保健室を出た私は、百さんに連れられて教室へと戻る。
「先生、めちゃくちゃ荷物渡してきたんだよー。一回で持って帰れる訳なくない?って量でさー」
少し先を歩く百さんの後ろを、私は静かについて行く。
保健室で休んでいた間に起きた出来事や先生達の話を、身振り手振りを交えながら楽しそうに話してくれる。
「ふふ、百さんってお話しするの好きなんですね」
「だってお姉ちゃん、家でも学校でもほとんど喋らないんだもん。"そう"とか"五月蝿い"とかばっかりでさぁ。お父さんもお母さんも基本家に居ないしねぇ。私の喋りたいフラストレーション、このままじゃ爆発しちゃうよ」
気を遣ってくれているのか、それとも本心からなのかは分からない。
それでも、明るく話しかけてくれる百さんと一緒に居る時間は、不思議と苦しくなかった。
「でさぁ──」
教室へ向かう階段を上がろうとした、その時だった。廊下の曲がり角を、黒い影が音もなく横切る。
人ではない。
動物……犬のような影だった気がした。
「百さん、今……犬みたいな影、見えませんでした?」
「犬? 学校に犬って……居るの?」
階段を上がりかけていた百さんが、不思議そうに振り返る。
その反応を見て、「確かに学校の中に犬なんて居る訳ないか」と自分でも納得し、私はまた百さんの後を追った。
教室に残っていた荷物を受け取り、二人で校門まで歩く。暮れかけた太陽が、私達を柔らかな橙色に染めていた。
「んじゃ、また明日ねー!」
にかりと笑って手を振る百さんは、私とは反対方向へと歩いていく。
その背中を見送りながら、私も家路についた。
「はぁ……初日から、みんなに迷惑掛けちゃったな」
朝からの出来事を思い返しながら、とぼとぼと歩く。明日からちゃんとやっていけるだろうか。
そんなことを考えながら曲がり角へ差しかかった時だった。
「……犬?」
角に、一匹の黒い犬が座っていた。
大きな体。
真っ黒な毛並み。
けれど、不思議なくらい存在を主張しない。
ただ静かに、道の先を見つめていた。
家へ帰るには、その角を曲がらなければならない。
少し緊張しながら近付くと、犬がゆっくりとこちらへ視線を向けた。
瞬きをしない。ただ、じっと見つめてくる。
「あ……学校で見た、わんちゃん?」
校舎で見かけた黒い影が脳裏をよぎる。
確証なんてない。
それでも、何となく同じ子だと思った。
思わず手を伸ばしかける。
けれど、その手は途中で止まった。
理由は分からない。
ただ──触れてはいけない。
そんな気がした。
「初めまして……またね」
小さくそう告げて、私は犬の横を通り過ぎる。
犬は吠えもしない。
尻尾も振らない。
ただ静かに、その場で私を見送っていた。
数歩進んだところで、何となく気になって振り返る。
そこにはもう、犬の姿は消えていた。
「……あれ?」
目を擦り、一度瞼を閉じる。改めて見ても、さっきまで居た犬の姿はなかった。
「……気のせい、じゃないよね」
辿り着いた自宅の玄関、その前でもう一度振り返る。けれども、やっぱりそこには何も無かった。