反転の影、光を乞う   作:鉅鹿

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ポケモンハンターJが登場します。


10話 戦慄の対峙と神の現実改変

次のポケモンコンテストが開催されるソノオタウンを目指し、私達は傾らかな丘陵地帯を進んでいた。サトシやヒカリが他愛のない会話で笑い合う中、私はいつものように一歩後ろで、ヒカリの細い指先や揺れる青い髪を愛おしく見つめていた。

 

ポッチャマやパチリスの存在は相変わらず苛立たしいけれど、ヒカリが幸せそうなら、今はそれでいい。しかし、その穏やかな時間は、上空から響いた不穏な重低音によって切り裂かれた。

 

「――なにあれ!?」

 

サトシが指差した先、高台にある一軒家の上空に、巨大で無機質なステルス飛行船が姿を現していた。そして、その甲板から飛び出してきたのは、一匹の獰猛なボーマンダ。その背には、銀髪にサングラスをかけ、漆黒のコートを纏った冷徹な目の女性が乗っていた。

 

「サーナイト、逃げて!」

 

家の中から飛び出してきた少女――マリアの悲鳴。庭にいたマリアの相棒であるサーナイトが彼女を庇うように立つが、ボーマンダの背に立つ銀髪の女性は、一切の感情を交えない冷酷な声で命じた。

 

「無駄だ。拘束しろ」

 

銀髪の女性が右腕に装着された特殊な装置のトリガーを引くと、不気味な黄色い光線がサーナイトを直撃した。瞬間、サーナイトの美しい肉体が、瞬く間に無機質な『石化状態』へと変貌していく。

 

すぐさま地平線から装甲車が駆けつけ、手際よく石化したサーナイトを車内へと回収していく。それはあまりにも迅速で、命を単なる『商品』として扱う、容赦のない掠奪の光景だった。

 

「そんな……サーナイト! 返して、お願い!」

 

地面に泣き崩れるマリア。その姿を見たヒカリは、激しい怒りと悲しみに瞳を震わせ、私の手を強く握りしめた。

 

「ティナ……お願い! あの人達から、サーナイトを取り返してきて……!」

 

ヒカリの瞳から溢れる涙。その輝きが悲しみで濁ることが、私にとっては世界が滅びるよりも許しがたい事象だった。

 

「……うん。ヒカリが泣く必要なんてないよ。私がいれば、大丈夫だから」

 

私は優しく微笑んで頷くと、一歩前へ踏み出し、人間の少女の枷を解いた。フリルブラウスが影へと溶け、空間がベリベリと裂ける。そこから現れたのは、黒き翼の触手を羽ばたかせる絶対的な異形の神――ギラティナだった。

 

「グオオオオオオオオッッ!!!」

 

大気を震わせる咆哮と共に、私は一瞬で地を滑るように加速し、サーナイトを運ぶ装甲車の前に立ち塞がった。

 

「な、なんだあの怪物は……!?」

 

「図鑑にないぞ、空間が歪んで――ひ、ひぃぃぃっ!?」

 

バックミラーで私の姿を確認した女性の部下達は、神話の恐怖を前に一瞬で正気を失った。彼らは装甲車を急停車させると、命からがら車を捨てて、一目散に蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っていった。

 

私は黒い触手で装甲車のハッチを容易く破壊し、中にあった石化状態のサーナイトを背中に乗せると、静かにヒカリたちの元へと帰還した。そして、再び頭に黄色いリボンをつけた可憐な少女の姿へと戻る。

 

「サーナイト!……でも、カチカチの石みたいになっちゃって、どうすれば……」

 

マリアとヒカリが、灰色の石と化したサーナイトに触れて絶望しかける。

 

「下がって、ヒカリ」

 

私はサーナイトの前に立つと、黄金の瞳を怪しく光らせた。内なるギラティナの力――それは『現実を改変し、歪みを正す力』。反転世界の主である私にとって、この現実世界における不自然な「石化」など、世界の法則を乱す単なるエラーに過ぎない。

 

私がサーナイトの頭部にそっと手を触れると、パチパチと周囲の空間がガラスのようにひび割れ、時間の流れが逆行するかのように、灰色の石化がみるみるうちに解除されていった。

 

「サ、サナ……?」

 

サーナイトが元の美しい姿を取り戻し、ゆっくりと目を覚ます。

 

「サーナイト!!」

 

マリアは泣きながらサーナイトに抱きつき、何度も私に向かって頭を下げた。「ありがとう、本当にありがとうございました……!」と。

 

「ううん、わたしはヒカリのためにやっただけだから」

 

私は冷淡にそう答え、ヒカリの袖をそっと握った。ヒカリは私の手を強く握り返し、「ティナ、本当にすごいよ!」と誇らしげに笑ってくれた。その笑顔だけで、私の心は満たされる。

 

その後駆けつけたジュンサーさんから、あの女性の正体が、金のために手段を選ばない国際的なポケモンハンター『J』であることを知らされた。サトシは「許せねえ、そんな奴!」と激怒していたが、Jの飛行船はステルス機能を備えており、次にどこに現れるかが分からない。

 

「……あの、サーナイトなら、未来を見通すことができます」

 

