ジューンブライドイベント!
ジューンブライド。
それは一種のおまじないだ。6月に結婚した花嫁は幸せになれる、という願掛けとも言える。
枕元に置いていたデジタル時計が六月一日の零時を示した時、由良来はふとその言葉を思い出した。
「……由良来ちゃん、どうかしましたか?」
「んーん、なんでもない」
カミとは気まぐれなものだが、中には人々を愛するがゆえにおかしな方向へと爆走するタイプのカミも多いという。
ジューンブライド、6月の花嫁。
ジューンの名の元となりしカミ、ユノーもまたそういう神だと前にアラハバキが言っていた。
だからなんだという話なのだが。結婚だとか、花嫁だとか、そんな話は自分にはまだ遠すぎるものだ。
由良来はぼうっとしながら、柔い肌に顔を埋めて愛おしい体温を感じた。
□
「ユノー教団?」
「ん、この時期になるとどこからともなく現れる変な呪詛犯罪組織」
「呪詛犯罪組織っていうか、特異な運動っていうかネ。まぁ、しぶといって意味では厄介なものサ」
翌日。由良来は自らの所属する部隊、特務実働隊『L63』その専用隊舎に出勤するや、すぐに隊長である朝霞刀岐に呼び出されていた。
刀岐がいつもの無表情で下したのは新たな指令。
補足するように言葉を続けたのは、同じL63のメンバーである八鱗開子だ。車椅子に預けた長い手脚を組み変えながらユノー教団について話す開子のその心底気怠げな様子から、件の組織がそれなり以上に厄介な存在であることを察した由良来は居住まいを正してしっかりと話を聞く体勢を取る。
「まあ一言に言えば、儀礼的な意味で六月最大の存在、ジューンブライドのムーブメントにかこつけて傍迷惑な主義主張を振りかざす輩サ」
「その主義主張とは……?」
「そりゃぁまあ、六月の幸せな花嫁には女神からの絶対的な特権が与えられているので、法律的にも特異点的、超法規的な特権が与えられて然るべきとかいう肥大した妄想も甚だしいふざけた話なんだけど……」
歯切れ悪く言葉を切った開子に由良来がその続きを促すよりも早く、隣でいつもの無表情のまま二人を見ていた刀岐が代わりに口を開く。
「ユノー教団は本当にカミ、ユノーの加護を受けている」
「ユララちゃんはアラハバキから聞いてるからわかると思うけど、今のご時世カミ様は絶滅危惧種サ」
カミとは由良来達人間、ホモ・サピエンスに分類される生物より前に、この世界にニンゲンとして君臨した、言わばニンゲンの前世代モデルだ。
そのほとんどはデストラクション・ポイント、絶滅期に死滅してその骸が幽世に、零界に溶けてただのリソースへと還元された。界異とは零界に漂う無数の“次のニンゲンモデルになるはずだった”進化の袋小路的仮想存在設計図、それを元にかつてカミであった無限のリソースが形を与えたモノ。というのが学会の定番の一つ、【夢幻泡影】理論なのだが、それは閑話休題。
とにもかくにも、カミという存在が現世にはもうほとんど影も形もない、ということだけを由良来は知っている。
「日本じゃ昔から八百万のって言うけれど、多分まだご存命のカミ様は百も残っていない。その上、人間に加護を与えられるようなカミ様はもっと少ない。ユノーっていうカミ様はどういうわけかデストラクション・ポイントを生き延びてなお力が残っていて、それを妙なカルト組織に貸している。それは由々しき事態ってワケ」
『まーだやってんのかアイツ』
「やあやあ、元気そうだねアラハバキくん」
『おゥ、百足女にアサカトキ、相変わらず真面目に働いてんなァ』
にょっきりと由良来の肩から姿を現したのは、影でできたチンアナゴのような存在。
由良来の相棒であり、五号級界異の最上位に位置する一体【アラハバキ】だ。今は由良来の身体に閉じ込められており、相棒として振る舞っている。
カミが極めて恣意的で自己中心的な存在であることは由良来自身、身を持って知っていた。または独善的であることも。
