Persona x Classroom of the Elite 作:仔羊肉
二日目の朝は、身体の芯に疲労を残したまま明けた。
追加で購入した簡易テントは最低限の睡眠環境を確保するためだけの代物で、寝心地の良さなどというものはハナから期待できるものではない。
薄いマットの下からは地面の硬さと冷たさがそのまま伝わってきて、寝返りを打つたびに背中のあたりに違和感が残る。
もっとも、この特別試験においてそれは想定の範囲内なのだろう。快適な睡眠を求めること自体が、そもそも贅沢な話だ。
身体を起こし、水場で顔を洗う。冷たい水が肌を刺し、鈍っていた意識が少しずつ覚醒していくのがわかった。タオルで顔を拭きながら顔を上げると──そこには、所在なさげに立つ佐倉の姿があった。
「お、おはよう、綾小路くん。朝、早いね……」
声をかけられて視線を向けると、佐倉は寝起きだからというだけではなさそうな、どこか落ち着かない様子でオレを見ていた。
頬がほんのり赤らんでいるのは、朝の冷え込みのせいなのか、それとも別の理由なのか。
「あぁ、おはよう。佐倉」
「な、なんだか寝起きで会うの、ちょっと変な感じだよね……」
はにかむようにそう言って、佐倉は視線を少し逸らす。
普段の学校生活では、こんな時間に顔を合わせることなどまずない。共同生活を強いられるこの特別試験ならではの光景ということなのだろう。
「……まぁ、普段はこの時間帯は会わないからな。そっちは大丈夫か?」
「えっと……うん、女子は大きな問題は起きてないよ」
「……佐倉はあんまり得意じゃないだろう? こういった大人数での生活は」
普段から人付き合いに苦手意識を持っている佐倉にとって、大人数での共同生活を強いられるこの試験は、他の生徒たち以上に神経を使うもののはずだ。
すると佐倉は、一瞬きょとんとした表情を見せたあと、ふにゃ、と表情を崩した。
「し、心配してくれてる……の……? うれしいな……えへへ」
頬に手を当て、照れくさそうに笑う佐倉。だがすぐに、慌てたように付け加える。
「で、でも大丈夫! た、体力も少しはついてる筈だし頑張る」
拳をきゅっと握り、自分に言い聞かせるようにそう口にする佐倉の姿には、以前よりも幾分か芯の強さのようなものが滲んでいる。この試験を通して、積み重ねてきたものを確認できるかもしれないな。
「そうだな」
短くそれだけ返す。多くを語らずとも、それで十分だった。
それからしばらくの間、オレたちは他愛もない雑談を交わしながら、他のクラスメイトたちが目を覚ますのを待った。
眠そうな顔で起き出してくる生徒、朝から元気に声を張り上げる生徒──それぞれの様子を眺めているうちに、キャンプ地全体が徐々に活気を取り戻していく。
全員が起床し、朝の支度がひと段落したところで、堀北や平田から本日の行動についての指示が飛んだ。無人島という特殊な環境下で連日の試験をこなしていくには、限られた人数と時間をいかに効率よく配分するかが鍵になる。
オレは堀北の指示によって食料調達班に割り振られることになった。さらにその食料調達班は効率を重視してA・B・Cの三つの小班に分けられる。
人数を分散させて複数の場所を同時並行で探ることで、時間当たりの調達量を最大化しようという狙いだ。 そして本日のオレが組み込まれた班は──平田、軽井沢、池、篠原、そしてみーちゃんという顔ぶれに。
午前中は、この面子で行動を共にすることになる。 班分けが決まったところで、軽井沢がふと何かを思い出したように口を開いた。
「あ、そういえばさ、伊吹さんはどうするの? あのまま放っておくわけにもいかないでしょ」
伊吹の名前が出た途端、平田も反射的に同調しかけるが、そこでふとオレの姿に目を留めて一瞬だけ言葉を止める。
リーダーであるオレが班に組み込まれている以上、スパイに近づくのはリスクがあると考えたのだろう。
けれどもオレとしては反対する理由もない。スポットを探し出して更新する予定もないので、伊吹をどう扱うかはこちらの采配次第。手伝ってもらえるならそれに越したことはないはずだ。
「オレはこの班で面倒見るのも悪くないと思うが」
そう口にしながら、平田に向けて小さく視線で合図を送る。平田はそれを受けて、少し安堵したように表情を緩めた。
「そうだね、彼女も手伝ってくれれば居辛さもなくなるだろうし、声をかけてくるよ」
そう言って、平田は軽井沢と二人で伊吹を呼びに向かった。 その後ろ姿を見送りながら、篠原がぽつりと口を開く。
「伊吹さん……だっけ? かなり痣酷かったよね」
昨日、木にもたれかかっていた伊吹の様子を思い出す。あれが演技だとしたら、相当に迫真の演技だったと言わざるを得ない。むしろ、気絶するほどまでに痛めつけられていたという事実そのものが、逆にスパイ疑惑を払拭する。
あそこまでやる必要が、果たしてあっただろうか。 仮にDクラスがあの状態に気づかず放置していれば、伊吹はそのままリタイアしていた可能性が高い。マイナス三十ポイントという大きなペナルティを背負ってまで、あの場に留まり続けるという選択は、普通に考えれば受け入れがたいものであるはずだ。
もしもそんな手を打てるとするならば──。
そんなことを考えているうちに、平田が伊吹を連れて戻ってきた。思考を一旦切り上げ、視線を伊吹へと向ける。
ジャージには昨日の汚れがまだ色濃く残っていたが、オレたち全員を睨みつける程度には元気を取り戻しているようだった。
「あのさ、あんたら本気なわけ?」
伊吹の問いかけに、池が首を傾げる。
「えっ? 何が?」
「あたしはCクラスの人間。あんたらの敵なのよ? それをノコノコと受け入れるなんて正気? 朝飯も、昨日の晩飯だってタダじゃあるまいし」
その言葉に、池は少し照れくさそうに頭をかきながら答えた。
「まぁ、でも放っておけないよなぁ、なぁ?」
同意を求めるように篠原に視線を向ければ、篠原も小さく頷く。
「お人好しクラス。そんな甘さじゃ他に負けるんじゃない?」
伊吹の辛辣な物言いに、篠原がすぐさま反応する。
「はぁー!? せっかく助けてあげてるのに」
「別に、頼んでない」
にべもなく切り返す伊吹に、篠原は呆れたように声を上げた。
「あっそ! ならCクラスに戻れば」
「……クラスには戻れない」
その一言に、場の空気が一瞬止まる。篠原が眉をひそめて問いただした。
「は? なんで? 喧嘩でもしたわけ?」
「行けばわかる……あたしはあんなこと認めてない」
