反転の影、光を乞う   作:鉅鹿

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ティナはギラティナですが、ヒカリとは人間として過ごした期間が長いです。なのでヒカリは、ティナを『パートナー』というより『大事な親友』という見方が強いです。


2話 湖畔に揺れる幻

マサゴタウンにあるナナカマド研究所。そこは、これから旅立つトレーナーたちが希望を胸に最初のパートナーを選ぶ、神聖な場所のはずだった。けれど、私たちが足を踏み入れた瞬間に待っていたのは、大混乱の渦だった。

 

「こら、待つんだ!」

 

「ポチャチャ!」「ヒコヒコ!」

 

研究員たちの悲鳴が響く中、水色のペンギンのようなポケモンと、尻尾に炎を灯したサルのようなポケモンが、お互いを激しく威嚇し合いながら、研究所の窓を突き破って外へと逃げ出していった。初心者用のポケモンであるポッチャマとヒコザルが、つまみ食いを巡って大喧嘩を起こし、そのまま裏手の深い森へと消えてしまったらしい。

 

「大変……! 博士、私、探しに行ってきます!」

 

「お、おい、危険だぞ!」

 

ナナカマド博士の制止も聞かず、ヒカリは強い正義感と使命感に瞳を輝かせて走り出した。

 

「だって、あの子たちのうちの誰かが、私のパートナーになるかもしれないんだもん! 放っておけないよ!」

 

ヒカリの後ろ姿を追いかけながら、私の胸の奥で、どす黒い感情がふつふつと湧き上がるのが分かった。

 

(パートナー……? ヒカリの隣にいるのは、わたしだけでいいのに)

 

あの小生意気なトサカ頭のペンギンか、落ち着きのない猿か、あるいは草タイプのナエトルか。誰が選ばれようと、私にとってはヒカリの愛情を掠め取る「泥棒」に過ぎない。私の黄金の瞳が、前を走るヒカリの背中を見つめながら、一瞬だけ冷酷な光を帯びる。

 

「……待って、ヒカリ。危ないから、わたしも行く」

 

私はいつもの「気弱で健気な少女」の声を装い、ヒカリの手をきゅっと握った。頭の黄色いリボンが、私の焦燥感をあざ笑うように揺れる。

 

「ありがとう、ティナ! やっぱりティナがいてくれると百人力だよ!」

 

無邪気に笑うヒカリ。その笑顔を守るためなら、私は神の力さえ安売りする。けれど、その笑顔が私以外のものに向けられるのは――絶対に、許せない。

 

 

マサゴタウンの裏に広がる森は、昼間だというのに薄暗く、気味の悪い静寂に包まれていた。奥へと進むと、すぐに見つかった。あの水色のペンギン――ポッチャマだ。

 

「ポチャ……ポチャァ……」

 

ポッチャマは、無数に張り巡らされた巨大な蜘蛛の巣に絡まり、身動きが取れなくなっていた。そしてその周囲の木々からは、紫色の不気味な身体に鋭い眼光を宿した野生のアリアドスたちが、音もなく這い出てくる。

 

「大変、アリアドスの巣に引っかかっちゃったんだわ……! 今助けるからね!」

 

ヒカリがポッチャマを助けようと一歩踏み出した瞬間、アリアドスたちが一斉に牙を剥き、鋭い糸を吐き出そうとした。

 

「ヒカリ、下がって」

 

私の声は、すでに人間の少女のものではなかった。低く、冷たく、世界そのものを凍りつかせる絶対者の声。

 

「ティナ……?」

 

ヒカリが息を呑む。私は一歩前へ出ると、自身の身体を縛る「人間の肉体」という枷を、一瞬で消し去った。

 

ドクン、と空間が脈打つ。フリルブラウスとハイウエストスカートの少女の姿が影へと溶け、次の瞬間、全長数メートルに及ぶ巨大な破壊の化身――ギラティナが、圧倒的な威圧感とともに顕現した。

 

「グオオオオオオオオッッ!!」

 

咆哮一閃。それは技ですらなかった。ただの神の威圧。現実世界の法則を捻じ曲げるほどの禍々しいオーラが森全体を包み込み、アリアドスたちは戦うどころか、蜘蛛の巣から転げ落ちるようにして蜘蛛の子を散らすように逃げ惑った。数秒前まで捕食者だった哀れな虫どもは、一瞬で野生のプライドを砕かれ、森の奥へと消え去った。

