星の病と呪いの理〜記憶を持たない転生者たちの新たな戦い〜 作:いくと
五条「はい、というわけで今日は実験の日でーす」
演習場に集められた六人が、そろって微妙な顔をした。
翌週の午前十時。秋晴れと言っていい空の下で、地面には夜蛾特製の呪骸が四体、行儀よく並べられている。熊の形をしたものが二体と、なぜか鶴のような形をしたものが二体だった。
虎杖「あの、五条先生。実験って何すか」
五条「君らじゃないよ。そっちの四人」
指さされたノクティス、プロンプト、グラディオラス、イグニスが顔を見合わせた。
五条「君たち、敵倒すと強くなるでしょ」
ノクティス「……まあ」
五条「あれ、条件が分かってないんだよね。誰も」
イグニス「確かに」
五条「僕は気になって夜も眠れない」
グラディオラス「嘘つけ」
五条「嘘だけど気にはなってる。というわけで、今日はそれを調べます」
彼はサングラスを持ち上げて、四人を順番に眺めた。六眼が何を見ているのかは、当人以外には分からない。
五条「(――やっぱ変な呪力してんなー、この子ら)」
分析しようとするたびに、輪郭が滲む。呪力の流れは見えるのに、その出どころが見えない。井戸を覗き込んで、水面は見えるのに底が見えないのと同じ感覚だった。
もう何か月も見ているが、いまだに正体が掴めない。それが五条悟にとっては、単純に面白かった。
最初の三十分は、順調だった。
イグニスの識膳から始めた。呪骸の一体を観察させ、そのデータをもとに、グラディオラスの大剣に炎を付与する。
イグニス「――五秒。持続は約四十秒だな」
五条「じゃあもう一回、同じやつ観察してからやってみて」
二度目の付与は、三秒で完了した。持続は一分を超えた。
イグニス「……観察の蓄積が、そのまま効率になっているな」
五条「はいはい、思った通り。イグニスくんのは分かりやすくていいね」
プロンプトの穿星も、素直に結果が出た。呪骸に標を刻み、目を閉じたグラディオラスに剣を振らせる。狙いを外したはずの一撃が、緩やかに軌道を曲げて標へ吸い込まれた。
プロンプト「うわ、えぐ」
グラディオラス「おい、俺は今どこを斬った」
プロンプト「標のとこ」
グラディオラス「見えてねぇんだが」
プロンプト「そういう術式だから!」
問題はグラディオラスだった。
五条「で、君のは?」
グラディオラス「守るもんが後ろにいると硬くなる」
五条「じゃあ誰か立たせれば?」
グラディオラス「……そういうもんじゃねぇんだよ」
彼は自分の掌を握ったり開いたりした。
グラディオラス「本当に守らなきゃいけねぇ時に、勝手にそうなる。今みたいに『はいここ立って』でやると、何も起きねぇ」
イグニス「実感の伴わない状況では発動しない、ということか」
グラディオラス「多分な」
五条「うわ面倒くさい術式だなあ」
グラディオラス「うるせぇ」
五条「褒めてるよ。強いってことでしょ、それ」
そして、肝心のレベルアップの検証が、まったく進まなかった。
呪骸を四体とも破壊した。粉々にした。イグニスが炎で焼き、グラディオラスが叩き割り、プロンプトが撃ち抜き、ノクティスが両断した。
だが、何も起きなかった。
ノクティス「……なんも来ねぇ」
プロンプト「俺も。いつもの、あの、ぐっと来る感じがない」
イグニス「呪力総量に変動なし。身体感覚にも変化はない」
五条「へえ」
彼は破壊された呪骸の残骸をつま先で転がした。
五条「そりゃそうか。これ、生きてないもんね」
伏黒「……呪骸は、呪力で動く人形だ」
五条「そう。中身は呪力の塊だけど、呪霊じゃない。祓われて散る、ってことが起きない」
イグニス「つまり我々が吸収しているのは――」
五条「祓った時に散る分、じゃないの。多分だけど」
彼はサングラスの位置を直した。
五条「君らが敵を『完全に討伐した』時、そいつを構成してた呪力が行き場をなくして散る。普通はそのまま大気に還る。それを君らは持っていってる。多分そういう仕組み」
グラディオラス「じゃあ、人相手だと何も起きねぇのは」
五条「人は呪霊じゃないからね。散らないよ、そういう風には」
短い沈黙が落ちた。
交流会では、何度戦っても一度も上がらなかった。あの時は理由が分からず、単に相性の問題かと思っていた。