伊吹はそれだけ言うと、視線を逸らした。平田が確認するように尋ねる。
「行けば分かるって、Cクラスの拠点にかい?」
「そう。Cクラスの拠点は海岸、そこまで行けばあいつらがどんな馬鹿やってるか嫌でもわかる」
そしてオレたちは伊吹の案内を受けながら、海岸沿いに歩を進めていった。潮風が肌を撫でる中、次第に賑やかな声が耳に届き始める。何の音だろうかと訝しみながら砂浜の向こうへと視線を向けた瞬間、その正体が判明した。
目に飛び込んできたのは、あまりにも異質な光景だった。
大きなバーベキューセットからは白い煙が立ち上り、肉の焼ける香ばしい匂いがあたり一帯に漂っている。おまけに浮き輪やビーチボールといった遊具まで持ち込まれ、まるでリゾート地の一角を切り取ってきたかのような、狂騒にも近い騒ぎが繰り広げられている。
その光景を、Dクラスの面々は誰もが言葉を失って呆然と見つめていた。
──なるほど、面白いことを考えたものだ。
内心でそう独りごちる。この特別試験において、オレが想定していた最悪のシナリオの一つ──我慢の果てにおけるクラスの崩壊。それがCクラスでは起きそうにない。
潤沢なポイントを惜しげもなく使い、余裕綽々でこの試験を乗り切ろうという算段なのだろう。他クラスが飢えと消耗に苦しむ中、この余裕は精神的な優位にも繋がる。
そう考えると、昨日の伊吹への暴行の理由にも合点がいく。おそらく龍園にとって、伊吹がスパイとして潜り込めるかどうかは、さほど重要な問題ではなかったのだろう。 運良く潜入に成功すればそれで良し、失敗してリタイアに追い込まれたところで、残っているポイントが無ければ問題ない。
Sptにはマイナスが存在しない以上、ここで全員が遊び終えてリタイアしても、後のクラスポイントには影響はない。
「……ありえない」
平田が呆然とそう呟いた。他の誰もがその言葉に頷きたくなるような光景だった。
そんなオレたちのもとへ、体格のいい男子生徒──石崎が大股で近づいてくる。
「あ、あの、龍園さんが呼んでる」
用件だけを短く告げると、石崎はそのままパラソルの方へと戻っていった。 その一言に場の空気が一瞬張り詰める。
「……僕がいくよ」
真っ先に声を上げたのは平田だった。だがそれに続いて、池もすぐさま名乗りを上げる。
「待てよ、俺もいくぜ」
「どうせなら、みんなで行けばよくない?」
篠原がそう提案すると、平田の強張っていた表情がわずかに緩んだ。
「そ、そうだね……ごめん、少し気負ってたみたいだ」
「平田でも緊張するんだな」
池が意外そうに言えば、平田は照れくさそうに笑う。
「あ、あはは、そうみたいだ。ありがとう、池くん。心強いよ」
「べ、別に平田のためじゃねーよ! 俺だってDクラスのメンバーだからな! Cクラスが何を仕掛けてきても対処してやるっての」
「なに、カッコつけてんの、池くん。全然、頼もしく無いんですけど」
「はぁ~!? 今俺めっちゃ頼もしかったよな! な! 平田! 王!」
急に話を振られ、みーちゃんは戸惑ったように目を瞬かせた後に困ったような笑みを浮かべる。それを見て平田が柔らかく笑った。
「あはは、僕は嬉しかったよ」
そんなやり取りに、張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。
だがその輪の中、本来であれば当然のように加わっているはずの軽井沢は、なぜか一歩外側に立っていた。その表情には、隠しきれない怯えの色が浮かんでいる。
オレはそれを横目でさりげなく確認しつつ、平田の肩に軽く手を置いた。
「じゃあ、行くか、平田」
「うん! 綾小路くんっ!」
「お、おいっ! 綾小路! いいとこ持っていくなよ、先頭は俺だぞ」
「龍園相手に先頭がいいなら譲るぞ。あの須藤を相手に暴力事件を吹っかけて、そこの伊吹を殴ったであろう奴だが」
「よーっし、綾小路、平田。前は任せた!」
「……うっわ、池くん、ダサすぎ」
「いや、篠原。お前、龍園見てねーからそんなこと言えるんだって……ありえないくらいマジでヤベェ雰囲気あるぞ」
「そ、そんなに……?」
篠原は呟くと、恐怖の方が勝ったのか、無意識に池のジャージの裾をきゅっと握った。
「あ、お、おうっ、ま、任せとけ……」
「声震えてるんですけど……」
震える声を指摘され、篠原がクスリと笑う。そんな和やかな空気が流れる中、ふとオレのジャージの裾にも小さな力が込められるのを感じた。振り返れば、そこにはみーちゃんの姿があった。
「平田じゃなくていいのか?」
「……平田くんは軽井沢さんのだから」
そう言って浮かべた寂しそうな笑顔に、何と返すべきか迷っていると、横から伊吹の呆れたような声が飛んできた。
「……青春してないでさっさと行けば?」
「そうだね、行こうか」
平田の合図を皮切りに、オレたちはパラソルの方へと足を進める。
パラソルの下まで辿り着くと、龍園はデッキチェアに寝そべったまま、悠然とオレたちを迎えた。日差しを遮るサングラスの奥から、値踏みするような視線。
「よう、Dクラス。楽しんでいるか」
その皮肉混じりの声に、平田が真っ先に応じた。
「もちろんさ。Cクラスも随分と楽しそうだね」
嫌味を嫌味と受け取ることなく、あくまで爽やかに切り返す。それが平田という人間らしい対応だった。だが龍園はその余裕をものともせず、喉の奥で軽く笑った。
「まぁな、俺たちはお前らみたいに泥を啜ってたかだか百や二百ポイントのために、こんな暑い中で一週間も我慢するなんてやってらんないんでな。一足先にバカンスってやつを楽しませてもらっている」
まるで自分たちだけが正解を掴んだとでも言わんばかりの物言いだった。その傲慢さに、池が我慢できずに声を荒げる。
「ば、ばっかじゃねーの? こんな浪費してたら一週間持たねーだろ。計算もできねぇのかよ」
だが龍園はちらりとも視線を向けることなく、冷たく一蹴した。
「雑魚は黙ってろ。俺が喋るのを許してるのは平田、それに綾小路、お前ら二人だけだ」
「な、なんだとっ!」
池が声を荒げるのも構わず、龍園は隣に控える石崎へと視線を送る。
「おい、石崎」
「は、はい……」
「そこの雑魚を外に追い出せ」
「わ、わかりましたっ!」
石崎が動き出そうとするのを見て、平田がすかさず割って入った。
「……わかった。ごめん、みんな。少し待っててほしい」
「わ、わかったよ」
不満そうにしながらも、池、篠原やみーちゃん、軽井沢とともに少し離れたテーブルへと移動していく。その様子を見届けると、龍園は改めてオレへと視線を向けた。
