『交換文学』を長門に見せて数日後の昨日、僕は通院のため部室には行かなかった。
─月一の経過観察、いつになったら終わるのかな?
──先生が銘の精神的安定を診断するまで?
─もうずっと安定してるのに……。
──判断基準はわからないけど、きっと半年じゃ足りないんでしょうね。
─めんどくさいな。これから目を離せない場面も出てくるかもしれないのに……。
──描写されない時間だってあるから、タイミングはある程度コントロールできるよ。
5月はあえて描写されている時間にしてるしね。
でも、終わりが見えないのは不安かも。
「長門、昨日はいつもと変わりはあった?」
「仮入部者が来た」
─コントロールは?
──4月は明確な時期が描写されてなかったの。
春休みに済ませられてたら理想だったんだけど……。
─先生の予定が空いてなかったね。
「今日は来ないのかな?」
「退部した」
「早くない?」
長門には入部即退部のスピード感がわからないのか、この質問に対しては沈黙が返ってきた。
「その子の名前は?」
「涼宮ハルヒ」
──残念、仮入部の涼宮ハルヒには会えず仕舞いだ。
─じゃあ5月まで会う機会はないのかな?
──昼休みの巡回中に見かける可能性はあるかも。
─この調子だとすれ違いそうじゃない?
──毎日校舎を余さず見て回ってるから、私たちが見かけられなくても彼女の方で一度くらいは見かけるんじゃないかな?多分。
─未来を作るのって難しいね……。
長門は読書の姿勢に戻っている。
でも、僕たちは文芸部としての活動ではない話をする予定だ。
──難しくても、私たちはできることをするだけだよ。
─じゃあ、予定通り代わる?
──うん。お願い。
「長門さん。話したいことがあるんだけどいいかな?
涼宮ハルヒと私たち、それに情報統合思念体について」
眼鏡越しのガラス玉がこちらを向いた。
「できれば他の人の邪魔が入らない所がいいな」
長門は本を閉じ、虚空を見つめた。
「この教室とその他の教室、及び廊下との物理接続一時封鎖を許可申請。空間を隔離した」
空気ががらりと変わる。
遠くで吹奏楽部が練習する音や外の運動部の足音、近くの教室からの話声も全て立ち消えていた。
─すごい、うっすら聞こえてた他の教室の音が聞こえなくなってる。
──長門さんの宇宙人的情報の書き換えの力だよ。
でも、予定がちょっと狂うかも。
─長門の家に行く予定だったもんね……。
「てっきりこの教室はそういうのができないかと思ってた」
「今はわたしの情報統制下にある」
「なるほど、まだみんな集合してないから異空間化してないんだね」
──朝倉涼子への接触方法はまたあとで考えましょう。
─こっそり手紙をポストに入れるのは中止?
──その決断はまだ。
家の位置を知る機会を別に作るか、他の方法を考えるかは長門さんとの話の後にしてもいい?
─了解。今は見守ってるね。
私は長門の目の前にパイプ椅子を置いて一息ついた。
「人払してくれてありがとう。私の事は知ってるかな?
今年の七夕と3年前に同期した長門さんならわかると思っているんだけど」
「わたしは初めて」
「そっか、そうだよね」
──同期データには私も含まれてそうかな?
─多分?僕とおねえちゃんを区別してるように聞こえるよ。
──じゃあ、やっぱり私たちも物語に組み込まれていそうだね。
─僕からしたら、直接説明したわけでもないのに長門がおねえちゃんを知ってるのは不思議だ。
──長門さんはある程度の未来と接続してる。
情報統合思念体にとって時間の概念はあんまりないんだよ。
私は鞄から長机にメモ帳を出して、右手で名前を書いて見せる。
「はじめまして。私は真倉茗。銘の──『僕』の内側で語りかけるもう一つの人格。
私たちは一つの身体に二つの人格がある状態。診断名は解離性同一性障害」
一旦銘に身体の主導権を返して、『真倉茗』の下に『枕木銘』と左手で書く。
均一で綺麗な筆致の下に、筆圧が薄くて角ばった字が並んだ。
「左利きが僕で、右利きが私。3年前の交通事故の後、私は銘の身体に憑依した。
私にはこの世界を本で読んだ記憶があるけど、銘にはない。
『涼宮ハルヒシリーズ』と呼ばれる一連の作品を知っているのは私だけ。
情報統合思念体について、長門さんの口から銘に説明してもらってもいい?」
─僕たちの概要って5行でまとまるんだね。
──まとめたもの。
長門はゆっくり口を開いた。
「情報統合思念体はこの銀河を統括する情報生命体である。
彼らは宇宙開闢とほぼ同時に存在し、膨張と拡大を繰り返す宇宙と共に進化してきた。
全宇宙の情報を取り込み発展してきた彼らは、この星のいかなる光学的な手段をもってしても観測することはできない。
彼らは情報生命体であり、実体を持たない。
実体のない彼らには言語がない。
しかし、この星の有機生命体に興味を持った彼らはコミュニケートを望んだ。
直接的なコミュニケートができない彼らは、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースを造った。
それが、わたし」
「宇宙人そのものではなく、宇宙人に造られた人工物なんだ」
これは僕としての発言だ。
長門はいつも通りうっすら頷いて、話を続ける。
「当初、銀河の辺境に位置するこの太陽系の第三惑星には特別な価値はなかった。
