だから、どうか。この世界では、健やかに。
競走馬に怪我はつきものだ。でも、悲しい。
人間じゃなくても生き物が怪我したり死んだりするのを見るのは嫌だ。悲しいし、世界の理不尽を感じてしまって本当に苦しくなる。それが思い入れのある生き物なら尚更。
競走馬は、いろんな人が産まれに立ち会って、いろんな人が育てて、いろんな人の夢を載せる。でも、それでも、レース中だったり練習中に怪我をしてしまう。運が悪ければ、そのまま命を落としてしまう。
運。そう、運だ。怪我をして欲しいなんて誰も思ってない、むしろ怪我が無いように怪我が無いように、と願っているのに。世界は残酷だから、ふとした瞬間に命を壊す。
見たくないんだ本当に、好きな生き物が怪我をするところなんて。当事者じゃないくせに、死にそうなくらい心が苦しくなるから。
だから、どうか。どうか、あの世界では、皆、健やかに────
「トレーナーさん。わたくしとあなたは、これから天皇賞・春の勝利を目指して邁進していくことになりますが、その前に約束を果たして頂きたいのです」
「うん、なんでも言って」
メイクデビューの半年前。選抜レースを一目見て彼女……メジロマックイーンに惚れ込んだ私は、新人トレーナーという分不相応な身でありながらスカウトし、契約を結ぶことに成功していた。
そんな奇跡の原因の大半はどうやら彼女にあるらしい。というのも、マックイーンは当然私以外にも多くのスカウトを受けていたのだが、彼女が出す『条件』が相当な無理難題だったらしく、断らざるを得なかったようなのだ。
新人であった私はトレーナー同士の横のつながりなど全くなく、その話を聞いたのも後日となってからだったのだが、少なくとも私がスカウトした時のマックイーンもかなり追い込まれている様子だった。当時の彼女は、
『私が後々出す条件に絶対にYESと言うこと。それが守れるのであれば、わたくしはあなたのスカウトを受け入れますわ』
とだけ言っていた。私は深く考えずに『わかった!』と言ってしまっていたのだが、今になって考えるとあれは彼女なりの最終手段だったのだろう。『条件』という譲れないもののために、トレーナーは妥協する、という。
そして、私はもう心配してくれた先輩トレーナーによってその『条件』を教えてもらっていた。マックイーンが譲れないもの、それは、
「
その目に、気圧される。瞳孔が開いた真っ直ぐすぎる目。
言葉は先輩トレーナーから聞いていた言葉と一字一句違わないものだったが、彼女の言葉は重みが違う。本当に、本心からその条件を履行させようという気迫と、レース直前のような緊張感を感じる。
この言葉にはきっと、メジロ家の姉達の話も関係しているのだろう。
「メジロの秘宝」メジロラモーヌの、史上初のティアラ三冠達成。
二人とも幼少期に脚部不安があったことは周知の事実。けれど、その不安を感じさせない
けれど、マックイーンの言葉には、何か怪我をしてはいけないという、気負いがあるような……?
私がとっさに言葉を出せないでいることをどう見たのか、彼女はそのまま言葉を続ける。
「厳しい練習が嫌というわけではありません、言葉どおり怪我につながるか否かを見極めて練習を行ってほしいのです。それによってわたくしが実際に怪我をするかどうかではなくその直前に見極めてほしい、ああ一つだけ忠告するならわたくしはその練習が
「……は?」
早口で言葉を続ける彼女の気持ちがわからないほどバ鹿ではない。彼女はとにもかくにも、不安なのだ。
その不安は多分、怪我をすること
でも、彼女は不安なのだ。まだ新米の自分には分からないが、きっと彼女は自分が怪我をすることで起こる
「任せて! これでもトレーナーなんだ、マックイーンに怪我はさせないよ!」
こうだ。
……正直、自信はない。けど、担当するウマ娘の願いを守れなくて何がトレーナーだ。
彼女を見る。ぽかんとしていて、年相応の表情を見せる女の子がそこにいた。思わず笑みを浮かべながら、続ける。
「勿論、あなたの協力も必要不可欠だからね? 何か些細なことでもいいから違和感があったら言うこと。あとはー……うーん、それくらいかな?