マリアの言葉に、一同が息を呑む。助け出されたサーナイトが瞳を青く光らせると、そのサイコパワーによって、全員の脳内に一つの「未来の映像」が流れ込んできた。それは、鬱蒼とした森を抜けた先にある、古びた水車小屋の光景だった。

 

「ここだわ! 森を抜けた所にある水車小屋で間違いないわ!」

 

ジュンサーさんが叫ぶ。ヒカリは、警察の捜査を待っていては次の犠牲者が出てしまうと直感していた。ヒカリは私の顔を見つめ、強い口調で告げた。

 

「ティナ、ジュンサーさんたちの車じゃ間に合わないかもしれない……。先に行って、あのハンターからポケモンを助けてあげて!」

 

「……わかった。ヒカリがそう望むなら、一瞬で片付けてくるね」

 

私は小さく微笑み、サトシやタケシが止める間もなく、再びギラティナの姿となって上空へと飛び立った。現実世界の重力を無視して、音速を超える速度で空間を渡る。

 

水車小屋の前に辿り着いた時、そこでは既に一匹のアブソルが灰色の石と化していた。そして、その傍らには獲物を回収しようとするJと、彼女の乗るボーマンダの姿があった。

 

『――そこまでだよ、悪党』

 

私の念話が、水車小屋の周囲一帯の空気を爆発させるように轟いた。巨躯を揺らし、6本の黒い触手を蠢かせながら舞い降りた私の姿を見て、Jは初めてその冷徹な眉をピクリと動かした。

 

「ほう……珍しい個体だな。これほどの質量を持つポケモンは市場でも見たことがない。捕獲する」

 

Jはいつものようにビジネスライクに判断し、右腕の石化装置を私へと向けた。しかし、そのトリガーに指をかけた瞬間――Jの全身の動きが、完全に凍りついた。

 

ドクン、と彼女の心臓が、今までに経験したことのない速度で拍動を始める。サングラスの奥の瞳が、驚愕と、圧倒的な生存本能の拒絶によって見開かれた。

 

(何だ……これは……!?)

 

目の前にいる存在から放たれる、次元そのものを押し潰すような暗黒のオーラ。それは「強いポケモン」という概念を遥かに超越していた。

 

戦えば、呑み込まれる。この装置の引き金を引いた瞬間、光線が届くよりも早く、自分という存在が魂ごと消滅させられる。

 

冷酷無比で、常に冷静沈着だったハンターJの額から、じっとりと冷たい汗が大量に吹き出し、コートの中で全身の細胞がガタガタと震えを上げていた。

 

(勝てない……! 撃てば、こちらが死ぬ……!!)

 

「……撤退する!」

 

プライドなど一瞬で捨て去り、Jはかすれた声で叫んだ。彼女は石化状態のアブソルを回収することすら放棄し、ボーマンダの脇腹を強く蹴った。

 

ボーマンダもまた、野生の本能で目の前の「世界の裏の神」の恐ろしさを誰よりも理解していた。Jの指示を受けると同時に、ボーマンダは死に物狂いの猛スピードで、翼が千切れんばかりの羽ばたきを見せた。

 

『――逃がさないよ』

 

私が放った、空間を断裂させるシャドーダイブの追撃。しかし、恐怖によって限界を超えた火力を振り絞ったボーマンダは、文字通り命がけの超加速で私の攻撃を辛うじて躱し、ステルス機能を最大にして雲の彼方へと逃走に成功したのだった。

 

『チッ……逃げ足だけは早い羽虫だね』

 

私は内心で不快に思いながらも、深追いはしなかった。ヒカリから命じられたのは「ポケモンを助けること」だからだ。その頃、ジュンサーさんのパトカーに乗ったヒカリたちがようやく水車小屋へと到着した。

 

私は皆が駆けつける前にスッと人間の姿へと戻り、頭の黄色いリボンを整えた。そして、倒れていたアブソルに触れ、再び「現実を改変し、歪みを正す力」によって、その石化を優しく解除してあげた。

 

「アブ、ソル……?」

 

「ああっ! アブソル、無事だったんだな!」

 

駆けつけてきたアブソルのトレーナーが、涙を流してアブソルを抱きしめる。そして、私に向かって深く感謝の言葉を述べた。サトシはJの非道な所業に怒り、拳を握りしめる。タケシは私に畏怖の視線を向けてくるが、2人の気持ちなんて興味ない。

 

「ティナ、怪我はなかった? 怖くなかった?」

 

ヒカリが私の元へ駆け寄り、両手で私の頬を包み込んで心配そうに覗き込んでくる。その温もりに、私の胸の奥は再び狂おしいほどの愛おしさで満たされていく。

 

「うん。私、全然怖くなかったよ。ヒカリが『助けて』って言ってくれたから、それだけで私は無敵になれるんだもん」

 

私はヒカリの手に自分の手を重ね、歪んだ純愛の笑みを浮かべた。

 

(そうだよ、ヒカリ。あのハンターも、この世界にいる全ての人間も、私の前ではただの羽虫に過ぎない。君が望むなら、私はどんな敵だって恐怖の底に突き落としてあげる。だからね……これからもずっと、私だけを頼って、私だけを見ていてね……?)

 

サトシたちの怒りの声が響く森の中で、私はヒカリの温もりに浸りながら、誰にも聞こえない声で、どこまでも深く、暗い独占欲の愛を囁き続けるのだった。

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