伺いましたよ。倉元の兄さんのところと、海田さんのところにも行ったそうでそうですね。氏家さんや大友親分にもお会いになったんですか?
本気でお調べなんですね。何をお伺いになったんでしょうか。大友親分には随分良くしていただきました…おそらくご存知でしょう。なので私の部屋には小沢夏樹、倉元猛、大友勝利の写真を飾っています。お二人はやめろと言いますけども。
知っていましたか?
アニキと付き合いがあった人で大友親分だけはアニキと話す時に「夏樹」って下の名前で呼んでいたんです。我々と話すときは名字で呼ぶんですが、本人と話す時だけ下の名前なんです。私は少しアニキと大友親分の関係性を羨ましく思っていました。アニキも大友親分を下の名前で呼んでいましたね。
と言っても、アニキも下の名前で呼んでいたのは知る限りでは大友親分だけです。あの二人の関係は特別だったのでしょう。いつの頃からか、アニキがどこにいるか分からず方々探すと、ほぼ必ず大友組にいたんです。迎えにいくと
「おう。このグウタレはよう連れて帰らんかい。」
と言われたものです。入院中も見舞いに来た組長は大友親分だけでした。
アニキと出会ったのは…川田組にいた頃です。あまり人に話した事はないのですが、私は義西会の藤田と野球賭博の胴元をしていた事から付き合いがありました。刑務所に入ったらアンコになるから仲良くしとけと言われていました。つまる所、女役ですね。若い頃は中性的だった様で、そういう扱いでした。広島抗争の真っ只中だったので、遠からず誰かの代わりか、鉄砲玉になって刑務所に入っていたでしょう。
そんな頃です。義西会に川田組から賭博のカスリを取るのをやめさせた人がいましてね、それが小沢夏樹でした。私は面識はなかったんですが、知っていました。知らない人はいなかったんじゃないでしょうか。多分、当時の若いヤクザやチンピラは憧れたんじゃないですかね。今でも広島の極道者には憧れられています。今の松永組の若い衆や、憧れた人は同じ様な組み合わせの刺青を彫ってる人も多いと聞きます。
そんな人が突然、組に来て組長に
「野崎弘って若い衆をウチにくれ」
と言い出したんです。今もって理由はわかりません。ですが、確実にその日に私の人生の潮目が変わったんです。
アニキの初めての指示は
「稼がせてやる。俺に従え。逆らうな。」
でしたかね。
今思えば、随分な物言いですね。ですが、本当にそうなりました。倉元の兄さんもアニキの舎弟になって、随分稼いだと聞いています。
今でも自慢ですが松永組の人間で親子じゃなく、舎弟盃を貰っていたのは自分だけでした。小沢夏樹の盃を持っている…それだけで自分たちにも箔がついたくらいです。
そうですね…アニキは自分を影の様にしてくれたんです。海田さんが逮捕の予告をしに来た時、海田さんは人払いを頼んだんです。ですが、アニキは自分を残しました。この日です。大友親分を呼びつけて自分に盃をくれました。嬉しかったです。
では、少しだけ思い出話にお付き合いください。
アニキがテキーラの輸入を初めてしばらく。大使の紹介でソ連の外交官を紹介していただきました。関村の客…と言えば穏やかな紹介ではないことがお察しいただけますかね。
そこで、東南アジアに日本の原付を輸出するという話を始めたんです。
「お初にお目にかかります。クルツコワさん。松永組の小沢夏樹と申します。」
「ブーゲンビリア貿易のクルツコワです。どうぞよろしく。」
「ブーゲンビリア貿易…東南アジアにルートがあると伺っています。」
「タイに支店がありまして。物はなんでしょう?」
「日本は自動車が普及し、原付がだぶつき始めている。その中古の原付を輸出したい。」
「松永組は日本のマフィアだと聞いています。貿易もなさるので?」
