Persona x Classroom of the Elite 作:仔羊肉
静謐な朝を破ったのは、船内スピーカーから流れるアナウンスだった。
『──生徒の皆さん、おはようございます。間もなく、島が見えます。非常に有意義な景色がご覧いただけるでしょう』
言葉遣いこそ丁寧だが、どこか含みを持たせた異質な一言。
オレはベッドから起き上がると、胸ポケットに青いレンズ状の目を半目にして「むにゃむにゃ……」とまだ微睡んでいるピンク色の小さなマスコット──ヒュロポスを押し込むようにして仕舞い込み、自室のドアを開けた。
手すりの並ぶ甲板のデッキへ向かうと、すでに異様な放送に気付いた生徒たちがそれなりの人数集まってきていた。ざわめきながら海原の先を指差し、眺めている。
「おはよう、綾小路くん。昨日は楽しめたかしら」
肩に肩を当てられ、横目で伺えば少しだけ不機嫌そうな堀北。けれども視線を島へと変えた瞬間に真剣な表情へと切り替える。
「……随分と妙なアナウンスだったわね」
「もしかしたら何かを暗示しているのかもな」
オレが淡々と答えると、背後から柔らかくも芯のある声が重なった。
「それって例のやつかな?」
振り返れば、爽やかな笑みをたたえた櫛田桔梗が立っていた。
そして彼女のすぐ後ろには、朝のトレーニング帰りなのか、赤いタンクトップ姿でバスケットボールを片手に持った須藤健が控えている。
「おはよう、櫛田さん、須藤くん」
堀北が短く挨拶を返すと、須藤は汗を肩に掛けたタオルで拭いながら歩み寄り、オレたちの隣に並んで海に浮かぶ陸地を繁々と見つめた。
「うっす、んで、あれが島か……有意義ってなんだ……」
須藤が怪訝そうに眉をひそめたその瞬間、オレの胸ポケットが急激に蠢き出した。
「ひゅぽー! 目が覚めたのよ! ここはどこ! あたしは美少女名探偵復興部名監督のヒュロポスちゃん! あれれー! みんな揃ってるじゃないのよー!」
ぴょこんと顔を覗かせたヒュロポスが、短い羽をパタパタと羽ばたかせながら甲板の空気を一変させるような大声を張り上げ、周囲を見渡す。
その騒々しい姿を一瞥し、須藤が呆れ果てたように呟いた。
「これ……のことじゃねぇよな」
すると隣の櫛田が、ニコニコとした顔をやめてたっぷり毒を吐き出す。
「違うに決まってるでしょ。やだよ、こんな間抜けな光景を見るために起こされたなんて」
「だよなぁ」
深く同意する須藤の言葉に、ヒュロポスは青いレンズ目を点滅させて、オレの肩へと飛びのり、地団駄を踏んだ。
「ど、どういう意味なのよー! 朝からこーんな素敵なあたしに出会えるなんてラッキーを超えた超幸運なのよー!」
「もぅ、ほら……須藤くんが余計なこと言うから、騒がしいのが更に騒がしくなったじゃん」
「お、俺のせいかよ!?」
ギャーギャーと抗議するヒュロポスと、それを突っつく櫛田、そして不当に責められて叫ぶ須藤。そんな賑やかなやり取りを完全に視界から除外し、堀北はただ一人、じっと眼下に広がる島を見つめ続けていた。
「地形……くらいね、わかるのは。双眼鏡でもあればもっと調べられたんでしょうけど」
「流石に双眼鏡を探してる間に着くだろうな」
「そうね、けれどあの島には建物らしき建物が見えない。それが分かっただけでも朗報よ。観察は貴方に任せるわ、私は今から調べ物をしてくる。娯楽室にあるパソコンを借りてくるわ。いくわよ、櫛田さん」
「了解。そっちも何か見つけたら連絡してね」
「おう、俺もなんか見つけられるようやってみるわ」
堀北の呼びかけに対して即座にそれぞれの役割を分担し、迷いなく動き出していく。
オレはその背中を見送りながら、胸中で小さな感慨を抱いていた。以前であれば足の引っ張り合いや不満のぶつけ合いに時間を費やしていたはずの彼らが、今では思考を先回りさせ、実に頼もしい陣形を組めるようになっている。
そして──それから間もなくして、船内全体に再びアナウンスが響き渡った。
全員、至急ジャージに着替えて集合すること。遅刻厳禁という警告色の強い指示に従い、オレたち一年生は着替えを済ませ、船の乗組口へと一斉に集められることとなった。
計一六〇名全員がデッキへと集まり始める。
広いデッキには、すでに各クラスごとに整列を始めていた生徒たちの列が作られている。
与えられた下達事項は極めてシンプル、かつ異質だった。
『手荷物等は一切持たず、体操服、もしくは体操服ジャージを着用して集合すること』
バカンス中の豪華客船において、私物を何ひとつ持つことを許されず、全員が学校指定の運動着姿で集められている状況自体、異様な空気を醸し出している。
オレもその指示通り、ポケットの中身をすべて空にしてジャージ姿で列へ向かった。ただし、ひとつだけ不可抗力の『障害』を肩に乗せたまま。
「むふー! 朝の風が気持ちいいのよー!」
昨夜オレがハンカチを刻んで作ってやった白のタンクトップビキニ風水着から着替えていつもの姿に戻り、頭の上でポーズを決めるピンク色のマスコット──ヒュロポスだ。
頭上に妙な乗物を載せたまま列へ合流しようとしたオレの前に、威厳を全身から放つ人影が立ちはだかった。Dクラス担任、茶柱佐枝だ。
「綾小路。手荷物は一切置いてこいとの指示は受けた筈だ」
腕を組み、冷ややかな低い声で威圧してくる茶柱。オレは一切表情を変えずに事実を口にした。
「置いてきたんですが、勝手に着いてきたんです」
「言い訳はいらん。ともかくそれを寄越せ」
ちっ、と盛大に舌打ちを漏らした茶柱は、「これは没収しておく」と言って、オレの頭の上にいるヒュロポスへ向けて素早く手を伸ばした。
だが──。
ひょいっ。
「……なっ」
ヒュロポスは間一髪のところで素早く身体をねじり、茶柱の掌をかわし、肩へ飛び移った。茶柱が眉をひそめ、さらに速度を上げて再び手を伸ばす。
ひょい、避け、頭の上へ。ひょい、避け、肩へ。ひょい、避け、首の裏を回って逆の肩へ。
「ひゅぽぽぽぽ! ノロマなのねー! おばさんだから仕方ないのよねー! やーい! やーい! あたしはあなたみたいなダメダメ教師に捕まったりしないのよー、ひゅぺっ!」
肩の上で短い翼をバタつかせ、舌を出す仕草まで添えて茶柱を全力で煽り立てるヒュロポス。
幾度目かの空振りを喫した茶柱の額に、ピキリと青筋が浮かび上がるのが見えた。このまま教師と謎のマスコットの不毛な鬼ごっこに付き合わされては、集合時間が過ぎてしまう。
オレは諦めて無言のまま手を伸ばすと、肩の上のヒュロポスをガシッと掴み、そのまま前に差し出した。
「な、なにをするのよ、人間さんーっ!?」
悲鳴を上げるヒュロポス。茶柱は「最初からそうしろ」と言わんばかりに片手のひらを広げ、受け取ろうと差し出してきた。
しかし、茶柱の手のひらに移される直前、危機感を察知したヒュロポスがを飛び跳ねる。
「これは人身売買なのよー! 許されないのよ! ヒュポーッ!」
叫び声と共に飛翔したヒュロポスは、茶柱の手ではなく、オレの顔面に勢いよくダイブして張り付いてきた。
顔全体に五体を広げ、吸盤のように必死にしがみついて離れない。