だが、そういうことだったのか、と四人はそれぞれの場所で理解した。
自分たちが強くなる条件は、人を殺すことでは満たされない。
イグニス「……それは、幸いだな」
五条「そうだね。よかったよかった」
軽い口調だった。だが、その一言だけは軽くなかったことに、その場の何人かが気づいていた。
五条「はい、じゃあ本番」
ノクティス「本番?」
五条「呪骸じゃ検証にならないでしょ。生きたのがいる場所に行きます」
プロンプト「え、今から!?」
五条「今から。バス出るよ」
虎杖「俺らも行くんすか」
五条「虎杖と伏黒はついてきて。人数いた方が安全だし、君らも数こなした方がいいでしょ」
釘崎がいないのは、この日が別任務だったからだった。
現場は、都下の郊外にある廃隧道だった。
四十年前に鉄道の計画が中止になり、掘っただけで放置された穴だという。入口は錆びた柵で塞がれ、その柵ごと蔦に飲まれていた。
五条「等級はまあ、二級くらい。数はそこそこ。中で溜まってるね」
イグニス「深さは」
五条「三百メートルくらいだったかな。奥に空洞がある」
ノクティス「先生は」
五条「僕はここで待ってる」
プロンプト「え!?」
五条「僕が入ったら三秒で終わるでしょ。検証にならないじゃん」
彼は柵にもたれて、片手をひらひらと振った。
五条「死にそうになったら呼んで。それ以外は自分でなんとかして」
ノクティス「……最悪だな、この人」
グラディオラス「同感だ」
イグニス「同感だが、正論でもある」
隧道の中は、想像より広かった。
懐中電灯の光が届く範囲だけが世界のすべてになる。壁面は湿っていて、足元にはどこから来たのか分からない水が薄く流れていた。
そして、匂いがした。
虎杖「うわ……なんか、濃いっすね」
伏黒「溜まってるな」
最初の一体が、天井から落ちてきた。
そこからは、早かった。
隧道という地形は、狭い。狭いということは、囲まれないということでもある。前と後ろだけを見ていればいい。
グラディオラスが前に立った。それだけで隊列が決まった。
グラディオラス「後ろは頼む」
プロンプト「任せて!」
イグニスが炎を付与し、グラディオラスが振り抜く。斬撃の熱が壁を舐め、呪霊が悲鳴も上げずに霧散した。
ノクティスは剣を投げ、その位置へ跳んだ。着地と同時に二体目を斬り、そのまま三体目の側面へ抜ける。
――来た。
討った瞬間、腹の底に何かが落ちてくる感覚があった。冷たい水を飲んだ時に、それが胃に落ちていく道筋が分かるのに似ている。
ノクティス「……ああ、これだ」
プロンプト「来た? 来たよね!?」
ノクティス「来た」
プロンプト「よし!」
弾丸が二発、ノクティスの頭上を越えて後方の呪霊を撃ち抜いた。標が刻まれた個体に、イグニスの投げたナイフが吸い込まれるように命中する。
そして、その後ろで。
伏黒が式神を放った位置は、プロンプトが撃つより前に決まっていた。
伏黒「(――また、これか)」
彼は自分の判断を疑わなかった。疑う余裕がなかったし、疑ったところで正しかったからだ。玉犬が飛び出した場所に、ちょうど呪霊が落ちてきた。
虎杖「恵、すげぇ読みだな今の!」
伏黒「……読んでない」
虎杖「え?」
伏黒「なんでもない」
それ以上は言わなかった。言葉にできることが、まだ一つもなかった。
三十分で、十七体を祓った。
最奥の空洞に着く頃には、四人とも息が上がっていた。
イグニス「……ノクト。残りは」
ノクティス「結晶石は、あと二つ」
イグニス「今日はもう作れないな」
ノクティス「無理だ。腹が減る」
グラディオラス「相変わらずだな、お前の燃費」
ノクティス「うるせぇ」
強くなった実感はある。呪力の総量が増えているのが、自分でも分かる。だが、それは容れ物が少し広がったというだけの話で、汲み出す速度が変わったわけではなかった。
ノクティス「(――増えてはいる。でも、追いつかねぇ)」
その苛立ちを、彼は口に出さなかった。
そして、空洞の中央に立った時。
一番大きな個体が、天井から降ってきた。
三メートル近い、蜘蛛のような形をしたものだった。今までのものとは呪力の密度が違う。グラディオラスの一撃を弾き、イグニスの炎を体表で消し、プロンプトの銃弾を八本の脚で受け止めた。
