反転の影、光を乞う   作:鉅鹿

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3話 親友の定義

マサゴタウンの研究所を後にした私達の足取りは、どこか対照的だった。ヒカリは新しくパートナーになったポッチャマをボールから出し、楽しそうに話しかけながら歩いている。ポッチャマも誇らしげに胸を張り、ヒカリの足元を歩いていた。私は、その一歩後ろを歩きながら、胸の奥に冷たい刃を突き立てられたような痛みを引きずっていた。

 

――私の、初めてのパートナー!

 

研究所でのヒカリのあの言葉が、頭の中で何度も、何度もリフレインする。私はギラティナという神の存在でありながら、ヒカリの前ではただの無力な少女のフリをしてきた。人間としての姿で、何年も何年も、誰よりも近くで彼女の成長を見守ってきた。それなのに、今日出会ったばかりの、あの水色のペンギンが「初めてのパートナー」の座に収まったのだ。

 

「……ねえ、ヒカリ」

 

耐えきれなくなり、私は立ち止まった。ぽつりと零れ落ちた私の声に、ヒカリが不思議そうに振り返る。

 

「ん? どうしたの、ティナ?」

 

「……私は、ヒカリにとって、何……?」

 

俯いたまま、フリルブラウスの裾をきゅっと握りしめる。頭のリボンが、夕暮れの風に寂しげに揺れた。ヒカリは一瞬きょとんとした後、私の言葉の裏にある傷つきに気づいたのか、ハッとしてポッチャマを抱き上げ、慌てて私に駆け寄ってきた。

 

「ご、ごめんねティナ! もしかして、さっき研究所で『初めてのパートナー』って言ったの、気にしてる……?」

 

ヒカリの澄んだ瞳が、申し訳なさそうに私を見つめる。悪意なんて、一滴もない。ただただ純粋に、私のことを心配してくれている。それが余計に愛おしくて、同時に狂おしい。

 

「ティナはね、私にとって『ポケモン』じゃないんだよ。だって、ずっと一緒に女の子として、人間として過ごしてきたじゃない? だから……私にとってティナは、パートナーっていうより、世界でたった一人の、一番大切で大好きな『親友』なの」

 

親友。ヒカリの口から出たその言葉は、温かく、けれど私にとってはあまりにも残酷な境界線だった。

 

ヒカリは私を、自分と同じ「人間の対等な友だち」として見てくれている。それは人間として過ごした時間が長いからこその、ヒカリなりの最上級の愛情表現だった。けれど、私が求めているのは、そんな綺麗でヘルシーな関係ではない。

 

(親友なんかじゃない。私は君の全てになりたいし、君も私の全てであってほしいのに……)

 

心の中でドロドロとした独占欲が渦巻く。しかし、ヒカリの「大好き」という言葉に、私の心は簡単に融解してしまう。

 

「……そっか。親友、なんだね」

 

私は顔を上げ、いつもの気弱な笑みを無理やり作った。

 

「うん! これからもずーっと一緒だよ、ティナ!」

 

ヒカリは嬉しそうに笑い、私の手を握る。私はその温もりに溺れながら、心の奥底で静かに誓った。

 

いいよ、ヒカリ。今はまだ『親友』で。でも、その言葉の枠から君が一生這い出せなくなるくらい、私が君を狂わせてあげるから。

 

 

気を取り直して森の小道を進んでいると、草むらの影で、パチパチと苦しげに電撃を放っている一匹のポケモンを見つけた。

 

「あ、あれは……ピカチュウ?」

 

全身が傷だらけで、今にも倒れそうな野生の……いや、違った。ヒカリが心配してモンスターボールを投げたが、ボールはピカチュウに当たると、カチリとも鳴らずに弾かれてヒカリの手元に戻ってきた。

 

「えっ? 捕まえられない……ってことは、もう誰かのポケモンなの?」

 

不思議そうに首を傾げるヒカリ。私はそのピカチュウを冷ややかに見下ろした。かなり強い電力を感じる。相当に優秀なトレーナーに育てられた個体のようだ。

 

「……誰のポケモンでもいいよ。早く行こう、ヒカリ。余計なトラブルに巻き込まれたくない」

 

私がそう言った瞬間、頭上の木々が激しく揺れ、奇妙な高笑いが森に響き渡った。

 

「何だかんだと聞かれたら!」「答えてあげるが世の情け!」

 

