ヨハネ四姉妹の黙示録   作:深紫Sιn姉

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第8話

 ——絶望という概念に、形があるとするならば。

 それは今、俺の目の前にそびえ立っている『巨大な銃器の集合体』のことだろう。

 

 ゴゴゴゴォォォォォ……ッ!

 

 福建省の分厚い雲を突き抜けるほどの巨体。

 ありとあらゆる銃火器が融合し、脈打ち、無数の銃口が呼吸をするように黒煙を吐き出している。

 

 世界最悪の災厄、『銃の悪魔』。

 それが、完全に顕現したのだ。

 

 租唖の悪魔との戦いで満身創痍の俺は、瓦礫の山に腰を抜かしたまま、見上げることしかできなかった。

 

『ガ……ガガガガガガガッッ!!』

 

 銃の悪魔が、その無数の銃口を空へ、大地へ、そして俺へと向けた。

 一秒間に放たれる弾丸の数は、おそらく数百万発。

 それがもたらすのは、ただの「死」ではない。

 地形そのものを更地にし、都市の形すら変えてしまう純粋な破壊の暴力だ。

 

「……俺、ここで終わるのか」

 

 思い返せば、長いようで短い人生だった。

 悪魔をぶっ殺すことが特技で、マキマさんに公安に拾ってもらった。

 給料もそこそこ良いし、証券口座だって開けた。

 いろんな場所に出張だってしたし、いろんな悪魔と関わることだってあった。

 岸辺隊長に、クァンシも、俺に優しかった。

 あの六畳一間のアパートで、毎朝目覚めて最初にすることといえば、新聞の株式欄を穴が開くほど見つめることだった。

 赤いインクで書かれた「ストップ高」の文字を見るだけで、安い牛丼が高級ステーキの味に思えた。

 危険な任務をこなして特別手当をもらい、ボーナスが入るたびに、少しずつ、本当に少しずつ増えていく証券口座の残高。

 それが俺の生きた証だった。

 岸辺隊長に奢らされた、銀座の高級寿司の味。

 クァンシがくれた、三本足のヒキガエルの置物。

 そして、マキマさんが休日の朝に淹れてくれた、香ばしいコーヒーの匂いと、頭を撫でてくれるあの冷たくも優しい手のひらの感触。

 

「……南の島で、一生ぬくぬく暮らすんだ」

 

 誰の命令も聞かず、毎朝の満員電車にも乗らず。

 真っ白な砂浜のハンモックに揺られて、冷たいトロピカルジュースを飲む。

 ただ波の音だけを聞いて、穏やかに眠る。

 

 そんな、バカみたいにちっぽけで、でも俺にとっては世界で一番でっかく輝いていた夢。

 それが今、目の前の圧倒的な暴力によって、文字通り紙切れのように吹き飛ばされようとしている。

 

 悔しい。悲しい。

 涙が、血と泥に塗れた頬を伝って、ボタボタとアスファルトに落ちた。

 俺の血と汗と涙の結晶が、老後の安らぎが、こんな意味不明な暴力で終わるなんて。

 嫌だ……絶対に嫌だよ、そんなの。

 

「……ふざけんなよ」

 

 俺は、ガクガクと震える膝に力を込め、ゆっくりと、そして確実に立ち上がった。

 

 もしここで俺が死んでも。

 この『銃の悪魔』を野放しにすれば、世界中の市場は完全にパニックに陥り、世界経済は崩壊する。

 そうなれば、俺が命を懸けて積み上げてきた株も、口座の残高も、俺の存在証明そのものも、すべてが本当に『ゼロ』になってしまう。

 俺の生きた証が、何一つ残らない。

 

 それだけは、絶対に許せない。

 

 俺は震える手で、懐から軍用トランシーバーを引き抜いた。

 上層部の彼らと直接繋がる、唯一のホットライン。

 

「……こちらシキ。ワシントン、モスクワ、ブリュッセル……聞こえるか」

『————!』

 

 何か大きな声が聞こえるが、俺は無視する。

 そして淡々と伝えるべく声を発した。

 

「おい、俺から一つ、最初で最後の『要請』がある」

 

 俺は、銃の悪魔の巨大な砲身を見上げながら、唇の端を吊り上げてニヤリと笑った。

 

「あんたらの国が持ってる一番デカい花火……核兵器を、今すぐここに全弾ぶち込め」

 

 トランシーバーの向こう側で、相手方の息を呑む気配がはっきりと伝わってきた。

 

『……なんだと⁉︎ 正気か!』

『我々がそれを撃てば、君ごと福建省を消し飛ばすことになるぞ?』

『シキくん。状況はわからないが、本気かい?』

 

 ……ああ、どうして人間はこう弱いのだろう。

 とたんに、逃げ出したくなる。

 どこにも、逃げる場所なんてないというのに。

 

「構いません! このままコイツを野放しにしたら、世界は終わりだ。だから、やらなきゃいけない」

 

 俺の叫びに、通信機越しに重い沈黙が流れた。

 

「人類の火で、この災厄の歴史を終わらせましょう」

 

 恐怖などとうの昔に麻痺していた。

 あるのはただ、純粋な強欲と、小さな意地だけ。

 

