乃依がプリセットアバターのツクヨミご新規さんをプロデュースする話 作:天号
あくる日。
酒寄紅葉は、寝室で我に返っていた。
「やり過ぎた……」
仮想空間絡みの弁護依頼も今後ありうるかもという考えから、その中でも最大規模の仮想空間『ツクヨミ』を見ておこうと思い、ログインしたのだった。
しかしそこで紅葉は、たくさんの人の前で歌って踊ってのパフォーマンスを披露してみせた。そして乃依という少年に、ライバーとしてプロデュースされる事になっているのだ。
「少し調べに行くつもりが、何やってるの!? 私!」
ベッドを抜け出し、そう独り言ちながら、洗面所に向かう。
断ろう。こんな事をするために、ツクヨミに行ったのではない。
そう考えながら、手に掬った水を、勢いよく顔に運ぶのだった。
ツクヨミは今日も賑わいを見せている。
「うわっ!……」
ログイン2日目、もみじは大鳥居でかかるウェイト、ゆっくり引っ張られる感覚になかなか慣れない。その感覚がなくなると同時にもみじはつんのめって……
「……とっと!」
転ぶ寸前、両手で上体を支え、四つん這いの姿勢になった。
浅い水面が揺らめく。それが収まってくると、もみじの顔が見て取れるようになる。
水面に映る自分の顔を見つめるもみじ。酒寄紅葉ではなく、アバターの『もみじ』の顔だ。
その顔は紅葉の心中を写しているのか、苦悩の色を湛えていた。
今日は乃依とプロデュースの話をする日だ。乃依くんは良い返事を待っているのかもしれないが、もみじは断る事に決めていた。
待ち合わせの時間の1時間前にログインしているのは、遅刻しないのが断る者のせめてもの誠意だと考えたからだ。
様々な露店の並ぶ商業区画をぶらぶらする。
露店の賑わいを見ていると、沈んだ気持ちも明るくなってくる。
「あ、昨日の子じゃないか。おーい」
もみじが声のした方を向くと、そこには恰幅が良いおじさんと、ほっそりしたおじさんがふたり並んで歩いていた。
「ああ、昨日の! 昨日はありがとうございました」
「いやいやいいんだよ」
「僕たちは、新しくツクヨミに来た人が困っているのを見ていられないだけさ」
このふたりのおじさん、昨日ログインしたばかりのもみじにポップアップスクリーンの基本的な使い方や、8の付く日にログインすると、ログインふじゅ~が2倍もらえるよといったちょっとしたお得情報を教えてくれたのだ。
「昨日は名乗っていなかったね。僕は詠。えいさんと呼んでね」
「僕は吟。ぎんさんって事で」
「は、はあ」
と答えるもみじ。
「君、もみじちゃんっていうんだね」
「えっ、何で私の名前を? 言いましたっけ?」
もみじの疑問に、
「ああ、僕たち、忠犬オタ公さんのイベントに行ったのさ。そしたらそこで、君が歌っているじゃないか」
「そうそう、すごく楽しそうに歌っていてね。そこで名前も知ったし、僕たちファンになっちゃった」
!!
