全方位勘違いお嬢様 ~彼女が勘違いするたびカップルが成立する~ 作:鹿山_osc
王立魔法学院、男子寮の一室にて。
クイン・イーストバーグは、頭を抱えていた。
任務が一向に進まない。
原因は明白である。
目立ってしまったからだ。
あの日以来。
リリア・イングスター伯爵令嬢の『慧眼』によってアンナ・グレイブとの仲を公認されて以来、クインの一挙手一投足には常に視線がついて回る。
廊下を歩けば囁かれ、書庫に入れば「逢引きの待ち合わせでは」と噂され、夜に出歩こうものなら翌朝には尾ひれのついた恋物語が出来上がっている。
それゆえに食堂でおいそれとは食事もとれない。
使用人に言って自室へ夕食を運ぶように依頼する様だ。
密偵にとって、注目とは毒である。
クインは今、毒の沼でもがいていた。
あまりの状況に沈鬱になり、顔を伏せる。
「……ん?」
ふと、夕食の載った盆を手に取り、クインは眉をひそめた。
スープ皿の下に、薄い紙片が一枚。
広げれば、走り書きの符牒が目に留まる。
帝国式の古い暗号だった。
『東ノ鐘、月ノ三ツ刻』
――ようやく接触してきたか……!
連絡の途絶えていた草。
生きていた。
しかも、この皿の経路に紛れ込ませる手際。
――なるほど、プロだ。
クインは紙片を燭台の火にかざし処分した。
東の鐘。
学院の東側といえば、図書館の鐘塔だ。
月の三つ刻、つまり深夜。
完璧に読み解いた。
クインは確信していた。
☆
深夜、図書館の鐘塔下にて。
クインは、一人で立っていた。
一刻が過ぎた。
まだ、一人で立っていた。
――来ない。
虫の音だけが響く闇の中、クインの背を嫌な汗が伝う。
罠か? 試されているのか? それとも草は既に敵の手に――?
あらゆる最悪を想定し、その夜は撤収した。
☆
翌日の夕食。
スープ皿の下に、再び紙片があった。
『ナゼ来ナイ』
――行った!!
声に出さずに叫び、クインは震える手で返信をしたためた。
翌朝、空の皿の下に忍ばせて返す。
『東ノ鐘ニ一刻イタ』
その日の夕食、返事が来た。
『東ノ鐘=食堂裏ノ鐘。旧符牒デハ厨房ヲ「東」ト呼ブ』
『改訂版ヲ読メ』
――知らん!! 改訂版など受け取っていない!!
上司の、あの糸目のにやけ面が脳裏に浮かぶ。
どうせあの男が寄こし忘れたのだ。
闇の世界の連絡網ですら、勘違いとすれ違いから逃れられない。
クインは伏して地を眺めた。
浮かび上がる高笑い。
『このリリア・イングスターの目は誤魔化せませんわ!』
脳内にまで出しゃばってくるあの女の言ってもいない言葉が、脳内をよぎってしまった。
☆
翌深夜、食堂裏、食材貯蔵庫にて。
軋む扉を抜けると、吊るされた燻製肉と玉ねぎの袋の間、小さなろうそくの灯りがひとつ。
その灯りの下に、少女が立っていた。
エプロン姿の、見覚えのある料理人。
「……お前が、草か」
「七番です。十一番、で合っていますね」
先日、食堂で伯爵子息に怒鳴られていた、あの気弱な娘。
表ではクレアと名乗っていた。
その面影のまま、しかし纏う気配だけが別人だった。
物音ひとつ立てない立ち姿。
出入口と自分の間合いを常に測る足の位置。
――なるほど、使用人。
得心がいった。
むしろ、考えてみれば自分よりも自然なシナリオだ。
否、考えるまでもなく、辺境伯の子息という立場は潜入には向かないのではないか?