有機生命体は他の惑星でも数限りなく発生していたから。
現住生命体が地球と呼称するこの酸素型惑星の二足歩行動物に知性が芽生え始めた頃から、その価値は変わった。
情報の集積と伝達速度に絶対的な限界がある有機生命体に高次の知性が発現する例は他になく、地球人類が唯一だった。
情報統合思念体はそこに自らが陥っている自律進化の閉塞状態を打開する可能性を見出した。
ゆえに情報統合思念体は、人類にカテゴライズされる有機生命体を注意深く観測する事にした」
「その自律進化の閉塞状態っていうのは、自らの力で新たな情報の生成ができなくなったという事で合ってるかな?」
「そう」
─おねえちゃんの言う通り、何かが生み出されることに興味を持っているんだね。
『交換文学』の感想はかなり圧縮された言葉だったのかな?
──たしかに。情報統合思念体にとって”興味深い”っていうのは重みのある言葉なのかもね。
やっぱりあの作品を見せて正解だった。
─僕たちにとっては経験を脚色しただけの作品なのにね。
──銘の力作でしょ?
─それはそう。
「状況がより変化したのは3年前。この惑星で他では類を見ない異常な情報フレアを観測した。
弓状列島の一地域から爆発的に拡散したその情報フレアの中心にいたのが涼宮ハルヒ。
我々は彼女の調査に尽力したが、情報生命体である彼らにも分析は不可能で、意味を為さない単なるジャンク情報としか思えなかった。
ただし、有機生命体の枠では収まらないはずの情報の奔流を生み出しているのが彼女という事実は変わらない。
彼女は今でもランダムに、そして無自覚に情報の奔流を生み出し続けている。
情報統合思念体の一部は自律進化の可能性のきっかけになりうる彼女を最重要観測対象とし、調査と解析を行っている。
それが、わたしがここにいる理由。
わたしの仕事は、涼宮ハルヒの観測をして入手した情報を情報統合思念体に報告する事」
「3年前、それはきっと僕が事故に遭っておねえちゃん─『私』と出会うのと同時期だろうね」
長門の眼鏡に窓からの光が反射して僕たちを射抜いた。
「もう一つの仕事はあなた方を観測する事」
「僕たちを……?」
──これは予想してなかった。
─長門が文芸部に入ったのは、涼宮ハルヒとSOS団結成の因果のためだけじゃなかったって事?
──そうみたい?
「我々が枕木銘に興味を持ったのは1年前、枕木銘がこの高校に入学してから。
枕木銘の肉体は100%この星の人類と称される普通の有機生命体であるが、内包する情報は普通の人類より欠けていた。
構成情報が欠けていれば、この星の有機生命体は活動できない。
リソース不足により何らかのエラーを引き起こし、やがて機能停止をするのが通常である。
しかし、この1年の観測ログでは構成情報の欠損によるエラーは見受けられず、表面上は普遍的な人類と齟齬なく活動しているように見えた。
我々は欠損を観測できない何らかの情報が補っているのではないかと推測した。
普遍的な人類の構成情報を実数1とすれば、枕木銘は小数点以下の値である。
その値は波のように不規則に変動していた。
本来きっかけがなければ変わらない構成情報の値の変動の理由は今わかった」
「脳内会話かな」
長門の口がいったん止まった。
僕は慌てて説明をする。
「僕たちはいつも声には出さずに頭の中で会話してる。
その事を”脳内会話”って呼んでるんだ」
長門はなるほど、と言うように頷いたように見えた。
「もう一つの人格という要素が欠けている枕木銘の情報を補正していると思われる。
枕木銘の構成情報と真倉茗の外部情報の比率は交信状態によってリアルタイムに変調している。
今まで枕木銘の値は0.5を下回る事はなかったが、真倉茗が表層にいる間、枕木銘を示す値が0.5を下回り、端数が見えなくなった。
それは真倉茗の情報を我々が観測できない影響と推測される。
真倉茗は我々よりも外側から観測した情報を知る、情報思念体に近しい存在にも思えるが、我々のデータベースに存在せず解析できない。
そもそも我々の位相とは異なるため、干渉できる術がない」
─二重人格ってお互いが対等だと思ってた。
──私は基本的に表に出ていない。だから表層に見える情報は銘の方に偏りがちなんだと思う。
でも今回の話の論点はそこじゃない。
解析不能のデータが銘を補正してるのが問題。
「解析できない……、涼宮ハルヒの類似体なの?」
僕の疑問に長門は即答する。
「違う。涼宮ハルヒは情報の奔流を生み出す存在。
おそらく自分の都合の良いように環境情報を操作することもできる。
分析は現時点でできていないが、ノイズなどの情報収集は可能」
「涼宮ハルヒはあくまでブラックボックスの情報の発生源。
この宇宙の範疇にあるから情報の閲覧は可能で、分析不能な部分もあるという事?」
今度は私が確認した。
「そういう事になる。
真倉茗は情報の閲覧が不可能。
我々の宇宙の原理では、情報伝達の論理が全く異なる真倉茗を直接知覚できない。
この世界を本として読んだという点から高次元存在と考えることも可能だが、地続きの存在とするには説明がつかない隔たりが存在する」
──情報統合思念体の外側、天蓋領域のような扱いになるかと思ったけどそれは杞憂だったかも。
─宇宙人って他にもいるの?