「あ、ありがとう、ございます……」
こんなにニコニコしているおじさん達に、プロデュースを断るとは言えなかった。
「また歌う時があったら、見に行かせてもらうね」
「それじゃもみじちゃん、またね」
長話はせず去ってゆく詠さんと吟さん、ふたりのおじさん達。
もみじはそれを見送ると、胸に手を当てる。
悪意のない、ファンとしての好意の言葉を向けられて、心に針を刺された気持ちになるのは何でだろう。
乃依くんとプロデュースの話をする時間も近づいている。
もみじは乃依との待ち合わせ場所に向かった。
そこは事務所の応接室みたいな部屋だった。ちゃんとした契約の話だという事を示すために、乃依が一時的に借りたのだろう。
「よく来てくれたね、もみじさん」
「はい、今日はありがとうございます。あの……」
続けてお断りの話を出そうとしたもみじに、
「まあまあ、結論を出す前に、これを見てほしいんだ」
乃依が指でジェスチャーをすると、ポップアップスクリーンが出てくる。現実のような事務所にいても、やはりここはツクヨミなのだ。
スクリーンに映像が出る。3人の少女が歌っている。一人は昨日、ツクヨミに入るときにもみじのアバター作成に付き合ってくれた子だ。ヘアスタイルは変えてあるけど。
「この月見ヤチヨがツクヨミのライバー中でもトップオブトップ。そして、ヤチヨと一緒にパフォーマンスをしている二人、かぐや・いろPっていうんだけど、このレベルまで君を育てたい」
魅力的な歌声、この子がかぐやだろうか。いろPのショルダーキーボードも、様になっている。
「そしてこれが、かぐやの卒業ライブの前日に配信された動画」
スクリーンに次の映像が出る。かぐや・いろPの二人が輪唱をしている。ドドソソララソ、キラキラした有名な曲だ。
そうか、かぐやって子は卒業しちゃったのか。この二人、こんなに仲睦まじい感じなのに。いろPも悲しいだろうな。
ん? いろP? それに……この声……
「あの」
「ん、なあに?」
「この、いろPって……」
「ああ、彼女がかぐやちゃんをプロデュースしてたんだよ。プロデューサーの頭文字のPを取っていろPね。ほんとは彩葉ちゃんって言うんだ」
「彩葉!?!?」
思わず叫ぶもみじ。
「うわっ、びっくりした」
「す、すみません……」
えっ、何? じゃあ彩葉は、このもう一つの世界ともいえるツクヨミで、トップオブトップのヤチヨと肩を並べるレベルまで昇りつめているという事? そしてこの乃依くんは、プロデュースするから私にそのレベルになれと? そんなの無……
「やっぱ無理?」
乃依が覗き込むようにもみじを見つめる。
!!
もみじの脳裏に現実の彩葉の姿が浮かぶ。そして脳内彩葉が口を開く。
『無理は怠け者の言い訳だよ。私は私が出来たことしか言ってないよ』
ガッ!!!!
もみじに超特大ブーメランが突き刺さった。
焦燥。
心臓が早鐘を打つ。
心のカーソルがテンポ120で「断りたい」と「断れない」を行ったり来たりする。
逃げたい!
『私がやり遂げた事から逃げるの?』
脳内彩葉が追い打ちをかけてくる。
逃げられない!
追い詰められている。
娘の成し遂げた事に追い詰められている。
経験した中で一番苦しかった裁判での弁護だって、ここまで追い詰められていない。
そんな、追い詰められたもみじには、
「少し外で考えさせてください!」
と言って、席を立つのがやっとだった。
「私、こんなに情けない大人だったんだ……」
事務所を出て、もみじはツクヨミを当てもなく歩いていた。
「朝久さん、私、どうすればいい?」
ツクヨミにいると、何故か亡き夫を近くに感じる。感じるが故にいない人を頼ってしまう。
『すごいなあ彩葉。ヤチヨとコラボしたんやって? 流石、父さんの自慢の娘や』
思い出の中の朝久は、彩葉の頭を撫でていた。
撫でられたいのは私なのに、私の特等席まで彩葉に取られてしまった。
理性ではおかしな考えをしているとわかっている。しかし今は、感情が先に走り出すのだ。
『彩葉ー、いいこいいこ。楽しいとこに、父さんと行こなー』
「待って、行かないでー!」
もみじの心の叫びは知らず知らずのうちに声に出ていたらしく、
「行かないですよ?」
「!?」
そこにいたのは忠犬オタ公。心配そうにもみじを見つめていた。
「あー、プレッシャーに感じてしまったんですね」
もみじは忠犬オタ公に屋外カフェに案内され、丸いテーブルを囲んでいた。
目の前の抹茶ラテのようなものに口をつける。味もしないし、口の中に流れ込んでくる感覚もない。だから抹茶ラテのようなものだ。
「確かに、かぐや記念は、かぐや・いろPくらい光るライバーのたまごを見つけたくて催したイベントですけど、いきなりかぐや・いろPレベルの即戦力が見つかるとは思ってないですよ」
