って、村人たちを助けましょう!」
ラファエルは声高に言う。
思わず、椅子から立ち上がっていた。
「そうしたいのは勿論だが」
しかし、クーアフルストの声はなお冷静だった。
「軍は何もなしにいきなり動けるものではない。まずは調査などをしてから、になる」
「それでは!」
困るのだ、とラファエルは叫んだ。
一刻も早く駆け付けねば、というまっすぐな思いは、あるいは若すぎる正義感によるものなのかもしれない。
そして思い浮かべた、助けを待つ人々の最前列には、あの金髪の少女がいた。
だが、早いほうがいいのは間違いない。ラファエルが飛行機で脱出したことは、すでに現地のリグジェリア軍は知っているかもしれない。きっと、すでに本国へひそかに逃げる準備なり、迎え撃つ準備なりを始めているはずだった。
前者ならば、駄賃に何をしでかすか分からない。
後者ならばもちろん、時間をかければかけるほど防備は整っていく。
「すぐにでも、あの場所を領地に治める領主に連絡しましょう!」
「善は急げといいますよ、師匠。どうすればすぐに動けるのですか?!」
マーティンも、ラファエルとともに即時の行動を頼む。
「すぐに動くとしても、まずは調査だ。相手のことが詳しく分からないのでは、作戦の立てようもあるまい。私の立場を使ったところで、よほどしっかりした証拠でもない限りは駄目だろう」
だが、クーアフルストは首を縦に振らない。
いや、振れないと言ったほうがいいだろう。
いかに数多くの戦いを潜り抜け、敵二百機以上を撃墜した高位の騎士である彼も、自らの領地でもない場所のために、勝手に軍を動かすことなど出来はしない。
くっ、とラファエルは言葉に詰まった。
だが、直後にはっとした。
そうだ。
その時のために、託されたものがあるではないか。
「……証拠なら、ここに」
先ほどまでとは打って変わり、冷静な声でラファエルは言った。
そして、飛行服の内ポケットから、布に包まれた写真の束を取り出す。
クライドが危険を冒して撮りため、クリスがラファエルに託したものだった。
「何かね、これは……っ!」
何なのか聞こうとした師匠だったが、一枚目を見るなり理解したようだった。
写真には、森の奥に隠された滑走路が写っていた。
木々の間に並ぶリグジェリア軍機。燃料車。整備兵。兵舎らしき建物。そして、村を見下ろすように置かれた見張りの位置。
どれも完璧な写真ではない。
遠いものもある。手ぶれしているものもある。木の陰に半分隠れたものもある。
だが、だからこそ、それが命懸けで撮られたものだと分かった。
「はい。リグジェリアの秘匿飛行場の写真です。これで、不足でしょうか」
クーアフルストは、しばらく黙って写真を見ていた。
何十枚かの写真を一つ一つ、丁寧に見ていく。
マーティンも横から覗き込み、次第にその表情を険しくしていった。
「……本当に、こんなものを」
「村の人たちは、ずっと耐えていました」
ラファエルは言った。
「いつか外へ届ける日のために、クライドさんが……開拓団長が集めていたそうです。でも、村からは出られなかった。だから、僕が持って帰るしかなかった」
「……そうか」
クーアフルストは低く言った。
そして、全体の三割ほどを見終えた時。
ぽん、とラファエルの肩に、大きな手が置かれた。
「……大手柄だ、ラファエル。これならば、軍を動かすのに十分たりえるかもしれない」
「本当ですか?!」
「おお、師匠!」
ラファエルとマーティンは、同時に目を輝かせた。
「いや、せっかくこれほどのものを持ち帰ってくれたのだ。私が必ずなんとかして見せよう」
そう言い、師匠はにっと笑った。
*
その後すぐ、クーアフルストはリグジェリアとの国境線付近を治める、ゴルディア辺境伯の元へと飛び立っていった。
