シンオウ地方でも有数の大都会、コトブキシティ。高層ビルが立ち並び、テレビ局の電波塔がそびえ立つその街に、私達は到着していた。
旅を始めて数日。サトシは新たにナエトルを、タケシは不気味な顔をしたグレッグルを仲間に加え、そしてヒカリは、念願だったあの野生のミミロル(以前に森で出会ったのとは別個体の、少し恥ずかしがり屋な子)を無事にゲットしていた。
ヒカリの新しいポケモン達が増える度に、私の胸の奥の澱は厚くなっていく。けれど、今の私はヒカリに「一番の親友」として認められた特別な存在。その優越感だけで、私は辛うじて正気を保っていた。
「あぁ〜! どこにも売ってないよぉ……!」
街の時計塔の前で、ヒカリが頭を抱えてしゃがみ込んだ。間近に迫ったポケモンコンテストのデビュー戦を前に、ヒカリはどうしてもコーディネーターに必須と言われる便利ツール「ポケッチ」が欲しかったのだ。けれど、どこのショップを回っても、不具合による回収作業とかで在庫は一切なかった。
「うぅ、ポケッチがないとコンテストの準備が……」
「落ち込まないで、ヒカリ。そんな玩具が無くても、ヒカリの魅力は世界一だよ」
私はヒカリの肩にそっと手を置き、耳元で囁く。玩具なんか無くても、私が君の全てをサポートしてあげるのに。そんな私の歪んだ慰めなど露知らず、ヒカリは「ありがとう、ティナ」と力なく笑った。
その時だった。賑やかな通りを歩いていると、カラフルな衣装を纏った3人組のピエロが、声を張り上げて何かを配っていた。
「はい、いらっしゃい! 今なら大人気のポケッチが、なんと無料で手に入っちゃうよ!」
「えっ!? 本当に!?」
ヒカリの瞳がパッと輝く。サトシやタケシ、そしてヒカリは、大喜びでピエロからポケッチを受け取った。近くの公園のベンチに座り、早速腕にポケッチを装着してはしゃぐヒカリ達。
「やったぁ! これで私も一人前のコーディネーターに一歩前進だね、ティナ!」
嬉しそうに液晶画面をタップするヒカリ。だが、私はその画面を見つめた瞬間、前髪の奥の黄金の瞳を不快そうに細めた。空間の歪みを感知する私の神としての五感が、その機械から発せられる微弱で、ひどく安っぽく悍しい電波を捉えていた。
「……ヒカリ、それ、捨てて」
「えっ? どうして?」
「それ本物じゃない、偽物。中に変な機械と……生き物の怨念みたいな安っぽい音が混ざってる」
私が冷酷な声で告げた瞬間だった。
「お姉ちゃん、勘が鋭いね!」
小柄なお坊ちゃま風の服を着た少年が、トコトコとこちらへ歩いてきた。少年の名はテルヒコ。彼はヒカリの腕からポケッチを奪い取ると、近くの噴水の水に容赦なく浸した。すると、みるみるうちに綺麗な塗装が剥がれ落ち、中から錆びた鉄くずと不格好なプラスチックが露出した。
「ああっ! 私のポケッチが……!」
「これは全部偽物さ。僕のパパの会社『ポケッチカンパニー』の評判を落とすために、誰かがバラ撒いてるんだ。本物を見せてあげるから、僕についてきて!」
テルヒコに案内されて訪れたポケッチカンパニーの本社ビル。そこで私達は、彼の父親である社長から本物のポケッチを見せてもらった。社長は、現在街中に出回っている偽物の回収作業に追われ、頭を悩ませているという。ヒカリはがっかりしたものの、偽物が出回っている理由までは分からなかった。
――しかし、その理由は、その日の夜に明らかになる。
フカフカのホテルのベッドで、隣で眠るヒカリの寝顔を愛おしく見つめていた時のことだ。深夜の静寂を破り、街の何処からか「コダ、コダ……」という、妙にエコーの効いた不気味な声が響いてきた。
ふと窓の外を見ると、驚くべき光景が広がっていた。サトシのナエトル、タケシのグレッグル、そしてヒカリのポッチャマやミミロルまでもが、虚ろな目をして、まるで操られるようにゾロゾロと部屋を出て、街外れへと歩いていくのだ。
「皆どうしちゃったの!? 待って!」
目を覚ましたヒカリたちが慌てて後を追う。夜の森の奥へと進むと、そこには巨大な集音器のようなメカと、あの昼間のピエロ――ロケット団の姿があった。
彼らは食べ物で釣って無理やり協力させていた野生のコダックの「さいみんじゅつ」の電波を、偽のポケッチを通じて増幅し、街中のポケモンを一網打尽に誘拐しようと企んでいたのだ。
