ハクタイシティへの道のりは着実に縮まっていたが、連日の特訓による疲れは、ヒカリ達のポケモンにも蓄積していた。新入りのブイゼルは未だにギラティナである私への畏怖から大人しく、あのクソネズミ――パチリスも少々動きにキレを欠いている。
私達は休息のため、道沿いにひっそりと佇むポケモンセンターへ立ち寄ることにした。清潔な待合室のソファにヒカリが腰を下ろすと、ポッチャマがその膝に甘えるように飛び乗る。私はそのすぐ隣に密着して座り、ヒカリの指先がポッチャマの頭を撫でる様子を、不快感を押し殺した黄金の瞳で見つめていた。
そんな私達の視線の先、壁に掛けられたテレビの画面では、ある男の華麗なポケモンバトルが映し出されていた。
『さあ、チャンピオンリーグ四天王・ゴヨウ氏のドータクン、ここでも見事な防御からの一撃を決めました!』
画面の中で、眼鏡をかけた知的な佇まいの男――ゴヨウが、冷徹かつ完璧な采配で相手を圧倒していた。サトシは「すっげぇ! さすが四天王だな!」と身を乗り出して興奮し、ヒカリも「洗練されてて、無駄が全くないわ……」と感嘆の息を漏らしている。
「……ふん。大袈裟だよ」
私はフリルブラウスの胸元にある、ヒカリからもらった黄色いリボンを愛おしそうに撫でながら、冷淡に呟いた。
「ティナ? 四天王のゴヨウさんだよ?」
「知ってる。でも私の目から見れば、そこら辺の有象無象のトレーナーよりかは少しだけ上って程度。世界の均衡を崩すほどの力じゃない」
私のあまりにも冷ややかな評価に、タケシが苦笑い混じりの引きつった表情を浮かべたその時だった。
「おや、手厳しい評価ですね。ですが、世界の均衡を語る貴女にそう言っていただけるなら、光栄と言うべきでしょうか」
「――っ!?」
静かな声が待合室に響き、ヒカリたちが一斉に弾かれたように振り返る。そこに立っていたのは、画面の向こうと全く同じ、仕立ての良いスーツを纏った男――ゴヨウ本人だった。サトシが「ゴ、ゴヨウさん! 本物だ!」と叫び、即座に「俺とバトルしてください!」と詰め寄る。
しかし、ゴヨウはそれを穏やかな笑みで制する。そして眼鏡の奥の鋭い双眸を、真っ直ぐにヒカリへ向ける。続けて、その隣にいる私へと向けた。
「サトシくん、君の熱意は素晴らしいが、今は少し別のことに興味がありましてね。――ヒカリさん、私と2対2のバトルをしていただけませんか?」
「えっ、私と!?」
驚くヒカリ。ゴヨウの視線は一瞬、私の淡いクリーム色のウェーブロングの髪、そして黄金の瞳へと注がれ、すぐにヒカリへと戻った。
(……気づいているね、この男)
四天王というシンオウの頂点に近い男の直感が、人間の少女の皮を被った私の異質さを密かに、かつ正確に捉えているのを、私は肌で感じ取っていた。
ポケモンセンターの裏庭。青々とした芝生が広がるバトルフィールドで、ヒカリとゴヨウが対峙した。
「人前で擬人化を解くわけにはいけない」というヒカリの良識ある判断により、彼女が最初に繰り出したのはポッチャマだった。対するゴヨウが静かに放ったのは、テレビでも無類の強さを誇っていた青銅の古石――ドータクン。
「ポッチャマ、『バブルこうせん』!」
「ドータクン、『ジャイロボール』」
バトルの幕が上がった次の瞬間には、結果は出ていた。ドータクンの圧倒的な質量を伴う高速回転がポッチャマの泡を強引に突き破り、その小さな身体を激しく弾き飛ばす。ポッチャマは一度の攻撃で、文字通りの瞬殺、戦闘不能となった。
「ポッチャマ! そんな……一撃で……」
ヒカリが焦りで息を呑み、次のボール――パチリスに手をかけようとした、その時だった。
「待ちなさい、ヒカリさん」
ヒカリが次のボールに手をかけた瞬間、ゴヨウが鋭い声で制した。彼は眼鏡の奥の目を細め、フィールドの外で佇む私を真っ直ぐに指差した。
「次は、そこの彼女に勝負を挑みます。人間のフリをしてそこにいる、お嬢さん」
ゴヨウの確信に満ちた言葉に、サトシとタケシが息を呑む。私はヒカリにそっと近づき、脳内に直接届く【念話】で告げた。
『ヒカリ。あの男、完全にわたしの正体を看破しているよ。バトルを通じて、私の力を測るつもりだ。どうする?』
ヒカリは一瞬だけ躊躇ったが、ゴヨウの真剣な、悪意のない眼差しを見て覚悟を決めたように頷いた。
「ティナ、大丈夫だよ。四天王のゴヨウさんなら、本当の力をぶつけても受け止めてくれる。……擬人化を解いて、戦って!」
「……うん。ヒカリの命令なら、喜んで」