現状を報告し、証拠と合わせて、すぐにでも奪還作戦を発動するべく話し合いに行ったのだ。
ラファエルは、あの必死の飛行の疲れが一気に押し寄せ、師匠を見送るとたちまちのうちに、懐かしく感じる自室のベッドへ吸い込まれるように倒れ込み、眠りに落ちた。
*
「……い。おい、ラファエル!」
扉を激しくたたく音で目が覚めるまでに、わずかな時しか流れていないように感じた。
だが時計を見ると、もうすでに早朝ともいえぬ朝だった。
「マーティン、今開ける。どうした?」
最低限の身だしなみを整え、兄弟弟子を部屋に招き入れる。
が、早いか、
「やったぜ、兄弟!」
満面の笑みとともに、マーティンが胸を小突いてきた。
「やった、って?」
「師匠がやってくれた。ゴルディア辺境伯から正式に、開拓村奪還作戦の発動がなされた!」
「本当に?!」
眠気が一発で吹き飛ぶ。
まだ寝ぼけ眼だった目は、たちまちのうちに見開いていた。
「ああ。先ほど師匠が帰ってきてな、すでにゴルディア伯の城では作戦を練り進めているらしい。師匠もこの戦いに参加するから、俺たちも一緒にその城へ移動するぞ。お前の新しい機体も、師匠が用意してくれている」
「わかった、すぐに支度するよ」
ラファエルたち従騎士は、単に訓練だけをする身ではない。
従の字が示す通り、師匠たるクーアフルストに付き従い、身の回りの世話、手伝いなども行う。師匠が戦いに出るとなれば、もちろんその拠点までついていき補佐をするのだ。
手早く着替えて朝食を食べ、飛行計画を作って飛行場に出ると、そこですでにクーアフルストは待っていた。
「おはようございます、師匠」
二人で声を合わせて挨拶すると、クーアフルストも手を挙げて応じた。
「ああ、おはよう。いい知らせを届けられて、私も嬉しい」
「今回の戦い、師匠も参加なさるのですね。ご武運を祈ります。必ず、村を解放してください」
ラファエルはそう言い、頭を下げる。
「同じく武運を祈ります。しかし、師匠はすごいですよね。もう六十歳近いというのに、まだ戦場を飛び続けるのは」
「マーティン、失礼だよ……」
マーティンの言葉に、ラファエルがなだめる。
が、クーアフルストは全く気にせず大きく笑った。
「ははは、私の歳のことを心配するのは、一度でも私に模擬戦で勝ってからにしてもらおう。まだまだ翼は畳まんよ」
そう言ってから、クーアフルストは笑みを収めた。
「さて……今回の戦いについてだが、お前たちに一つ伝えることがある」
さっと真面目な表情になり、言った。
「何でしょうか、師匠?」
「まずは単刀直入に本題から言うぞ」
クーアフルストは二人を見た。
「ラファエル、マーティン。この戦いに、私とともに出よ」
「……え?」
ラファエルとマーティンは二人、体が固まった。
豆鉄砲で撃たれた鳩のように。
ゴオオオッ。
一機の戦闘機が、轟音とともに飛び立っていく。
体の芯まで響くその音に、二人が思考を取り戻したのと同時に、クーアフルストは
続けた。エンジン音に負けない、逞しい声で。
「そうだ。初陣を飾るのだ!」
*
すっかり慣れている、高等練習機フルーレの操縦席。
撃墜されたこれまでの機体に代わり、つい先ほど与えられたものとはいえ、計器盤からスイッチ類まですべて同じのそれに違和感は全くない。
けれどその機体を飛ばしながら、ラファエルはこれ以上なくそわそわしていた。
初陣。
騎士としての訓練を始めたその日から、ずっと待ちわびていた時。この時のために、今までの厳しい訓練のすべてはあった。
師匠の口からその言葉を聞いた瞬間は、マーティンとともに手を打ち合って喜び、その気持ちのままに師匠に続いて離陸した。
だが空に上がって落ち着いてくるにつれて、少しずつ不安な気持ちも湧き上がってきていた。
あの時、撃墜されたときの光景は、鮮明に記憶に焼き付いている。
