願いの物語シリーズ【河合風香】 作:とーふ@毎日なんか書いてる
調理モニターを見ながら、私はそろそろかと目を細める。
他の人の作業を見ている間も、話している間も、常に視界には入っていた。
見ているだけで分かる。私なんかではその足元に触れる事すら出来ないくらい遥か高みにいる人の技術。
無論全てを見せている訳ではないだろう。無いだろうが、その一つ一つが洗練され、今日という日まで高められている事がよく分かった。
今年で確か67歳。
前に師匠を含めて三人で話した事があったけど、確か16歳の時から修行してるって言ってたから、約50年か。
長いな。
本当に長い。
私なんてまだ十年も修行してない。素人が片足踏み出した程度のものだ。
天才だなんだともてはやされても、所詮は何も知らない人の戯言だとよく分かる。
こんな凄い人たちと比べて、何が天才か。何処が神の領域か。
笑わせてくれる。
でも……そう。十年だ。
私にとってはたったの十年でも、師匠たちにとってこれから先にある十年は重い。
師匠の背中を追うべきか。有川さんの背中を追うべきか。
その、どちらの道を選ぶのが正しいのか。私には分からない。
……。
そうか。
きっとあの頃の君もこんな気持ちだったのかもしれないね。
立花君。
私とは違うけど、東雲先輩と、大野君。
二人の人が君の前には立っていて、君はどちらを選ぶか悩み、そして東雲先輩を選んだ。
その結果が今か。
後悔、してるのかな。
いや後悔はしていないだろうな。
後悔していないからこそ、悔やんでいるって所なのかな。
今なら、何となくわかるよ。
きっと私もどちらかを選んで悔やむ事になる。後悔なんて死んでもしてやらないけど、それでもきっと、選ばなかった人の事を思って、泣く夜が来るのだろう。
居なくなった人を探して、人混みに視線を流してしまう事があるのだろう。
その人の面影をどこかに見つけて、湧き上がる気持ちを抑え込む様な日が、来るのだろう。
それでも。
それでもだ。
師匠が、有川さんが、魂を込めて私の前に手を差し伸べている。
この気持ちを裏切る事だけは絶対にしちゃいけない。
それだけは確かなのだ。
「……本当は、こんな場所じゃ嫌だったけどな」
『ん?』
『なんか河合言った?』
『気のせいやろ。また司令官ポーズしてるし、どうせ一号機発進とか言ってるだけだぞ』
『真面目にやれ、河合』
私は何となく見てたコメントに思わず笑ってしまいそうになった。
ここまで、ただひたすらに未来について考えていても、他人には分からない物だなと。
いや、そんな物なのだろう。
私だって自分がこういう立場になって初めてあの時の立花君の気持ちが分かるくらいだ。
人はその状況にならなかったら分からない。
そんな物なのだ。
「失礼だね! 私は真面目にやってるよ! やっぱり萌え萌えキューンは角度浅めにした方が良いのかなとか、いや、距離はどうだとか考える事いっぱいあるんだからね!」
『まだ考えていたのか(戦慄)』
『もうお前がメイド喫茶作れよ』
『河合風香の飯が食えるメイド喫茶だって!? 通うわ』
『なおメイドも河合風香』
『うーーーん!! うーーーーーん!!』
『悩ましい。これは非常に悩ましい問題だ』
「おい! おかしいだろ! 私がメイドだぞ! 喜べよ! コメントォ! 萌え萌えキューン! ドヤッ」
『あの、止めて貰って良いですか? ご飯がその……食べにくいので』
「可愛くて? うっふん」
『オエー!』
『吐きそう』
『吐いた』
『見た目は可愛いんだ。見た目はな。見た目だけ、後は、動いて喋らなければ!』
「酷い連中だな!」
怒っている様な声を出しながら、私は遂にソレが出来上がった事を確認して、サングラスを置いた。
