全方位勘違いお嬢様 ~彼女が勘違いするたびカップルが成立する~ 作:鹿山_osc
王立魔法学院、剣練所にて。
「脇が甘い! 握りを緩めるな! 何度言えばわかる!」
怒声が、青空に響き渡っていた。
声の主は、エレノア・カークランド。
学院警備騎士団に所属する若き女騎士であり、騎士科の実技指導も兼任している。また齢二十二にして正騎士に叙された実力者である。
そして怒声を浴びているのは、テオ・マーロウ。
騎士科の新入生である。
「うへぇ、今日も絶好調っすねぇ教官……」
「口を動かす暇があるなら足を動かせ! 外周、あと十周!」
「じゅ、十周!?」
いつもの光景である。
訓練場の生徒たちも、慣れたもので特に気にも留めない。
ただ一人を除いて。
「まぁ……!」
中庭からの帰り道、たまたま通りがかったリリア・イングスターの目が、きらりと光った。
アルベルトは、その横顔を見て静かに覚悟を決めた。
――また始まる。
☆
訓練終了後、備品倉庫の脇にて。
エレノアは一人、木剣の手入れをしていた。
布で柄を拭き、ひび割れを確認し、油を差す。
誰に言われるでもない、彼女の日課だった。
「ご精が出ますのね」
「っ!?」
気配もなく背後に立っていたリリアに、エレノアは肩を跳ねさせた。
仮にも騎士である。
背後を取られることなど滅多にない。
しかし振り向いて見てみれば、エレノアにとって見知った顔がそこにはいた。
「なんだリリアか……何か用か?」
カークランドとイングスターは親戚筋である。
リリアから見れば、母方のいとこにあたる。
家族同士の仲もよく、エレノアは幼少期からリリアの面倒を見ることが何度かあった。
リリアは昔からすばしっこく、よくエレノアの後ろをとっては驚かせていた。
「お姉様、先ほどは随分と熱心にご指導されていましたね」
「ああ、テオのことか?」
「世話の焼ける生徒でな……」
「呑み込みは早い、目も良い、度胸もある」
「なのにサボる、手を抜く、楽を覚える」
「ご執心ですのね」
「ある意味ではな」
「私が目を光らせていないと何もしない」
「全く嘆かわしいことだ」
一つため息。
「お姉様、それは恋ですのよ」
「恋……?」
「そこまでテオ様のことをよく見ていらして、ずっと目をかけていますもの」
「お姉様がそこまでご執心していらっしゃる殿方は初めて見ましたわ」
「はっ、恋だと、馬鹿馬鹿しい……」
いや、待て。
――恋。恋だと? この私が?
言葉にした途端、なぜか鼓動が一つ、大きく跳ねた。
「お姉様、昔からその手の話は苦手でしたものね」
苦手、ではない。機会がなかっただけだ。
……機会があれば、どうだったというのだ?
「でも私から見れば一目瞭然でしたわ」
一目瞭然。傍から見て、わかるほど?
脳裏に、あの生意気な顔が浮かぶ。
――なぜ今浮かんだ!?
「そう……か……?」
「ええ、信じてください」
「それはまぎれもなく恋ですわ!」
恋。
物語の中でしか知らない、その言葉。
騎士が姫に捧げる、あの――。
……悪くない、響きでは……。
「な……何を、馬鹿な……!」
「あら、否定なさるの? では一つずつ検分いたしましょう」
リリアは指を一本立てた。
「まず、あなたはテオ様を毎日叱っていらっしゃる」
「本当にどうでもいい相手なら、放っておけばよろしいのよ」
「伸びようが腐ろうが、他人事ですもの」
「叱るというのは、関心の裏返しですわ」
「そ、それは教官として当然の……」
「二つ」
二本目の指が立つ。
「テオ様は才能がおありなのに、サボる」
「妙だとは思いませんこと?」
「本当に楽をしたいだけなら、適当に及第点を取って目立たぬようにするのが一番ですわ」
「なのに彼は、わざわざあなたに叱られる程度にサボる」
「――あなたに構ってほしいから、ですわね」
「なっ……」
エレノアの思考が、一瞬止まった。
――言われてみれば……いや待て、何を考えている私は。
「そして三つ」
三本目の指が、とどめのように立った。
「テオ様が本気を出さない、本当の理由」
「実力を出し切ってしまえば、あなたに指導される理由がなくなってしまう」
「一人前になった瞬間、あなたの隣にいる口実を失ってしまう」
「だから彼は、伸びない振りをしているのですわ」
「そんな、馬鹿な話が……」
「そしてあなたも、本当はおわかりのはず」
「『目が離せない』――その言葉の、本当の意味を」
「私はただ、あいつを一人前にしたいだけで……!」
「そう! 一人前にして――隣に、立ってほしいのですわね!」
――絶対違う。
アルベルトは思った。
「ちっ、違う! 断じて違うぞ! 私は騎士だ! 色恋にうつつを抜かすなど……!」
声が、大きかった。
大きすぎた。
そして、否定の言葉とは裏腹に、エレノアの顔は見る間に赤く染まっていく。
耳まで、首まで、燃えるように赤い。
彼女は知らなかった。
こういう話題を、どんな顔で受け流せばいいのかを。
騎士団は男所帯だ。
同性の友人と恋の話に花を咲かせる、そんな機会は一度としてなかった。
汗と鉄の匂いの中で剣だけを磨いてきた彼女にとって、恋の話とは、書物の中の出来事だった。
つまり、免疫がゼロだった。
「あら、お顔が真っ赤ですわよ」
「これは……その、日焼けだ!」
「今、赤くなりましたわ」
「〜〜〜っ!」
エレノアは剣の腕なら学院の誰にも引けを取らない。
だが、この戦場において、彼女は丸腰の新兵であった。
「ふふ。私、その手の話には理解がありましてよ」
「応援させていただきますわね」
リリアは満足げに一礼し、踵を返す。
助かった。
嵐は去った。
エレノアは胸を撫で下ろし――、
「……ま、待て」
呼び止めていた。
「あら、何かしら?」
「その……か、仮の話だが」
「仮に、そういう……ものだった場合、その、どうなる、ものなのだ」
言ってから、エレノアは自分の口を疑った。
――何を聞いている私は!?