 数秒の、永遠にも似た沈黙の後。

 大平洋の向こう側から、大統領の、氷のように冷たく、そしてどこか敬意を孕んだ声が響いた。

 

『……悪魔の力は強大だ。だが、我々「人間」もただ指をくわえて五十年間怯えていたわけではない』

 

 ソ連の書記長が、それに続く。

 

『恐怖の概念などという曖昧なものではない。人類が人類自身を殺し尽くすために磨き上げ続けてきた「物理学の最高峰」。その真の力を見せる時が来た、か』

 

 EU議長の声が、厳かに響く。

 

『……第七の封印を、我々の手で解こう。君の勇気に敬意を。さらばだ、極東のデビルハンター』

 

 ——プツン。

 通信が切れた。

 

 『天に半時間ばかり静けさがあった』

 古い書物に記されたその言葉のように、戦場を覆っていた銃の悪魔のけたたましい轟音が、一瞬だけ遠のいた気がした。

 嵐の前の、神聖なる静寂。

 

 上空。

 鉛色の雲を突き破り、七つのラッパが一斉に吹き鳴らされるかのような、空気を切り裂く異様な警報音が鳴り響き始めた。

 

 流れ星のように線を引いて落ちてくるのは、火と血が混じったような、無数の赤い尾を引く飛翔体。

 

 アメリカのICBM。

 ソ連とヨーロッパのSLBM。

 

 空から落ちる大きな星。

 その名は『ニガヨモギ』。

 海を血に変えるためではない。

 この大陸ごと、最悪の悪魔と一緒に更地にするための、人類の罪と叡智の結晶。

 

『ガガガガガガガガッッッ!‼︎』

 

 銃の悪魔が頭上の気配に気づき、咆哮を上げる。

 数百万の弾丸が天へ向けて放たれ、極超音速で落ちてくるミサイル群を空中で撃ち落とそうと、黒々とした弾幕の傘を広げた。

 空気が摩擦で燃え、プラズマの稲妻が走る。

 

 だが、人類が半世紀をかけて煮詰めた『殺意の質量』は、それを許さなかった。

 弾幕を強引にすり抜け、あるいは弾幕ごと押し潰して、ミサイル群は真っ直ぐに大地へと突き刺さった。

 

 激突、そして——。

 音よりも先に、世界が純白に染まった。

 

 一億度を超える、絶対的な熱量。

 

 

 ——地上の太陽が顕現した——

 

 

 

 

 

 

 

 

■ エピローグ ■

 

 

 すべてを白く染め上げた一億度の光は。

 気がつけば、南国の眩しい太陽へと変わっていた。

 

 ザザァ……と。

 穏やかな波の音が、鼓膜を心地よく揺らしている。

 

「……ん」

 

 俺は、ヤシの木陰に吊るされたハンモックの上で目を覚ました。

 頬を撫でるのは、鉄錆や硝煙の匂いじゃない。

 甘く、少しだけ潮の香りが混じった優しい海風。

 

 アロハシャツに身を包み、傍らの小さなテーブルには水滴のついた冷たいトロピカルジュースと、数日遅れで空輸されてきた『経済新聞』が置かれている。

 

 どこも痛くない。

 息も苦しくない。

 

 俺はゆっくり身を起こし、新聞の株式欄を開いた。

 

『——日経平均、ダウ平均ともに歴史的な回復』

 

 紙面を埋め尽くしているのは、景気の良い見出しと、ストップ高の連続を告げる数字の羅列。

 証券会社に電話で確認した俺の口座残高は、これまでの血を吐くような苦労をすべて清算し、一生を何不自由なく、ただ怠惰に寝て暮らすのに十分すぎる圧倒的な数字を示していた。

 

「……ははっ」

 

 乾いた笑いが漏れた。

 そして、サングラスの奥から一筋の涙がポロリとこぼれ落ちて、真っ白な砂浜に小さな染みを作った。

 

「ああ、なんだ。……なんで泣いているんだ?」

 

 もう、大国の思惑に怯える必要はない。

 理不尽な悪魔の命令に従う必要もない。

 満員電車にも、安い牛丼にも、永遠にさよならだ。

 

 視界の端で、『三本足のヒキガエルの置物』が、陽の光を反射して黄金色に輝いている。

 

 静かだ。

 本当に、驚くほど静かで、穏やかな世界。

 

 俺は冷たいジュースを一口啜る。

 そしてゆっくりと、眠りにつくように目を閉じた。

 波の音だけが、優しく俺を包み込んでいく——。

 

『……悪くない。この島の暑さは、退屈しのぎにはちょうどいい。だろう? シキとやら』

『こ、ここの島のご飯は美味い。もっと食べたい』

『シキ! 株で儲けたなら、さっさと私に——』

『ふふっ。シキくん、何か思い出しごとでも?』

 

 ——太陽が俺を白く明るく照らしている。

 

 

「ワン」

 

—END—




完結!最後まで読了、ありがとうございました。
偉大なる原作と、全ての読者様に感謝を込めて。

皆さんの応援が、本作にとって最高の配当金でした。
きっと、またいつかの物語でお会いしましょう。
それでは、ワン。
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