たが、その体にはすでに泥棒猫たちの匂いがそれを嗅ぎ取ってしまい嫉妬心を爆発させた火伊那は・・・
なお話
対人戦闘訓練という激動の一日を終え、俺は夕暮れの新居へと帰ってきた。
広い玄関で靴を脱ぐと、ポケットの中のスマホがブブッと震える。画面を開くと、火伊那からのメールが届いていた。
『今日は仕事が早く片付いたから、家に帰れるわ』
「本当か!」
火伊那が家に帰ってくるのは、実に一ヶ月ぶりのことだ。多忙なヒーロー活動で滅多に家に帰ってこない彼女の帰宅は、素直に嬉しい。
俺は腕を捲り上げると、さっそく台所へと向かった。お手伝いさんたちには「今夜は俺が作りますから」と下がってもらい、まだ夜は冷える事が多い故体の芯から温まるであろう料理――クリームシチューの調理にとりかかった。
前世の長い独身生活と、今世で留守がちな母を待つ間に培った自炊スキルを遺憾なく発揮し野菜と肉を丁寧に炒め、じっくりと煮込んでいく。
香ばしく甘い香りがリビングいっぱいに広がり、ちょうどシチューが出来上がったその時――重厚な玄関のドアが開く音がした。
「ただいま、緋色」
「あ、おかえりなさい!母さ――じゃなくて、火伊那」
ひどく疲弊した、しかし愛おしい人の元へ帰ってきた安堵の混ざる声。
玄関からの声に振り返り、うっかり『母さん』と呼びかけてしまって大慌てで『火伊那』と言い直す。
火伊那は小さい頃から俺に『母さん』と呼ばれるのを極端に嫌がり、『火伊那』と名前で呼ばせることにこだわっていた。
「ふふ、よく出来ました」
スーツ姿のまま長旅の疲労を滲ませている火伊那だったが、俺の顔を見るなりその美しい顔立ちにどこか妖艶な笑みを浮かべた。
ダイニングテーブルに付き、久しぶりの親子二人での食事が始まる。
「美味しいわ、緋色。やっぱりあなたの作るシチューが一番ね」
「良かった。久しぶりだから張り切って作ったんだ」
火伊那は嬉しそうにシチューを口に運んでいたが、その目元には隠しきれない疲労の色が残っていた。
俺は学校での出来事――A組での賑やかな日常や、今日行われた対人戦闘訓練の話を話したくてウズウズしていたが、疲れている彼女を見て踏みとどまった。
(おかん、やっぱり相当疲れてるな……学校の話は、また次の機会にした方がいいか)
それに、理由はもう一つある。
火伊那は何故か、俺の幼馴染や友人である三奈ちゃん、梅雨ちゃん、お茶子ちゃん、障子君、そして波動先輩の五人を極端に嫌っているからだ。
理由はさっぱり分からない。だが彼らの名前を口に出すだけで火伊那の機嫌が目に見えて悪くなるため、昔から彼らの話題は火伊那の前では禁忌に近かった。
だが、シチューを一口運んだ火伊那の方から静かに問いかけてきた。
「……ねえ、緋色」
「ん?なに、火伊那」
「雄英での学校生活はどう?楽しくやれているかしら」
シチューの皿を置き、火伊那が静かに尋ねてきた。
余計な心配をかけまいと、俺は努めて明るく答える。
「おう、絶好調だよ!クラスメイトも良いやつばかりだしさ!」
「そう……ならいいのだけど」
火伊那は呟くと、スッと立ち上がり俺の隣まで歩いてきた。
何事かと思う間もなく、彼女は俺の肩に手を置き、顔を至近距離まで近づけてきた。そしてあろうことか、俺の首筋にツッと顔を近づけ、クンクンと匂いを嗅ぎ始めてきた。
(えっ……犬かな?俺、なんか臭うか……?)
