【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地   作:◆琳音◆

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13. 金色の雨の下で

 湖のボートの上で、初めて『友達』を手に入れたあの日から、ナーサはほんの少しだけ肩の力が抜けたのを感じた。

 あれから数日経ったけれど、寮が違うから、その後アッシュと話す機会はなかった。大広間の向こうに、それらしい姿を見かけるだけだ。

 

 それでも──自分を受け入れてくれた人が、この学校にいる。そう思うだけで、逃げるように席を立つことなく、食事を摂ることができるようになった。

 

 ルームメイト達が目を合わせただけで大袈裟に離れていくことも、むっつり顔のリラルドが合同授業で近くの座席に掛けた時も、静かに前を見据えることができるようになってきた。

 むきだしだった心が、一枚薄い膜に包まれたようだった。

 

*

 

 罰則を終えたナーサは、かじかむ両手を擦り合わせながら、魔法薬学教室を後にした。

 そろそろ夕食の時間だ。寮に戻るよりも、少し早めに大広間に向かった方がいいかもしれない。

 

 中庭に差し掛かったところで、ナーサはふと足を止めた。

 その日は、霧のように立ち込める雨が城全体を覆い、壁のない回廊の中ほどまで黒く染めていた。

 

 何気なく目を向けた先──茂みの合間に人影が見えた。金髪の女子生徒だ。木と一体化するように佇んだ、その横顔。

 

 ナーサはホグワーツ特急でアッシュが使った防水魔法をかけると、おそるおそる中庭に足を踏み入れた。濡れた草が重たげな音を立てる。

 

「……ミス・マクドゥガル」

 

 彼女はすぐには振り返らなかった。

 呼びかけが届いていないのか、それとも……迷惑なのかもしれない。

 ナーサは彼女の背中と来た道とを見比べ、唇を引き結んだ。スッと息を吐くと、彼女の隣に並んだ。

 

「こんにちは、ミス・マクドゥガル」

 

 もう一度、声をかけると、彼女はハッとしたようにナーサを見た。

 

「──マルフォイ。久しぶりだね」

 

 お手本のようにきれいな標準英語のアクセントだった。

 リンジーのことは大広間や、談話室でよく見かけた。

 けれど、彼女の周りにはいつも大勢の生徒がいたし、快活に笑う輪の中に入っていくことは躊躇われた。

 

 彼女も防水魔法をかけているのか、髪は張りついていないし、服も重たげではない。ただ、微笑んで見えるその顔は深い哀しみで彩られているようだった。

 

「前にここで会ったのは、四月だったっけ……」

 

 ぽつりと言った、その目の端から雨のしずくが弾かれて流れた。

 ナーサの胸が、ギュッと締めつけられるように痛んだ。

 この場所で、彼女と並んで立った記憶がある。否応なしに今、ここにはいない二人の影が浮かび上がる。

 

「あれから……色々とありましたね」

 

 リンジーはすぐには答えなかった。しばらくの間、雨音だけが二人の間を満たしていた。

 人けのない回廊に視線を滑らせ、リンジーは軽く吐息を漏らした。

 

「……ここはね、よくデニスと二人で話したところ。

 中庭って不思議でね。真横は大勢通るのに、ちゃんと見る人ってあまりいないの」

 

 ナーサは改めて中庭に目を向けた。

 回廊の太い柱の間には低木が生い茂り、程よい目隠しになっている。クィディッチの練習に使われることもある広場だが、殺風景すぎる。

 人の気配が絶えないのに、誰の視線にも引っかからない。そんな場所だった。

 

「あの人のこと、大切に想っていたんですね」

「うん。大切な──『友達』だった」

 

 ナーサは思わずリンジーの顔を見つめた。彼女の喉が僅かに上下した。

 

「私ね……初めての宴で、ケイレブに選ばれたの。その後、皆の前で気持ちを打ち明けられて……私は有頂天だった。

 けど、段々と……彼は、本当に私を好きなのか……血筋のためだけなのか、分からなくなってきて、別れたんだ。

 それでもね、周りの扱いは何も変わらなかった。宴では相変わらず彼のパートナーで、皆には、ずっと『ケイレブの恋人』として見られてた」

 

 リンジーは足元に目線を落とした。相槌を打つことも憚られて、ナーサは開きかけた口を閉じた。

 

 不意に光が差した。急に開けた雲間から覗いた陽が、絹糸のように細い雨を照らし、中庭を染め上げる。

 金色に包まれたリンジーは、今にも消え入りそうに見えた。

 

「……デニスは、入学した時から仲がよかったの。ケイレブのことも、色々話してた。あの人の影から抜け出したいって……そうしたら、隠れて付き合わないかって言われた。

 デニスとはクラスが違う。許されないことだって、分かってた……でも、彼だけが私に近づいてきてくれたの。皆、ケイレブが……ううん、ヤックスリー家が怖くて、遠巻きにしていたのに」

 

 リンジーはそっと両手を組み合わせた。その合間に、きらりと光るものがあった。

 

「……手を繋ぐだけの、ままごとみたいな関係だった。でも、デニスがいたから、私は息ができていたんだと思う」

「ケイレブとの婚約は──あなたが望んだものではなかったんですね」

「……そうだね。一方的なものだった。でも、選択肢がない中で、あの人は……」

 

 リンジーは左手の指輪を撫でながら、ゆっくりと言葉を選んだ。

 

「私を生かす道を探そうとした……多分、そうだったんだと思う。

 ……デニスには、それが与えられなかった。彼には『血の盾』がなかったから。誰にも、どうしようもなかった。分かっていたはずなのに、私が寄りかかってしまったから……デニスには、もう二度と会えない」

 

 ナーサは思わずリンジーの両手を取った。冷たく震える、自分と同じくらいの大きさの手。

 

「……自分を責めすぎないで。感情って思い通りにはならないもの。

 あたしも、自分の選択でジャニスを失いました。でも……あの時、彼女がいなければ、きっと耐えられなかった。今、ここに自分はいないって思うと……分からないの。あれは、全て間違いだったのか」

 

 雨はいつの間にか止んでいた。空を仰いで、リンジーが遠慮がちに呟いた。

 

「……あなたは、家を出たって聞いたよ」

「ええ」

 

 リンジーの目は『知っている』と言っていた。事情はきっとケイレブから聞いたのだろう。

 ナーサも空を見上げた。重たげな雨雲はまだ残っていたけれど、その奥に冷たく澄んだ空がはっきりと覗いている。まるで、こちらを見返すように。

 

「……知ってしまったからには、もう一緒にはいられないと思いました。それでも……あたしを裏切っていた祖父──ルシウスも、母のことも、嫌いになりきれないんです。愛されていると疑わなかった、子どもの頃の自分を信じたいのかもしれない」

 

 その言葉にリンジーは笑った。

 

「……複雑だよね。でも、よく分かるよ」

 

 その言葉で、自分の言葉を正確に理解してもらえた、とナーサは直感した。

 微笑みかけると、リンジーは重ねたままだった手に、指を絡めた。

 

「マルフォイ。家を出たなら……あなたのこと、ナーサって呼んでいい? もう、他人とは思えないから」

 

 思いがけない言葉にナーサは息を呑んだ。驚きに、微かな笑みが滲んだ。

 

「──はい。あたしも……あなたのこと、リンジーって呼んでもいいですか?」

「……ふふ、勿論だよ」

 

 その柔らかな笑い方に、ナーサはほんの一瞬ケイレブの面影を重ねた。けれど、それは胸の痛みよりも、じわりと広がる温かさをより強く感じさせた。

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