「なぁ、綾小路、ずっとダンマリだが、どうした? さっきの雑魚同様、この光景を単なる浪費と思っているのか?」
値踏みするような、それでいてどこか面白がるような口ぶりだった。オレは少しだけ間を置き、慎重に言葉を選んで答える。
「平田以上の意見はないかもな」
「連れねーな、綾小路」
龍園は肩をすくめると、興味を失ったようにそう呟いた。そして改めて場の全体に向けて宣言するように口を開く。
「まぁ、いい。というわけでCクラスは一足先にこのクソみたいな試験を降りさせてもらうぜ。伊吹、テメーもさっさとリタイアしてろ。お前が残った所で何の影響もねぇ」
その言葉に、それまで黙っていた伊吹が声を荒げた。
「いや。あたしはこんなの認めない。あたしだけでも試験に望む」
真っ向からの反抗に、龍園の目つきがわずかに鋭さを増す。
「馬鹿が、王に逆らって生き残れるとでも思ってんのか。またわからせてやろうか」
「……っ」
伊吹が言葉に詰まり、思わず身を強張らせた。その空気を察知した平田が、すかさず伊吹と龍園の間に割って入る。
「おっと、この試験では暴力は禁止されている筈だよね。伊吹さんが傷を訴えればどうなるか、わからない君じゃない筈だよ」
穏やかな口調とは裏腹に、そこには確かな牽制の意志が込められていた。龍園はそれを聞いて、愉快そうに喉を鳴らす。
「ククッ、流石はDクラスの優しい優しい王子様だ。伊吹、今回はそこの平田に免じて許してやるよ。精々、優しい王子様をたらし込んで守ってもらうといいさ」
伊吹は下唇を噛み、怒りで震えている。けれども言い返すことはできないようだ。
「……Cクラスのスタンスはわかった。僕たちはこれで失礼させてもらうよ」
「おいおい、せっかくのバカンスだ。遊んでいけよ、平田。お前のファンはCクラスにもたくさん居るんだぜ?」
「ありがとう。でも僕はDクラスが勝つために少しでも努力したいんだ。気持ちだけ受け取っておくよ」
「ならしょうがねぇな……おい、石崎っ!」
「は、はいっ!」
「お土産を持たせて見送ってやれ」
龍園の予想外の言葉に、平田は訝しむ。
「わ、わかりましたっ!」
オレたちは離れていた池たちと合流すると、今居る人数分のジュースとお菓子を受け取り、その場を後にした。
海岸から少し離れた森の中で、池は手に持ったジュースを見て呟く。
「こ、これ毒とか入ってねぇよな……」
半ば冗談めかした口調ではあったが、その目は本気で品物を見つめていた。
「流石にそこまでは……しない、よね」
篠原がそう返すものの、語尾は自信なさげに小さくなっていく。龍園という人間の得体の知れなさを前にすれば、その不安も無理はないのかもしれない。
「そんなことしたら証拠とか残るからできないよ……でも、これ、どうしよう……」
みーちゃんが手の中の品物を見つめながら、困ったように呟いた。仮に何か仕掛けがあったとして、発覚すればCクラス側にとっても大きなリスクとなる。龍園がそこまで愚かな真似をするとは考えにくい。
問題は別のところにあった。人数分とはいえ、この量ではクラス全体で分け合うにはあまりにも心許ない。それぞれが一口ずつ味わえるかどうか、といったところだろう。
「……ある意味、それが目的なのかな」
平田がぽつりと呟いた。その言葉に池が首を傾げる。
「どういうことだよ」
「もしも、クラス全体でお菓子を食べるとなると僕たちも追加で購入しなきゃいけない。向こうからしてみれば余りものだったとしても、こっちからすれば貴重なものだ。誰かだけとなれば必ず不満が生まれる。それに、一度ここでジュースやお菓子を食べてしまえば、もっと欲しくなる人が出てくるかもしれない。もしかすればCクラスのように試験を放棄して贅沢したいって人も出てくるかも」
平田の説明に、池が顔を引きつらせた。
「げぇっ……そんなことまで考えてんのか!? えげつねえ……だったらさ、ここで食っちまった方がよくないか?」
安直な提案ではあったが、あながち間違った発想でもない。この場で使い切ってしまえば、少なくともクラス内に持ち帰って不公平感を生む心配はなくなる。だが平田は小さく首を振った。
「……僕はみんなが我慢しているのに自分だけ食べるのは気が引けるかな」
その言葉には、平田らしい生真面目さが滲んでいた。誰か一人でも我慢を強いられている以上、自分だけが甘い汁を吸うことをよしとしない。それはリーダーとしての在り方というより、平田個人の性分によるところが大きいのだろう。
「厄介な爆弾だね、これは」
そう呟いた平田の目には、手の中の品物が、ただの菓子ではなく、扱いを誤れば厄介な火種になりかねない代物として映っているようだった。
◇ ◇ ◇
拠点に戻ると、既に集まっていた堀北や他の生徒たちを交え、Cクラスから押し付けられた爆弾──もといお菓子とジュースの山を前に、対応策の検討が始まった。
「……Cクラスの意図が読めないわ」
堀北が眉をひそめながら、そう呟いた。
「彼らは本当に試験を放棄するんだろうか」
平田の問いに、堀北はしばし考え込んでから口を開く。
「一週間という過酷さを考えればあえて息抜きに使い、クラスの結束を固める。テーマが自由という以上、それも間違った答えじゃないのかもしれない」
堀北にとっては到底想像しがたい、邪道とも言える攻略法のはずだ。だがそこで思考を止めることなく、そこに潜むメリットまでも冷静に汲み取ろうとする姿勢は彼女の成長が伺い知れる。
「でもよぉ、堀北……一週間頑張ればクラスポイント一〇〇くらいは増えるかもしれねーんだぜ?」
池の言葉に、堀北は静かに頷く。
「Cクラスはその増えるかも怪しいポイントよりも、目先の確実な利を取ったということかしら」
「利っていうと……バカンスのことだよね」
平田が見てきた光景を思い出すかのように口にした。
「ええ、Cクラスは前回の事件でプライベートポイントを百万失っている。だからこそ、今回の試験で死に物狂いでポイントを取りにくるものだと思っていたのだけれど。ガス抜きなのかしら」
「でも伊吹さんのように反対している生徒も居るんじゃ、上手くいってないのかもしれないね」
「……そう。そうね、誰もが目先の利益に釣られるとは限らない」
「なら、本気であいつらバカンスしてんのか?」
池の発言に、堀北は静かに首肯した。
「確証はないけれど、その可能性はあるわ」
「ま、マジかよ……俺、ちょっとこの試験舐めてたかもしんねぇ」
池はそう漏らすと、腕を組んで唸った。
