全方位勘違いお嬢様 ~彼女が勘違いするたびカップルが成立する~ 作:鹿山_osc
魔法学院、医務室にて。
週に一度の、いつもの光景。
窓から差し込む午後の日差し、薬品の匂い、そして淡い光を注ぐリリアの掌。
デックスは、その横顔を盗み見ていた。
——言うなら、今日だ。
告白は練習として処理された。
ならば次は、外堀からだ。
二人きりで、治療でも茶会でもない時間を作る。
話はそれからだ。
「リリアさん」
「あら、どうかなさいまして?」
「その、今度の休日なのですが……もしお時間があれば、私と」
「相談事ですわね! よろしくてよ!」
「そうではあるんですが、そうではなくて……」
「遠慮なさらないで。私、相談事は大歓迎ですのよ」
太陽のような笑顔だった。
——違う。違うんだ。
デックスの言葉は、喉の奥で行き場を失った。
考えてみれば当然の帰結である。
告白を「練習」と受け取る相手に、誘いの言葉が正しく届く道理がなかった。
「では、詳しいお話は歩きながら伺いますわ」
治療を終え、二人は医務室を後にした。
☆
回廊にて。
「それで、ご相談というのは——」
「リリアではないか」
低く、よく通る声が回廊に響いた。
振り返れば、そこには長身の男が立っていた。
仕立ての良い旅装に、無造作に流した黒髪。
鍛え抜かれた体躯は服の上からでも見て取れ、佇まいだけで歴戦とわかる。
顔立ちは彫りが深く、精悍。
要するに、偉丈夫であった。
「お兄様!」
リリアが駆け出した。
——お兄様!?
デックスの心臓が、嫌な音を立てた。
リリアは脇目も振らず加速し、そのまま男の胸へ飛び込んだ。
「お久しぶりですわ!」
「おお、大きくなったなぁ。俺の小さなお姫様はどこに行った?」
男は危なげなくリリアを受け止め、軽々と一回転させてから下ろした。
——……。
デックスは無言だった。
無言だったが、その左腕の痣が、心なしかいつもより脈打っている気がした。
「まぁ、私ももう子供ではありませんのよ」
「そうか? 背後から人を驚かせる癖は直ったのか」
「そ、それとこれとは話が別ですわ」
じゃれ合う二人。
仲が良い。
実に、仲が良い。
——兄。
兄と言ったな。
イングスター家に男子はいなかったはずだが。
デックスが記憶の家系図をめくっていると、リリアがくるりと振り返った。
「ご紹介いたしますわ、友人のデックス様です」
「……デクスター・バレンシアです」
友人。
その二文字を胸の内で租借しながら、デックスは礼をとった。
「バーナード・ロージアだ、従兄妹がいつも世話になっているな」
「バーナード・ロージア……」
どこかで聞いた名だ。
いや、どこかどころではない。
「あの、竜殺しの!?」
バーナード・ロージア男爵。
三年前、南部国境の村を襲った飛竜を、たった一人で討ち取った男。
竜種の討伐は本来、騎士団が一個中隊を編成して当たる大事業である。
それを、当時たまたま村に居合わせただけの男が、槍一本で成し遂げた。
三日三晩の死闘の末、最後は折れた槍を竜の喉へ突き立てたという。
武門の家に育ったデックスにとって、それは英雄譚そのものだった。
「所詮はデカいトカゲよ。褒められることでもない」
バーナードは事もなげに肩をすくめた。
「三日三晩の死闘と聞いています」
「あれは半分は追いかけっこだ、足が速くてな」
「折れた槍で喉を……」
「新品の槍が先に折れた。あれは職人に文句を言うべき話だ」
——すごい。
語られる言葉は全て謙遜の形をしていたが、その一つ一つが「飛竜と三日間戦い続けて生きている」という事実を裏書きしている。
武人としての格が、違う。
「そうでしょうそうでしょう」
リリアは後方で腕を組み、我が事のように何度も頷いていた。
——なぜ貴女が誇らしげなのですか。
「時に、君はバレンシア卿のご子息だな?」