私が微笑んだ瞬間、フリルブラウスと黄色のハイウエストスカートが漆黒の霧となって爆発するように霧散した。
空間がガラスのように激しくひび割れ、凄まじい衝撃波が裏庭を襲う。そこに現れたのは、6本の影の触手をくねらせ、底なしの暗黒を纏った世界の裏の主――ギラティナだった。
「グオオオオオオオオッッ!!!」
「素晴らしい……! ディアルガ、パルキアの神話の裏に潜む、もう一匹の影の神……ギラティナ! 本物をこの目で見られるとは!」
ゴヨウは本能的な恐怖に冷や汗を流しながらも、感嘆の声を上げた。
「さあ、ヒカリさん、ギラティナ! 四天王の全力でお相手しましょう!」
ヒカリが凛とした声で、私に最初の指示を出す。
「ティナ、『あやしいひかり』!」
『――御意』
私の頭部の金の装飾から極彩色の妖しい光が放たれ、ドータクンを包み込む。ドータクンは激しい混乱状態に陥るが、ゴヨウの「自分を信じろ、ドータクン!」という鋭い一喝で正気を取り戻し、最大火力の『ラスターカノン』を放ってきた。
「ティナ、影に潜んで!『シャドーダイブ』!」
ヒカリの的確な指示。私は現実世界の空間を切り裂き、反転世界へと姿を消した。ラスターカノンは虚空を撃ち抜き、次の瞬間、ドータクンの真下の空間が割れ、私が突撃を仕掛けた。
ドガァァァンッ!!!
凄まじい衝撃波と共にドータクンが激しく吹き飛び、地面を転がって戦闘不能となる。
「さすがですね……! ですが、次はこれです。行ってください、キリンリキ!」
ゴヨウが繰り出したのは、尾にも脳を持つキリンリキ。キリンリキは神の威圧感に怯えながらも、全力の『サイコキネシス』で私の動きを止めようと試みる。強力な念動力が私の巨躯を縛り付ける。
「ティナ、ふりほどいて!『りゅうのいぶき』、そして『ドラゴンクロー』の連続攻撃!」
ヒカリが拳を握って叫ぶ。私は咆哮と共にサイコキネシスを力任せに引き千切ると、口から紫色の凄まじいエネルギー波――『りゅうのいぶき』を放射した。キリンリキがその直撃を浴びて怯んだ隙を逃さず、影の触手を進化させた漆黒の爪が、『ドラゴンクロー』となってキリンリキを容赦なく引き裂いた。
ドッゴォォォンッ!!!
爆風が収まった時、キリンリキは目を回して倒れていた。四天王のポケモン2体を難なく、圧倒的な実力でねじ伏せての圧勝だった。私はスッと力を収束させ、再び頭に黄色いリボンをつけた人間の少女の姿へと戻り、何事もなかったかのようにヒカリの隣へと寄り添った。
ゴヨウは2体のポケモンを労うようにボールへ戻すと、眼鏡の位置を直し、ゆっくりと私たちの方へ歩み寄ってきた。
「完敗です、ヒカリさん、ティナさん。四天王のプライドを完璧に打ち砕く、見事なバトルでした」
ゴヨウは紳士的に一礼する。しかしその直後、彼の表情から笑みが消え、四天王としての、この世界の秩序を守る者としての真剣な眼差しで、私を真っ直ぐに見つめた。
「……一つ、お訊きしてもよろしいですか、ティナさん。それほどの神話級の強大な力を持ちながら、何故人間の姿をして、この現実世界に留まっているのですか? 貴女の目的は……一体、何なのですか?」
裏庭が緊張感で静まり返る。サトシやタケシも息を呑んで私の答えを待っていた。私は、隣で私のドレスの袖を心配そうに握るヒカリの顔を見つめる。それからゴヨウに向けて、酷く純粋で、それゆえに狂気的な微笑みを浮かべた。
「目的? そんな大層なもの、私にはないよ」
私はヒカリの手をきゅっと握りしめ、低く、掠れた声で言い放った。
「私はただ……ヒカリの傍にいたいだけ。ヒカリが笑って、私の名前を呼んでくれる。この子の光を守るためなら、世界なんてどうなったっていいの。それだけだよ」
世界を滅ぼすことも、生かすことも、全てはヒカリ一人という天秤の傾き次第――。そのあまりにも重く、歪んだ狂愛の言葉を聞いたゴヨウは、一瞬だけ目を見開いた。しかし彼はすぐに深く息を吐き、張り詰めていた肩の力を抜いて、どこか安堵したような笑みを浮かべた。
「……安心しました。貴女がその純粋な『愛』によって繋ぎ止められている限り、この世界が破滅することはないのですね。ヒカリさん。どうか彼女を、よろしく頼みますよ」
ゴヨウはそう言うと、私たちに優しく別れを告げ、ポケモンセンターを去っていった。
「ティナ、ありがとう。最高のバトルだったよ!」
ヒカリが私の手を強く握り返し、満面の笑みを向けてくれる。その温もりに私の胸の奥の暗闇は、再び心地よい熱で満たされていった。