「単純に一週間キャンプで耐えればいいって試験じゃないのか……」
堀北が言葉を継ぐ。
「そうね、邪道とも言える攻略法。けれど、そのバカンスを隣でやられれば毒になり得る。そうやって他のクラスの足を引っ張りつつ、自分達はストレス無く乗り切り、地盤を固める……今、見えている情報をまとめるならこんなところ……かしら」
そう言い終えると、堀北は自信なさげにこちらへ視線を向けてきた。自分が苦手とする分野だという自覚があるのだろう。その様子に応じるように、それまで黙って話を聞いていた櫛田が、お菓子の袋をじっと見つめながら考え込み始めた。
「く、櫛田ちゃん。ポテチ食べたいの?」
池が恐る恐る尋ねると、櫛田はガバっと顔を上げた。
「えー? 池くんのお菓子くれるの。嬉しい……な?」
蕩けるような猫撫で声にやられ、池は縦に何度もブンブンと首を振る。
「も、もちろん。あげるあげる!」
「はぁ!? 駄目でしょ、一人だけ特別扱いなんて!」
池の隣に立つ篠原が即座に非難する。みーちゃんも篠原を見た後に、池を軽蔑するような視線を送っていた。池は二人の視線に気づき「あ、いや、こ、これは、だなぁ」と口にしようとした瞬間──。
「って、まぁ、こんな具合に内部分裂のための小道具になるよね、これ」
櫛田はトーンを切り替え、そう話し始めた。
「確かに……返しにいったほうが……」
平田がそう漏らすと、櫛田はさらに続けた。
「それだけじゃないよ、これ。もしも途中で揉める原因になるから捨てたり、隠れて食べてゴミを証拠隠滅のために島のどっかに捨てたらラッキーくらいの感覚もあったんじゃないかな。勿論、持ち帰って揉める原因としても使えるし」
「あっ……そうか、環境汚染にはペナルティがあるからね」
「そう。たかだかお菓子数個で割に合わないマイナスを押しつけれる。ポイントの後を考えないんだったらノーリスクだよね」
櫛田の解釈を聞いた池は、思わずといった様子で呟いた。
「せ、性格悪ぃ……」
「流石ね、櫛田さん」
堀北がそう評すると、櫛田は片眉を上げる。
「褒めてんの、それ?」
「褒めてるわ」
「なら、良し」
満足気にムフーっと鼻を鳴らす櫛田を見て、堀北はくすりと笑うと、すぐに表情を引き締め直した。
「聞いての通り、意図がそこまであったのならCクラスの狡猾さはかなりのものよ。私一人では対応できないかもしれない。けれど、私たちは全員でそれを打ち破れる力がある。だから、ちょっとしたことでも相談してちょうだい」
そう締めくくったところで、探索に出かけていた須藤たちが拠点に戻ってきた。その両手には、大量のとうもろこしが抱えられている。
「ただいまー、って、うおっ、その菓子どうしたんだ?」
その第一声に周囲から即座にツッコミが飛んだ。
「いや、お前のその両手のとうもろこしはどうしたんだよ……」
「これか? この島に生えてたんだよ。佐倉が見つけてくれてな」
須藤の背後から、同じくとうもろこしを抱えた佐倉が姿を現す。
「そう、お手柄よ、佐倉さん」
堀北の言葉に、佐倉は顔を真っ赤にしながらはにかんだ。
「ひゃ、は、はいっ! えへへ」
「所でこの菓子どうしたんだ?」
須藤の問いに、オレたちはこれまでの一連の経緯を説明した。話を聞き終えた須藤は、神妙な顔つきで唸る。
「凄ぇこと考えんな、Cクラス」
「そ、そんな方法もあったんだ……」
佐倉が驚いたように呟く中、須藤はふと思いついたように口を開いた。
「……なら、これさ、なんかのレクとかして賞品にすればいいんじゃね? 数もあるし、数回は開けるぜ」
その一言で、それまで毒だ爆弾だ悪意だと重く受け止められていたお菓子の山への認識が、一瞬にして切り替わった。
誰からともなく、小さな笑いがこぼれる。お菓子の袋を見つめていた櫛田も顔を上げ、声を立てて笑い出した。
「ぷはっ、ははっ、それいいね、須藤くん。罠のために渡されたものを結束のために使うなんて最高じゃん」
「えっ? お? おぉう……」
須藤としては何故、こんな雰囲気になっているのか分かっていないのだろう。 まとめ役として頭を悩ませていた平田も笑い、そして堀北も綺麗な笑みを浮かべる。
「須藤くん。あなた、最高よ」
重くなった空気は霧散し、活気がさらに強くなる。試験が始まって二日目。Dクラスの無人島生活は極めて順風満帆だった。
◇ ◇ ◇
正午を回り、太陽が天頂からゆっくりと傾き始めた頃、Dクラスの拠点は午前の作業を終えて自由時間へと切り替わった。
蒸し暑い大気が原生林を包み込み、木々を吹き抜ける塩風が僅かに涼をもたらしている。木陰で足を伸ばして談笑する男子たちや、川辺で簡易タンクに水を汲み上げる女子たちの姿を横目に、オレは堀北へと歩み寄り、静かに声をかけた。
他のクラスの状況を一度この目で確認しておきたい、という旨を彼女に告げる。
「そうね、場所は午前中の探索していた班から聞いてはいるけれど……実際に目にしておく必要はあるかもしれないわ」
そう言うと、堀北はぐるりと周囲を見渡した。
須藤が汗を拭いながら池や山内と笑い合い、幸村や平田が小冊子を広げて午後の予定を論じている。長谷部や櫛田、佐倉は木に背中を預けたまま、固まって昼寝をしている。
誰もがそれぞれのペースで、この過酷な無人島生活の中に自分なりの居場所を見出し、午後の穏やかな時間を過ごしていた。
「……み、みんな、楽しんでいるようだし、あ、あなたと私の二人で行きましょう」
わずかに言葉を詰まらせ、頬をかすかに赤らめながらそう告げた堀北。平田や幸村に声をかけて、オレたちは賑やかさを増す拠点を静かに抜け出した。
簡易的な地図を広げ、確認しながら一之瀬たちが率いるBクラスの拠点を目指すことにする。
広げた地図には、幾つもの✕印が驚くほど几帳面な筆致で書き込まれていた。その隣には人物画が描かれていてやけに上手い。
「これ、高円寺くんがリタイアをする前に茶柱先生に渡していたそうよ」
「随分と多いな」
改めて見返してみても、その数は一日や二日の探索で見つけられる範疇を明らかに超えていた。広大なこの島の地形を、彼は一人で縦横無尽に駆け巡り、網羅していたことになる。
「もしかしたら、全部見つけたなんて言われても信じてしまいそうよ……ほんと、扱いづらい」
「本来だったら宝の地図だったな」
「えぇ、方針を防衛に寄せた以上、無用の長物となったけれど……彼のリタイア分の三十ポイント以上の価値はあるんじゃないかしら」
「一日三回の六泊七日。一箇所につき二十ポイント近くは獲得できる可能性を考えたら、お釣りはくるかもな」