「父を、ご存知ですか」
「狩猟仲間でな。よく自慢話を聞かされたものだ」
「『うちの息子の剣筋は儂を超えた』と、猪を追いながら三度は聞いた」
「父が、そのようなことを……」
初耳だった。
家では口数の少ない父である。
褒められた記憶など、数えるほどしかない。
まんざらでもない顔になりかけて、デックスは慌てて表情を引き締めた。
「それで、お兄様はどうして学院に?」
「野暮用でな。詳しくは話せんが」
「まぁ、勿体ぶって」
「仕事の話だ、諦めろ」
「では、お仕事が終わりましたら遠乗りに出かけましょう! ね!」
リリアはバーナードの腕を両手で掴んで、ぐいぐいと引っ張った。
「わかったわかった」
——……。
デックスは無言だった。
目の前で繰り広げられる気安いやり取り。
腕を引く細い手と、それを鷹揚に受け止める大きな背中。
従兄妹。
家族も同然。
わかっている。
頭ではわかっているのだ。
だが、片思いの相手が竜殺しの英雄と楽しげにしている光景は、理屈とは別の場所に突き刺さる。
「デックス君も連れて行ったらどうだ?」
「えっ」
思考を読まれたかのようなタイミングだった。
「まぁ、素晴らしいですわ!」
リリアが手を打った。
「でしたらコーデリア様もお誘いしましょう! 馬上こそ、恋を育む絶好の舞台……!」
「えっ、えっ」
——話が急すぎる!
こうして、翌日の遠乗りが決まった。
デックスの意思は、最後まで確認されなかった。
☆
翌日、学院を出て、街道を東へ。
抜けるような青空の下、四人と従者数名の一行は、馬を並べて進んでいた。
先頭にバーナード、その隣にリリア。
少し離れてデックス、その背にはコーデリアが乗っている。
「あ、あの、失礼します……」
「揺れますから、しっかり掴まってください」
「は、はいぃ……」
コーデリアは、デックスの背中に額がつきそうな距離で、顔を真っ赤にしていた。
——で、でっかい……背中、でっかい……。
憧れの人と、相乗り。
一月前の自分に教えたら、泡を吹いて倒れるだろう。
だが、当のデックスの意識は前方にあった。
「——それでな、こいつときたら木に登ったはいいが降りられなくなって」
「お兄様! その話は禁止と申しましたわ!」
「泣きもせずに一晩籠城する構えだったのだ。五つの子供がだぞ? 肝が据わっているにも程がある」
「降りたら負けだと思っただけですわ」
「そういうところだ」
バーナードは呵々と笑った。
リリアの昔話。
デックスは、気付けば手綱を握る手も忘れて聞き入っていた。
お転婆で、負けず嫌いで、泣かない子供。
今の彼女に、まっすぐ繋がっている。
知らない彼女を知れることが、こんなにも嬉しい。
——我ながら、重症だな。
自嘲しつつ、デックスはもう一つのことに気付いていた。
バーナードの語る昔話は、どれも当たり障りのない範囲で選ばれている。
何かを、丁寧に避けている。
武人の勘が、そう告げていた。
☆
湖畔に到着した。
風が水面を撫で、細かな光が散っている。
リリアとコーデリアは敷布の準備へ、デックスとバーナードは従者と共に馬を繋ぎに向かった。
手綱を杭に結びながら、バーナードがふと口を開いた。
「デックス君。リリアといると大変だろう」
「そんなことは……」
——あるかもしれない。
告白は練習にされ、想い人の企画で別の令嬢との席を設けられ、今もこうして振り回されている。
言葉に詰まったデックスを見て、バーナードは笑った。
「顔に出ているぞ」
「……失礼しました」
「責めてはいない。あれの周りは、昔からああだ」
バーナードは馬の首を叩いてやりながら、湖の方へ目をやった。
敷布の上で、リリアが何やら大仰な身振りでコーデリアに語りかけているのが見える。
「あの子と付き合う気なら、相応の覚悟がいるぞ」
「——」
心臓が跳ねた。
付き合う。