「なんのオモチャだ。これはっ! 離れろ!」
やけくそ気味になった茶柱が、オレの顔面に張り付いたヒュロポスを両手で掴み、力任せに引っ張り始めた。
ヒュロポスは「嫌なのよーっ!」とオレの皮膚を爪で必死に掴み、茶柱は容赦なく引き剥がそうとする。
オレの顔の皮が剥がれるかもしれない。
茶柱の爪やヒュロポスのしがみつきに耐えていると、呆れたような明るい声が横から割り込んできた。
「なに、生徒と遊んでるのよ佐枝ちゃん……そういうキャラじゃなくない?」
そう言って苦笑しながら止めに入ったのは、確か、Bクラスの担任。
「……遊んでいるつもりはない」
茶柱が不機嫌極まりない顔で手を止めると、Bクラスの担任はオレの顔面に張り付いたままのヒュロポスとオレの惨状をまじまじと見つめ、ぽつりと付け加えた。
「……遊んでないなら、そっちの方がやばくない?」
これ以上の茶番は限界だと判断し、オレは顔に張り付くヒュロポスの背中をトントンと優しく撫で、殆ど聞こえないほどの声量でそっと囁いた。
「力を抜け。怪しまれる」
「うーっ……わかったのよー……」
渋々といった様子で力を抜いたヒュロポスをオレの手で回収し、改めて茶柱の手のひらの上へと乗せた。茶柱は苦々しい顔でそれを受け取り、ポケットへと押し込む。
「ひゅぽっ! 乱暴に扱わないでっ!」
ヒュロポスはポケットから這い出て、茶柱の頭の上に乗る。
「お、おい、降りろっ! なんだ、これはっ……ピーピーうるさいっ……」
ワチャワチャとやっている教師と鳥を尻目にする。ようやく解放され、列へと並び直そうとしたオレだったが──周囲からの刺さるような視線に気づき、足を止めた。
集まっていた一年生ほぼ全員の視線が、オレひとりに集中している。
「やばい……」「えっ、あれがDクラスのヤバい人?」「変態さんだ……」「人形に水着着せてたなんてマジ?」「あれが綾小路清隆……。この私と似ていますね。優秀であるという噂もありますので、かなりキャラが被っています。これは訴訟が必要かもしれません……それでは行ってきます。坂柳有栖というキャラ被りもいる以上、これ以上私のキャラ被りは不要なのです」「えっ」「馬鹿っ、やめろっ! 誰か押さえとけ! 「は、離しなさい! セクハラですよっ、これはっ!」「離すなよ、橋本!」「……なんか俺ってば、このクラスで凄ぇ貧乏籤引いてねぇ?」「……あほくさ」「ったく、いつまで待たせんだよ」「長ぇ……暑い……」「なんで、AクラスもDクラスもうるせぇんだよ」「なんか真嶋先生老けてね?」「確かになんか一気に四、五十くらいのおっさんに見えるわ」「めっちゃ腹出てるしね」
そんなカオスな状況の渦中に戻ってきたオレに対し、Dクラスの手前の列から篠原が半目で呆れ果てた視線を向けてきた。
「……綾小路くんさぁ」
「あ、あはは……」
隣で平田が困ったように苦笑いを浮かべ、堀北は「恥ずかしいから早く並びなさい」と言いたげに冷たい視線でオレを射抜いていた。
体操服姿の一年生一六〇名が集う乗組口は、試験前の緊張感とは程遠い、妙な熱気とざわめきに包まれていた
大型拡声器を手にした大柄な男──Aクラス担任の真嶋が、重々しい足取りでタラップの前に進み出た。
拡声器独特の「キィン」という高い電子ノイズが港の風に混じって響き渡り、生徒たちの視線が一斉に一点へと集まる。
『Aクラスの担任の真嶋だ。まずはこの場所に誰一人欠けることなく着けたことを嬉しく思う──ではこれより、本年度初の特別試験を執り行う。期限は一週間、君たちには無人島で共同生活を行ってもらう!』
静寂に包まれていた乗組口に、真嶋の朗々とした声が容赦なく突き刺さった。
「特別試験……」
隣に立つ平田洋介が、愕然とした様子でオウム返しのように呟く。特別試験──聞き慣れないその単語の重みが、じわじわと生徒たちの胸を締め付けていく。
Dクラス内部では、入学以来のSシステムの残酷さや中間テストの抜け道を経て、いずれ学校側から何か大きな試練が課されるだろうとその存在を示唆されていた。なるほど、特別試験か……分かりやすく、覚えやすい名称だ。
そう言った意味では、先月行われた中間テストなどはこの高度育成高等学校にとっては特別試験と呼べるほどのものではなく単なる前座に過ぎなかったわけだ。そして、ここからがこの学校の真骨頂なのだろう。
学校側の本性が剥き出しになったことを悟り、分かりやすく全員が顔を青くさせている。
「一週間ってマジかよ……」
「ありえないって……本気かよ?」
「正気じゃないだろ……無人島でサバイバルなんて……」
口々に抑えきれない不満や悲鳴が漏れ出していく。
一番大きなざわめきが広がっていたのは、Bクラスだろうか。次いで動揺と怒りを覗かせるCクラス、そして事前にある程度の試練を予想していたものの過酷な環境に慄くDクラス。対照的に、不思議なほど静けさと落ち着きを保っているのはAクラスだった。
生徒たちの動揺や不満の渦など意にも介さず、真嶋は拡声器越しに言葉を続けた。
『ここから先は君たちが全て判断することになる。さぁ、サバイバルの始まりだ!』
告げ終えると同時に、真嶋はカチリと拡声器のスイッチを切った。
そして、全員が順次船から降りるように指示が出される。どうやらここからは、各クラスの担任教師によってより詳しいルールの説明が行われる手筈のようだ。
タラップを降り、指示された浜辺の区画へと向かうオレたちの前へ、頭の上にヒュロポスを乗せた茶柱が歩み出てきた。
没収されて茶柱の頭上で大人しくしていたはずのヒュロポスだったが、オレの姿を認識した瞬間に青いレンズ目を輝かせ、ピコピコと羽を羽ばたかせて飛び移ろうとした。
「人間さーん! ひゅぺっ」
バッと跳躍したヒュロポスだったが、直後に背後からすっと伸びてきた茶柱の手によって、空中であっけなく首根っこをガシッと掴み捕らえられた。
「おい、綾小路。これは電源は切れないのか」
冷たく低い声でオレを睨みつけてくる茶柱。オレは表情ひとつ変えずに答えた。
「無理ですね。内部電池が完全に切れるまでは動き続けます」
「……チッ。こいつが勝手に動かない方策をすぐに考えろ。でなければ、このオモチャはゴミ箱行きになるだろう」
舌打ちを漏らし、本気で不快そうに言い放つ茶柱。
これ以上、彼女の手を煩わせて余計なペナルティや不利益を被るのも面倒だ。オレは皆から少し離れた場所へ堀北を呼び寄せた。
「なぁ、長い紐かなんか無いか?」
「……何をする気?」
堀北は眉をひそめ、不審そうにオレを見つめてくる。
「紐で茶柱の手とヒュロポスの首を繋ぐ。こうすれば勝手に逃げ出すことも、オレのところへ飛んでくることも出来ないだろう」
「あの子、絶対に騒ぐわよ……」
「野放しにしてゴミ箱行きよりはマシだろ。しょうがない」
「……少し待ってなさい」
堀北は小さく溜息を吐くと、頭へと手を伸ばした。
結ばれていた美しく整った黒髪がサラリと肩へこぼれ落ち、彼女は手にした黒い布製の髪紐をオレに差し出してきた。
「はい」
「……おぉっ」
「……なによ」
思わず漏れ出たオレの声に、堀北はジト目で睨み返してくる。