そのユノーもまた、しばらく前に由良来がアラハバキに聞いたことと違わず、独善的で妄信的な存在なのであろう。かく言うアラハバキ自体が、その力持つ特異なカミであるのだから疑いようはあまりない。
「そ、それで、わたしの仕事は……?」
「ん。ユノー教団はユノーから与えられたその力を使って、毎年この時期に信徒を増やしては大規模なデモや公共機関への襲撃を行っている。加えて、この組織には多くの誘拐の嫌疑がかけられている。目的は不明」
「つまり、必要なのは重要な施設とか街中の警備ですか?」
由良来の着地点は最もなものだ。
境界対策課の仕事は基本的に対処療法である。しかしそれとは別に、こうしたそれなり以上に知名度のあるムーブメントやイベントごとでは百パーセントと言っていいほど何らかの境界異常や呪詛的アクシデントが発生する。それに事前に対処するべく各地の会場や重要施設の警備を強化するのも祓魔師の仕事の一つである。
「ん、山城桃花と共にこのユノー教団の拠点に潜入して欲しい」
「へ? 桃花さんとですか?」
「そう。潜入後、決定的な証拠を掴むか、教祖を捕らえるか。もしくは誘拐された人々を救出する。やり方は任せる」
ゆえに、突拍子もないような潜入という言葉、それも友人であり姉貴分であり、恋人である山城桃花を伴ってという指示に目を丸くする。
お世辞にも桃花は戦闘が得意ではないし、潜入もあまり得意そうには思えない。適任かどうかで言えば間違いなく違うであろうが……。
「ユノー教団は異性同性を問わず、恋人や夫婦という存在を大切にする教義を持つんだネ。そして相手は曲がりなりにもカミの加護を与えられる者達、本物でなければ簡単に見抜かれて潜入なんてできないってワケサ」
「境界対策課としてはこれ以上野放しにするわけにはいかない。ここで決着をつけなければならない。だからこそ在原由良来と山城桃花、あなたたちの力がいる。やってくれる?」
「なるほど……」
自分一人では決められない、そう言おうと思ったが、よくよく考えてみると桃花はこういう話にはどちらかというと勇んで乗るタイプであることを由良来は知っていた。
まあ間違いなく頷く気はしていたが、由良来は一先ず了承を取ってみると答える。
話を聞く限りそこまで危険な任務ではなさそうであるし、いざという時は自分が護れるという確信もあった。
「こちらは八鱗と狐月で討ち漏らしがないよう周囲で待機する」
「討ち漏らしって……まぁ、そういうことダネ。二人が安全に任務をこなせるように、フォローは任しておいてヨ」
「は、はい! よろしくお願いします!」
満足そうに頷いて隊舎を後にした刀岐の後ろ姿を見届けながら、どうやって桃花を説得しようか頭を捻る。
なお、当の山城桃花は二つ返事で快諾した。
□
潜入当日。その日は都会のど真ん中に位置する某公園にて、ジューンブライドに準えてのイベントが行われていた。緑豊かな公園を突き抜ける大きな道には出店が並び、いくつかの出資者団体がブースを設けて出し物を行う。歴としたイベントだ。
ここにユノー教団もブースを設けて参加するというのだから、その意外な勢力の大きさに由良来は驚いた。
「で、この格好は……?」
「な、なんか、教団の装いはこれじゃなきゃダメみたいで……」
周りには老若男女があって、特に思考性のない普遍的な格好をした人間も多い。そのほとんどは通りすがりの見物客だろう。
しかしこのイベントの参加者達は違う。
タキシードやウェディングドレスを身に纏った人間達の姿。それはこのイベントの一般参加者の正装だ。
二人もまた、潜入するための正装に身を包んでいた。
「なんだかムズムズしますね……」
「ふふ、でも似合ってますよ、由良来ちゃん」
「んっ、桃花こそ……」
