「あーっ! もう、サトシは黙っててよ!」
「なんだよヒカリ、俺は先輩としてアドバイスしてやってるんだぞ!」
森の開けた場所で、ヒカリとサトシが激しく言い争っていた。原因は、さっき遭遇した野生のミミロルだ。ヒカリがゲットしようと意気込んでいたところに、サトシが「バトルの基本はなー」と上から目線で口を出したせいで、ミミロルは驚いて逃げてしまったのだ。
「アドバイスなんて頼んでないわよ! 私だってちゃんとやれるんだから!」
「なんだとー!?」
ぷりぷりと怒るヒカリの横で、私はフリルブラウスの裾をきゅっと握り、サトシを冷徹極まりない黄金の瞳で睨みつけていた。
(目障りな虫……。ヒカリの邪魔をして、あまつさえその綺麗な顔を曇らせるなんて。今すぐあの生意気な口を引き裂いて、二度と喋れないようにしてやろうか……)
私の脳内でどす黒い殺意が膨れ上がる。タケシが「まぁまぁ、二人とも落ち着けって」と宥めているが、私の怒りは収まらない。
「おや、綺麗な小鳥たちが囀り合っているかと思えば、元気なトレーナーさんたちでしたか」
その時、高貴な緑衣を着用した青年が、穏やかな微笑みを浮かべて草むらから現れた。彼の手には黄金のハープが握られており、足元には一匹の小さな蕾のポケモン――スボミーが佇んでいる。
青年の名はナオシ。音楽を愛し、ポケモンと共に旅をする吟遊詩人だという。
「サトシに私の実力を見せてあげる! ナオシさん、私とバトルしてください!」
サトシへの対抗心に燃えるヒカリは、勢いよく前に出た。そして、癖でいつものように私の手を引こうとして――ハッと息を呑み、動きを止めた。
「あ……いや。行って、ポッチャマ!」
「ポチャッ!」
ヒカリは私を見た。旅の仲間であるサトシたちの手前、人間の姿をした私を「ポケモンとしてバトルに出す」わけにはいかないと瞬時に判断したのだ。その配慮自体は愛おしかったが、私の代わりにあの水色のペンギンがヒカリの前に立つことが、猛烈に不愉快だった。
しかし、バトルは非情だった。ヒカリとポッチャマの息はまだ完全に合っておらず、ナオシのスボミーが放つ洗練された「ソーラービーム」の前に、ポッチャマはあっけなく戦闘不能になってしまった。
「ポッチャマ!」
「……フフ、良いバトルでした」
ナオシが微笑んだ瞬間、スボミーの身体が白い進化の光に包まれる。光が収まった後に現れたのは、両手に赤と青の薔薇を持つポケモン――ロゼリアだった。
サトシを黙らせるどころか敗北してしまい、ヒカリは悔しそうに唇を噛んでいる。その姿を見た瞬間、私の胸の中で、サトシへの怒りとナオシへの敵意が限界を超えて弾けた。
「……そこまでにしてもらえるかな」
私が冷たく言い放ち、一歩前に出る。その瞬間、周囲の空気が一変した。森のざわめきが消え、空間そのものが重く沈み込む。
ナオシはハープを爪弾く手を止め、細めていた目を大きく見開いて私を見つめた。
「おや……。お嬢さん、あなたは一体……? いえ、『何』とお呼びすべきでしょうか。人の姿をしていますが、あなたの魂から響く調べは、人間のものではない」
流石は自然の声を聴く詩人と言うべきか。ナオシは、私が人間ではないことを見抜いた。サトシとタケシが「えっ?」「ティナが人間じゃないって、どういうことだ?」と困惑の声を上げる。私は何も答えず、ただじっとヒカリを見つめた。
(ヒカリ。どうする? この場で全員、私の世界の底へ沈めて、二人だけの旅にする?)