抹茶ラテをテーブルに置き、もみじは「はあ」と相槌を打つ。
「だから、かぐや記念は第2回、第3回、それ以降も続けていくつもりです。もみじさんのプレッシャーも、これで少しは軽くなりましたか?」
「多分……」
「でも本当なんですか?」
「なにがです?」
「さっき話してくれた事ですよ。いろPがあなたの娘って話です」
忠犬オタ公と名乗る、この犬みたいな人。彼女特有の人懐っこさがあるというか、心の扉を自然と開かれてしまうというか。もみじは自分の家族関係まで話してしまっている事に、自分で少し驚いていた。
「本当です。娘は私の知らない間に、もう一つの世界で立派に成長していて、私はそれを追いかける立場になっていて。娘に言っていた事の手前、逃げる事もできなくて……」
「思考のデッドロックから、心が追い詰められてしまったんですね」
「はい……」
うーんと思案顔の忠犬オタ公だったが、何かを閃いたように目を開けて、もみじの方に身を乗り出す。
「もみじさん、逃げるよりも、ポイントを切り替えましょう!」
「どういう事です?」
「何も、いろPと同じレールを走って追いかける必要はないんです。あなたにはあなたの走る場所がある。そこはレールですらないかもしれないんです」
椅子に座りなおす忠犬オタ公。
「まあ、そうは言っても、今は苦しさが勝ってそうですものね。あなたがどういう選択をしても、私は応援しますよ」
「応援? 私を?」
訊ねるもみじに、
「だって私、もうもみじさんのファンですもの」
忠犬オタ公はそう答えた。
「そんな人きっと、他にもいますよ」
にっこりと笑う忠犬オタ公を見て、もみじは、
「あ……」
さっき会った二人のおじさんを思い出していた。彼らももみじのファンになったと言ってくれていた。
少し心が晴れた。
しかし、もみじの気持ちは再びどんよりしてしまう。
「でも、私現実ではアラフィフの二児の母なのよ。ツクヨミでライバーなんてやれるのかしら?」
「ふふっ」
忠犬オタ公が微笑む。
「実は私、その質問が来るのを待ってました」
「えっ」
「今からもみじさんが安心できるよう、言葉でとどめを刺します。覚悟はいいですか?」
それを聞いたもみじは唾をごくりと飲み込む
「聞こうじゃない。覚悟はできてるわ」
「それでは……」
忠犬オタ公は息を吸い込み、口を開くと、
「年齢?ヤチヨも結構な年齢だって説があるんですよ。その説を補強するように昔のホームページが残ってたりするんですよねー。
立場?ファン数とかの差はあるけど、もみじさんといろPは同じライバーであるという点で対等なんです。現実で親子だからというのはツクヨミでは関係ないです。
でもそんな事より、現実での年齢や立場なんかを一旦取っ払って、生身のもみじさんが来れるところ、それがツクヨミなんです。むき出しの魂が出会う場所というのかな? だから、ここではどれだけ心を動かしたかが重要なんです」
一気にまくし立てた。所謂早口になるオタクというやつである。
「……どうですか?」
「うーん、私はただの私ってこと?」
「その理解で十分です。ただのもみじさんを、ただの私、忠犬オタ公は好きになりました。ファンになりました。トップクラスのいろPを見上げるよりも、今ここにいるただの忠犬オタ公を、もみじさんも見てほしいです」
忠犬オタ公の言葉が、もみじの心の中にじんわりと沁み込んでいった。
「オタ公さん……ありがとう。私、やれそう!」
もみじは目の前の忠犬オタ公の手を握る。
「ま、無理のない程度に。一番大事なのは現実ですから」
忠犬オタ公はもみじに握られた手をシェイクする。
「ふふっ」
「あはは」
「「あははははは!」」
ツクヨミに二人の笑い声が響く。
その後、事務所に戻ったもみじは、乃依のプロデュースを受ける事にした。いろPを追いかけるのではなく、私の道を行きますと伝えて。
「という事があったんだよね。というわけで、この子をブラックオニキスでプロデュースしてみない?」
ここは、ツクヨミの一角にあるブラックオニキスの住まう館。
乃依が帝と雷に、ポップアップスクリーンに映るもみじを見せている。かぐや記念での歌っている様子や、契約した時の雑談などだ。
「ほう、面白そうだな」
雷が一言だけ口を開く。
「いいじゃない。盛り上がってきた」
帝が頷きながら答える。帝は内心、
(やべー、この声、母さんじゃん。あの人も大概ぶっ飛んでるな)
そんな事を考えていたが、今は口に出さなかった。代わりに、
「雷、乃依。俺はこの計画を、もっともっと面白くする方法を思いついた」
と二人に話す。
「なになに、どんな話?」
「聞かせてもらおうか」
雷と乃依の眼差しを受けて、帝はニヤリと笑うと、『面白くする方法』というのを、二人に語り始めた。