 

『ふん……羽虫風情が、わたしのヒカリに近づき、あまつさえ恐怖を与えようなどと、万死に値する……』

 

私が冷徹に呟き、蜘蛛の巣を黒い触手で一吹きで消し去ると、ポッチャマが地面にポつんと落ちた。

 

「……ポチャ?」

 

ポッチャマは、目の前に現れた規格外の化身を見上げ、ガタガタと震えている。私はその生意気な嘴を今すぐにでも踏み潰してやりたかったが、ヒカリが後ろから駆け寄ってきたため、即座に力を収束させ、人間の少女の姿へと戻った。

 

「ポッチャマ、大丈夫!? 怖かったよね……!」

 

ヒカリはポッチャマを優しく抱きしめ、その泥を払ってあげる。ポッチャマはヒカリの胸の中で、安心したように小さな涙を浮かべていた。その光景を見た瞬間、私の胸の奥が、嫉妬という名の激痛で引き裂かれそうになった。

 

(ずるい。ずるいずるいずるい。ヒカリに抱きしめられて、そんなに優しくされて……)

 

私は自分の胸元にある、ヒカリがくれた黄色いリボンをきゅっと握りしめた。これだけが、私がヒカリの特別である証拠なのに、その領域にこのペンギンが侵入してくる。殺してしまいたいほどの憎しみが、私の黄金の瞳の奥でドロリと渦巻いた。

 

――その後、私たちは逃げ出したヒコザルも無事に保護し、研究所へ戻る途中で「シンジ湖」のほとりへと辿り着いた。夕暮れ時のシンジ湖は、鏡のように静まり返っていた。

 

その時、湖の不自然な輝きとともに、水面から不思議な「影」がゆらりと立ち上がった。それは実体を持たない、まるで魂の揺らぎのような、小柄なポケモンのシルエットだった。

 

「あれ……? なんだろう、あのポケモン……?」

 

ヒカリが不思議そうに目を細める。その影は、ほんの一瞬だけヒカリと私を見つめると、水の中に溶けるようにして消えてしまった。

 

(……エムリット)

 

私はその正体を瞬時に察した。神話の時代から続く、感情を司る伝説のポケモン。エムリットは、ヒカリの持つ「純粋な魂の輝き」に惹かれて姿を現したのだろう。だが同時に、その光に文字通り「取り憑いて」いる私のどす黒い狂気と執着を察知し、恐れをなして消えたのだ。

 

(神だろうが何だろうが、ヒカリを覗き見る奴は許さない……)

 

私は湖の底に向けて、無言で鋭い殺気を放っておいた。研究所に戻ると、いよいよヒカリのパートナーを選ぶ時間がやってきた。ナナカマド博士が並べた3つのモンスターボールを前に、ヒカリは少しも迷うことなく、水色のペンギンの前にしゃがみ込んだ。

 

「私、この子にします! 森で一緒に頑張ったもんね、ポッチャマ!」

 

「ポチャポチャッ!」

 

ポッチャマは誇らしげに胸を張り、ヒカリの足元に擦り寄る。ヒカリは満面の笑みでポッチャマを自分の最初のポケモンとして決定した。

 

「よろしくね、ポッチャマ! 私の、初めてのパートナー!」

 

ヒカリの声が、研究所に響く。その言葉は、私の耳の奥で、ガラスが割れるような不快な音を立てた。

 

(初めての、パートナー。じゃあ、私は? 私はヒカリにとって、何?)

 

私は一歩後ろの影の中で、爪が皮膚に食い込むほど拳を強く握りしめていた。俯いた前髪の隙間から見える私の瞳は、完全に光を失い、冷酷な狂気に染まっている。

 

(いいよ、ヒカリ。そのペンギンを旅に連れて行けばいい……。でもね、ヒカリの『特別』は、わたしだけ。もしそのポッチャマが、ヒカリの愛をこれ以上奪おうとするなら――わたしが、消してあげるからね?)

 

ヒカリの笑顔の裏側で、私の愛は、より深く、より歪に、誰も逃れられない底なしの沼へと変わっていくのだった。

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