「それはお互い様でしょう?」
驚きました。アニキはこの女性、クルツコワという方が同業であると知っていたのです。
「残念ですが少し違います。」
「では、ソビエトで国外に自由に出入りする…役所絡みかな。」
「その目付き、あなたも軍人だったのかしら?」
「いい付き合いが出来そうです。おい野崎。」
「はい。」
「クルツコワさん、この野崎が担当です。どうぞよろしくお願いします。」
「お若いのね。よろしく。」
「よろしく…お願いします。」
こうして顔合わせを終えて、しばらく。原付を買い取り始めて、輸出が始まりました。ある日、アニキが突然、突拍子もなく言い始めました。
「明石組行くぞ。」
「アニキそんな突然行ってええんですか?」
「大丈夫だ。オヤジに頼んで岩井さんに話は通した。」
「はぁ…」
アニキの突発的な行動により、その日の夕方には明石組の本家にいました。応接用のソファーもあったんですが、アニキは床に正座しました。自分もそれに倣いました。
「小沢も急に連絡よこすもんで。オヤジさんは来客あっての、来れんのや。」
「岩井さん、お久しぶりです。今日は明石組…と言うよりオーシャン観光に用があって伺いました。」
「そうや。川手は今来るさかい…ソファーに座ってもらえんか?やりにくうてしゃあないわ。」
「では、失礼します。連れてます野崎もよろしいですか?」
「おう。座り座り。」
「遅れてすんまへん。小沢はん、久しぶりでんな。」
「ご無沙汰してます。クラブやらホテルやらではお世話になっています。」
「小沢はんのとこで卸して貰うとるあのテキーラ。おもろい様に売れてますわ‼︎」
「お役に立てれた様で。今日は川手さんにご相談が。」
「小沢はんの相談でしたら聞きまへんとな。」
「ええ。では色々と…」
アニキがオーシャン観光の川手さんに相談したのは二つでした。
一つは自分の預かっていた野崎経済研究所でホテルが欲しいと言うこと、もう一つはその運営立ち上げに手を貸して欲しいと言うことでした。
「そらまた豪勢な話でんな。用地でも出来たんで?」
「一軒カタに抑えた物件がありましてね。少々内装をいじって、ウチの野崎にやらせたいんです。」
「アニキ、ちょっと待ってください。そがな話…」
「野崎はん、ワシも海千山千やってきましたけどな、小沢はんに認められたら男上げまっせ。」
「そう…ですか。」
「小沢はん乗りましょう。これはワシの専任案件にしますさかい。任しといてくださいな。」
「よろしくお願いします。いや明石組長の言葉にいたく感銘を受けまして。この野崎、松永組預かって最初の舎弟でして。正業持たせたいんです。曲がらねば世は渡れず、正しき者に安らかな眠りを…なんて冗談じゃない。」
「そらオヤジが聞いたらえろう喜びはるわ‼︎」
「だから、いつも言うてるやろ。ワシが推薦してやるんや。ウチのオヤジの盃受けぇな。」
「岩井さん、俺のアニキは松永弘、オヤジは広能昌三。五分、子分、弟分の盃はいいですが、上は持てんのです。明石さんと盃するに自分と五分はもちろん、舎弟なんて論外、子分は口先に乗せるのも烏滸がましい話です。」
「そらオヤジさんが小沢と五分だの舎弟だのになられたらワシらも困るわい。」
そう言って岩井さんと川手さんは大笑いしました。
「なんや。ワシが小沢の舎弟になったらそんなおもろいんか?」
そう言いながら入ってきたのは明石辰男組長でした。そして、岩井さんは目に見えて焦っていました。
「オヤジこれは例え話で、そんなつもりは…」
「冗談や。少し立ち聞きしたんや。すまんの。のう、川手、こう言うことや。損得なしに手伝ったれ。」
こんなことがあって私はホテルのオーナーになりました。信じられますか?