激しい振動。迫る炎の熱さ。そしてすぐ脇を掠めていった、機銃弾の光。あれが一つでも自らの体に当たっていたならば。
「ラファエル、どうした」
はっと、師匠の声で我に返る。
「編隊が乱れているぞ」
指摘されてあわてて自分の位置を確認する。
前を行く師匠の機体の右後ろにつけているはずが、いつの間にか少し下にずれていた。
「すみません、師匠」
「どうしたよ、ラファエル。緊張しているのか?」
すぐに編隊を組みなおすラファエルに、マーティンがいつもと変わらぬ陽気な声をかける。
左を見ると、編隊の反対側についているマーティン機のコクピットから、手を振る人影が見えた。
「そんなことは……」
ない、と言いかけたが、口籠ってしまう。
戦いを前にそんなことでは、騎士として恥ずかしい。
そう思ったとき、
「いいのだ、ラファエル。程よい臆病さは、生き残るための大きな糧となる」
クーアフルストの声が聞こえた。
漣の立つラファエルの心を静かにする、落ち着いた声だった。
「飛行機乗りに恐れのないものなどいない。ましてや騎士ならば尚更のこと。それが身の安全を保ち、生還するための助けとなる。そして最も素晴らしい騎士になる者とは、死なずに生き残り続ける者なのだ」
「はい、師匠」
クーアフルストの、四十年近い戦場での生活でしか生み得ない言葉の重さ。
「もっとも、過度な恐れは足かせになるが、な。よし、不安ならば、今ここで訓練と行こう」
明るい声で、師匠は告げた。
「はい、ぜひ! よろしくお願いします」
ラファエルは即答した。
「お、俺からも、お願いします」
その声の勢いにやや押されながら、しかしマーティンもしっかりと答える。
「二人とも、燃料は十分だな?」
「ラファエル、残り八十五」
「マーティン、八十。行けます!」
「了解した……管制、こちらクーアフルスト編隊。オーラン平原上空にて空戦訓練を行いたい。上限高度一万」
管制に告げ、針路を変える師匠について、ラファエルたちは旋回する。
三筋の飛行機雲が、晴れた空に並んで伸びていく。
「さて、では今回は君たちに問おう」
訓練空域への途上、ふいに師匠が言った。
「この訓練では、何を学びたい? お前たち二人はすでに、一通りの技術はもっているはずだ。だから、お前たちが特に教えてほしいと言ったものを、私は教えよう」
師匠の、本番前のお決まりの質問だった。
初めて単独飛行に出る前にも、従騎士の試験を受ける直前にも、確かこういう質問を受けた気がする。
常に、最後のところは自分に考えさせる。
それが師匠のやり方であり、そして操縦士に最も大切なものだ。
数秒、ラファエルとマーティンの二人は考えた。
そして、
「射撃を! 明日、確実に敵に当てられるよう、射撃の訓練をやりたいです!」
先に答えたのはマーティンだった。
元気いっぱいの声が、ヘッドフォンから響く。
「わかった、マーティン。いつものお前らしいな。射撃は空戦にて最も重要な技術。では、ラファエルは?」
「僕は……」
ラファエルは今一度、考えたのちに口を開いた。
少し前までの自分だったら間違いなく、やはり射撃と答えていただろう。
かつて、ある凄腕の騎士は言った。
空戦にて重要なのはまず射撃技術、ついで射撃に至る接近技術。複雑なアクロバット飛行の技術などどん尻だ、と。
「……生きる術を。回避のための飛行技術をお願いします」
「ほう」
クーアフルストが少し高い声で答える。
「危ない状況になっても生き残れるよう。もう絶対に墜とされない、そのための技術を」
どうしても頭から離れぬ、墜とされたときの光景。
もうあんな目には決してあいたくないという気持ちが、その答えを出した。
「はは、ラファエル、やっぱり怖いのか?」
マーティンの茶化す声。
