コトブキ大会での華々しい優勝から数日。私たちの旅は、次の目的地へと向かって続いていた。サトシのジム戦などの紆余曲折を終え、緑豊かな平原を歩いていた時のことだ。
突如として、草むらから白い閃光のようなものが飛び出してきた。大きな尻尾を揺らし、頬の電気袋をパチパチと光らせる、でんきリスポケモンのパチリスだった。その愛くるしい見た目と無邪気な動きに、ヒカリは一瞬で目をハートに染めた。
「かわいぃぃぃ……! よし、絶対にゲットするんだから! ポッチャマ、バブルこうせん!」
「ポチャッ!」
ポッチャマの攻撃をひらりと躱したパチリスは、楽しそうにステップを踏みながら、ヒカリが投げたモンスターボールにあっさりと吸い込まれていった。カチリ、とロックがかかる音が平原に響く。
「やったぁ! パチリス、ゲットで大丈夫!」
大喜びでボールを掲げるヒカリ。サトシやタケシも「おめでとう!」と祝福している。だが、その輪から一歩引いた影の中で、私は胸が引き裂かれそうなほどの不快感に襲われていた。
ポッチャマやミミロルだけでも鬱陶しいのに、またヒカリの愛情を分散させる害獣が増えたのだ。フリルブラウスの胸元にある黄色いリボンをきゅっと握りしめ、私は黄金の瞳の奥で冷酷な光を走らせていた。
しかし、そのパチリスは、ヒカリの想像を絶するほどのおてんばだった。ボールから出された途端、目にも留まらぬ速さで周囲を走り回り、サトシの髪を放電で爆発させ、ヒカリの自慢の髪の毛まで静電気でライオンのように膨らませてしまったのだ。
更に、次のコンテストはパチリスと出ようと意気込んでポフィンをあげても、全く言うことを聞かずに遊び呆けている。
「うぅ……全然言うことを聞いてくれないよ……」
夕暮れ時、疲れ果てたヒカリは木の下で膝を抱え、すっかり自信を失っていた。
「……ヒカリ、大丈夫? あんなに言うことを聞かない子は、ヒカリの特別なパートナーには相応しくないよ」
私は優しくヒカリの背中を撫でながら、甘く囁いた。そう、あんなネズミなど今すぐ捨ててしまえばいい。ヒカリはしばらくパチリスの楽しそうな寝顔を見つめていたが、意を決したように立ち上がった。
「……うん。パチリスは私と一緒に旅をするより、以前みたいに広い野原を自由に走り回って遊んでいる方が、きっと幸せなんだわ」
ヒカリは涙を浮かべながら、パチリスをモンスターボールから出し、野生へと帰す選択をした。
「バイバイ、パチリス。元気でね……!」
振り返らずに走り去るヒカリ。その後ろ姿を追いかけながら、私の内側では、抑えきれないほどの歓喜が爆発していた。
(あはは、やった……! 消えた、あの邪魔者が消えた! やっぱりヒカリには、私だけでいいんだ。人間の姿の私と、あの水色のペンギンだけで十分なんだよ……!)
私の口元が、悦びで歪みそうになるのを必死で堪える。これ以上ないほど、最高の気分だった。だが、私の幸福な時間は、サトシとタケシという『余計な部外者』の言葉によって、あっけなく打ち砕かれた。
「おいおいヒカリ、本当にあれで良かったのか?」
「そうだよ。一度捕まえたなら、もっとじっくり向き合ってみるべきじゃないか?」
2人に諭され、ヒカリはハッと我に返ったように俯いた。
「……そうだよね。私、自分が上手くいかないからって、パチリスのせいにして逃げちゃっただけかも……。もう一度、パチリスを探して、仲間になってもらう!」
「え……?」
私の思考が一瞬、真っ白にフリーズした。せっかく排除できた害獣を、わざわざ自分から探しに戻るというのか。ヒカリの純粋すぎる優しさが、この時ばかりは私の胸を激しくナイフで突き刺した。
私たちはパチリスを手放した平原へと引き返した。すると、遠くの草むらで、あの大掛かりな集音器を積んだメカ――ロケット団の姿が見えた。彼らもまた、野生に戻ったパチリスを見つけ、捕まえようと網を広げていたのだ。
「ああっ! パチリスがロケット団に捕まっちゃう!」
ヒカリが声を上げる。しかし、彼女の足が一瞬、躊躇うように止まった。