プロンプト「かってぇ!」
グラディオラス「ノクト!」
ノクティス「分かってる」
彼は結晶石を一つ、握り潰した。
炎が上がる。呪霊が身を捩る。だが焼き切れない。
残り一つ。
ここで使えば、今日はもう打つ手がなくなる。
――だが。
ノクティスは、握った手の中の感覚が、いつもと違うことに気づいた。
炎の形にならない。もっと硬くて、もっと静かな何かが、そこに集まろうとしている。
ノクティス「……なんだ、これ」
考えるより先に、投げていた。
空洞の空気が、一瞬で白くなった。
破裂音はなかった。代わりに、軋むような音がした。呪霊の八本の脚が、根本から順に白く覆われていく。動きが鈍り、止まり、そして硬直した。
イグニス「……氷か」
グラディオラス「おい、そんなの作れたか」
ノクティス「今作れた」
プロンプト「今!?」
固まった呪霊に、グラディオラスの大剣が振り下ろされた。
凍ったものは、砕ける。
呪霊の残滓が消えた後、空洞にはしばらく誰も口を利かなかった。
イグニス「……ノクト。今のは」
ノクティス「分からねぇ」
イグニス「意図して作ったわけではないと」
ノクティス「炎を出そうとしたら、そうなった」
イグニスは眉を寄せて、それから手帳を取り出した。呪霊の数、消費した結晶石、経過時間。彼は淡々と書き込んでいく。最後の行に「氷(新規)」とだけ書いて、手帳を閉じた。
グラディオラス「お前、それ後で誰が読むんだ」
イグニス「私が読む」
グラディオラス「知ってた」
プロンプトがカメラを構えたので、ノクティスが露骨に嫌な顔をした。
プロンプト「記念だって! 新技だよ新技!」
ノクティス「暗くて写らねぇだろ」
プロンプト「フラッシュがある」
ノクティス「やめろ」
閃光が焚かれた。
それに気づいたのは、伏黒だった。
伏黒「……おい」
彼は空洞の奥、一段高くなった岩棚の方を懐中電灯で照らしていた。
そこに、古い注連縄のようなものが張られていた。腐りかけていたが、確かに人の手で結ばれたものだった。その中央に、小さな木箱が置かれている。
虎杖「なんすかそれ」
伏黒「触るな」
だが伏黒自身が、既に距離を詰めていた。
木箱の蓋は、ずれていた。中を覗き込んだ彼の動きが、そこで止まった。
伏黒「……五条先生を呼べ」
虎杖「え?」
伏黒「早く」
五条が空洞に降りてきたのは、それから五分後だった。
彼はまっすぐ岩棚に歩み寄り、木箱を覗き込んだ。
そして、サングラスを外した。
五条「……ああ、うん。当たりだね、これ」
その声から、いつもの軽さが抜けていた。
木箱の中に納められていたのは、干からびて黒ずんだ、人間の指だった。
爪が伸び、皮膚が石のようになっている。だが、そこから漏れ出している呪力の質だけは、この隧道にいた十七体のどれとも比べ物にならなかった。
イグニス「……これは」
五条「宿儺の指」
その名前が出た瞬間、空洞の温度が下がった気がした。
五条「本数は把握してるつもりだったんだけどね。まだ台帳に載ってないのがあったか」
グラディオラス「なんでこんなとこに」
五条「昔の術師が封じたんでしょ。……で、この注連縄、もう死んでる。多分ここ最近で切れた」
プロンプト「切れたって、誰かが?」
五条「いや、経年。……だと思いたいけどね」
彼は指を摘まみ上げようとして、やめた。
五条「これ、置いていくと呪霊が集まる。ここの十七体も、たぶんこれに引き寄せられて溜まってた」
伏黒「持ち帰るんですか」
五条「持ち帰るのが一番危ないんだよ。運搬中がいちばん狙われる」
沈黙が落ちた。
そして、虎杖が一歩前に出た。
虎杖「……俺が飲みます」
プロンプト「は?」
虎杖「いや、それが一番安全なんで」
彼はごく普通の顔で言った。近所のコンビニに行ってくる、という程度の顔だった。
グラディオラス「おい待て。今なんつった」
虎杖「飲むって言いました」
イグニス「……指を、か」
虎杖「はい」
ノクティス「……」
四人は、その事実を知識としては知っていた。この学校に来た日に説明を受けている。虎杖悠仁は宿儺の器で、指を取り込むことで封印の代わりにしている、と。
知っていたが、目の前で見るのは初めてだった。
五条「まあ、そうなるよね」