──私が知る限りではそう。そちらが出てくるのはだいぶ先だから、今は考えなくて大丈夫。
「高次元存在に近いのは否定しない。
世界を本として読んだという事は、世界の外側からこの世界を閲覧した状態とも言えるから」
私の発言の後、長門は少しの沈黙してから言葉を紡ぎ出す。
「根本的な概念の相違がある。
事象の地平面による断絶と言ってもいいだろう。
真に外側だとすれば、我々にも外側にあると認識はできるはずである。
真倉茗はこの宇宙の延長線上に存在しない。
真倉茗は枕木銘の中にいるかもしれないが、実像はそこにない。
我々が推定できるのは、存在しないはずのデータによる欠損情報の流動的補正値である」
─おねえちゃんがいないことばかり強調されてる。
「僕とはこんなに意思疎通してるのに」
「それが不可解」
長門はまた言語化に詰まっているか、あるいは本体と接続しているのか、間をおいて話し始めた。
「情報統合思念体が直接人類と交信できないように、あなた方の規格も互換性がないはずである。
本来、位相の違う互換性のない情報同士の接触は規格が違いすぎるために、波動関数の確率論的収束にしたがい情報的優位を持つ存在が劣位情報を上書きする。
または、データの破損、あるいはノイズなどの拒絶反応を引き起こし、正常な状態を保てない。
枕木銘の構成情報は欠損しているが、それは3年前の事故に起因するものであり、拒絶反応とは関係ない。
あなた方はノイズを生じさせることもなく、真倉茗が枕木銘の欠損情報を隙間なく補う形でその存在を確立し続けている。
思索だけの共生ではなく、有機的肉体の操作までも共有している例は他で類を見ない。
この調和による共生は不条理で異質なものである。
我々はあなた方を循環補完型異次元共生体と仮称し、その生態を観測する事にした」
─僕とおねえちゃんの共生状態は珍しいから観察していたいって事?
──ものすごくざっくり言うとそうなるね。
─おねえちゃんを訳が分からない存在しないもののように扱われて複雑な気分だ。
──存在しないはずの者であるのは私の認識と変わらないよ。
─おねえちゃんはここにいるのに。
──その因果を成立させるために、今こうして長門さんと話をしているんだよ。
「第一優先は涼宮ハルヒで、最重要観測対象の近くに偶々いた興味深い存在も観測する事にしたのかな?」
「あなた方も重要観測対象」
─軽い興味ではないのかな?
──そうだね。ついでくらいのものではないみたい。
「この惑星の人間と称される有機生命体は、急速な発展を遂げ、情報を創造し、加工し、蓄積する存在であり、我々の興味の対象であった。
それと接続する未知の情報体は、情報の奔流を生み出す涼宮ハルヒには及ばないが、自律進化の可能性を秘めている。
事象の地平面を超えれば、閉塞状態の打開に繋がるかもしれない。
我々は未知への探求を行う」
─事象の地平面って何?
──宇宙の外側から地球まで光は届かない、観測可能な宇宙の限界というような概念だったはず。
─なるほど、情報伝達の隔たりの話だね。
長門とその上の情報統合思念体はとにかく知りたがりなんだね。
観測されている身と知るとちょっと気恥ずかしさもあるな。
──同じ場所にいたら観測されているのと同義。
恥ずかしさはあっても、長門さんとの関係性はきっとそんなに変わらないんじゃないかな?