「いや、髪を結んでいない姿、久々に見たから新鮮だなって思っただけだ」
「ぶつわよ」
「……持っていってくる」
理不尽な脅迫を受け、オレは素直に髪紐を受け取って茶柱の元へと引き返した。
茶柱の近くまで行くと、オレは手首を指さしてジェスチャーで意図を伝えて、彼女は苦虫を噛み潰したような顔で片手を差し出してきた。オレは手早くヒュロポスの首に髪紐を巻きつけ、もう一方の端を茶柱の手首へとしっかりと結びつけた。
「ひゅぽーっ!? なんなの、これっ! 人間さんっ! ぐえっぴっ!」
拘束されたことに気付いたヒュロポスがオレに向かって飛びかかろうとするが、ピンっと張った髪紐に阻まれて空中ではじき返され、情けない悲鳴を上げる。
片手首にマスコットを不格好に繋がれた茶柱は「なんで、私が……」と頭痛に耐えるように顔を歪めた。オレはすれ違いざま、彼女だけに聞こえる小声で呟く。
「あんたに協力するんだから、これくらい多めに見て欲しいもんだな」
射殺さんばかりの鋭い刺すような視線が飛んできたため、オレは知らん顔をしてさっさと自分の列に戻った。
片手にヒュロポスの紐を巻きつけ、頭の上には妙な鳥を乗せたまま仁王立ちする厳格な担任教師。
そのあまりにシュールで珍妙な姿を見て、Dクラスの生徒たちからは耐えきれずにクスクスと笑いがこぼれ始めていた。
茶柱は片手で深々と眉間を揉みほぐしたあと、氷のように冷ややかな眼光でクラス全体を鋭く見回した。
「これよりテーマを発表する──ちなみに、これ以上私を笑った場合、怒りのあまり大切なことを伝え忘れるかもしれないことを留意しておくように」
教員の権限と悪意を極限まで利用した最悪の脅し。
一瞬で嘲笑が封じられ、静まり返った生徒たちを確認すると、茶柱はハァと大きな溜息を吐き出し、手にしていたクリップボードを開いて淡々と説明を始めたのだった。
「テーマは自由、荷物は後ろに準備されているもの。そして、この小冊子に詳しいルールが記載されている。確認しておくように」
そういって一番前に立っていた森に小冊子を手渡した。そこからSポイントと呼ばれる無人島試験限定のポイントシステム。リーダーと呼ばれる役割。島内に設置されたスポット及びスポットにおけるルール。最終日の点呼時に行われるリーダー当てについて。
「以上だ、良い結果を期待している」
片手首に髪紐でヒュロポスを繋がれた茶柱が、どこか哀愁と怒りを漂わせながら足早に立ち去っていく。そのシュールな背中を見送りながら、隣に立っていた櫛田が「ふふっ」と肩を揺らした。
「……なんか真剣味を帯びてたけど、正直ギャグにしか見えなかったね。それをわかってるのかめっちゃキレてた」
「本来ならもっと緊張感とか焦燥感があったんだろうがな」
「頭の上にあの鳥が乗っていれば、あぁなるか……というか先生、一週間もあのアホ鳥と一緒なんだ……可哀想に」
堀北と平田が手元に配られたルール説明用の小冊子を読み終えたらしく、平田が顔を上げてクラス全体に向かって朗々と声を張り上げた。
「みんな、ちょっと聞いてくれ!」
平田は小冊子を隣の幸村へと手渡す。全員がこの細かなマニュアルに目を通すにはそれなりの時間がかかるはずだ。堀北や幸村といった面々は目を通すのが早いが、学力や読書習慣に劣る生徒のところでどうしても閲覧のペースが止まってしまう。
それならば、先ほどの説明を含めた要約した内容を平田が代表して口頭で説明する方がはるかに時間短縮になる。
「僕たちは一週間後の正午まで、この無人島で生活しなければならない。まずは後ろに用意された各荷物なんだけど──八人用テントが二つ、災害用トイレ、マッチが一箱、女子用日焼けどめ、そして人数分のアメニティセットだ」
平田が指さした先に並べられているのは、四十人の高校生が一週間生き延びるにはあまりにも心許ない、必要最低限以下の物資だった。これだけでDクラス全員が無人島生活を乗り切るのは到底不可能。
「そして、支給される『300Spt』。このポイントを使ってマニュアルから必要な物品を購入し、生活環境を向上させることができるみたいだ。各クラス一律で300pt支給されていて、試験終了時に余ったポイントがそのままクラスポイントとして加算される仕組みになっているよ」
平田の発言を聞いた瞬間、池が真っ先に目を輝かせて声を上げた。
「マジかよ! じゃあ一週間我慢しきれば、来月から毎月三万プライベートポイントが増えるってわけかよ!」
「待て、池……それはどう考えても無理だろう」
すぐさま幸村が冷や水を浴びせるように口を挟む。池は面白くなさそうに頬を膨らませた。
「なんだよ、モテ眼鏡!」
「……それは褒めているのか、貶しているのかどっちなんだ?」
「馬鹿にしてんだよ!」
「そ、そうか……。まぁそれは置いておくとしてだ。ここには飲食物が一切存在しない。つまり、オレたちは自給自足の生活を余儀なくされているということだ」
「……もっと分かりやすく言ってくれ」
難解な熟語に眉をひそめる池に、幸村は溜息を混じえて噛み砕いた。
「ある程度のポイントを支払って、食べ物や飲み物を確実に確保する必要があるということだ。仮に体調不良の生徒が出た場合にあるペナルティを考えると、それなりの出血は最初から想定しておくべきだろう」
幸村の現実的な指摘に、女子グループの森が青ざめた顔で追随した。
「……というか、トイレもこれじゃあ無理」
森が控えめに指さしたのは、配給された簡易トイレ用の小さなキットだった。布囲いすらロクにない代物だ。幸村はその意見を頭から否定はせず、しかし眉をひそめて考え込む。
その間に、池が配慮のない口調で軽々しく言い放った。
「えーっ、トイレくらい我慢しろよなー。俺たちだってこれで我慢するんだしさぁ」
その一言が女子陣の逆鱗に触れた。篠原が即座に池の目の前まで詰め寄り、鬼の形相で怒声を浴びせる。
「はぁ!? 信じらんない! ほんっと男子ってデリカシーないよね! あんたらのそういうところ、ほんっと嫌い!」
「なんだと!?」
売り言葉に買い言葉で一触即発の事態に陥りかけたその時、間に入る影があった。
「まぁまぁ、落ち着けって。寛治も篠原も」
なだめるように手を広げたのは、須藤だった。篠原は怒りの矛先を須藤に向け、ジト目で睨みつける。
「須藤くん……どうせ池くんの味方なんでしょ?」
「いや、まぁ、俺はあの簡易トイレでも平気だけど、女子は平気じゃないって意見もあるんだろ?」
意外にも女子に配慮した須藤の言葉に、池が「健〜ぅ!」と涙目で訴えていた。しかし、須藤はそのまま言葉を続ける。
「けど、寛治がクラスポイントを増やしたいから節約したいって言ってる気持ちも分かるんだよな。少しはクラスポイント増えたけど、正直、もう少し欲しいよな」
一瞬の沈黙の後、池と篠原の声が重なった。
「どっちなんだよ!」
「どっちなのよ!」
両方から挟み撃ちにされた須藤は、参ったように頭の後ろを掻いた。
「だから、俺はあんま頭が良くねぇからろくな解決方法は分かんねぇ。でも啓誠や堀北、平田とか、頭のいいやつならなんか上手い具合に解決してくれんじゃねぇか?」