明石組と渡り合う人だったんです。まだお時間がありますね。私が生きてる間、お黙りいただけるなら…一つお話ししましょう。
アニキが亡くなって正直、私はヤクザとして生きようと思っていました。こんな思いをするなら…と。大友親分が会社に来たときは乗っかってやろうと思ってしまいました。
ですが、思い返してみるとアニキは喜びません。そこに至って、諌めようと思いました。
ですが、飲み込めなかった。そこで、仕事で得た伝手で探しました。小沢夏樹の首は言うなれば大金星です。
これが見つからない。事務所に飾ったアニキの遺影を見る度、嫌になったもんです。アニキの見通しの付け方は今でも神技としか思えません。
三回目の盆が明けた頃、噂が出たんです。岩国の飲み屋で「小沢夏樹をやったのは俺だ」と自慢している破落戸がいると。アニキの遺産としている物の内に拳銃が三梃ありました。旧軍の拳銃にブローニング、米軍の45口径です。
45口径を持って岩国に行ったんです。この時はもう短絡的な行動すぎたのが、ある意味で幸運でした。
夜の飲み屋街で、噂の男を見つけました。聞いた通り隻腕の男でした。しばらく同じ店で飲んでいると、気持ち良くなったのか語り始めました。
「ワシはの、墓場まで尾けよったんじゃ。そこで後ろからグサリよ。」
「それがほんまなんじゃったら、あんた今頃こんな所には居らんろうが。」
「そうじゃそうじゃ。そがな話、おもんないで。」
こいつ、本物だ。発表された情報は墓で刺殺だけです。後ろから刺したのを知っているのは本人と…一部の人間だけです。先に店を出て待ち伏せました。初めて拳銃を持って…ヤクザらしい事をしました。
酔った足取りで歩く男を尾け、小道に入ったところで、後ろから撃とうと拳銃に手をかけました。
「動くな。手ぇ上げて膝つかんかい。」
後ろから銃を突きつけられました。そう思ったと言うのが正しいでしょう。経験はないので。
膝を折って、手を上げて後ろを見ました。相手は倉元の兄さんで、手に持っていたのはマジックペンでした。
「倉元の兄さん…」
「おどれ…こがいな事してアニキに恥ずかしいと思わんのかっ。おどれアニキの何見てたんじゃ。」
「でも、そこに仇がおったんです…手が届く所にアニキの仇が…」
「アニキの背中、忘れたんか。アニキの言葉、覚えとらんのけ。恥を知らんかいっ。」
自分は路地裏で死ぬんじゃないかと思うほど殴られ、蹴られました。その後、倉元の兄さんの知り合いの店で手当して貰ったんですが、なぜバレたのか不思議でした。事は簡単です。
「こんながよ、血相変えて行き先も言わんと会社出たっちゅうて社員が連絡よこしたんじゃ。」
「そがな…ワシも未熟でしたの。」
「未熟でもなんでもええわい。もう一遍、アニキの事、思い出さんかい。その物騒なモンどうにかせぇな。ワシは知らんど。」
「すんまへん。」
「汚いと思うがの、大友親分があん男を探しよる。相談してみ。」
翌日、私は大友親分にその男の事を伝えました。
「オジキ、ワシらは手出し出来んですけ、真偽だけでも確かめてつかあさい。」
と言ったと思います。後半は涙と鼻水で聞き取って貰えたのかわかりません。大友親分は手拭いを投げて背を向けてくれました。古風なところのあるいい親分です。シマ内では、今もカタギのみなさんからも人気があると聞きます。地元の名士らしいですね。
後日、大友親分が晴れやかに出歩いてると聞いて…私は大友組の前で頭を下げました。大友親分に殺しを押し付けたのだけは心に残るものがありました。ですが、大友親分はその身を以て我々を救ってくれたんです。
アニキに拾われ、倉元の兄さんに育てて貰い、大友親分に救われて今の自分があります。
いい時間ですね。今日はこの辺で。また機会があればお会いしましょう。