彼はあっさりと木箱を虎杖に差し出した。
五条「大丈夫? いける?」
虎杖「いけます」
五条「無理だったら言ってよ。押さえるから」
虎杖「押さえるって何をですか」
五条「君を」
虎杖「怖い冗談やめてください」
軽口を叩きながら、彼は木箱から指を摘まみ上げた。
そして、慣れた手つきで口に運んだ。
咀嚼はしなかった。飲み込むだけだった。喉が一度、はっきりと動いた。
虎杖「――っ」
一瞬、彼の膝が落ちた。伏黒が肩を支える。
虎杖「……はー。あー。……うん、大丈夫」
伏黒「本当か」
虎杖「本当。いつもの。ちょっと重いだけ」
彼は自分の胸を軽く叩いた。
虎杖「静かにしてろよ、って感じで」
その言い方が、あまりに日常的だったので、誰も何も言えなかった。
プロンプト「……なあ虎杖。それ、大丈夫なの? マジで」
虎杖「大丈夫だって。慣れてる」
プロンプト「慣れちゃダメなやつじゃん、それ」
虎杖「あー、それはそう」
彼が笑ったので、プロンプトも仕方なく笑った。
ノクティスは、少し離れた場所からそれを見ていた。
ノクティス「……なあ」
虎杖「はい?」
ノクティス「お前も、増えるのか。それ飲むと」
虎杖「え? ……あー、まあ、力は増えるっぽいですね。俺のじゃないですけど」
ノクティス「そうか」
それだけだった。
ノクティスはそれ以上何も聞かず、剣を消して踵を返した。
誰も、二つのことを並べては言わなかった。
内界の血の池に、波が立った。
玉座の上の男が、閉じていた目を開けた。
宿儺「……ほう」
落ちてきたものの手応えを、彼は舌の上で転がすように味わった。
宿儺「小僧め。よくぞ運んでくれたわ」
彼は再び目を閉じた。
満たされたわけではない。まだ、遠い。
だが、待つ甲斐はあるらしかった。
隧道を出ると、外はもう夕方だった。
秋の日は短い。入った時は真昼だったのに、空はすでに橙と紫の境目になっていた。
五条「はい、お疲れさま。報告書は僕が書いとくから」
イグニス「珍しいな」
五条「今日のは僕の実験だからね。……あと、これ上に上げなきゃいけないやつだし」
彼の声は、また元の軽さに戻っていた。だが、木箱を回収した時の手つきだけは丁寧だった。
バスに向かって歩きながら、プロンプトが伸びをした。
プロンプト「あー、疲れた。腹減った」
グラディオラス「お前さっき飴食ってただろ」
プロンプト「あんなの飯に入らないって」
イグニス「戻ったら何か作る。時間はかかるが」
プロンプト「イグニス様!」
ノクティス「……肉がいい」
イグニス「野菜も食え」
ノクティス「……」
虎杖「あの、俺も食っていいすか」
イグニス「構わない。伏黒くんも来るか」
伏黒「……いただきます」
たわいのない話をしながら、六人はバスに乗り込んだ。
窓の外を、稲を刈り終えた田んぼが流れていく。
誰も、今日拾ったものの話をしなかった。話す必要がなかったからだ。任務は終わり、報告書は書かれ、指は安全な場所に収まった。それで一件落着だった。
少なくとも、この日はそうだった。
高専に戻ったのは、七時を回ってからだった。
食堂には既に灯りが点いていて、ルナフレーナが湯呑みを並べているところだった。釘崎が別任務から帰ってきていて、なぜかパンダと口論をしていた。
イグニスが厨房に入り、包丁の音が始まった。
グラディオラスが冷蔵庫を開けて怒られた。
プロンプトが今日の写真を見せて回り、暗くて何も写っていないと全員に指摘された。
虎杖が飯をおかわりし、伏黒が黙って食べ、釘崎が誰かの分の唐揚げを奪った。
ノクティスは端の席で、いつもの通り面倒くさそうな顔をして座っていた。隣にルナフレーナが座り、今日はどこへ行ったのですかと聞いた。
ノクティス「穴」
ルナフレーナ「……穴、ですか」
ノクティス「暗くて、じめじめしてた」
ルナフレーナ「大変でしたね」
ノクティス「まあ」
彼はそれ以上説明しなかったし、彼女もそれ以上聞かなかった。
呪いのない時間が、まだそこにあった。
秋が深くなっていた。
現在の投稿頻度についてどのくらいがいいのか教えてほしい…
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自由にやって