どこか投げやりで開き直った須藤の言葉に、池と篠原は呆れ顔で白い目を向けたが、やがて呆れが勝ったのか「ぷっ、くすくす」と同時に吹き出してしまった。ピリついていた空気が、須藤の素朴な態度によって一瞬で和らぐ。
「おっ? おぉっ? なんだよ……」
首をかしげる須藤のもとへ、揉め事の中心地だった場所へ幸村が歩み寄ってきた。
「まったく……。まずはトイレについてだが、心情としては池寄りだ。なるべくポイントを使わずに我慢してほしいというのが俺の本音ではある」
幸村の言葉に女子の何人かが露骨に眉を潜めたが、幸村はすぐに打ち消した。
「だが、現実的に考えれば追加で購入する必要がある。この頼りない非常用トイレキットひとつで四十人の一週間を回すのは衛生面でも不可能だ」
「男は立ちションで我慢すればよくね?」
男子の列の後方から気楽な声を上がると、隣に立っていた櫛田が「山内さぁ……」と深々と溜息を吐き、コメカミを押さえていた。
「環境汚染やマナー違反にはペナルティがあるとマニュアルに書いてある。そういった側面から見ても、やはり適切なトイレの設営は必要だろう。ある程度のポイントを排泄や衛生にも支出しつつ、可能な限り残すという方針を提案する。その上でポイントを使う際は、みんなで相談して決めるというのはどうだ?」
幸村が筋の通った着地点を提示すると、平田が即座に頷いた。
「僕も大賛成だよ。みんなが納得できる形で進めよう、その上で必要なものにはポイントを出す。そうしよう」
「全体の基本方針はそれでいきましょう」
堀北も同意を示し、そのまま一歩前に踏み出してきた。
「次に決めたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
堀北の言葉に幸村が反応する。他の面々も薄っすら察しているようだった。
「リーダー、だな」
「ええ。Sptの運用とは異なるもう一つの重要なルール──『リーダー』について説明させてちょうだい」
堀北は凛とした声でクラス全体へ告げた。
「この島の中には、あらゆる場所に『スポット』と呼ばれる占拠地域が存在するわ。そのスポットには専用の読み取り機が設置されていて、リーダーのカードキーを読み込ませることで、そのスポット周辺をクラスの領土として八時間『占有』することができるの。そしてリーダーのカードキーはリーダーしか使えない」
堀北の説明を受けて、手を挙げる池。
「なら堀北か平田かリーダーするってことか?」
「それを少し考えたいの。最後の点呼時に各クラスのリーダー当ての機会が設けられる。他のクラスのリーダーを一クラス当てるごとに今回のポイントが50pt追加される。逆にリーダーを当てられてしまえば一クラスごとに50ptがマイナスされる」
「ってことは、全部のクラスを当てれば150ポイントもゲットできんのか!?」
池が単純な計算を弾き、興奮気味に声を上ずらせる。だが、その楽観的な観測へすぐさま冷や水を浴びせたのは幸村だった。
「逆に、全部のクラスに当てられれば、どれだけ節約したところで150ptのマイナス。Sptは殆ど残らないということだな」
「えっ……」
幸村の指摘に池の表情が凍りつく。堀北は淡々と冊子に目を落としたまま、ルールを付け加えた。
「カードキーでの占有時間は一回につき八時間。占有が一回完了するごとに1ptのボーナスがクラスに加算されるわ。けれど、万が一こちらのリーダーが他クラスに見破られた場合、これまで占有で獲得してきたボーナスポイントはすべて失効してゼロになる。さらに、他クラスが占有しているスポットを誤使用した場合は、一回につきマイナス50ptという重いペナルティが課せられるの」
「じゃ、じゃあ早くスポットに行かねぇとマズイじゃん! 早いもの勝ちだろ!?」
本堂が焦りを含んだ声を上げる。
「そうね。スポットの占有権が先着順である以上、早めに行動を起こすこと自体は悪くないわ。けれど、焦って安易にリーダーを決め、他のクラスに見つかったり、見破られた場合のデメリットがあまりにも大きすぎる。私は、この『リーダー当て』の戦略について、もっと慎重に議論することを提案したいの」
堀北の言動に異を唱える者は少なかった。どれほど一週間ひもじい思いをして節制に努めようと、他クラスにリーダーを看破されれば努力のすべてが水の泡と化す。
この無人島試験において、Dクラスが絶対に避けなければならない最悪のケースは二つ。
一つはリーダーが当てられること。努力と不便に耐え抜きながらも得たポイントがゼロ近くにまで落ち込んだとなればクラスが負う精神的ダメージは計り知れないものになること。
そしてもう一つは──。
その時、静かに手を挙げたのは幸村だった。
「……そのことなんだが、ひとつ提案がある。クラスのリーダーが誰であるかという情報は、クラス全員で共有するのを避けるべきだ」
「はぁっ!? んだよそれ、幸村!」
池が即座に噛みついた。しかし幸村は一切怯むことなく、冷静に眼鏡のブリッジを押し上げる。
「どこから情報が漏洩するかわからない以上、リーダーの正体を知る人間は最小限に留めておきたい。全員が知っていれば、それだけ他クラスに探られた時のリスクが増える」
幸村の提案は、先日の須藤の暴行事件──いや、その裏にあった山内の裏切り行為や情報漏洩を鑑みれば、極めて現実的かつ当然の帰結だった。
誰とは口にしなかったものの、心当たりのある男子生徒──山内は避けるように存在感を消し、男子の列のさらなる後方へと身を縮めて移動していた。
「お前……それじゃ、オレたちが信用できないって言いたいのかよ!?」
池が不満を爆発させる。そして今回は男子だけでなく、女子の間からも「さすがに仲間を疑うのはどうなの?」「みんなで乗り切るんじゃないの?」といった不満の声が上がり始めた。
あえて嫌われ役を買って出た幸村の意見に対し、戦略的観点から堀北は肯定に回るだろう。だが、彼女が口を開くよりも早く、思いもよらない人物が声を張った。
「──俺は啓誠の意見に賛成だ。むしろ、俺からお願いしてぇくらいだ」
力強い声で言い切ったのは、須藤だった。
予想外の援護射撃に、クラス全員の驚愕の視線が彼へと集中する。須藤は逃げることなく、まっすぐにクラスメイトたちを見つめ返した。
「少し前、Cクラスの挑発にあっさり乗っちまった。自分でも驚くくらい単純だし、正直、頭だって良くねぇ。そんな俺がリーダーを知ってたら、何かあった時に表情や態度でバレちまうかもしれねぇ……。だから俺は、俺が何も知らないままでクラスの役に立つんなら、そうしてほしい」
そう言って、須藤は潔く頭を下げた。己の弱さを認め、クラスのためにプライドを捨てて頭を下げるその姿に、場が一瞬で静まり返る。
「わ、私も! 須藤くんに賛成!」
沈黙を破ったのは小野寺だった。彼女は元気よく挙手すると、頼もしい笑みを浮かべた。
「ぶっちゃけ、頭を使った探り合いで他の人に勝てる気なんてしないし! それなら頭じゃなくて身体で返したい。多分、こういうことでしかクラスに役立てないから!」