「……待って。あのパチリスは、さっき私が自分の意志で手放したポケモン。だから、今はもう野生のポケモンなんだわ。それを他の人がゲットしようとするのを邪魔するのは……トレーナーとしての道理に合っていないんじゃないかな……?」
ヒカリは真面目な子だ。一度捨てた身でありながら、他人のゲットを邪魔する資格などないのではないか、と激しい葛藤に苛まれていた。
『――そんな道理、クソ喰らえだよ』
私の【念話】が、葛藤するヒカリの脳内に直接、冷徹に響いた。
『ヒカリがまたあの子を欲しいなら、道理なんて関係ない。邪魔する奴は、私がその命ごと消してあげる。だから、ヒカリの心のままに動きなさい』
私の言葉に背中を押されたのか、ヒカリの瞳に強い光が戻った。
「……うん! 道理なんて後回し! パチリスを、あんな悪者達に渡してたまるもんですか!」
ヒカリは叫び、ロケット団の前に立ちはだかった。
「待ちなさい、ロケット団! パチリスは渡さないわ!」
「なんだぁ? 一度手放したジャリガールのくせに、未練たらしいのよ!」
ムサシが下劣に笑い、ハブネークたちを繰り出してくる。その時だった。檻の中にいたパチリスが、何を思ったのか突然「パチー!」と嬉しそうに声を上げ、ロケット団のコジロウの肩に飛び乗って、スリスリと甘え始めたのだ。
「おや? このパチリス、俺たちの仲間になりたいみたいだぞ?」
「うそ……パチリス、ロケット団の仲間になっちゃうの……?」
ヒカリがショックで顔を青くする。だが、それはおてんばなパチリスの「罠」だった。ロケット団が油断した一瞬の隙を突き、パチリスの全身から、凄まじい高電圧の電撃が放たれた。
「ギャァァァァァーーーッッ!!!」
身内からの至近距離での大放電を浴び、ロケット団とそのメカは、一瞬で消し炭のように真っ黒になってガタガタと震え出した。役目を終えたパチリスは、檻から軽頭に飛び出すと、一直線にヒカリの元へと走ってきた。
そして、ヒカリの足元で「パチパチッ!」と、嬉しそうに尾を振ったのだ。自分の実力を見せつけ、ヒカリの元へ戻るために、わざとロケット団を騙したのだ。
「パチリス……! 私を助けるために、あんな演技を……。私のこと、気に入ってくれてたんだね!」
ヒカリが涙を流してパチリスを抱きしめる。その感動的な再会の光景を、斜め後ろから見つめていた私の表情から、完全に全ての血の気が引いていた。前髪の奥にある黄金の瞳は、今や絶対的な暗黒に染まっている。
(……チッ。クソネズミが、生意気な真似を……)
私の内側で、明確な舌打ちの音が鳴り響いた。せっかく手放されたというのに、自力でヒカリの元へ戻ってきたばかりか、以前よりも深い絆で結ばれてしまったのだ。今すぐその白い尻尾を掴んで、反転世界の果てまで放り投げてやりたいほどの激しい憎悪が、ふつふつと湧き上がる。
「あ、コラ! まだ終わってないわよ!」
黒焦げになったムサシたちが、執念深く這い上がってきた。
「……うるさい。消えろ、羽虫共が」
私は溜まりに溜まったストレスと怒りを全てぶつけるように、人間の姿のまま、右手を軽く一閃させた。擬人化を解くまでもない。ギラティナの持つ力の波動が、目に見えない衝撃波となってロケット団を直撃した。
「何これぇぇぇぇぇぇーーー!!?」
悲鳴と共に、ロケット団は一瞬で空の彼方へと吹き飛んでいき、またしても綺麗な星となった。
「ありがとう、ティナ! ……よし、パチリス、これから改めて、よろしくね!」
ヒカリはパチリスを抱き上げたまま、私に向かって満面の笑みを浮かべた。パチリスもヒカリの胸の中で、勝ち誇ったように私を見て「パチッ」と鳴いた気がした。
「……うん。良かったね、ヒカリ。新しい仲間が増えて、わたしも……すっごく、嬉しいよ」
私は胸元の黄色いリボンを指が白くなるほど強く握りしめながら、顔を引きつらせて、いつもの『優しい親友』の笑みを浮かべた。
(いい気にならないでよ、クソネズミ。ヒカリの隣は、私の席なんだから。もしこれ以上ヒカリに甘えるなら……今度は事故に見せかけて、完全にその息の根を止めてあげるからね……?)
ヒカリの新しい仲間の誕生を祝う空気の裏側で、私はパチリスに向けて、誰にも気づかれないように底冷えするような殺意の視線を、深く、深く突き刺すのだった。