内心で冷や汗を流していると、火伊那がふっと顔を離した。その瞳からは、先ほどまでの穏やかさが完全に消失していた。
「……女の匂い。それと……あの男の匂いがするわね」
「えっ!?」
「……ねえ、緋色。あなた今日、あのピンクの小娘と、蛙の娘、丸顔……それに、あの不気味な多腕のガキ……あいつらと会ったでしょう」
一瞬で言い当てられ、俺は背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。
だが隠す理由もないため、素直に頷く。
「あ、ああ……実はさ、奇跡的に皆同じクラスになったんだよ。驚いた?」
「…………」
ピキリと、火伊那の周囲の空気が急速に凍りついた。
火伊那の目のハイライトが消失し、ドス黒い底なしの執着の炎がその瞳の奥で揺らめく。
(あの泥棒猫ども……私の目を盗んで、私の緋色と同じクラスに潜り込むなんて。あの子たちは私と同じ――なにを犠牲にしてでも緋色を手に入れたいと思っている狂った人間……女の勘で分かってたのよ。私の緋色にこれ以上変な毒を仕込まれる前に、いっそ私が)
「火伊那……大丈夫?疲れてるならもうちょい消化の良いのも準備してるけど……」
「……何でもないわ。シチュー、おかわりちょうだい」
「う、うん。いっぱいあるから、たくさん食べてよ」
鍋からシチューを追加でよそうと、火伊那はそれを受け取りながら酷く冷淡で、しかし逃げ道を塞ぐような瞳を俺へ向ける。
「それで緋色……さっきの続きを話してもらいましょうか。入学式から今日まで、何があったのか……お母さんに全部、一言一句残さず話しなさい」
その瞬間、背中にドッと冷や汗が流れた。
目の前にいるのは、日本のトップヒーローの一人。その彼女から放たれる有形無形のプレッシャーは尋常ではなく、まるで
「あ、いや……本当に大したことじゃないんだよ?」
喉を鳴らしながら、記憶を掘り起こして語り始めた。
初日に三奈ちゃんに不意打ちで目隠しされた事や、入学式すっぽかして個性を使った身体測定が担任の一存で強行された事。放課後、波動先輩たちと一緒にクラスメイトに個性の説明をして、模擬戦をした事。今日の対人戦闘訓練で障子君とペアを組み、見事な連携―実際は障子君の単独突入だったが―で勝利した事をかいつまんで話した。
話を進めるごとに、火伊那の周囲の空気が目に見えて凍りついていき、シチューの湯気すら寒気で消え失せそうと錯覚するほどだった。
「……なるほど。それで、対戦相手は誰だったの?」
「えっと、尾白君と葉隠さんっていう男女のペア。葉隠さんは『透明化』の個性を持っていて、どこにいるか全く分からなくてさ。作戦のために障子君が先に部屋に突入して、一瞬で組み伏せてくれたから良かったけど……」
そう言った瞬間、火伊那のフォークを持つ手がピキリと止まった。
彼女の脳裏に、長年の裏社会での経験とプロヒーローとしての卓越した状況分析能力による『答え』が瞬時に弾き出される。
(透明の個性……そんな隠密特化のガキが戦闘訓練という実戦の場で、その特性を最大限に活かそうとしたらどうする――衣服を全て脱ぎ捨てるに決まっている)
「……売女が」
「え?」
「何でもないわ」
火伊那は内心で、障子たちと同様に葉隠透を激しく罵倒していた。
(透明なのを良い事に、全裸で私の緋色と同じ空間にいたなんて……万が一にでもその破廉恥な姿が緋色の目に留まるようなことがあれば、その場で射殺してやるところだったわ。あの多腕のガキが先に処理したことだけは、褒めてあげても良いけど……)
ドス黒い独占欲をシチューと共に飲み込み、火伊那は不敵な笑みを浮かべる。
その胸中で黒くドロドロとした殺意が渦巻いていることに、俺はまだ気づけなかった。
◇◇◇◇
食後、片付けを終えた俺は火伊那のただならぬ気配から逃げるように、そして疲れた体を癒やすために浴槽に浸かっていた。
「はぁ〜……焦った。やっぱり母さんに皆の話は禁句だな……」
熱めのお湯に浸かり、今日の激動の疲れを癒やす。
だが、そんな安息の時間も長くは続かなかった。
「ふぅ……私も入るわね」
「ぶふっ!?げほっ、ごほっ……!?」
浴室のドアが開き、振り返った俺は驚きのあまり湯船で盛大に溺れかけた。
そこに立っていたのは――タオル1枚すら身に纏っていない、全裸の火伊那だった。No.7ヒーローとして―そして暗殺者として―無駄のない、しかし出るところが出た豊かな肢体と白磁のような肌が、湯気の中に露わになっている。
「な、何してんの母さん!? 入ってくる時はノックしてくれよ!」
「……火伊那だ」
堂々とその美しくしなやかな肢体を晒しながら、火伊那はぷくーっと不満げに頬を膨らませる。ぷいっとそっぽを向くと何事もないかのように洗い場を通り過ぎ、俺が入っている浴槽へと躊躇なく入ってきた。
「いや、火伊那!裸で入って来られたら困るって! 俺、もう上がるから!」
「だーめ。まだ充分温まってないでしょう……大人しくしていなさい」
立ち上がろうとした俺の腕を、火伊那がグイと強い力で引っ張り戻す。プロヒーローである彼女の腕力には抗えず、俺は再び湯船へと沈められた。
「……こうして、二人で温まるの。私の汚れを……緋色、あなたが全部綺麗にして……」
火伊那は俺の背中に密着し、その豊かな胸を押し付けながらうっとりと抱きついてきた。
「わ、分かった! 分かったから抱きつかないで!」
火伊那のあまりの暴挙と、背中に伝わる柔らかい感触にドクドクと心臓が破裂しそうなほど脈打つ。
(落ち着け自分! 中身は前世も含めて50間際のおっさんだ! 相手は義理とはいえ母親だぞ! 邪念を捨てろ、南無阿弥陀仏……!)