腕を叩いてアピールする小野寺と、潔く頭を下げ続ける須藤。その二人の姿を見て、池はバツの悪そうな顔で頭を掻いた。
「そうだよな……ごめん、幸村……お前がクラスのこと一生懸命考えてくれてんのに、俺、反対ばっか言っちゃってさ……確かに、俺もどっかでポロっと話すかも……それを聞かれたらせっかくのポイント失っちまう」
「いや、俺の方こそ言葉足らずで嫌な思いをさせた。すまない」
素直に謝罪する池に、幸村も胸を撫で下ろすように息を吐き、頭を下げた。険悪だった空気が一気に解けていく。
「……へへっ! なら、リーダーをどうするかは堀北や幸村たち頭のいいやつらに任せるわ! 俺さ、昔キャンプ行ったことあるから、テントの組み立てとかなら任せてくれよ!」
池が腕に筋肉の力こぶを作って誇らしげに胸を張る。クラスの雰囲気が再び前向きな結束へと向かっていく光景を、隣に立つ櫛田は眩しそうに見つめていた。
「……単純なやつらって、ほんっと単純だよね。はーやだやだ、羨ましい」
周囲には聞こえないほどの小声で、毒を含んだ皮肉を吐き捨てる櫛田。けれども口にしているほど悪い感情ではないのだろう。
そして彼女は、何食わぬ顔でオレの腕の中に滑り込むように抱きつき、ぎゅっと強く腕を抱え込んできた。柔らかくも逃げ場のない圧迫感が、オレの腕にしっかりと伝わってくる。
「んじゃ! 俺、スポットの探索してくるわ! その間にリーダー決めててくれよ」
池は一つのリュックを手に取る。それに続いて男子の半数が同じようにスポットの探索を申し出た。女子も体力に自信のある人間は同じようにグループを作り、動き出す。
「そうだね、ここは暑いし、続きは日陰で話そう。リーダーの件は堀北さんの指名で小人数で話し合うのはどうかな。そして探索に行ける人は探索にいく」
「それでいきましょう。男子からは幸村くん、平田くん、綾小路くん。女子は櫛田さん、王さん、軽井沢さん。多すぎても漏洩のリスクがあるからとりあえず七人はこの後、リーダーを決めるから集まってほしい」
男女の半数ほどから「えっ……綾小路くん……?」という声が漏れ出る。そして数人から「綾小路くん、どこ……?」と探されていた。
そして何人かと目が合うと。
「あっ! 綾小路くん、鳥がいないからわかんなかった!」「ただのイケメンになってた」「やる気のないイケメンじゃん、これじゃ」「綾小路くんが変な人じゃなくなってる」「凄い! あの鳥がなくなるだけでこんなにイケメンになるんだ!」「ちょっと好きかも……」「ぴゃぁぁぁぁ、あ、綾小路くんの人気上がっちゃう……」「きよぽんの本体、鳥になってんじゃん……ウケる」「えっ、ってか櫛田さん引っ付いてない?」「えっ、あの二人付き合ってんの……」「私は堀北さんと綾小路くんを推しますね。クーデレと無気力不思議系男子のカップリングでしか取れない栄養素がありますから」「うぉぉぉぉっ! 俺、今のちょっと雰囲気悪い櫛田ちゃんのこと好きだったのにぃぃぃ」「うわぁぁぁぁ、脳が! 脳が!」
隣の櫛田は目が合うとテヘッとばかりに舌を出す。
「……集まるように」
堀北の視線が冷たい。凍傷起こすほどに冷たい視線を送るクラスのリーダーの方向へ歩いていけば。
「綾小路くん、来なさい」
名前を呼ばれて、オレは一歩進む。すると、脇腹を思いっきりみんなの前でつねられた。
「痛いぞ」
「戻りなさい」
「……はい」
理不尽な抓りの後にオレはコメカミを抑える幸村と苦笑する平田の間にいく。女子も既にみーちゃんと軽井沢と櫛田が集まっている。オレたち七人は円になる。他のクラスメート達は少し離れた位置で小冊子を中心に話している。
「ところで幸村くんが言ってた情報漏洩の件なんだけど、随分と確信があるように聞こえたんだ。違ったら、ごめんね」
平田の言葉に幸村が息を飲む。言うべきかどうか迷っているのだろう。それを──。
「Cクラスの元スパイは山内だ」
オレが代弁する。幸村は顔を挙げてこっちを見ているが視線に気づかないふりをして話を続ける。
「前回の須藤の事件の時に山内はCクラスへとオレたちの戦略を渡していた。ダミーカメラでの和解、証言、恐らくクラスで行った話し合いをCクラスに漏らしていた」
「そ、そんな……」
平田が顔を青くするのに対して松下は眉間に皺を寄せるだけ。軽井沢はこちらを伺い、櫛田と堀北は黙っている。
「あの裁判、堀北の機転が無ければ負けていた。ダミーカメラの件も、証言も、三対一の不自然さも全て相手側に伝わって対策されていた」
幸村は苦々しい表情のまま深くうつむき、静かに言葉を続けた。
「……それに、Dクラスには他のクラスからしてみれば、付け入る隙が大きすぎる。ポイントで買収される可能性もそうだが……もしかすればそれ以外の部分、例えば俺たちがDクラスに配属された『理由』そのものを弱みとして突いてくることだって考えられる」
幸村の投げかけた言葉の重みに、平田が眉をひそめた。
「弱み……?」
「ああ。平田や……そうだな、櫛田、松下、堀北あたりは、正直に言ってなぜDクラスに配属されたのか理由が分からない。だからこそ、他クラスから見れば『何か隠された致命的な欠点があるのでは』と疑ってしまうんだ。俺自身については、社交性の無さや運動能力の欠如が総合的にDクラス相当だと判断されたんだろうと納得はできるが」
語る幸村に対し、堀北は冷静に首を横に振った。
「幸村くん、それを言えば私も同じよ。けれど、確かに私たちがDクラスに配属されたのには相応の理由があるのかもしれないわね。ただ、相応の理由があるからこそ、おいそれと他人に開示できるものではないのではないかしら」
「分かっている。ここでそれを明かしてほしいなんて思っちゃいないさ。ただ、それが他クラスにつけ込まれる隙になり得るということだけは、頭に入れておいてほしいんだ。特に、ここにいる連中はクラスの中心人物ばかりだからな」
「そう……言いづらいことを言わせてしまったわね」
堀北が申し訳なさそうに息を吐くと、幸村は眼鏡のブリッジを押し上げながら首を振った。
「構わない。むしろ悪いな、これからリーダーを決めるっていう時に、こんな重い話をしてしまって」
自嘲気味に呟く幸村の横で、堀北がチラリとこちらに冷ややかな視線を送ってきた。嫌な予感しかしない。
「綾小路くん、何か言って場を明るくしなさい」
無茶苦茶すぎる、この女は。オレは呆れ半分に溜息を吐き出し、自虐的な視線を向け返す。
「……明るい話になるかは分からないが、山内のことなら今はそれほど気にしなくてもいいかもしれないぞ」
「どういうことだい?」
平田が不思議そうに問いかけてくる。
「諸事情は伏せるが、山内はそれなりにまとまったプライベートポイントを手にしているはずだ。前回の須藤の件とは別口で手に入ったポイントだからな。あいつが無駄遣いをして溶かさない限りは、ポイント目当てで他クラスに寝返るリスクは、他の生徒よりは低いんじゃないか?」
オレの言葉を受けて、みーちゃんが恐る恐る挙手するように口を開いた。
「……ということは、前回の山内くんの裏切りは、ポイントが原因だったんですか?」