うん、それさえ守ってくれるなら、私も頑張るよ」
……しばらくして。マックイーンも、笑みを浮かべた。
「ふふ、ええ、当然ですわ。……これからよろしくおねがいします、トレーナーさん」
「うん、よろしく!」
差し出された小さい手のひらを。こちらもぎゅっと握る。
……いつか、彼女の恐れる何かを、教えてもらえたらいいな。
私は、姉さまとともにメジロ家に双子として生を受けました。ほんの数時間の差でしたが、姉の名前はメジロヴェルソ。私の名前は、メジロアルダン。
ヴェルソ姉さまは、幼い頃より賢く、私といつも一緒にいてくださいました。勉学や礼儀作法も覚えがずっと早く、尊敬と、それ以上の親愛がありました。ヴェルソ姉さまとともに過ごす日々は充実していていましたが、物心ついたときより言われていたこともありました。
双子のウマ娘は虚弱である。それはまことしやかに語られる噂で……同時に、ある一定の信憑性も持って言われていることでした。
ウマ娘は、人間と異なり高い運動能力と、それに耐えられる強靭な骨を持って生まれてきます。そのため、双子になってしまうと、母の中にいる間に十分な栄養を貰いづらい、と。
実際、姉さまは生まれた直後、息をしていなかったそうです。……姉さまが生まれたときに死んでいたかもしれなかったなんて、考えたくはありませんが。
そしてその噂の信憑性は、私達でさらに上がってしまいます。私もお姉さまも脚が弱く、身体も丈夫ではありませんでした。少し下に産まれてきたパーマーやライアン、マックイーンたちが庭でかけっこで遊んでいる中、私と姉さまは部屋で休むしかなかったのです。
でも、こんな半端な身体に産まれたくせに、私はウマ娘としての本能を捨てられませんでした。部屋の窓から見る楽しそうに走る姿が本当に羨ましくて、何度も何度も涙を流していました。……今になって思うと、幼稚で恥ずかしい限りですが。
そして、そんな感情を唯一吐き出せるのがヴェルソ姉さまでした。母様やお婆様、ラモーヌ姉様も私のことを気にかけてお話に来てくださいましたが、幼いころの私にとっては……「走れるウマ娘」というだけで、羨ましかったのです。
『ねえさま。どうして私は走れないのでしょう』
『大丈夫だよ、アルダン。君は絶対走れるようになるから。姉さんが信じられない?』
『……いいえ、ねえさまはしんじたいです。でも、私は……』
その日も、私はベッドの上で涙を流し、隣に座ったヴェルソ姉さまの胸を借りながら、ゆるく抱きしめられていました。部屋には二人きりで、外からはライアンたちの笑い声が聞こえていたのを覚えています。……いつも、そう過ごしていました。
姉さまは、私がどれだけ我儘を言っても、優しくそばにいてくれました。その励ましの言葉は、不思議なほど確信に満ちていて。きっと、本心から私が走れるようになると信じてくれているのだと、そう分かっていたのです。ずっとずっと、姉さまのことだけは信じていたのです。
それでも。どうしても。
『私が、うまれてきてしまったから。ねえさまだけがうまれていたら、ねえさまは走れていたのに』
私のことは、信じられませんでした。
心苦しかったのです。賢くて、大人で、優しい姉さまは、きっと双子じゃなかったら素晴らしいウマ娘になっていたはずなのに。
私が走れないのは、産まれるべきじゃなかったからじゃないか。ウマ娘の本能ばかり持って、病弱で、我儘ばかりの自分は、どうして産まれてしまったんだろう、と。愚かなことですが、本当にそう思っていたのです。
心の内に秘めていたその言葉を姉さまに告げると、しんと部屋の中は無音の空間となりました。外の声も届かず、不思議な沈黙が降りていました。
その時の私は……焦ったのだと思います。姉さまはいつも、どんな時でも私の言葉を受け止めてくれたので。ぽろっと出てしまった本心……それが、何か言ってはいけないことだったのかと。姉さまを怒らせてしまったのではないか、と。
けれど、私が焦って顔を上げようとしたその時、私の背中に回していた手で、ぎゅっと、ぎゅっと、姉さまに力強く抱きしめられました。
一瞬、安心しました。ああ、怒ってなかったのだと。そう思って……すぐに、姉さまが震えていることに気づきました。
『ねえさま?』
『っ、そんなことない!!』
耳元での大声。人よりは数段良い聴覚が姉さまの声を余すところなく受け取り、反射的に身体がビクッと震えました。その反射をどう思ったのか、さっきより一段と強く、痛いくらいに回されている手に力が込められました。
『アルダンが産まれてくるのが間違いなんて、そんなことあるわけない。間違っているのは、間違っているのは、間違っているのは……』