派手な衣装を着た男女の二人組と、言葉を話す奇妙なニャースが姿を現す。

 

「世界の破壊を防ぐため!」「世界の平和を守るため!」「愛と真実の悪を貫く!」「ラブリーチャーミーな敵役!」「ムサシ!」「コジロウ!」「銀河を駆けるロケット団の二人には――」

 

「長い」

 

冷酷な、地を這うような少女の声が、彼らの口上を遮った。フタバタウンを出た時、アヤコさんから聞いていた。世の中には「ロケット団」という、他人のポケモンを強奪する卑劣な悪党がいると。

 

「な、何よこのガキ! 人の名乗りの邪魔をするんじゃないわよ!ハブネーク、ドクケイル、行きなさい!」

 

「サボネア、お前もだ!」

 

彼らが一斉にポケモンを繰り出す。毒々しい蛇、不気味な蛾、棘だらけのサボテン。それらが一斉に、ヒカリと傷ついたピカチュウを目がけて襲いかかってくる。

 

「ティナ……!」

 

ヒカリが怯えて私の名前を呼んだ。――その瞬間、私の頭の中で、完全に理性の糸が切れた。

 

「私のヒカリの前で、よくもそんな汚い口上を長々と喋ってくれたね……。そして、その薄汚い泥棒の獲物を、私のヒカリに向けた……」

 

ブワッ、と私の足元から、現実世界の光を喰らい尽くすような漆黒のシャドーオーラが噴き出す。クリーム色のブラウスが、黄色のハイウエストスカートが、ドロドロとした「影」へと還っていく。

 

「な、何だあいつは!?」

 

「人間が消え……ひ、ギャアアアアッ!?」

 

ロケット団が絶叫する。空間がバリバリと音を立てて割れ、そこへ現現したのは、六本の漆黒の触手を狂暴にうねらせる、ギラティナの圧倒的な巨体だった。

 

「グルルルルル……ッ!!」

 

神の咆哮。それだけで、襲いかかってきていたハブネーク、ドクケイル、サボネアの三匹は、技を繰り出すどころか、絶対的な恐怖の波動によって一瞬で精神を破壊され、白目を剥いて地面に転がった。文字通りの「瞬殺」だった。

 

「ひ、ひええええ! 何よあの化け物ーーー!?」

 

「図鑑に載ってないぞニャース!?」

 

「とにかく退散にゃあああ!」

 

『逃がさないよ』

 

私は黄金の瞳を狂気に染め、一本の触手を軽く横に振るった。ただそれだけの動作で、凄まじい暴風と衝撃波が巻き起こり、ロケット団の三人組は哀れな悲鳴をあげながら、空の彼方へと弾き飛ばされて星になった。

 

「……ふぅ」

 

静寂が戻った森の中で、私はゆっくりと力を収束させ、再び小さな人間の姿へと戻る。頭の黄色いリボンをきゅっと整え、何事もなかったかのようにヒカリを振り返った。

 

「ティ、ティナ……。今のは、さすがにやりすぎじゃ……。それに、人前でそんな姿になったら、ティナが捕まっちゃうかもしれないんだよ……?」

 

ヒカリはロケット団よりも、私の身を本気で心配して、青い髪を揺らしながら駆け寄ってきた。その優しさが、たまらなく愛おしい。私はヒカリの両手をそっと握り、頬を紅潮させながら、うっとりとした笑みを浮かべた。

 

「いいの。ヒカリを守るためなら、私は世界中を敵に回したって構わない。誰がわたしを見ようと、誰に正体がバレようと、ヒカリが私の隣にいてくれるなら、なんだっていいんだよ……?」

 

「ティナ……」

 

ヒカリは私の重すぎる愛の言葉に、少しだけ圧倒されたように頬を染め、困ったように微笑んだ。ロケット団が消え去った草むらで、気絶しかけていたピカチュウが、恐怖と困惑の混ざった目で私たちを見上げていた。けれど、そんなネズミの視線なんてどうでもいい。

 

(ヒカリは私の『大好きな親友』。なら、その親友を傷つける害虫は、私が全部、この世から消し去ってあげる)

 

私はヒカリの手を繋いだまま、マサゴタウンのさらに先、コトブキシティへと続く道を歩き出す。私の心の中の暗黒は、ヒカリの光に照らされながら、ますます深く、歪に膨れ上がっていくのだった。

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