全方位勘違いお嬢様 ~彼女が勘違いするたびカップルが成立する~   作:鹿山_osc

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料理人と伯爵子息 2

 王立魔法学院、回廊にて。

 

 クレアは走っていた。

 

 エプロンの裾を翻し、洗い場から裏庭へ、裏庭から回廊へ。

 その顔には、追われる小動物のような必死さがあった。

 

「クレアはどこだ」

 

 回廊の向こうから、低い声が響く。

 その視線はともすれば、人を殺しかねないほど鋭い。

 

 ガイ・スプラウト伯爵子息だ。

 

 あの食堂の一件以来、彼は変わった。

 

 毎朝、食堂に現れては厨房を覗き、クレアの姿を探し、見つければ話しかけてくる。

 内容は「昨日の料理の感想」やら「テーブルマナーについて」やら、他愛のないものばかりであったが、

 

 ――むりむりむりむりぃ!

 

 クレアにとっては、他愛ないどころの話ではなかった。

 

 そもそも、あの告白は嘘なのだ。

 

 砂糖と塩を間違えただけ。

 肉は焼き加減を誤っただけ。

 パンは小鳥の餌だっただけ。

 

 それが、あの令嬢の勘違いでいつの間にか『身分を越えた一途な恋』などという尾ひれの付いた噂に様変わりしてしまった。

 

 暴かれることはできるだけ避けたく、またそれを事実にすることもクレアには憚られた。

 

 正直、視界に入るだけでも心臓に悪いのだ。

 

 それに加え、彼女には知られたくない事実もあった。

 

 ――私は、目立つわけにはいかないのに。

 

 クレアは柱の間を縫うように、足音を殺して駆けた。

 

 

 

 

 中庭では、いつものようにリリアが優雅にティータイムを楽しんでいた。

 

「良い風ですわねぇ」

 

 アルベルトが相槌を打って、紅茶を注ぎ足した、その時。

 

 ——がさり。

 

 リリアの座る席のすぐ後ろ、生垣が揺れた。

 飛び込んできた小さな人影は、身を屈め、息を殺す。

 

 それはクレアだった。

 

 何事かとリリアは様子を見ているが、どうやらリリアには気が付いていない様子で、反対方向を意識している。

 

 ほどなくして、回廊の方から足音が通り過ぎていった。

 

「……クレアは、こっちには来ていないか」

 

 足音は遠ざかり、やがて聞こえなくなる。

 

「……はぁ」

 

 生垣の陰で、クレアは胸の内のもやもやを吐き出すような息をついた。

 

 助かった。

 

 今日のところは撒いた。

 

 安堵に胸を撫で下ろし、顔を上げる。

 

 目が、合った。

 

 太陽のようにきらきらした瞳と。

 

「あら、あなたは確か……クレアさん、ですわね?」

 

 ——ほわあああああ!? イングスター!!

 

 よりにもよって、全ての元凶の懐に飛び込んでいた。

 

 

 

 

「なるほど、ガイ様とどう接していいかわからない、と」

 

 気付けばクレアは席に着かされ、紅茶と菓子を振る舞われていた。

 

 貴族令嬢と同じテーブル。

 

 平民の料理人としては卒倒ものの状況である。

 

「は、はい……その、恐れ多くて」

 

 本当は「あの告白は嘘なんです」と言いたかった。

 

 言いたかったのだが、目の前の令嬢のあまりに曇りのない瞳を見ていると、言葉が喉の奥で溶けて消えてしまった。

 

 真実を告げたところで、どうせ斜め上に変換される。

 

 短い付き合いながら、クレアは本能で理解した。

 

「恐れ多い、ですか」

 

 リリアはカップを置き、ふむ、と顎に指を添える。

 

「確かに、ガイ様の評判はあまりよろしくありませんものね」

 

「え?」

 

「理由もなくメイドを解雇したとか、召使を殴りつけたとか……ご存知ありませんこと?」

 

 知らなかった。

 

 クレアが知っているのは、あの日怒鳴られたことと、その後なぜか執拗に感想を言いに来ることだけだ。

 

 そもそもいち貴族の噂話なんて下っ端の料理人に入ってはこない。

 自分が聞くのはたいてい下働きのよもやま話だったり、仕事の話が中心なのだ。

 

 ――え待って。私、そんな人に付き纏われてるの!?

 

 思わずつんのめった。

 

 逃げの一手は正解だったのでは?

 

 どうすればいいのか?