私の瞳がそう問いかける。私がヒカリに判断を委ねると、ヒカリは一瞬迷ったように視線を彷徨わせたが、ナオシの穏やかな瞳を見て、意を決したように首を振った。
「ナオシさんは、悪い人じゃないと思う……。ティナ、大丈夫だよ。皆に本当のことを教えてあげて」
ヒカリの言葉は、私にとって絶対の神託だ。
「……分かった。ヒカリがそう言うなら」
私が小さく呟いた瞬間、私の身体を構成していたクリーム色のブラウスとハイウエストスカートが、漆黒の霧となって霧散した。
空間がベリベリと音を立てて歪み、現実世界の法則が捻じ曲がる。次の瞬間、そこに現れたのは、全長数メートルに及ぶ黒き翼の触手を持った異形の神――ギラティナだった。
「グオオオオオオオオッッ!!!」
天地を揺るがす地響きのような鳴き声。
「う、うわぁぁぁぁぁーーーっっ!? なんだこのポケモンは!?」
「図鑑にも載っていない……いや、これはシンオウの古代神話にある、裏の世界の……!」
サトシは腰を抜かさんばかりに驚愕し、タケシはあまりの圧倒的な存在感に言葉を失ってガタガタと震えている。ナオシもまた、驚愕のあまりハープを落としそうになりながらも、その圧倒的な「美と恐怖」の調べに、魂を揺さぶられたように感嘆の声を漏らした。
「素晴らしい……。まさか、世界の裏側に潜むと言われる伝説の神に、このような場所で出会えるとは……!」
『――わたしのヒカリを負かせた罪、その身で購ってもらう。不満があるなら、その薔薇の地頭で受けて立ちなさい』
私の声が、彼らの脳内に直接響く冷徹な【念話】として轟いた。ギラティナとしての姿のまま、私はロゼリアを睨みつける。ロゼリアは神の圧倒的な威圧感の前に、全身の毛を逆立て、恐怖に涙を浮かべてガタガタと震えていた。しかし、ナオシのトレーナーとしての矜持が、それを拒んだ。
「ロゼリア、怯えてはなりません! これほどの存在とまみえる機会など、二度と訪れません! 『マジカルリーフ』!」
恐怖を振り払うように、ロゼリアが放った無数の光る葉。しかし、それは私の外殻に触れることすらなく、周囲の空間の歪みに吸い込まれて消え去った。
『――片腹痛い』
私が一本の影の触手を軽く一閃させた。ただそれだけだった。巻き起こった漆黒の爆風がロゼリアを直撃し、ロゼリアは悲鳴を上げる間もなく吹き飛ばされ、一撃で戦闘不能となった。
圧倒的な、文字通りの圧勝。神と通常のポケモンの間にある、絶対的な境界線を見せつけるバトルだった。
私はすぐに力を収束させ、再び頭に黄色いリボンをつけた人間の少女の姿へと戻った。そして、何事もなかったかのようにヒカリの隣へと寄り添う。ナオシは戦闘不能になったロゼリアを労うようにボールへ戻すと、深く、深く私に向かって一礼した。
「完敗です。私は元々、ポケモンの美しさを競うグランドフェスティバルだけを目指して旅をしていましたが……。今日、ティナさんの圧倒的な強さと、それを包み込むヒカリさんの輝きを見て、心が決まりました。私はコンテストだけでなく、シンオウリーグのバッジも集め、強さの深淵も目指そうと思います」
ナオシはそう言うと、清々しい笑顔をヒカリと私に向けた。
「お二人のおかげで、私の人生の調べがまた一つ増えました。ありがとう」
詩人はハープを背負い、静かに森の奥へと去っていった。残されたサトシとタケシは、未だに私を信じられないような目で見つめている。特にサトシは、私の正体を知ってなお、どこかワクワクしたような視線を向けてくるのが最高に鬱陶しかった。
「ティナ、守ってくれてありがとう」
ヒカリが私の手を握り、優しく微笑む。その温もりに、私の凍った心は一瞬で溶かされていく。
(いいんだよ、ヒカリ。私を拒まないで、皆の前で存在を認めてくれた……それだけで、私は満たされる。サトシ達に正体がバレたのは癪だけど、もし彼らがこれ以上君に近づくなら、いつでもその命ごと刈り取ってあげるからね……?)
サトシたちの畏怖の視線を浴びながら、私はヒカリの手をギュッと握り返し、心の奥底で誰にも気づかれない狂気の笑みを深く、深く刻むのだった。