その言葉通り、やはり自分は臆病風に吹かれているのだろうか、と一瞬ラファエルは不安になる。
が、
「いや、良い答えだ」
師匠が、はっきりとそう答えた。
「私は戦場にまだ出ていなかったころ、日々射撃の訓練を繰り返していた。我ながら、同期の中ではだれにも負けないほどの腕になったものだ。だが、初めて実戦に出てからというもの、私は射撃と同じくらい、回避機動の訓練を行い続けた。今に至るまで、な」
その結果は、ラファエルもマーティンも知っている。
二百機以上の敵を落としながら、撃墜されたのはただの一度のみのクーアフルスト。
「空戦で最も重要なのは、敵を確実にとらえる射撃。だが最も大切なのは、生き残ることだ」
そのためには、何が大事か。
それは話しているな、とクーアフルストは問うた。
「はい。常に敵に対して有利を保ち」
ラファエルが答える。
「敵より先に敵を見つけ、不利ならば退く」
マーティンが続ける。
「その通りだ。そしてそれができている限り、有利ならば複雑に飛ぶまでもなく敵を倒せ、ましてや回避の技の出番はない。だからこそ、飛行技術の重要度はどん尻と言われるのだ」
クーアフルストの機体が、雲の切れ間をゆっくりと越えていく。
「だが、それが常にうまく行く保障などどこにもない。そんな時、最後に身を守るのは回避の技術だ。それを、ラファエルは身をもって学んだことだろう。そして、それは臆病でもなんでもない。いたって正しい、むしろこの先必要な考えだ」
「はい、師匠」
しみじみと、ラファエルは答えた。
「というわけで、だ。ならば、射撃と回避をこれから学ぼうではないか。一番前と一番後ろを押さえておけば、どう転んでも怖いものなどあるまい、な?」
少しおどけた師匠の言い方に、ラファエルの顔がほころぶ。
少し、緊張も解けた気がした。
「さて、訓練空域だ。まずは小手調べの編隊機動からいくぞ。右旋回、はじめ!」
「はっ!」
鋭くターンする翼が、そろって大気を切り裂いた。
*
夜。
目的地の城についたラファエルたちは、訓練のデブリーフィングをして夕食を取ったのち、沐浴で体を清め、翌日の武運を神に祈ってから、早めの就寝としていた。
明日は、わずかでも体に不調があることは許されない。
だがそれでも、やはり寝つきは悪い。
明日のことを考えると、どうしてもいろいろと考えてしまう。
あてがわれた部屋の窓から外を見る。
月明かりに照らされる飛行場には、数多くの機体が並んでいた。この度の戦のために、領主のゴルディア伯が各地から呼び寄せたものだ。
騎士たちの戦闘機。兵士たちを運ぶ輸送機。整備用の車両。燃料車。
それらが、明日の戦いを待ちわびるかのようにたたずんでいる。
そしてその片隅には、自分の機体もあった。
訓練機の印のシールはとうにはがされ、実戦機であることを示す赤帯が主翼に巻かれている。明日の朝には、機銃には訓練弾ではなく実弾が装填されているだろう。
フルーレは高等練習機ではあるが、武装を施せば必要十分な性能の軽戦闘機としても使える機体だ。従騎士たちは初陣において、まず乗り慣れたこの機体で戦場に出る。
決して珍しくも、大規模でもない、国境付近の小競り合い。
だがそれはラファエルたちにとっては、いかなる全面戦争よりも大きな戦になるように感じられた。
飛行場を見下ろした後、寝台に再び横になると、ラファエルは窓の向こう、カーテンの隙間に見える月をちらりと見た。
同じ月を、今もクリスは見ているのだろうか。
――見ているに違いない。
そう思った。
そして、明日の夜は彼女と一緒に見よう。
そう決意する。
やれることはやった。あとは、ただ明日に備えるのみ。
その第一は、寝ることだ。
ラファエルはベッドにもぐりこむと、固く目を閉じた。
寝られなくても、寝なければならない。
明日も、月を見るためには。