全方位勘違いお嬢様 ~彼女が勘違いするたびカップルが成立する~ 作:鹿山_osc
王立魔法学院、回廊にて。
クレアは走っていた。
エプロンの裾を翻し、洗い場から裏庭へ、裏庭から回廊へ。
その顔には、追われる小動物のような必死さがあった。
「クレアはどこだ」
回廊の向こうから、低い声が響く。
その視線はともすれば、人を殺しかねないほど鋭い。
ガイ・スプラウト伯爵子息だ。
あの食堂の一件以来、彼は変わった。
毎朝、食堂に現れては厨房を覗き、クレアの姿を探し、見つければ話しかけてくる。
内容は「昨日の料理の感想」やら「テーブルマナーについて」やら、他愛のないものばかりであったが、
――むりむりむりむりぃ!
クレアにとっては、他愛ないどころの話ではなかった。
そもそも、あの告白は嘘なのだ。
砂糖と塩を間違えただけ。
肉は焼き加減を誤っただけ。
パンは小鳥の餌だっただけ。
それが、あの令嬢の勘違いでいつの間にか『身分を越えた一途な恋』などという尾ひれの付いた噂に様変わりしてしまった。
暴かれることはできるだけ避けたく、またそれを事実にすることもクレアには憚られた。
正直、視界に入るだけでも心臓に悪いのだ。
それに加え、彼女には知られたくない事実もあった。
――私は、目立つわけにはいかないのに。
クレアは柱の間を縫うように、足音を殺して駆けた。
☆
中庭では、いつものようにリリアが優雅にティータイムを楽しんでいた。
「良い風ですわねぇ」
アルベルトが相槌を打って、紅茶を注ぎ足した、その時。
——がさり。
リリアの座る席のすぐ後ろ、生垣が揺れた。
飛び込んできた小さな人影は、身を屈め、息を殺す。
それはクレアだった。
何事かとリリアは様子を見ているが、どうやらリリアには気が付いていない様子で、反対方向を意識している。
ほどなくして、回廊の方から足音が通り過ぎていった。
「……クレアは、こっちには来ていないか」
足音は遠ざかり、やがて聞こえなくなる。
「……はぁ」
生垣の陰で、クレアは胸の内のもやもやを吐き出すような息をついた。
助かった。
今日のところは撒いた。
安堵に胸を撫で下ろし、顔を上げる。
目が、合った。
太陽のようにきらきらした瞳と。
「あら、あなたは確か……クレアさん、ですわね?」
——ほわあああああ!? イングスター!!
よりにもよって、全ての元凶の懐に飛び込んでいた。
☆
「なるほど、ガイ様とどう接していいかわからない、と」
気付けばクレアは席に着かされ、紅茶と菓子を振る舞われていた。
貴族令嬢と同じテーブル。
平民の料理人としては卒倒ものの状況である。
「は、はい……その、恐れ多くて」
本当は「あの告白は嘘なんです」と言いたかった。
言いたかったのだが、目の前の令嬢のあまりに曇りのない瞳を見ていると、言葉が喉の奥で溶けて消えてしまった。
真実を告げたところで、どうせ斜め上に変換される。
短い付き合いながら、クレアは本能で理解した。
「恐れ多い、ですか」
リリアはカップを置き、ふむ、と顎に指を添える。
「確かに、ガイ様の評判はあまりよろしくありませんものね」
「え?」
「理由もなくメイドを解雇したとか、召使を殴りつけたとか……ご存知ありませんこと?」
知らなかった。
クレアが知っているのは、あの日怒鳴られたことと、その後なぜか執拗に感想を言いに来ることだけだ。
そもそもいち貴族の噂話なんて下っ端の料理人に入ってはこない。
自分が聞くのはたいてい下働きのよもやま話だったり、仕事の話が中心なのだ。
――え待って。私、そんな人に付き纏われてるの!?
思わずつんのめった。
逃げの一手は正解だったのでは?
どうすればいいのか?