流石に、あの人の魂を受け止めるのに、ふざけてなんていられない。
「やぁ、お待たせ。出来たよ」
「おーっと!! 遂に、遂に巨匠の作品が完成した! では審査員の皆さん。味見をお願いします!!」
私はモニターから目を離し、いくつかの小鉢を持ってこちらへ歩いてくる有川さんを見つめる。
他の人は後で、まずは私から。という事だろうか。
まったく。逃げる隙を少しも作ってくれない人だな。
「さ。君と僕の未来を考えて用意したよ」
「……分かりました」
私は目の前に置かれたいくつかの小鉢に視線を落とし、その端から中央へと視線をゆっくりなぞってゆく。
ここには、このテーブルの上には一つの完成された世界があった。
思わず箸を持っている右手が震えるのを感じながら、その小鉢の一つに手を伸ばした。
そして口に含み、目を閉じながら、舌から送られてくる情報に全身を委ねてゆく。
あぁ……。
あぁ。
そうか。
そうなんだ。
きっと最初に出会ったのが有川さんなら、こんなにも苦しむ事は無かったのだろうと思う。
でも、私が上京して、初めて出会ったのは師匠だったんだ。
道も分からず、決められず、迷っていた私に、ご飯を出してくれたのは師匠だった。
師匠の想いに応えたい。
師匠の思い描く理想の様に、誰もが、ふと思い出した時に笑顔になれるような料理を作りたい。
そう願ってきた。
私もそうありたいと願ってきた。
でも、私は……師匠じゃない。
知らない人の幸せなんて願えない。他の人なんてどうでも良い。
私は私の歩む道の先が知りたい。
どこまでも、遥か先を目指して歩み続けていたいんだ。
それが私……?
いや、違う。嫌だ。私は、違う。
私は、私も、誰かの幸せを願う人間になりたい。
例え、私自身がそんな物はくだらないと断じても、冷たく捨て去ったとしても!
それでも、私は誰かを愛してみたいと、そう思うんだ。
それがきっと、人間だから。
私は目を開き、滲む視界の中で、何かに助けを求める様に視線をさ迷わせた。
『なんだ? どうなってるんだ?』
『分らん。河合風香だけ何も言わん』
『一番肝心なのはお前だろうが!』
「河合……」
有川さんの作品を見て、食べて喜んでいる人たちの向こう。
たった一人、私を見て目を見開いている人が居た。
立花君だ。
あぁ、そうか。今なら何となくわかるよ。
君は本当の意味で優しい人なんだね。
だからこそ、そんなにも心配そうな目で私を見ている。
私なんかの為に人生すら投げ出そうとしている。
もっと選ぶべきものはいっぱいあるはずなのに。
怪我をしているフリをしてまで、陽菜ちゃんの為に自分の道を捨てた癖に。
バカな人。
「……有川さん」
「なにかな」
「答えは保留でも良いですか?」
「あぁ。構わないとも。元々そういう話だったしね」
「……はい」
「ただ、うん。そうだね。僕はこの番組に出て良かったと思うよ」
「……」
私は何も言わず、ただ黙って有川さんを見つめた。
深く静かに微笑みを浮かべる有川さんの事を。
「やっぱり君の本質は僕と同じだ。それを改めて再認識できただけでも価値があったよ。風香ちゃん。君に鳴村の後は継げない」
「っ」
「君はどこまでいっても求道者だ。己の道しか見えない人間だ。僕と同じ様にね」
「……それでも、私は、まだ師匠の背中を追う夢を諦めきれないです」
「まぁ、そうだね。流石は鳴村って所かな。あの時君が、東ではなく西に来てくれれば、答えも変わっただろうね」
「そうですね。それだけは、悔しく思います」
私は僅かに笑みを作って有川さんを見つめ返した。
答えはまだ出ていない。
出ていないが、心は大きく揺れていた。
振り子のように、大きく。
揺れていた。