「またあなた達ね! ポッチャマ、ミミロル、目を覚まして!」
「無駄よジャリガール! 催眠波の出力はマックスよ!」
ムサシ達が下劣に笑う。ヒカリを守るため、私がまた擬人化を解こうと一歩前に出かけたその時――サトシとヒカリ、そしてタケシが、強い絆の力でポケモンの催眠を打ち破った。
「ポッチャマ、バブルこうせん!」
「ミミロル、ピヨピヨパンチ!」
正気を取り戻したポケモン達の猛反撃、そしてサトシのピカチュウの電撃によって、ロケット団のメカは大爆発を起こし、彼らはいつも通り夜空の彼方へと吹き飛んでいった。捕まっていた街のポケモン達も、無事に解放されたのだった。
翌朝、事件を解決したお礼として、ポケッチカンパニーの社長から、ヒカリは念願の本物のポケッチをプレゼントされた。
「やったぁ! 本物のポケッチ、すっごく格好いい!」
「よかったな、ヒカリ!」
サトシ達と喜び合うヒカリを、私は微笑ましく、けれどどこか冷めた目で見つめていた。すると、社長がにこやかに教えてくれた。
「そのポケッチにはね、新機能の『なつきチェッカー』がついているんだ。画面をタッチすると、そのポケモンがどれくらいトレーナーを愛しているか、ハートの数で分かるんだよ」
「へぇ! 面白そう!……ねえ、ティナ、試しにやってみてもいい?」
ヒカリがキラキラした瞳で私を見る。
「……うん。ヒカリがやりたいなら、いいよ」
私達はポケッチカンパニーを出た後、コトブキシティ郊外の人気の少ない森に来た。そこで私が擬人化を解き、ギラティナになる。サトシ達は相変わらず神の姿に怯えていたが、ヒカリは慣れた手つきで液晶画面を私の大きな金色の外殻へと近づけた。
「えっと、画面を長押しして……ティナの私への『なつき度』は――」
ピピッ、と電子音が鳴る。画面には、私のドット絵が表示され、その周囲にハートのマークが浮かび上がる――はずだった。
――ブゥゥゥゥゥンッッ!!!!
突如として、ポケッチのスピーカーから、聞いたこともないような甲高い、耳が裂けるような【警告音】が鳴り響いた。
「えっ!? な、なにこれ!?」
「おい、画面の文字がめちゃくちゃだぞ!」
サトシが叫ぶ。液晶画面の中に表示されたハートのマークは、1つ、2つというレベルではなかった。数千、数万、いや、数億もの黒く歪んだハートのドットが画面を埋め尽くし、バグを起こしたように激しく点滅している。液晶の奥の基盤から、パチパチと青い火花が散った。
『――アハ、あはははは! 計算できるわけないじゃない、そんな安物で』
私の【念話】が、ヒカリ達の脳内に直接響き渡る。それは、冷徹でありながら、狂おしいほどの悦びに満ちた神の声だった。
『私のヒカリへの愛が、たったこれだけの機械に収まると思ったの? 私の魂は世界の裏側も、現実世界も、全ての時空を狂わせるほど――君だけで満たされているのに!』
バチィィンッッ!!!
次の瞬間、ポケッチの画面は激しい煙を吹き上げ、完全に破裂して沈黙した。液晶は真っ黒に焦げ付き、二度と動かないスクラップへと成り果てた。
測定不能。神の狂愛の質量に、人間の科学が耐え切れず、文字通り「崩壊」したのだ。
「ひ、ひえぇぇぇ……!」
サトシとタケシは、私の底知れない執着の深さに背筋を凍らせていた。私はスッと人間の少女の姿へと戻り、焦げた機械を見て呆然としているヒカリの手から、それを優しく取り上げてゴミ箱へと捨てた。そして、ヒカリの細い手首を、今度は私が代わりにきゅっと握りしめる。
「ごめんね、ヒカリ。機械、壊しちゃった」
前髪の奥から私はヒカリだけを見つめ、妖しく、歪んだ笑みを浮かべた。
「でも、これで分かったでしょ? 私の『なつき度』なんて、人間が決めた基準じゃ測れないの。私がヒカリを愛する強さは、世界が滅びても変わらないんだから……ね?」
ヒカリは私の握る手の強さと、その黄金の瞳の奥にある底なしの闇に、息を呑んで体を震わせることしかできなかった。
コンテストデビューを前に、ヒカリは知ることになる。自分のすぐ隣には、自分を世界で一番愛し、そのためならいつでも世界を壊せる「最凶の親友」が微笑んでいるということを。