やはりここは一旦逃亡して——。
「ですが、私は不思議に思っていますのよ」
思考が止まらないクレアをよそに、リリアは続ける。
「本当に理由もなく人を害する方が、料理の感想をわざわざ伝えに通うかしら?」
「それは……」
「本人に聞くのが一番ですわね」
「聞けたら苦労は――」
「ほら、いらっしゃいましてよ」
「えっ」
振り返る。
中庭の入り口に、仁王立ちの人影。
「クレア。ここにいたのか」
ガイ・スプラウト、その人であった。
――足音で気付けなかった!? 嘘でしょ私の耳!?
振り返れば生垣、正面は伯爵子息、隣は元凶。
逃げ場はなかった。
☆
「リリア、その女に何の用だ」
誰がどう聞いても不機嫌な声に、誰がどう見ても不機嫌な顔をするガイ。
対するリリアは、涼しい顔で彼に声を返した。
「お茶とご相談ですわ。ガイ様こそ、クレアさんに何の御用ですの?」
「……別に。昨日のディナーが、悪くなかったと言いに来ただけだ」
——それをわざわざ探し回って!?
クレアは震えた。
恐怖なのか羞恥なのか自分でも判断がつかない、未知の体験だった。
「ガイ様、一つ伺ってもよろしくて?」
リリアは悪気の欠片もない笑顔で、切り込んだ。
「メイドを理由なく解雇なさった、というお話。あれは本当ですの?」
空気が、凍った。
——ちょっ、この令嬢、正面から!?
クレアは硬直し、アルベルトは静かに目を閉じた。
主人の直球は今に始まったことではないが、それにしても剛速球だ。
今日はいつにもまして、キレが鋭かった。
ガイは眉間のしわを深くして、しばし黙り込む。
やがて、腕を組んだまま、ぽつりと言った。
「……理由なら、あった」
「まぁ、やっぱり」
「メイドは、屋敷の銀器を横流ししていた」
「突き出せば鉱山送り、それも一家そろってな」
「だから解雇だけで済ませた」
「では、召使を殴った、というのは」
「殴ってはいない、突き飛ばした」
「厩で、脚を痛めた馬に鞭を入れていたからだ」
「動けないものを打って、何になる」
淡々と、事実だけを並べるガイ。
そこに釈明の色は一切なかった。
「どうして、それを皆に仰いませんの?」
「言う必要がない」
「盗みの件を明かせば、あのメイドの一家まで路頭に迷う」
「馬の件など、話したところで『馬ごときで』と笑われるだけだ」
「損な生き方ですわねぇ」
眉を下げて、苦笑する。
「どうとでも言え」
と、顔を背ける。
クレアは、まじまじと横顔を見つめてしまった。
――この人、不器用なだけなんだ。
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
言えば済むことを言わない。
誤解されたまま放っておく。
真実を語らず悪評を黙って被る。
――……同じだ。
クレアにも、言えないことがある。
告白が嘘だということも。
それ以外の、もっと大きなことも。
言えないものを抱えて生きる息苦しさなら、誰よりも知っているつもりだった。
「あの……ガイ様」
気付けば、口が動いていた。
「明日の朝も、スープ、作ります」
「その……甘くないやつ、ですけど」
ガイは目を丸くする。
はっとなり、すぐに鼻を鳴らした。
「当然だ。二度も砂糖を入れられてたまるか」
その口元が、ほんのわずかに緩んでいたことに、クレアは気付いてしまった。
そして、二人のやり取りを眺めていたリリアが微笑む。
「言葉にせずとも通じ合う……やはり、恋ですわね」
「「違います(違う)」」
二人の声が、綺麗に重なった。
——微笑ましいことだ。
アルベルトは、今日ばかりは『違う』と言い切れない自分に気付き、静かに戦慄した。
☆
後日、朝の食堂にて。
湯気の立つスープが、一皿。
「……普通だな」
「普通が一番なんです」
「だが、悪くない」
窓際の席で交わされる短いやり取りは、食堂の朝の風景になりつつあった。
噂好きの学生たちは囁き合う。
あのスプラウト様が笑った、と。
相手はやはり、あの料理人だ、と。
——目立ちたくはないんですが。
スープ皿を下げながら、クレアは小さくため息をついた。
そう、自分とガイでは立場が違う。
食べるものも、生きる世界も、まるで違うのだ。
だから、この胸の温かさも、きっと勘違いしているだけなのだ。