単純計算でも、この地図に記された情報だけで相当なポイントを稼ぎ出せる余地がある。それをリタイアのペナルティと引き換えに、まるで興味を失った玩具を放り出すかのような置き土産として残していったあたり、高円寺六助という男の底知れなさを改めて感じさせられた。
「下手に捨てることもできないし、本当の意味で爆弾よ、これ……」
「なら、オレが預かっていてもいいか?」
「え? えぇ……そうね。伊吹さんが女子である以上、私の方が取られるリスクはあるわね。預かっててちょうだい」
堀北から紙を受け取り、二つに折って制服のポケットへとしまい込む。
「こういう時、ヒュロポスがいれば便利なんだけどな」
「異世界なら隠せるけど、現実世界でもあの子のお腹は開くの?」
「いや、開かない」
「なによ、それ……なら無理じゃない」
呆れたように言いながらも、堀北は可憐な唇をほころばせ、楽しそうに笑った。
オレとしては、この地図を小さく破ってあの鳥に食べさせるつもりではあった。
食べれば美人になれる魔法の紙とでも言っておけば、あの単純で自称美少女のマスコットは、歓喜の声を上げて喜んで完食しそうな気がする。
そんなことを考えつつ森の中を進んでいく。
風が木々を揺らし、葉と葉が擦れ合う涼やかな音が周囲を満たしていく。密林の小道を二人並んで歩く沈黙は居心地の悪いものではなかった。
「なんだか、二人で歩いていると五月のことを思い出すわね」
「買い食いをした時のことか?」
「えぇ……それから二ヶ月とちょっと。でも人生で一番濃かった二ヶ月とちょっと」
堀北は、ふと足を止めた。木漏れ日が葉の隙間から零れ落ち、彼女の綺麗な横顔を柔らかく照らしている。
入学当初の彼女を思い出していた。
誰にも心を開かず、他者を排除し、バスの最後列で冷たさを宿した瞳で本を読んでいた孤高の少女。兄の背中だけを追いかけ、一人で戦うことこそが強さだと信じ込んでいたあの頃の彼女。
だが、数々の出来事──異世界での経験、クラスメートたちとの衝突と和解を経て、彼女は変わった。己の弱さを受け入れ、泥を啜ってでも他者と向き合う強さを手に入れたのだ。
「仲間ができるなんて思ってもなかった。ずっと一人でいるつもりだった。でも、今は──貴方達が居ない世界なんて考えられない」
静かに紡がれたその言葉には、一切の偽りも飾りも含まれていなかった。
そう言うと、堀北はそっと身体を寄せてきて、躊躇うような間を置いたあと、自然な動作で手を繋いでくる。
細く、どこか冷たい指先。だが、重なり合う手からは確かな温もりが伝わってきていた。そのまま彼女は肩をオレの腕にそっと触れさせ、僅かな体重の重みを預けてくる。
かつての彼女からは、到底想像もできない光景だった。
他人に触れられることすら拒み、孤立を頑なに貫いていた少女が、今こうして己の体温と重みを他人に委ねている。
「あなたのせいよ……まったく」
拗ねたような、それでいてどこか愛おしそうに嬉しさを滲ませた声で、小さくそう呟いた。
繋いだ手の温もりを感じながら、静かな歩みをゆっくりと進めていく。
木々の影が伸び、周囲の緑が深まっていく中で、やがて視界の先──茂みの隙間から、和やかな雰囲気を漂わせるBクラスの拠点が見えてきた。
「離すぞ」
オレが短くそう告げると、堀北の手の力がふっと抜けた。
「……えぇ」
彼女は短くそう答えると、足を止め、一度だけ深く目を瞑る。
次にゆっくりと開かれたその瞳には、先ほどまで見せていた儚げな柔らかさや甘えは綺麗に消え去っていた。
代わりにそこに宿っていたのは、一切の揺らぎを許さない凛とした強さと、鋭い意志の光。
「いきましょう、綾小路くん」
背筋をピンと伸ばし、堂々と前を見据える彼女。先ほどまで腕に寄り添っていた少女の面影は、綺麗さっぱり削ぎ落とされている。
そこに居たのは――迷いを捨て、勝利に導かんとする強い少女の姿だった。
◇ ◇ ◇
木々の合間を抜けた先、視界が開けた瞬間、目に飛び込んできた風景は楽し気なもの。その空気はCクラスの享楽的な喧噪とは異なり、Dクラスのソレに近い。
「Bクラス……初めて見たけれど随分と活気があるわね」
堀北が感心したように呟く。拠点には整然とテントが並び、水汲みや薪集めといった作業を分担しながらも、あちこちで笑い声が絶えない。誰もが自分の役割を心得ており、無駄な動きがひとつもなかった。
「そうだな、櫛田の前情報によれば団結力が相当強いクラスのようだ」
「強い団結力、それに基礎能力も高いのでしょうね」
その評価に嘘はない。仲の良さだけでは、これほどまでに組織立った動きは生まれない。互いを信頼し、支え合い、平均以上の能力を持ち得ているからこそ成立する光景だった。
「そうだな、ようやく固まってきたDクラスの目指すべきモデルケースなのかもしれないな」
「それは違うわ、綾小路くん」
堀北はすかさず否定した。その声には、確かな自負が滲んでいる。
「私たちはそこに下から這い上がる強い意志も兼ね備えている。同じ土俵になったら私たちの方が強い」
「……負けず嫌いだな」
「事実を言ったまでよ」
澄まし顔でそう返す堀北に、オレは小さく息を吐いた。
「まぁ、確かに能力の尖り具合で言えばDクラスは負けていないな」
高円寺の扱いづらくも突出した能力、須藤の運動神経、堀北自身や幸村の頭脳。櫛田や佐倉の嗅覚。粒揃いという意味では、決してBクラスに引けを取らないだけの人材は揃っている。
「そうね……それでどうする? Bクラスの様子は確認できたけれど」
「そうだな、いってみるか」
観察するだけに留めるつもりもなかった。オレと堀北は木陰から出て、そのまま拠点の方へと歩を進める。
近づいていくにつれBクラスの生徒たちの何人かがこちらに気づいたのか、視線を向けてくる。
異物感が混じった瞬間に空気は波立ち、伝播する。楽し気な雰囲気は鳴りを潜め、緊張感が浮かび上がるのが目に見えてわかる。
そんな空気の中、拠点の奥から一人の少女がこちらへと歩み寄ってきた。
一之瀬帆波。Bクラスのリーダーに位置する少女。
「やっほー、綾小路くん。それと堀北さんははじめまして、だよね。私は一之瀬帆波。よろしくね」
急な来訪──もっと言えば敵情視察とも呼べる行為であるにも関わらず、一之瀬は柔らかな笑顔でオレたちを迎え入れた。
「堀北鈴音よ」
堀北は端的な自己紹介を済ませると、拠点をぐるりと見渡した。
「浜辺を最大限に使ったキャンプ。見事なものね」