それが交友の意味でないことは、声の調子でわかった。
「……気付いて、おられましたか」
「竜の尾を踏む前に気配で気付く。それで生き延びてきた」
「私は竜ですか」
「リリアに関しては、竜の方がまだ隠し事が上手い」
冗談めかした言葉に、しかし目は笑っていなかった。
デックスは一呼吸置いて、正面から問うた。
「相応の覚悟、とは、いったいどういうことですか」
血呪のことか。
いや、それは自分の側の話だ。
彼が言っているのは、リリアの——。
「いずれ、リリアが話したいと思えば話すだろう」
バーナードは手綱の結び目を確かめ、立ち上がった。
「一つだけ言うならば」
「あの子の鈍さには、理由がある」
「……」
鈍さ。
名指しの告白を受け流し、向けられる想いのことごとくに気付かない、あの異常なまでの。
あれは天然などではなく、理由がある、と。
デックスは、それ以上聞けなかった。
聞いてはいけない気がした。
風が、二人の間を抜けていった。
☆
同時刻、湖畔の敷布にて。
「さぁ、作戦会議ですわ!」
リリアは拳を握って高らかに宣言した。
「馬上での密着は既に完了。次なる一手は湖畔の散策ですわ」
「二人きりで水辺を歩き、頃合いを見て私が従者に合図を送ります。すると対岸から花火が——」
「あ、あの、リリア様」
「花火はやりすぎかしら。では白鳩を——」
「リリア様!」
コーデリアは、意を決して声を上げた。
リリアがきょとんと目を丸くする。
「……私、思ったんです」
一度俯いて、それから顔を上げた。
「私、バレンシア様と一緒になりたいんじゃなくて——推したいんだ、って」
「まぁ」
「あの日助けていただいてから、ずっと目で追ってきました。それは本当です」
「でも、お側にいたいのとは、違ったみたいなんです」
「あの方が誰かを想って、報われて、幸せになるところを、遠くから見ていたい」
「だからその、恋愛とかじゃなくて……遠くから眺めているだけで、十分です」
一息に言い切って、コーデリアは肩の力を抜いた。
茶会の日、遠ざかっていく二つの背中を見送ったときから、ずっと胸の内にあった答えだった。
あの光景を「悔しい」ではなく「尊い」と感じてしまった時点で、この恋の形は決まっていたのだ。
十四の少女なりの、精一杯の整理だった。
「そうでしたか……」
リリアは、しばし黙った。
そして、ふわりと微笑んだ。
「わかりました」
——あれ?
それ以上、何も言わなかった。
作戦の続きも、説得も、「本当によろしいの?」の一言すらも。
コーデリアは少し意外に思った。
この令嬢のことだ、てっきり「それも恋の一形態ですわ!」と何かしらの暴論が飛んでくるものと身構えていたのに。
リリアはただ、湖面に目をやった。
想いには、成就だけが正解ではない。
それを、この令嬢は令嬢なりに知っているのかもしれなかった。
「……あの」
だから、だろうか。
コーデリアの口から、ずっと呑み込んでいた問いが零れたのは。
「どうかなさいまして?」
「リリア様は——バレンシア様が、リリア様を慕っているとは、思わないのですか?」
言ってしまった。
心臓が縮み上がる。
デックスの視線の先を、言い回しを、あの告白めいた言葉たちを、コーデリアはずっと見てきた。
気付かないはずがないのだ、普通なら。
差し出がましいことは百も承知だった。
それでも、身を引くと決めたからこそ、聞かなければならない気がした。
リリアは目を丸くして——、
それから、あっけらかんと笑った。
「それは、あり得ませんわ」
迷いのない、いっそ清々しいほどの即答だった。
「ど、どうしてですか?」
コーデリアの問いに、リリアは湖面を見たまま、なんでもないことのように答えた。
まるで、明日の天気の話でもするように。
「私には、人に好かれるだけの資格がありませんの」
風が、水面を渡っていった。