一条の白煙が蒼天へと立ち昇っていく。
寺院を囲む森からは、蝉の合唱が響き渡っていた。
かつて幼き頃には、よくあの森で日がな昆虫採集に励んだ記憶がある。
空が朱に染まるまで服を汗と土で汚し、日に焼けすっかり黒くなった肌は所々皮が剥けて桃色の肉をさらけ出していた。本日の成果のかごを腰にぶら下げ、晩飯に思いを馳せながら帰路をたどる。すると、いつも向こう側から、ゆっくりと歩いてくる影があった。
その影と共に家に帰れば、祖母も母も彼の風体にしかめ面で風呂場を指差すのだった。そして、廊下に服を脱ぎ散らかしながら一目散に熱い湯の張った浴槽へと飛び込んでしまい、影には、ちゃんと汗を流せと叱られたものだった。
――
狭い浴槽に二人向かい合いながら、そんなことを問われた覚えがある。
――ちゃんみたいに、おれもこの国をまもれる男になりたいな。
当時は、半分ご機嫌を取るかのような気持ちで、そんなことを軽々しく口にしてしまったのだと思う。だが、無言の後に、皺の寄った手を彼の頭の上に載せ、
――お前なら、なれるさ。
今も忘れぬ優しい眼差しの隅に輝いていたのは、決して汗やお湯などではなかったのだろう。
――ちゃんは、なれなかった。……この国を守りきることが出来なかった。
幼心ながら、語尾が震えていることに気づいた彼は、おかしいと思ったのだ。だって、
――そんなことないよ、だっておれ、今こうして生きてるよ?
――ちゃんが、がんばったから、おれ、今日もたのしかったよ? すげぇんだ、あのクワガタなんて、おれ見たこともない大きさでね、つかまえるのに今日いちんちかかっちゃって。
さっそく風呂から上がったら、父の写真に見せてやるんだと語る彼を、載っかっていた手は乱暴に撫でた。勢い余って湯に顔を突っ込んでしまった彼は、慌てて手を押しのけて顔を上げた。
猛然と抗議しようとした彼の目に映ったのは、深く広い、母なる海のような瞳で。堤防を圧壊した波は年輪を刻み、いぼやシミの浮いた頬を進んでいく。
――ちゃん?
初めて見るその姿に、彼は心配げに手を伸ばしかけ、そうだこれをすれば喜んでもらえるかもしれないと考える。つい先日、蔵で何か面白い物がないかと探検してたときに偶然、昔のお菓子の箱みたいな物を見つけたのだ。そして、その中にあった白黒の写真の数々に映っていた人たちはみんな、このポーズをしていた。きっとあれは、昔はやっていたポーズかなにかで、すごくかっこいいし見よう見まねで覚えたのだ。
これをすれば、元気が出るんじゃないか。
――ねぇねぇ見てこれ!!
右手をまっすぐ右に突き出してから、額につけてみせた彼は、笑ってくれるかなと期待しながら、
――違うっ!!
返ってきた大声に肩を震わせ、戸惑う彼に、
――汚れる手の平を見せるな。肘は横じゃなく、前にしろ!!
そんな修正を命じたのだ。そして直して見せると、背筋を伸ばし、
――上出来だ。水兵の基本、忘れるな。
まったく乱れぬ完璧な動きでお手本を披露した後で、ようやく豪快に笑うのだった。
変わらず、線香の煙は天へと続いていた。
手を合わせ、つぶっていた目を開いた彼は、正面にそびえる墓石を撫でる。日当たりのよいここでは、さぞかし暑いことだろう。向こうでひとっ風呂浴びたら、今日は一杯飲んでくれと一合瓶を供える。出来ることなら、一度だけでいいから飲み交わしてみたかったと思いつつ、
立ち上がり、彼は墓を正面に見据え、
「――今も、忘れてないよ」
きっと見てくれているだろうから。
非の打ち所のない動きで、何千何万回と叩き込まれた海軍式の敬礼を行う。
これならば、きっと褒めてくれるだろう。
「爺ちゃん、この国を守りに、行って参ります」
これで心残りはない。最後の挨拶は終えた。
彼は『本郷家之墓』と刻まれた墓に背を向け、彼は白と黒の軍帽をかぶる。足下に置いた鞄を掴み、彼は墓地から出ると、
海へと続く長い坂道を下っていく。
燦々と照りつける太陽に目を細め、懐から取り出した紙を掲げ、陽を遮りながら。
――彼の手に収まる紙にはこう書かれている。
辞令 帝国海軍 特務少佐
八月十五日付ヲ以テ、帝国海軍横須賀鎮守府ニテ特殊任務ニ就クコトヲ命ス。
署名 海軍大臣 服部玄武
帝国海軍 横須賀鎮守府司令長官 邦枝善正
――かつて、生命は海より誕生したという。
ならば、
“
今を遡ること十年前。
彼らは突如、海の底より姿を現わし、世界中を航海する船のことごとくを襲撃し始めた。のみならず、その乗員達をも捕食し出したのである。
各国が衝撃に包まれる中、彼らは瞬く間に
地球上の海を支配に置いた彼らは、やがてその矛先を陸の上へと向け始めた。驚くべき事に、強襲揚陸部隊を送り込み始めたのだ。
国家間を結ぶ手立てをなくし、鎖国同然の状態へと追い込まれた国々は現在でも、瀬戸際で必死の抵抗を続けている。
彼方へと続く、水平線に暁は、
いまだ昇らない。
【あとがき】
アニメ一話を見て、OPの海色を聞いていたら、脳内でこんなんが流れました。一気呵成に書き上げた結果がこれだよ!
艦娘出てねーじゃん! いやでも、なんかすげぇ物語の始まる感あるのが書きたくなってしまったのです;;
単発なので、つづきまてん。