なんかその褒め方、お前の兄貴みたいだな……、と思ったが余計なことを言えば酷い目にあうことは学んでいる。黙っておこう。
「やはは、そういって貰えるとうれしいな。私たちはこのキャンプをなるべく楽しくいい思い出で終われるように頑張っているからね」
「そう」
短くそれだけ返す堀北の視線は、その言葉の裏に潜む本気度を測るように、なお拠点全体へと向けられていた。
「堀北さん達のクラスの調子はどう?」
「そこそこと言った所かしら。少しアクシデントはあったけれど問題のない範囲よ」
「そうなんだ。ところで、これってリーダーを探りに来た敵情視察ってやつなのかな」
さりげなく本題を交えて探りを入れてくる一之瀬。柔和な物腰の奥に、しっかりとした駆け引きの意識が見え隠れする。だが堀北は一切の動揺を見せることなく、静かに切り返した。
「この程度の視察でリーダーがわかるほどの簡単な相手なら、今後も楽なのだけれど……。貴方達、Bクラスはそうなのかしら」
挑発気味なカウンター。もっとも、本来の目的はそんな深い探り合いにあるわけではない。今回の試験における各クラスの動向を把握することにある。
「にゃはは、油断してもらえるのと舐められるのは違うよね。勿論、Bクラスはそんなに簡単な相手じゃありません」
自分たちのクラスに絶対的な自信があるのだろう。一之瀬の後ろに控えていた他の生徒たちも、その言葉を後押しするように頷いている。
「信頼されているのね。一つ聞きたいことがあるのだけれど」
「なにかな。答えれる範囲なら答えるよ」
「貴方達のクラスに今、Cクラスの生徒はいるかしら」
その瞬間、一瞬だけ一之瀬の表情がこわばった。どうやら居るらしい。
「あー……ってことはDクラスにも?」
「居るわ。私はその部分を確認したかった。この後Aクラスの方も行くのだけれど、その様子だとあっちにも居るかもしれないわね」
「Bクラスには金田くんって生徒がいる。龍園くんと方針の違いで揉めたって言ってたよ」
「Dクラスも同じよ。Dクラスには伊吹さん。彼女も似たようなことを言っていたわ」
「それはいい情報だね、ありがとう」
こちらの手札も、躊躇うことなく渡す。大して重要な情報でもなく、Dクラスを少し調べればすぐに判明する程度の代物だ。価値などほとんど存在しないが恩にきてもらえるなら儲けものだ。
「この後、Aクラスに行くなら私もついて行っていいかな?」
一之瀬がそう申し出た。堀北は一瞬だけ思案するような間を置いたが、特に断る理由も見当たらなかったのだろう。
「別にいいけれど……」
「ありがとう! それじゃあ、皆に伝えてくるからちょっと待っててね」
そう言うと、一之瀬は軽やかな足取りで拠点の奥へと戻っていく。その背中を見送りながら、堀北がふと振り返ってオレに尋ねてくる。
「……断ればよかったかしら」
「別にいいんじゃないか?」
「……あら、私と二人きりは嫌だった?」
どこかからかうような響きを含んだ声で、堀北がそう返してきた。
「そういえば……本当の意味で二人きりってのはあまり無かったな。いつもは騒がしいやつがいるからな」
普段、堀北と二人で過ごす時間には大抵あの姦しい鳥が居座っている。改めて考えてみれば、静かに二人だけで歩くという状況自体が随分と珍しいことに思えた。
「まだ試験が始まって二日目だけど、恋しくなったのかしら」
「勘弁してくれ……」
くすりと笑いながら追い打ちをかけてくる堀北に、オレは白旗を挙げることしかできなかった。そんなやり取りをしているとしばらくして、一之瀬が小走りで戻ってくる。
「ごめん、またせちゃった。じゃあ、いこっか」
一之瀬が加わり、三人でAクラスの拠点を目指して歩き出す。
潮風に混じって、遠くから微かに潮騒が聞こえてくる。木々の隙間から差し込む午後の光は、朝よりもいくらか強さを増していた。
「Aクラスの拠点ってどのあたりにあるか知ってるのか?」
オレが尋ねると、一之瀬は少し考えるように視線を上げた。
「うーんとね、確か島の北側だったと思う。うちの生徒が水汲みのときに見かけたって言ってたよ」
どうやらBクラスもAクラスの位置は把握しているようだ。先導は一之瀬に任せることにしよう。
「このあたりは地形が入り組んでいるみたいね」
「そうそう、坂も結構あるんだよねー。私たちの班が行ったときも迷いかけたって聞いたよ」
しばらく森の中を進んでいくと、やがて木々の隙間から人の気配と話し声が聞こえ始めた。三人は自然と足を止め、視線を交わす。
「着いたみたいだね」
一之瀬がそう言うと、堀北も小さく頷いた。
「行きましょう」
その声には、先ほどまでの軽い雑談の空気が消え、再びクラスを背負う者としての緊張感が戻っていた。
Aクラスの拠点は、他の二クラスとは異なる形を取っていた。
海岸や河川敷といった開けた場所ではなく、切り立った岩肌にぽっかりと口を開けた洞窟。その入口には目隠しのようにレジャーシートが張られ、中の様子は一切窺うことができない。
洞窟の手前には、一人の見張りが立っている。手前に立つ男子生徒──戸塚が、オレたちの姿に気づいて表情を強張らせた。
「あ、綾小路に一之瀬……」
名前を呼ぶ声に、堀北がわずかに眉を動かす。自分の名前がそこに含まれなかったことに思うところがあるのだろう。
「こ、ここはAクラスが使用している。それ以上、近づくな!」
戸塚の声が、緊張混じりに響く。だがその横から、堀北が一歩前へと進み出た。
「それは本当なのかしら」
「……Dクラスの生徒だな。こんなことに嘘をついてどうする。考えればわかるだろう」
「あなたこそ物を考えて喋ることね。私たちにとって嘘か本当かなんてどうでもいいの。確認する権利はあるから通せと言ってるのよ」
堀北の物言いに、戸塚は明らかに気圧された様子で言葉を詰まらせる。
「……綾小路」
助けを求めるように視線をこちらへ向けてくるが、オレはただ小さく首を横に振った。ここで口を挟む理由もない。
「……はぁ、少しだけ待ってろ。葛城さんを呼んでくる」
そう言い残し、戸塚は洞窟の中へと消えていった。しばらくして布の隙間から二つの人影が姿を現す。
先頭に立ったのは葛城。その隣には、常に彼の傍らを離れないという戸塚の姿もあった。葛城のいかつい佇まい、裸の上半身に弓を背負った姿を見て、堀北がぽつりと呟く。
「……蛮族?」
その一言に、何故か一之瀬の肩がぷるぷると震えていた。当の葛城は特に反応を示さず、静かに口を開く。
「他クラスが何用だ」