改めて疑問が湧くが、きっと糸目のあの男は何を言ってものらりくらり躱すだけなんだろう。
頭を振って、クレアとの会合を進める。
「連絡が途絶えていた理由を聞こう」
「動けなかったんです」
クレアは、疲れ切った顔で言った。
「注目されてしまって」
「……奇遇だな」
本当に奇遇だ。
まるで狙いすましたかのようなこのタイミングと状況。
実はリリア・イングスターには全てがわかっていて、あえて茶番を演じているとも考えられる。
『その程度も見抜けないなんて、思慮が足りないのではなくて?』
最近、脳内の幻聴が激しくなってきている。
注目を浴びすぎてどうにかなってしまったんだろうか。
「先に情報共有を」
「顧客リストですが、地下所蔵室はハズレです」
「二ヶ月前から私も探っていますが、手掛かりすらない状況ですね」
努めて冷静にクレアは説明する。
「俺も探ったが、資料室は空振りだった」
「有力なのは図書館の書庫、それと温室の床下」
「どちらも今は近付けません」
「なぜ」
「私が近付くと、目撃されるからです」
クレアは、遠い目をした。
「今、私がどこかへ歩いていくだけで、周囲がこう囁くんです」
「『スプラウト様に会いに行くのね』って」
「…………」
「厨房を出れば見られ、裏庭に出れば見られ、夜に抜け出そうものなら『大胆な逢引き』です」
「密偵が、学院一の注目株にされたんですよ」
「……奇遇だな」
クインは、乾いた声で言った。
「俺は今、宰相の娘との仲を公認された密偵だ」
「……お互い、苦労してますね」
貯蔵庫に、深い沈黙が落ちる。
燻製肉が、ろうそくの明かりに照らされ、ゆらりと揺れたように見えた。
☆
それからの半刻は、情報共有というより、傷の舐め合いであった。
「そもそも、私はただ砂糖と塩を間違えただけなんです」
「わかる。俺はただ追手から隠れただけだ」
「それがどうして告白したことになるんですか」
「わかる。それがどうして逢瀬になるんだ」
「否定したんです。何度も」
「無駄だ。否定は全て『素直になれない証拠』に変換される」
「そう! そうなんです!」
クレアは思わず声を大きくし、慌てて口を押さえた。
あまりの展開の速さ、あまりの周囲の誤解。
これを共感できるのは、同じ立場であり同じ密偵であるクインだけであった故、致し方のないことではあるが、やはり感情が抑えられなくなる。
「あの方の中では、全ての出来事が恋の途中経過なんです」
「悪意が一切ないのが、最も性質が悪い」
「悪意なら対処のしようもあるが、善意は打つ手がない」
二人の脳裏に、あの曇りなき瞳が浮かぶ。
そして、声が重なった。
「「おのれ、イングスター……!」」
闇に生きる者同士、固い見解の一致であった。
「……でも」
ふと、クレアが視線を落とした。
「ちょっとだけ、感謝もしてるんですよね」
「……何?」
「ガイ様……スプラウト様と話すの、実は嫌いじゃなくて」
「毎朝スープの感想を言いに来るんです。不器用で、素っ気ないんですけど」
語るクレアの表情は、任務の顔でも、気弱な料理人の顔でもなかった。
クインは、戦慄した。
「……洗脳されたか!?」
「されてませんよ!?」
「いいか、我々は闇に生きる者だ。感性が違うのだ、あちら側とは!」
「情が移れば動きが鈍る。鈍れば死ぬ。基本だろう」
「わかってます。わかってますけど」
クレアは苦笑して、ランプの灯を見つめた。
「はた迷惑ではあるんですけど」
「隠すものも、偽る名前もなくて、誰かのために全力で」
「それが……ただ、眩しくて」
それは、ある種の憧れだった。
泥水を啜って、這いずって生きるほかになかった自分たちとは、そもそもが違う。だからこそ、あの無垢な善意が、自分たちには一生かかっても持てないであろう善意が、羨ましかった。
クレアにとって、それを妬ましいという暗い色で塗りつぶすには、あまりにも明るすぎた。
「…………」
クインは反論しようと口を開き、閉じた。
悪意の海を泳いできた身には、あの底なしの善意は毒より恐ろしい。
恐ろしいが――眩しくないと言えば、嘘になるのだった。
それを事実だと認めるのが、どこか癪で、結局追及はしなかった。
「……次の接触は五日後。符牒は最新版を寄こせ」
「改訂版、写しておきます。上の人、絶対渡し忘れるので」
闇の世界の連携は、皮肉にも学院に来て最も円滑になった。
☆
後日、温室裏にて。
クインは床下を探るため、深夜、温室の花壇の縁を調べていた。
煉瓦を一つずつ確かめ、土の緩んだ箇所を探す。
完璧な手際、完璧な静寂。
「まぁ……!」
そのはずだった。
振り返れば、月明かりの下、リリアの瞳がきらきらと輝いていた。
「な……なぜ、こんな時間に」
「夜咲きの花に、月光の祝福を授けに参りましたの。それよりクイン様こそ」
リリアは花壇の縁を検めるクインの手元を見て、全てを察したように頷いた。
「アンナ様に贈る花を、ご自分で育てていらっしゃるのね!」
「……は?」
「土まで選び抜いて……買った花では駄目、想いは種から、というわけですのね!」
「なんて誠実なお方……!」
「違う、これは」
「ロマンチックですわ! ああなんて素敵な恋物語……!」
言うが早いか、リリアは月夜に駆けていった。
あの様子では、三日後には学院中に「種から育てる純愛」が知れ渡っているだろう。
温室の静寂の中、クインは一人、崩れ落ちて地に伏した。
――誰か! 助けてくれ!
なお同時刻、厨房の隅では。
「明日はクレアさんの恋を進展させる名案がありますのよ」という置き手紙を発見したクレアが、全く同じ叫びを上げていたという。
闇に生きる二人の受難は、まだまだ続く。