俺は心の中で必死に念仏を唱えながら、火伊那が満足するのを待つしかなかった。
◇◇◇◇
風呂場での一悶着を命からがら乗り越え、自室のベッドへ潜り込んだ俺はようやく訪れた安らぎに深く息を吐いた。
「はぁ……今日は本当に疲れた。早く寝よう……」
電気を消し、掛け布団を頭まで被り、目を閉じる。だが数分もしないうちに、部屋のドアが静かに開く音がした。
足音もなく近づいてきた影は、俺が目を開けるより先に掛け布団を躊躇なくめくると、そのまま背中から身体に腕を這わせる。
驚いて起き上がろうとした瞬間、背後から強力な腕が俺の身体を固く抱きしめた。
「火伊那!? なんで俺のベッドに……!」
慌てて身を剥がそうと、ベッドの上で藻掻き抵抗するが、火伊那の細い腕はプロヒーローとしての驚異的な身体能力のまま俺の胴体をがっちりとホールドした。
「暴れないで、緋色……久しぶりの親子水入らずの時間なんだから、お母さんに息子成分を補充させなさい」
「補充って何だよ!もう俺も高校生なんだから、こういうのは流石にまずいって!」
必死に逃れようと身体をよじるが、俺が藻掻けば藻掻くほど火伊那が抱きしめる腕の力は強まり、背中越しに押し付けられる「柔らかい女の象徴」の感触が容赦なく脳髄を揺さぶってきた。
(落ち着け……鎮まれ俺の煩悩……!俺は前世も合わせればもう50歳近いんだぞ! 相手は義理とはいえ、自分を育ててくれた母親だ!邪念を捨てろ!心を無にして…)
必死に理性を保とうと念仏を唱える。しかし火伊那の執着は、そんなささやかな抵抗など木端微塵に打ち砕くものだった。
突如、視界が火伊那の手によって覆われ完全に目隠しされる。
「え? 火伊那……んむっ!?」
言葉を紡ごうとした唇が、強引に塞がれた。
慌てて引き剥がそうとするが、頭の後ろを固定され、身動きが取れない。そればかりか、塞がれた唇の隙間から熱く濡れた肉塊が滑り込むようにして入り込んできた。
「ん……ッ、ふ……ぁ……っ♡」
何が起きたのか理解する間もなかった。
火伊那の舌が、俺の口内を蹂躙するように隅々まで深く、濃厚に舐めまわしていく。
母親が息子に向けるそれではない、完全に一人の狂った女としてのあまりにも深いディープキス。
息ができないほどの熱量と、火伊那の甘く熟した香りと体温が頭を殴られたように脳を痺れさせる。
さらに、火伊那は密かに口の中に仕込んでいた睡眠効果のある特殊な錠剤をその口づけと共に流し込んだ。
激しい口づけが離れた時には目はトロンと虚ろになり、薬の効果によって抗うことのできない猛烈な眠気がに襲われていた。
「か……いな、お前……なに……を……」
掠れた声を最後に、俺は深い眠りの底へと強制的に突き落とされ、完全に意識を失う。
「おやすみなさい、私の可愛い緋色……」
◇◇◇◇
静まり返った暗闇の部屋。火伊那は完全に眠った緋色の寝顔を、ハイライトの消えた底なしの愛で狂った瞳で見つめていた。
彼女の脳裏に、過去の記憶が蘇る。
公安の暗殺者として表に出せない汚れ仕事を押し付けられ、他人の命を奪い続ける日々。
自分の心が完全に摩耗し、壊れかけていたあの雨の日。橋の下に捨てられ、生きるために必死に泣き叫んでいたこの赤ん坊を気まぐれに拾い上げた。
それが、緋色との出会いだった。
温かかった。抱き上げた赤子の小さな手で自分の指を握り返してきたその温もりだけが、彼女の壊れかけた心を繋ぎ止めてくれた。
あの日から、この子は私の世界のすべてになった。
この子のために生きる。
その誓いはやがて――6歳の頃、この子が他の人間に向ける笑顔を見た瞬間、母親としての愛を踏み越え一人の
「あなたは、私だけのもの……誰にも、指一本触れさせない」
火伊那はうっとりとした表情で呟きながら、毛布の中で眠る緋色の鼠径部へその細く白い指先を、そっと這わせるように伸ばしていった。
誰にも渡さないという誓いを胸に、一人の愛に狂った女が暗闇の中で愛しい存在を時間の許す限り、どこまでも深く取りこぼすことがないよう貪り続けるのだった。