「そうね……」
堀北が王に向かって頷き、言葉を引き継ぐ。
「私は当時、プライベートポイントが持つ影響力を軽視していたわ。前回の彼の裏切りは、私自身がその視点を欠いていたことによる教訓でもあるの……ごめんなさい、話が逸れてしまったわね。裏切りという前例があったからこそ、幸村くんは警戒を強めてくれていた。そういうことでしょう?」
「ああ。だからこそ、簡単には買収されそうにない面子でリーダーについての話し合いを進めたかったんだ。このメンバーなら……まぁ、うん、文句はない」
幸村はぐるりと円陣を組む面々を見渡した。だが、その視線が一瞬だけ軽井沢のところでピタリと止まり、何かを言いかけて言葉を呑み込んだ。彼女の浪費癖や派手な私生活を思い出し、一瞬だけ不安が過ったのだろう。
「あはは、軽井沢さんは大丈夫だよ」
平田が困ったような苦笑いを浮かべながら、即座にフォローを入れる。集められた面々の中で自分の立ち位置が浮いている自覚があるのか、軽井沢はプイッと横を向き、爪をおざなりに眺め始めた。
「どーせ、あたしは浪費家ですよーだ」
ふてくされたようにそっぽを向いて見せる軽井沢。だが、その普段通りを装う完璧なギャルとしての振る舞いは見事と言うほかなかった。
「悪かった、誰でもかれでも疑ってるわけじゃない」
幸村の言葉に軽井沢は「まぁ、いいけど……」と呟く。気づいていないとはいえある意味ニアピンではある。
「……それでリーダーはどうしましょう」
みーちゃんが議論を進めようと手を挙げる。
「ここにいる面子だとみーちゃんか幸村くんあたりは他クラスから警戒され難いじゃない?」
軽井沢の提案に平田が追随する。
「ならその二人のどちらか──」
平田の言葉を遮るように幸村は発言する。
「待ってくれ、スポット更新で動き回る事を考えれば平田や堀北のように体力がある人間が好ましいんじゃないか?」
「一理あるわね。長丁場の試験、体力のある人間の方が好ましいわ」
「なら、綾小路くんは?」
櫛田がオレの存在をアピールする。オレとしてはオレがリーダーである場合の戦略と、そうでない場合の戦略を考えなければならない。
そしてルールの一つである──正当な理由なくリーダーを変更することはできない、という点を利用するならオレがリーダーであることは好ましい展開だろう。
勿論、堀北か櫛田のどちらか、もしくは話に乗ってくれそうな人間ならば問題は無いのだが。
「別にオレは構わないが──」
「ちょ、ちょっと、待ってよ。綾小路くんって運動できんの? ってか平田くんでよくない?」
軽井沢の発言。その発言に違和感を覚えたものはいないだろう。身体能力という側面を見れば大半のクラスメイトなら平田とオレでは平田を選ぶだろう。
「安心しろ、軽井沢。普段の授業では手を抜いているが綾小路の運動能力は須藤と同じくらいだと思っていい」
その発言に驚いたのは軽井沢だけではなく、平田とみーちゃんも同様だった。
幸村の運動音痴克服の訓練に付き合っているオレは訓練中に早々と授業では手を抜いていることがバレた。幸村は苦言を呈しながらも、手を抜くことを止める気はないらしい。
「凄いじゃないか、綾小路くん。それなら僕も綾小路を推薦したいな」
「じゃあ、リーダーは綾小路くんということで異論はないわね」
堀北の言葉に、円陣を組む面々が静かに頷いた。
一瞬だけ物言いたげな表情を浮かべた軽井沢だったが、それ以上は何も言わずに追従した。運動能力や行動力に決定的な問題がないオレであれば無難だと判断したのか、あるいは下手に反対して周囲から不自然な不審感を買われるのを避けたのか。
いずれにせよ、軽井沢の様子は少し気に留めておいたほうがいいのかもしれないな。
幸村が眼鏡の位置を正しながら切り替える。
「とりあえず、リーダーは決まったな。次はリーダーとしての基本方針をどうするかだ」
「そうね。この特別試験の性質上、リーダーが頻繁に動けば動くほど他クラスに察知されるリスクは跳ね上がるわ」
堀北が腕を組みながら言えば、松下が首を傾げた。
「けど、スポットの占有権を行使して更新していかないと、ポイントを伸ばすこともできないんじゃない?」
それに答えたのは櫛田だった。
「でも、途中でリーダーだとバレたら、それまで占有で稼いだボーナスポイントも全部消えちゃうんでしょ? だったら、無理にリスクを冒すより、バレる確率を最小限に抑える方が重要じゃないかな」
説得力のある櫛田の意見に、一同が納得の表情を見せる。オレは顎に手を当てながら、ぽつりと口を開いた。
「攻める手段があるとすれば、他クラスのリーダーを当てることくらいだろうな」
平田が苦笑いを交えながら腕を組む。
「ただ、それはかなり難しいだろうね。僕たちがこれだけ警戒しているように、他のクラスだってリーダーの秘匿には細心の注意を払うはずだ」
「リーダーを特定するとなれば、スポットの更新端末にカードキーをかざしている瞬間を直接押さえるか、リーダー本人のカードキーを目視するくらいしか確実な方法はないよね」
櫛田の分析を受け、幸村も同意の頷きを返した。
「そもそもリーダー当ては失敗した時のリスクが大きすぎる。確実な証拠や確証がない限り、安易に賭けに出るべきじゃないな」
「それなら、スポットを発見したとしても、無闇矢鱈にカードキーを読み込ませて更新しない方向でいいか?」
オレの問いかけに、幸村が同意を示す。
「そうだな。更新回数が増えれば増えるほど、行動パターンから特定されるリスクは大きくなる。基本方針は、ポイントの支出を最小限に抑えつつ残し、リーダーの正体を絶対に露呈させないこと。これでどうだ、堀北」
「ええ、それでいきましょう。方針が決まったところで……いえ、カードキーは私が代わりに受け取ってくるわ」
堀北の申し出に、幸村が「なるほど」と納得の声を漏らす。
「もう試験は始まっているからな。堀北がキーを受け取りに行く姿を他クラスに見せれば、彼女がリーダーであるかのようなブラフとしても機能する。いい案だ」
話し合いを終えたオレたちは円陣を解き、小冊子を読み込んでいた他のクラスメートたちの輪へと合流した。
「お、お帰り、二人共」
佐倉が控えめに声をかけてくると、櫛田がその肩へぐったりと抱きついた。
「ただいまー……なんにもしてないのに、なんか疲れちゃったよー……」
フォーラムでの出来事を経て、クラスの前で最低限の「仮面」と「素の自分」のどちらを表に出すべきか、未だ完全に折り合いをつけられていない様子の櫛田は、心身ともに消耗しているようだった。
そんな彼女の姿を見ながら、長谷部がくすくすと微笑む。
「やー、でもさ、あの幸村くんがあんな風にクラスの事を考えて引っ張ってくれるなんてねー。あそこまで成長されたら、そりゃ女子からの人気も出るよね」
櫛田が佐倉の肩に顔を乗せたまま、目を丸くして顔を上げた。
「まあ、密かに狙ってる子はいるかもね。四月や五月の頃は近寄りがたいガリ勉って感じだったけど、須藤くんとコンビを組むようになってから、雰囲気が柔らかくなったし」