姉さまの手は震えていて、その震えは私の身体に伝わっていて。
力が籠もっているからだけではない。私の言葉で、姉さまの何かを傷付けてしまったのだ、と確信しました。
謝らなければならない。そう思って、回されている腕の拘束を外して顔を上げようとしました。そして、
『あっそうか』
そんな気が抜けた声と一緒に、腕の力が緩みました。抜けようとした拘束が緩んだことで、私は勢い良く身体を起こしてヴェルソ姉さまの顔を見ました。
私と同じウェーブがかかった髪を伸ばして、私とは違う光を反射しない深い黒髪をベッドに広げています。ウマ娘としては小さめの耳をきゅっと後ろに倒していたのが印象的でした。
そして、その目はぼんやりとしてどこかを見つめていたのです。それがどこを見ているのか、私には分かりませんでしたが……その時の姉さまの目は、きらきらとしていました。光のない、吸い込まれるような真っ黒な瞳だった目が、きらきらと、夜空のように輝いていたのです。
『なんだ、そっか。よかったあ』
そうして、姉さまはふわりと顔を綻ばせました。姉さまはいつも穏やかに微笑を浮かべている方でしたが、このように破顔した、本当に……幸せそうな顔を見るのははじめてで、思わず言葉を失ってしまいました。
そっと前髪をかき上げられ、額に口付けをされました。感情が昂り体温を持っていた私の身体にはそのひんやりとした感覚は心地よく、んぅ、とむずがった声を出してしまったことを覚えています。これ以上無いほどに顔が近づくと、夜の帳のように長い髪で視界が覆われて姉さまの顔しか目に映らなくなりました。
『アルダン』
『……はい、なんでしょう。姉さま』
『体調、良くなったんじゃない?』
『えっ?』
姉さまの言葉は正しくて。姉さまがお医者さまを呼んでくださったあと、私は驚かれながら外へと案内されました。
視界の先には、青々とした芝が広がる庭で、こちらに手を振るマックイーン達。窓からしか見ることが出来なかった、陽に照らされた景色。
私は、ふらふらとした足取りで外に出て、目をくらませるその眩しさに驚きました。
────ああ、外にいる。
────あれほど焦がれた、外にいる!
歩いてなら、というお医者さまの忠告はもう消えていました。感動と、それ以上に込み上げてくるウマ娘としての本能。それに抗えず、私は手を振る方へ駆け出して────
ガシャン。
そんな、ガラスが割れるような音が聞こえた……
気付いたときには、庭の真ん中程まで駆けていてしまったのです。耳に届いた冷たい音が気になって立ち止まり、周囲と自分の身体を確認しますが、
が、それが分かったのは私だけ。忠告を忘れて駆け出し、途中で立ち止まった私の姿はお医者様達に嫌な想像をさせるのは十分だったようです。慌てて飛んできたお医者様と両親にそのまま囲まれ、あれよあれよという間に検査のために入院することに。
……そして検査の結果、問題なし。お医者様は随分と驚いた様子でしたが、私も冷静にはなれませんでした。自分の耳にだけ届いた硬質な音は、なぜだか心胆寒からしめる不吉な音だと感じていたからです。
それから主治医さんとともに、どれくらいの負荷までは大丈夫かという確認が行われることになりましたが、少なくとも短い間であれば、全力を出しても問題ないということが分かったのです。
奇跡だ、とも言われました。もうその時にまで行くと、ずっと耳に残っていた不愉快な残響も忘れ、ただ走れることを喜びました。
屋敷に戻ったら、姉さまと、マックイーンたちとも一緒に遊ぼう。あの庭にある背くらべの木までのレースに参加しよう、なんて。検査が終わり、屋敷に戻れる日はそんなことを考えて待っていました。
迎えに来てくれたのは、ばあやだけで。
『ヴェルソ様は、アルダン様が入院した同じ日に右脚を骨折なさいました。本格化が来るまで走るのは難しい、とのことでございます』
どうして、と。なぜ姉さまが、と。その時の私は、ただ驚き、嘆き、悲しむことしかしなかったのです。
禍福は糾える縄の如し、なんて。福をもたらしてくれたのが誰なのかも、自身の罪深さすらも知り得ない私は、ただ。姉さまを襲った理不尽を、恨んでいたのです。
愚かにも。
以下ぼんやり決めてた設定とか
・オリ主(メジロヴェルソ)
ちゅっとした相手が受けるすべての攻撃(ケガ、病気、不調)を自分のHPが0になるまで相手の代わりに自分が受ける。音系のわざも受けられるかわりにメンタル系の状態異常はみがわりになれない。
受けるか受けないかはオリ主の意思によるが、全部受けたがる。メジロ家全員にちゅっとしてる。また、骨折してるときに更にダメージを受けたりすれば当然ケガの重症度が上がる。とんだことだよこれは…!(オリ主の足)
誰か続き書いて♡