だが、仕方のないことであった。
二十二年の人生で、初めての”コイバナ”だったのだ。
迷惑だ、馬鹿馬鹿しい、くだらない。
そう思うのに、足が、口が、勝手に続きを求めてしまった。
リリアは微笑んだ。
「まずは、お相手をよく見ることから、ですわ」
☆
その夜、騎士寮の自室にて。
エレノアはベッドに腰掛け、天井を睨んでいた。
「……馬鹿馬鹿しい」
口に出してみる。
「この私が……ありえない」
もう一度、口に出してみる。
『叱るというのは、見ている、ということ』
昼間の言葉が、頭の中で反響する。
「……見ているか、見てはいるが……」
思い返せば、妙な男だった。
他の生徒は自分を恐れて目も合わせないのに、あいつだけは軽口を叩く。
外周を命じれば「鬼っすか」と口答えし、それでいて、走り終えれば「次、何すればいいっすか」と戻ってくる。
訓練後、決まって水桶を汲んでくるのも、あいつだった。
「あれは……雑用を命じたから、で……いや、命じたのは最初の一度だけでは……?」
心臓が、嫌な跳ね方をした。
「ま、待て……落ち着け」
「これはあれだ、リリアの妄言に引きずられているだけだ」
「大体、水汲みくらい誰でもする」
「深い意味などあるものか」
だが、彼女の記憶には、恋を測るための物差しが一つしかなかった。
幼い頃に読み耽った、古い騎士物語である。
――騎士物語、第三章。
従者は姫のために毎朝、泉の水を汲んだ。
それは無償の献身、即ち忠愛の証……。
「あいつ、毎朝水を……」
――違う! 私は姫ではない! 教官だ!
ぶんぶんと頭を振る。
しかし第五章、騎士は想い人にのみ軽口を許した。
気安さとは、心を許した証である……。
「あいつ、私にだけ軽口を……」
――だから違う! あれはただ礼儀がなっていないだけだ!
ぶんぶんぶん、と頭を振る。
振れば振るほど、記憶の中のテオが、物語の登場人物に重なっていく。
妄想は、コイバナの経験値で薄めることができる。
「それは考えすぎ」「ないない」と笑ってくれる友人がいれば、恋の熱は適温に保たれる。
エレノアには、それがなかった。
ありのままの妄想が、二十二年分の空白に、一気に流れ込んだ。
「〜〜〜〜っ!!」
エレノアは枕に顔を埋めて、声にならない声を上げた。
その夜、彼女は一睡もできなかったという。
☆
翌日、訓練場にて。
テオ・マーロウは、この世の終わりのような顔をしていた。
――何かがおかしい。
朝の素振り、五百回のところを三百回で止めてみた。
いつもなら雷が落ちる。
「誰が止めていいと言った!」と怒声が飛ぶ。
だが今日は。
「……そうか。う、うむ。無理は、するなよ」
教官が、目を逸らしながら、そう言ったのだ。
――誰だよ!?
テオの背筋を、冷たいものが走った。
異変はそれだけではなかった。
打ち込み稽古で構えを直される際、いつもは容赦なく蹴りを入れてくる教官の手が、今日は肩に触れる寸前で止まり、なぜか引っ込んだ。
名簿を確認する教官と目が合った。逸らされた。耳が赤かった。
昼、水桶を汲んで戻ると、教官は
「い、いつも……済まんな」
と言った。
――済まんな!? あの教官が!?
テオは水桶を取り落としそうになった。
「なぁおい、教官今日変じゃねえか?」
たまらず同期に耳打ちする。
「変っつーか、優しくね? 良かったじゃん」
「良くねえよ! 怖えんだよ!」
そう、怖いのだ。
嵐の前は静かだと相場が決まっている。
鬼教官が突然優しくなる理由など、ろくなものであるはずがない。
――俺、何かやらかしたか……?
テオは必死に記憶を浚う。
備品の木剣を折ったのは先月だ。あれは報告した。
賄いのパンを二個取ったのは一昨日だ。
まさかバレたのか?
いやパン二個でこれはない。
――待て。まさか、除籍……?
問題児を切る前に、当たりが柔らかくなる。
聞いたことがある。あれは死刑宣告前の温情なのだと。
「ひ、ひぃぃ……」
――わけがわからねぇ!!
テオの悲鳴なき悲鳴は、青空に虚しく吸い込まれていった。
なお、当の教官は視線の端でテオの怯えた様子を捉え、
――目が合わせられない……というのは第七章でいうところの……いや違う、あれは怯えて……怯え? 私は嫌われて……?
と、一人で新たな迷宮に突入していた。
誰も、何も、始まってすらいないのに。
今日も学院は平和だった。