「ここにスポットがあるかどうか確認させて貰いたいの」
「悪いがここはAクラスが使っている」
「そう、けれど本当にここを占有しているか確認する権利はあるはずよ」
「弁が回るな、流石はDクラスのリーダーというだけはある」
「ありがとう。この程度のやり取りでリーダーなんて認めてもらえるなんて助かるわ」
堀北の返しに、後ろで聞いていた一之瀬が小声で漏らす。
「うっひゃぁ……堀北さんってもしかして好戦的……?」
「もしかしても何も見たまんまだぞ」
そう答えた瞬間、堀北がくるりと振り返り、一歩、二歩と近づいて無言の抓りを頬に。痛い。
一通り、抓りに満足したのか再び葛城の前に立つ堀北はAクラスの応酬を再開する。
「……悪いが中は見せられない」
「それは明確な独占行為じゃないかしら?」
「この試験の暗黙のルールでもある筈だ。お前らは川を、Bクラスは浜辺を。それぞれ拠点にしている筈だ。それを許さないとなればこの試験は荒れるものとなるが、それはDクラスの望む所なのか?」
葛城の言葉には確かな理があった。互いのテリトリーを尊重するという不文律を破れば、無用な衝突を招くだけだ。堀北もそれを理解しているのか、すぐには言葉を返さない。
その静けさの中で、オレはふと一つ気になっていたことを口にした。
「坂柳は元気にしてるのか?」
その瞬間、葛城と戸塚の表情が明らかに固まった。それだけでなく、戸塚は「なんで、それを」と口を滑らせる。
「悪いが、今のはカマをかけたわけじゃなくて、単純に向いてない人間がどう過ごしているのかの疑問でしかないんだが」
そう付け加えると、葛城は一つ息を吐いてから答えた。
「……失態だな。坂柳は参加が認められなかった」
「そうか」
「あぁ、本人は最後の最後まで参加すると駄々をこねていたが……」
その時のやり取りを思い出しているのか、葛城の顔には隠しきれない疲労が浮かんでいた。そんな空気を見計らったように、堀北が睨みつけてくる。
「綾小路くん、敵地で和やかに談笑しないで」
その一言で、Aクラスの二人も再び表情を引き締め直した。
「それで、俺達の答えは中を見せられない。それでも強引に突破するのか?」
葛城の問いかけに、堀北と一之瀬は視線を交わす。長くはない、ほんの一瞬のやり取りだったが、そこには確かな意思の疎通があった。
「いいわ、ここは引いてあげる。その代わりに一つ聞かせてもらうわ。AクラスにはCクラスからスパイは来なかったの?」
堀北の問いに、葛城はわずかに目を細める。
「来た。ということはBとDにも来たということか」
「そうよ。それでAクラスはCクラスの生徒を受け入れたのかしら?」
「椎名といった女子生徒が来たが追い返した。今どこで何をしているかまではわからん」
「そう。Aクラスはリスクを嫌ったのね」
堀北がそう纏めると、葛城は僅かに口の端を歪める。
「むしろ、受け入れるほうが理解し難い。正気か、貴様ら」
その一言に、堀北が静かに応じる。
「正気よ、私たちは伊吹さんを受け入れたわ。そしてBクラスは金田くんを」
「……はっ。それでどうなった」
葛城の口ぶりには、明確な軽蔑が滲んでいた。他クラスの人間を懐に招き入れるなど、隙を晒すだけの愚行だとでも言いたげな態度。だがそれに対し堀北はまったく動じることなく言葉を返す。
「まだ何も起きていない。それに私たちにとってリスクよりも得られるものの方が大きいと判断したの」
「得られるもの、だと?」
「情報でもいいし、労働力でもいい。追い出したところで彼女に行き場がなくなるだけ。困っている人間を無下に扱う道理もないでしょう」
堀北の言葉に、葛城は少しの間、何かを推し量るように沈黙した。
「甘さだな、それは」
「そう思うのなら、それでいいわ。少なくとも今のところ問題は起きていない」
きっぱりと言い切る堀北に、葛城はふっと小さく息を吐いた。侮蔑とも呆れとも取れないその反応に、これ以上議論を続けても平行線だと悟ったのだろう。
「これ以上の質問がないなら、俺たちはこれで失礼させてもらう」
「ええ、こちらもこれで十分よ。Aクラスは図れた」
「……なんだと」
「レジャーシートを貼って他クラスからの交流を避け、他のクラスからの避難者を拒絶し、その上で他クラスとの情報共有を好まない。随分と臆病なのね。そんなに怖いのかしら、他のクラスが」
「お、お前、いい加減にしとけよ!」
葛城の背後から我慢ならないとばかりに前に出てくる戸塚。
「やめろ、弥彦」
「で、でも、葛城さんっ……」
「言わせておけ。下のクラスの戯言だ。そうだろう?」
どうやら葛城も内心穏やかではないようだな。
「堀北、今のところ何を言ったとしても敗者の戯言でしかない。Aクラスは四月からここまで結果を出したからこそこの地位にいる」
「そう」
「俺に言葉を届かせたいのなら、登ってくることだな」
「そうね。今回の試験で本当に貴方達が上だったのか確認させてもらうわ」
堀北も葛城もこれ以上の会話は意味がないと感じたのか。
「わかったのならば去れ」
「えぇ、お邪魔したわね」
堀北がそう答えると、葛城はそのまま踵を返して洞窟の中へと戻っていく。布の隙間が閉じ、再び中の様子は完全に見えなくなった。見張りに残された戸塚だけが、どこか居心地悪そうな顔でオレたちを見送っている。
その場を離れ、しばらく歩いたところで一之瀬が口を開いた。
「今回の試験のAクラスってちょっと近寄りがたいね」
「排他的、というのは一つの戦略ではあるだろうな。情報も人員も外に漏らさない代わりに、内側の結束だけで完結させる」
「それって上手くいくのかな」
「さぁな。少なくともあの洞窟の中がどうなっているのか、外からは一切わからない。それ自体が一つの防御にはなっている」
そのまま一之瀬はオレたちの拠点までついてきて、一通り観察した。そして、視察を終えた最後に──。
「Cクラスは開けっぴろげ、Bクラスは団結を前面に出し、Aクラスは徹底した秘匿。三者三様だね」
「そうだな」
「ねぇ、DクラスとBクラスで同盟を結べないかな」
不意にそう言われ、オレと堀北は少しだけ考える。重要な話ではある、ここで堀北とオレの一存で決めるにはあまりにも大きな契約。
「そういった話が出たことは今日の夜にでも話してみるわ。明日には返事できると思うから時間をちょうだい」
「私も思いつきみたいなものだから皆と確認を取らなきゃだね。でも良い関係が築けると私は嬉しいなって思う」
一之瀬はそういって「それじゃあ」と拠点へと戻っていった。
◇ ◇ ◇