 

 やはりここは一旦逃亡して——。

 

「ですが、私は不思議に思っていますのよ」

 

 思考が止まらないクレアをよそに、リリアは続ける。

 

「本当に理由もなく人を害する方が、料理の感想をわざわざ伝えに通うかしら?」

 

「それは……」

 

「本人に聞くのが一番ですわね」

 

「聞けたら苦労は――」

 

「ほら、いらっしゃいましてよ」

 

「えっ」

 

 振り返る。

 

 中庭の入り口に、仁王立ちの人影。

 

「クレア。ここにいたのか」

 

 ガイ・スプラウト、その人であった。

 

 ――足音で気付けなかった!? 嘘でしょ私の耳!?

 

 振り返れば生垣、正面は伯爵子息、隣は元凶。

 

 逃げ場はなかった。

 

 

 

 

「リリア、その女に何の用だ」

 

 誰がどう聞いても不機嫌な声に、誰がどう見ても不機嫌な顔をするガイ。

 

 対するリリアは、涼しい顔で彼に声を返した。

 

「お茶とご相談ですわ。ガイ様こそ、クレアさんに何の御用ですの?」

 

「……別に。昨日のディナーが、悪くなかったと言いに来ただけだ」

 

 ——それをわざわざ探し回って!?

 

 クレアは震えた。

 

 恐怖なのか羞恥なのか自分でも判断がつかない、未知の体験だった。

 

「ガイ様、一つ伺ってもよろしくて?」

 

 リリアは悪気の欠片もない笑顔で、切り込んだ。

 

「メイドを理由なく解雇なさった、というお話。あれは本当ですの?」

 

 空気が、凍った。

 

 ——ちょっ、この令嬢、正面から!?

 

 クレアは硬直し、アルベルトは静かに目を閉じた。

 主人の直球は今に始まったことではないが、それにしても剛速球だ。

 

 今日はいつにもまして、キレが鋭かった。

 

 ガイは眉間のしわを深くして、しばし黙り込む。

 やがて、腕を組んだまま、ぽつりと言った。

 

「……理由なら、あった」

 

「まぁ、やっぱり」

 

「メイドは、屋敷の銀器を横流ししていた」

「突き出せば鉱山送り、それも一家そろってな」

「だから解雇だけで済ませた」

 

「では、召使を殴った、というのは」

 

「殴ってはいない、突き飛ばした」

「厩で、脚を痛めた馬に鞭を入れていたからだ」

「動けないものを打って、何になる」

 

 淡々と、事実だけを並べるガイ。

 

 そこに釈明の色は一切なかった。

 

「どうして、それを皆に仰いませんの?」

 

「言う必要がない」

「盗みの件を明かせば、あのメイドの一家まで路頭に迷う」

「馬の件など、話したところで『馬ごときで』と笑われるだけだ」

 

「損な生き方ですわねぇ」

 

 眉を下げて、苦笑する。

 

「どうとでも言え」

 

 と、顔を背ける。

 

 クレアは、まじまじと横顔を見つめてしまった。

 

 ――この人、不器用なだけなんだ。

 

 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 

 言えば済むことを言わない。

 

 誤解されたまま放っておく。

 

 真実を語らず悪評を黙って被る。

 

 ――……同じだ。

 

 クレアにも、言えないことがある。

 

 告白が嘘だということも。

 

 それ以外の、もっと大きなことも。

 

 言えないものを抱えて生きる息苦しさなら、誰よりも知っているつもりだった。

 

「あの……ガイ様」

 

 気付けば、口が動いていた。

 

「明日の朝も、スープ、作ります」

「その……甘くないやつ、ですけど」

 

 ガイは目を丸くする。

 

 はっとなり、すぐに鼻を鳴らした。

 

「当然だ。二度も砂糖を入れられてたまるか」

 

 その口元が、ほんのわずかに緩んでいたことに、クレアは気付いてしまった。

 

 そして、二人のやり取りを眺めていたリリアが微笑む。

 

「言葉にせずとも通じ合う……やはり、恋ですわね」

 

「「違います(違う)」」

 

 二人の声が、綺麗に重なった。

 

 ——微笑ましいことだ。

 

 アルベルトは、今日ばかりは『違う』と言い切れない自分に気付き、静かに戦慄した。

 

 

 後日、朝の食堂にて。

 

 湯気の立つスープが、一皿。

 

「……普通だな」

 

「普通が一番なんです」

 

「だが、悪くない」

 

 窓際の席で交わされる短いやり取りは、食堂の朝の風景になりつつあった。

 

 噂好きの学生たちは囁き合う。

 あのスプラウト様が笑った、と。

 相手はやはり、あの料理人だ、と。

 

 ——目立ちたくはないんですが。

 

 スープ皿を下げながら、クレアは小さくため息をついた。

 そう、自分とガイでは立場が違う。

 食べるものも、生きる世界も、まるで違うのだ。

 

 だから、この胸の温かさも、きっと勘違いしているだけなのだ。

 

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