「そーそー。きよぽんもぼんやりしてたら、すぐに追い抜かれちゃうぞー?」
長谷部がニシシと悪戯っぽく笑いながらからかってくる。
「そうか……」
「反応うっすー……いや、きよぽんらしくていいんだけどさぁ」
それから数分間、他愛もない雑談を交わしていると、茶柱の元から堀北がカードキーを手にして戻ってきた。そしてほぼ同じタイミングで、拠点周辺の探索に出ていた池や須藤たちが勢いよく駆け戻ってきた。
「おいみんな! すっげぇ良いスポットを見つけたぞ!」
池が声を張り上げると、Dクラス全員でその場所へと移動を開始した。
到着した場所は、豊かな緑に囲まれた清流のすぐ脇だった。すでに先行していた生徒たちが荷物を降ろし、木陰で羽を休めている。
「わあ、川だぁ!」
女子のひとりが歓声を上げ、何人かが引き寄せられるように澄んだ水面を覗き込んだ。オレがその光景を少し離れた場所から眺めていると、堀北が歩み寄ってきた。
「まだ全員の役割や作業計画が確定していないわ。手持ち無沙汰なら、誰かといちゃつかずに焚き火台でも作っておきなさい」
ポンと脇腹付近を叩かれながら、指示を出される。
「……はい」
指示に従って動き出すオレの背中に、近くにいた男子生徒数人から「尻に敷かれてんなー」と軽いからかいの声が飛ぶ。オレは特に気にも留めず、川辺から手頃なサイズの石を拾い集め、端末機付近で焚き火台を組み立て始めた。
石を積み上げているすぐ近くで、池が女子グループに向かって誇らしげに胸を張っていた。
「へへーん、凄いだろ! 水質もめちゃくちゃ綺麗だし、これなら直接飲めるぜ!」
自信満々にアピールする池に、篠原がすぐに待ったをかける。
「ちょっと、それ危ないからダメに決まってるでしょ」
「な、なんだよ篠原……」
「確かに見た目は綺麗だけど、お腹壊したらどうすんのよ?」
「いやいや、これだけ透き通ってんだから大丈夫だって!」
「……別にあんたのことがムカつくから反対してるとかじゃなくてね。料理とか衛生面を考えたら、やっぱり生の川水は無理」
篠原の筋の通った反論に、池は頭を掻きながらバツの悪そうな顔をした。
「……まあ、俺は平気でも、胃腸が弱い奴もいるか。悪かったよ」
「べ、別に謝るほどのことじゃないしっ! あんた、キャンプ経験あるんでしょ? なら平田くんたちがテント張ってるから、手伝ってあげなさいよ!」
「マジか! 出遅れた! 俺の見せ場が〜っ! せっかく女子にいいところ見せられるチャンスだったのに! 平田ぁ! 俺のテント設営テクを見せてやるぞー!」
叫びながら大慌てで駆け去っていく池の背中に、篠原は「……馬鹿じゃないの」と呆れ混じりの溜息を吐いた。
その直後、ふと視線を巡らせた篠原と、黙々と石を積んでいたオレの目がバッチリと合ってしまった。
ピキリと硬直する篠原。オレは手を止めずに作業を続けながら、淡々と言い添えた。
「……どうした」
「……別にあたし、池くんのことなんて何とも思ってないから! 妙な勘違いしないでよね!」
「わかった」
「……それじゃ!」
赤くなった顔を誤魔化すように、篠原はさっさとその場を立ち去っていった。去っていく彼女の背中を見送りながら、オレは心の中に新しい情報をそっと書き留める。
『篠原は池に興味がない』
……なぜだろうか。ここには居ないはずのヒュロポスが、耳元で『このお馬鹿さん──っ!』と叫んでいるような幻聴が聞こえた気がした。
◇ ◇ ◇
拠点の場所取りから半日が経過した頃には、川辺の一角はちょっとした集落のような様相を呈していた。
平田を中心に組み立てられた二張りの八人用テントは、不慣れながらも複数人の手によって形になり、支柱の傾きひとつない仕上がりだった。池が手際よく指示を出していたのが功を奏したのだろう。テントの傍らには焚き火台と、簡易的に組まれた物干し場、そして篠原たち女子が中心となって整えた水場が並び、限られた資材の中で精一杯の「拠点」としての体裁を整えていた。
カードキーによるスポットの更新も滞りなく完了している。オレがリーダーであるという事実は、今のところこの七人以外には知られていない。
拠点の設営が一段落したところで、須藤や池を中心とした男子数名、そして体力に自信のある女子数名が周辺のスポット探索と物資の調達に散っていった。オレも近隣の地形を頭に入れておくべく、少し離れた雑木林の縁を歩いていたが──異変が起きたのは、それから間もなくのことだった。
「お、おいっ、誰か来てくれ──!」
切迫した声が林の奥から響いたのは、日が傾き始めた頃合いだった。声の主は山内で、その後ろには焚き付け用の枯れ枝を抱えたままの池が続いている。二人の慌てぶりに、拠点にいた生徒たちが次々と腰を上げた。
オレが駆けつけた先──木の根元に、一人の少女がぐったりと座り込んでいた。
幹に背をもたれさせるようにして、力なく項垂れている。着ているのはCクラスのジャージだ。髪が乱れて頬に張り付き、意識があるのかどうかも定かではない。
そして──その頬には、はっきりとした青痣が浮かんでいた。
誰の目にも明らかな、殴打の痕。
「Cクラスの……伊吹、だったか」
誰かがぽつりと零した名前に、周囲がざわめく。
「枯れ枝を集めてたら、木にもたれてる伊吹さんを見つけて……声かけても反応薄くて……」
山内が青ざめた顔で説明する。池も同意するように頷いた。
「マジで殴られたっぽいんだよ、これ……見てくれよ、この痣……」
その場にいた女子数人が慌てて彼女の傍に膝をつき、水を含ませたタオルを頬に当てる。伊吹は薄く目を開けたが、焦点は定まらず、うわ言のように小さく呻くだけだった。
その光景を見届けたオレたちは、伊吹をひとまず数人の男女に任せ、少し離れた場所へ移動して円陣を組んだ。話し合いの主要メンバー、堀北、幸村、平田、櫛田、みーちゃん、軽井沢、そしてオレ。そして第一発見者のグループである須藤。全員の顔に、緊張とも困惑ともつかない色が浮かんでいる。
「スパイね」
堀北が真っ先に口を開いた。淡々とした声色に、迷いはない。
「スパイだな」
オレも同意する。この状況で、他クラスの生徒がわざわざDクラスの拠点近くに現れる理由など、そう多くはない。
「スパイだよね」
櫛田の声も重なった。三人の見解が寸分違わず一致したことに、誰も異論を挟まなかった。
「間違いないだろうな」
幸村が眼鏡のブリッジを押し上げながら断言する。
「怪我をした状態でDクラスの拠点付近に転がっているというのが、あまりに出来すぎている。同情を引いて内部に入り込み、情報を探る──前回の事件のことを振り返れば、十分にあり得る筋書きだ」
「Cクラスならやるだろうな」
そう零したのは、意外にも須藤だった。普段であれば連れてきた山内や池の心情を慮ってか、こういった疑いの声には慎重な姿勢を見せる彼が、今回は迷いなく同調していた。それだけ、以前のCクラスとの事件が印象深いのだろう。
「多分、あいつら勝つためならクラスのやつを痛めつけるくらいはすると思うぜ……」
須藤が心配そうに伊吹たちの方向を見ていた。