その日の夜、有志による話し合いが開かれることになった。
参加は自由。強制ではないと堀北が念を押したにも関わらず、蓋を開けてみればDクラスの半数以上が顔を揃えていた。この二日間で得た手応えのようなものが、彼らの中に確かなモチベーションとして根付き始めているのだろう。
参加しない面々も遊んでいるわけではなく、後片付けや水汲みといった雑用を買って出ていたし、何人かは会議の内容が伊吹に漏れないよう、彼女を見張りながら少し離れた位置に控えていた。
焚き火を囲むようにして車座になったところで、堀北が口を開く。
「今日、私は他のクラス全てを見て回ってきたわ」
「へぇ、デート楽しかった?」
気だるげにそう混ぜっ返したのは櫛田だった。周囲から小さな笑いが漏れる。
「ち、違うわ……こ、こほん。偵察に行ってきた報告をまとめるわね」
わずかに頬を赤らめながらも、堀北はすぐに表情を切り替え、浜辺に拠点を構えるBクラスの結束の強さと、洞窟に籠るAクラスの徹底した排他性について、簡潔に情報を共有していく。
「じゃあ、僕からもCクラスの様子を話させてもらうよ」
平田がそう続けて、今朝の一件──バーベキューとビーチグッズに興じるCクラスの様子と、龍園とのやり取りを、包み隠さず語った。話を聞き終えたクラスメートたちは、それぞれに考え込むような表情を浮かべている。
そんな中、須藤がおずおずと手を挙げた。
「なぁ、俺が思いつかねぇだけなのかもしんねぇけどよ、もしかして出来ることってあんま無いんじゃねぇ?」
その言葉に、薄々同じことを感じていたのか、周りの生徒たちも小さく頷いていた。
「そう。Cクラスは試験の放棄、Bクラスから同盟の提案、Aクラスは穴熊。この試験、今のところ目に見える範囲ではキャンプをして乗り切る以上のことはないの」
「どこも防御寄りの思考になっているせいか……」
幸村の呟きは的を射ていた。リーダーを特定された際のデメリットは、マイナス五十ポイントに加えてボーナスポイントの取り消しという、あまりにも重いものだ。ならば自陣に籠り、最低限のポイントを確保しながら試験を乗り切るというのは、決して悪手ではない。
「だがCクラスとの差が縮まるのは、精神的に大きいな」
「そうね、上位クラスが近づいているのは大きなモチベーションになるわ」
「けれどAやBとは差が縮まらないのは残念だよねー」
長谷部がそう呟けば、佐倉が控えめに続く。
「そ、そうだね……でも、リーダー当て? をしてこないんじゃ、仕方ないよ……」
「Cクラスのリーダーはもしかすれば伊吹か金田、もしくは椎名というやつかもしれんな」
幸村がボソリと口にした一言に、場がざわついた。
「えっ!? リーダーなのにスパイしてるわけ!?」
「むしろ、Cクラスがリタイアしてあえてリーダーを残すのなら、その三人だろう。そういう戦略なのか……?」
「ありえるわね……この試験、マイナスが無い。そのルールを逆手に取った可能性は大いにあるわ」
「伊吹さんの監視を強めるのはどう?」
櫛田の発言に、女子生徒たちが何人も頷く。
「流石に男子が女子を見張りするのは、ちょっとねー。交代制で決めよっか。んじゃ、私たち女子に言ってくるね」
長谷部の提案に、何人かが離れて伊吹への監視シフトを組み始めた。
「Cクラスのリーダー……確証がない限り、あてにいくのはデメリットが大きい。椎名さんという女子生徒、伊吹さんに金田くん。絞れても三分の一……分の悪い賭けね。椎名さんって人がいなくても二分の一」
「Cクラスからしてみればマイナスにならない以上、相手が外れば儲けもんってところじゃない?」
「嫌らしい作戦ね」
「うちがしっかりと見張っていれば、スポット更新できる暇もないだろうし、ボーナスポイントを稼ぐのは厳しいんじゃない。Bクラスの方も同じ」
「そうね。Bクラスにも伝えておきましょう」
「なるほど、それで金田と伊吹の行動を制限して、ボーナスポイントの増加を抑制するわけだな」
堀北の案に、幸村が賛同を示す。
「伊吹さんには窮屈な思いをさせるけど、仕方ない……のかな」
平田が少しばかり躊躇いを見せた。
「四六時中見張るってわけじゃないわ。彼女もどこかのグループで一緒に行動してもらう。その上で姿を消したら、その時に報告してもらう」
堀北の言葉に、櫛田が続ける。
「その時にグループ行動中に周囲のスポットが更新されてたら、リーダーの疑いが強まるからそれでいいんじゃない?」
「なるほど、ガチガチに監視するよりかはそちらの方が有用かもな」
幸村がそう頷くと、平田が申し訳なさそうに口を開いた。
「うん、なんだか反対したみたいなことを言ってごめんね。監視とか見張りとか、もしかしたら嫌なんじゃ、と思って」
「別にいいんじゃねぇか? 女子に優しいのが平田のいい所なんだしさ」
話を聞いていた池が、フォローするように言葉を挟む。
「あんた、それ、フォローなわけ?」
篠原が呆れたようにそう返せば、池が声を荒げた。
「な、なんだよ! めっちゃいいフォローだっただろ!」
「……なんか女子にってつけてるところが嫌」
「ん、んなっ!」
そんな二人のやり取りに、平田は明るく笑いかける。
「そんなことないよ! 池くんのフォロー嬉しかった」
その一言に、篠原や他の女子たちも「平田くん、優しいー!」と黄色い声を上げる。池はその様子を横目に見ながら、「けっ!」と小さく吐き捨てていた。
その様子を他の男子生徒が笑い、笑顔は伝染していく。各クラスの動向、戦法、戦略を推測しながらも夜は更けていく。
◇ ◇ ◇
そして翌日、オレたちはBクラスへと足を運び、助言と同盟の申し出に対する『断り』を伝えに行った。
一之瀬は残念そうな表情を見せたものの、それをすぐに笑顔に切り替える。「それじゃあ、正々堂々よろしくね!」とそう言って差し出された手を、堀北はしっかりと握り返す。
帰り道、Cクラスの様子を確認しに立ち寄ったが、そこはすでに祭りのあと。パラソルも、バーベキューセットも、賑わっていた人の気配も何一つ残っていない。誰一人として残っていないその光景に、Cクラスのリーダー候補は僅かに絞られていく──そんな確信めいたものが、Dクラス内部に静かに広がっていった。
そして、三日目に行われたレクリエーション。木の竿による釣り大会。優勝者は池。お菓子とジュースを片手にその夜、とある女子生徒と一緒に分け合ったという話を外村がテントの中で話していた。
概ね順風満帆に過ぎていく無人島試験。
そして、四日目の朝に事件は起きた――。