─そうだといいね。
「私自身にはまだ未知なる者と言うほどの実感はないけど、その好奇心と情報の集積の意義は何となくわかったよ」
「僕も。おねえちゃんからざっくりとは説明されてたけど、やっぱりこういう話は本人の口から話されるのがいいね。
実感が湧くから」
僕たちは同じ身体で違う言葉を紡ぎ合う。
「じゃあ、今度は私から話しましょう。私から見た涼宮ハルヒについて」
長門は顔色を変えず、そのまま佇んでいる。
「私は涼宮ハルヒの名前を冠する一連の作品を読んだことがある。
その名の通り、涼宮ハルヒを中心に様々な出来事が起こり、時に波乱を巻き起こしながら日常が続いていく物語。
涼宮ハルヒに始まり、涼宮ハルヒに終わる。
その物語の語り部は涼宮ハルヒではなく、あなた方が”鍵”と称する彼だった。
……まだ称してないかな。まだ出会ってないから」
「わたしは会った」
─時系列ごっちゃになりそう。
──実際ごちゃごちゃだよ。原作の刊行も時系列順じゃないからなおさら。
「そうだよね、今も凍結中だし。じゃあこの場においては彼の事を”鍵”としよう」
──彼は今、3年前の七夕から現在に戻る過程で色々あって長門さんの家で時間を凍結されてる。
─タイムスリップってそんな方法で帰ってくるの?
──この初回限定だよ。その話はまたいずれすることにしよう。
「私は銘が交通事故に遭ってから、銘の中で曖昧な意識でぼんやりしていた。
その意識がしっかり目覚めたのは3年前の七夕、涼宮ハルヒの地上絵が書かれてから。
その日の晩、銘が寝ている間に目を覚ました私は外に出て、地上絵を目撃した。
自分が異世界人だとはっきり自覚したのはそのあと、”鍵”と接触したのがきっかけ。
自分が動かしている肉体が別人のものと知ったのもその時。
銘と会話し始めたのもそれからだけど、当時は筆談しかできなかった」
「さっき長門は欠損状態ではいずれ機能停止するって言ってたけど、まさしくその通りで、僕は怪我と両親を失ったショックでまともな行動ができなくなっていた。
おねえちゃんが話しかけてくれたから、僕は不自由な左手でその言葉に応えようとした。
リハビリをがんばったからか、いつしか僕たちは脳内で会話できるようになっていた」
「情報統合思念体が私たちに興味を持ったのが去年なのは、状態が安定してきていたからかな?
医者から剣道部に所属してもいいと許可が出るくらいの快復は高校入学くらいの時期だった」
「そうでもある。
入学時のあなた方に接近した別の端末が、わたしの同期データと一致する例を発見した」
「喜緑江美里かな?」
長門は無言を貫いた。
私はくすりと笑って言った。
「きっとその端末について語るのは少し先の事なんだろうね」
─誰?
──長門さんと派閥違いの宇宙人。7月になれば会えるよ。
─結構先だね。
僕はわざとらしく咳払いをした。
「話を戻そう。
紆余曲折あって、僕は剣道部を辞めて去年の文化祭から文芸部に入部した。
その文芸部は本来翌年度には誰も残らない予定の廃部寸前の部活。
変な時期に入部した後輩を、先輩たちはかわいがってくれてたよ。
そのおかげで『交換文学』が書けた。
筆談に始まった僕たちが筆を取って物語を書くのって、すごいロマンがあると思うんだ」
─長門ってロマンはわかるのかな?
──まだ学習中じゃないかな?いずれわかるときが来るかもしれない。
─なんかいいね、そういうの。
「私は日々の必死さで考えていなかったSOS団とこの世界の事を、ようやく考えるようになった。
私たちの目的は”自分たちの物語の成立”。
3年前の”鍵”との出会いだって、自分自身だけでは遂行できない。
私はみんなの事を知っているけど、私たちの未来はわからないんだ。
組織でもないから、涼宮ハルヒに壮大な目的も抱いていない。
私たちは私たちであるために、既知の情報をもとに動く。
この目的に沿う限り、私たちは情報統合思念体にも協力するよ」
僕たちは立ちあがり、長門に右手を差し出した。
「これからもよろしく」
長門は手を見つめている。
「人間的友好を示す握手だよ。右手同士を握るんだ」
一拍置いて出された右手が僕の指に掠った。
─E.T.かな?
──笑わせないで。たしかに地球外生命体との接触ではあるけど。
「よろしく」
長門の手を引いて、握って手放す。
動かない長門と、肩を震わせる僕たち。
長門が物理接続封鎖を解いた瞬間、下校時間が訪れた。
普通人と異世界人の計算=実数1は劇場を読む前に考えていたのですが、原作に似たような話が出てきて気が合うな、と思いました。
専攻してないので宇宙的論理や数学は素人知識です。
この作品において特有の独自解釈という事にさせてください。