一同の見解が「スパイ」という一点で収束しかけたその時、場の空気に小さな波紋を投げかける声があがる。
「……でも、このまま見捨てるのも後味悪くない?」
軽井沢だった。普段の投げやりな態度からは想像し難い、どこか真剣味を帯びた声色。周囲の視線が一斉に彼女へと集まる。
「あ……いや、別に優しさとか、そういうんじゃなくてさ。ただ、あんな状態の女子放っておいて、後で変な噂立ったりとか面倒じゃない?」
慌てて取り繕うように付け加える軽井沢だったが、その最初の一言に反応したのは平田だった。
「それは……そうだね。伊吹さんを追い出して放っておくのは僕も少し……気が引けるかな」
人の良さが滲み出るような表情で、平田が言葉を紡ぐ。相手がスパイである可能性が濃厚だと分かっていてなお、目の前で苦しんでいる人間を見捨てられない──その甘さ、あるいは弱さとも呼べる思考は、戦略の観点からすれば付け入る隙は大きい。けれど、その甘さの中にある善性は、時に冷たい結論よりもずっと人の心を惹きつける力を持っている。
「そ、そうですね……私も平田くんに賛成します。スパイかもしれないけど、本当に困っているかもしれないから」
みーちゃんが控えめに、しかしはっきりと自分の意見を口にした。普段は他人の意見に流されがちな彼女にしては珍しく、芯のこもった発言だった。
「……見捨てるってのは後味悪いよね」
軽井沢も再度同調することにより、場の空気が少しずつ「保護」の方向へと傾き始める。しかし、復興部を除く面子で幸村だけは険しい表情を崩さなかった。
「……だが、スパイを中に入れるのはリスクが大きすぎるんじゃないか」
冷静な指摘に、平田も上手い反論を返せず、口を噤んでしまう。感情論だけで押し切るには、幸村の言い分はあまりに正論すぎた。
沈黙が円陣を包み込みかけたその時、それまで黙って話を聞いていた堀北が、顎に手を当てて少し考え込んでから口を開いた。
「なら、もしもスパイだったとして──誤情報を掴ませるのはどうかしら?」
その一言に、幸村の眉がぴくりと動いた。
「……なるほど。それなら抱えるメリットが生まれる。だが、本当に上手くいくのか?」
「そうね、具体的な方法はまだ思いつかないけれど、上手くハマればCクラスにマイナスを押し付けられる」
堀北の言葉に、幸村は少しの間考え込んだあと、小さく頷いた。
「……なら、俺も賛成に回ろう」
その一言で、円陣を包んでいた緊張がわずかに緩む。擁護派だった平田やみーちゃんは、安堵したのかホッと息を吐いていた。
円陣を解き、それぞれが持ち場に戻ろうとした──その時だった。クラス全体をぐるりと見渡していたオレの視界に、ふと違和感がよぎる。
拠点周辺には、テントを整える者、水汲みに向かう者、焚き火の準備をする者と、それぞれの役割を果たすDクラスの面々が忙しなく動き回っている。だが──その中に、あの男の姿が見当たらない。
「そういえば、高円寺はどうした?」
オレのその一言に、周囲の空気が一瞬止まった。
円陣を組んでいた面々が、きょとんとした顔でお互いを見合わせる。誰もが「言われてみれば」という表情を浮かべ、それがみるみるうちに焦燥へと変わっていった。
「……」
平田が口を開きかけて、閉じる。みーちゃんは記憶を辿るように視線を彷徨わせ、軽井沢は「あ」と小さく声を漏らした。
「そういえば……最初の探索の時、みんなでバラバラに動いた後、一度も見てない、かも」
軽井沢の言葉に、幸村が顎に手を当てて記憶を辿る。
「……テントの設営にも、水場の整備にも、いなかったな。てっきり単独で何かしているものだとばかり」
「あー……あたしも、最初にちらっと見たきりかも」
櫛田も同じく記憶を巡らせるが、思い当たる場面は見つからないらしい。
高円寺六助。入学以来、その突出した身体能力と学力を持ちながら、集団行動を一切放棄し、常にマイペースを貫いてきた異端の生徒。今朝の集合の際も、周囲が慌ただしく動く中、彼だけはどこか達観したような態度で列に加わっていたはずだ。だが──それ以降の記憶が、誰の中にも欠落していた。
堀北の顔から、みるみるうちに血の気が引いていくのが分かった。整った眉が吊り上がり、鋭い視線が周囲を貫く。
「……嘘でしょう。まさか誰も、彼の行動を把握していないというの?」
誰も答えられない。その沈黙こそが、何よりの答えだった。
「綾小路くん、須藤くん、櫛田さんっ。高円寺くんを探すわよっ!」
堀北の凛とした声が拠点に響き渡る。突然の指名に、須藤が背筋を伸ばして即座に応じた。
「お、おうっ!」
その一方で、櫛田は困り顔で頬に指を当て、控えめに異を唱える。
「……もう無理じゃない?」
その一言に、オレも内心で深く頷いていた。
最初の探索に出て以来、丸一日近くが経過している。この無人島は決して狭くはない。地形も定かではなく、日も既に沈みかけている状況で、たった一人の生徒を──しかも自分の意思で好き勝手に動き回ることを信条とするあの高円寺を探し出すのは、控えめに言っても骨が折れる、というよりほぼ不可能に近い。
「探しに行くだけ無駄だと思うぞ、あいつは」
オレの率直な意見に、堀北はキッとこちらを睨みつけたが、反論の言葉を紡ぐことはできなかった。彼女自身も、心のどこかで理解しているのだろう。あの男が、他人の都合や心配などお構いなしに、自分の興味の赴くままに行動する人間だということを。
「……はぁ。厄介な人ね、本当に」
深い溜息と共に、堀北はこめかみを押さえた。連日の疲労に、新たな頭痛の種が加わったとでも言いたげな表情だった。
結局、日没を前にした捜索は現実的でないという結論に落ち着き、拠点にはひとまず「高円寺は自主的に単独行動中」という体で報告を保留することになった。もし彼の身に本当に何かあったのだとしても、今のDクラスにできることは限られている。
やがて、夜の帷が完全に島全体を覆い尽くした。
星明かりだけが頼りの闇の中、拠点に組まれた焚き火だけが、オレンジ色の温かな光を辺りに投げかけている。パチ、パチ、と薪の爆ぜる音が静かに響き、疲れ切った生徒たちがその周りに三々五々と腰を下ろし始めていた。
伊吹の容体は落ち着いたようで、テントの隅で眠りについている。見張りの割り振りも決まり、拠点全体にようやく落ち着いた空気が流れ始めていた。
オレも焚き火のそばに腰を下ろし、パチパチという薪の音にぼんやりと耳を傾けていた、その時。
茶柱佐枝が点呼のために現れた。手首に巻かれた髪紐はポケットの内部にまで続いている。どうやらヒュロポスは眠っているようだ。
そして、高円寺はまだ帰ってきていない。こうなれば既に予想のついている面々も多くなる。高円寺、あいつは──。
「今から、点呼を取る。その前に高円寺はリタイアした。ポイントはマイナス三十だ」
──どこか遠くから。
『ハーッハッハッハッハ!』
闇の向こうから聞き覚えのある高笑いが風に乗って微かに届いた気がした。
空耳だろうか。それとも本当にどこかで高笑いしているのか。していそうだ……。
こうしてオレたちの無人島サバイバルはマイナス三十ポイントからスタートすることになった。