「ではきっとお似合いの二人に見えているのではないでしょうか、きっと」
珍しく髪を結った由良来は白のタキシードを、桃花は純白のウェディングドレスに身を包み公園の入り口に立っていた。
まだ学生である二人ともに着られている感じは否めなかったが、しかしその初々しさは新婚の二人を想わせるだけの雰囲気を醸し出してもいた。
『ヒューヒュー、お熱いじゃねえか』
「うっさい」
「こんにちはアラハバキさん」
『おう。新婚ごっこ楽しめよ』
由良来の肩からいつものようにアラハバキがにょっきりと姿を現す。
悠久に等しい時を生きて、多くの憑代の生を見てきたアラハバキからすれば、色気付いた子供二人の戯れなどわざわざ気に留めるほどでもないものだが。であっても茶化さずにはいられないのがアラハバキというカミの性。それだけ言うとアラハバキは再び由良来の中へと潜った。
顔を薄ら赤らめながら、二人はパンフレットを片手にユノー教団のブースへ向かう。
「教団への入信は毎年このイベントで申し込むんですよね?」
「開子さんはそう言ってたけど……ブースで出し物に参加しなきゃいけないっていうのは手間ですね」
「まあ、由良来ちゃんもそう言わずに。せっかくなんですからこのイベントを楽しみましょう?」
「ぅっ……わ、わかりました」
まだ気恥ずかしさは抜けないが、それでもせっかくの恋人と二人きりの時間だ。
他のブースでの出し物や出店の料理などをつまみながら、二人は一際大きなブースの入り口に辿り着く。
「わぁ……教会ですよ。すごいですね、桃花」
「そうですね。雰囲気が大事なのはわかりますけれど、こんなに立派な教会を建ててしまうなんて」
二人の前には大きな教会が建っていた。その堂々たる姿は簡易敷設のプレハブのようにも見えない。
まるで十年、いや下手すれば一世紀もそこに存在しているかのようにも思える、そんなしっかりとした建て付けと装飾の教会だった。
『これは、境界異常だな。気をつけろ相棒』
「え、境界異常なんですか? こんなに神聖な建物なのに?」
『おう。神聖だろうがなんだろうが、こいつは今日ここにありとあらゆる現世の法則を無視して建設されてる。ちょっと見りゃわかる』
まあよく考えてみればおかしな話ではある。
この公園では年がら年中、何らかのイベントが行われているのだ。仮に出し物のために何か建物を建てるにしても、せめてプレハブ作りのものが精一杯だろう。
だが、目の前のこれは違うとはっきりわかる。異常だ。
「気をつけて行きましょうか……!」
「そうですね、由良来ちゃん」
斯くして二人は重たい扉を開き、中へと足を踏み入れる。
そして次には空間を支配する音楽に、空気に、祝福の嵐に意識を奪われた。
「あ、れ……?」
「桃花、桃花……!」
自らの名を呼ぶ由良来の声に、桃花ははっと意識を取り戻す。
時間にして十秒かそこら。カミすら己の内に封じ込める埒外、測定不可能の被呪耐性を持つ由良来ですら、零コンマ数秒の間意識を飛ばされた。
周囲を見渡せば、そこにはピュー、長椅子に規則正しく座りながら由良来と桃花に拍手を送る人々の姿。正しく一組の新郎新婦を祝福するように。
いつのまにか二人の手には一つのブーケ。
「……桃花、身構えないで」
「は、はい」
幾らかの修羅場を潜り抜けてきた由良来の感が、ここは流れに従うべきだと判断する。
居心地の悪さを感じながらバージンロードを歩き、祭壇へ。そこにはにこやかに微笑みかける司教姿の女がいた。
それがこの場の主人であり、教団の長であることは誰の目にも明らかだった。
女の頭上には光輪があったのだから。
「来ましたね、祝福されるべき二人よ」
超然的と言うべきか。
全ての物事に有無を言わせぬ雰囲気を以て、女はその両手を広げた。
そうして女が口を開いた時、儀式は始まる。
「新郎在原由良来」
新郎。あぁ、タキシードを着ているのだからそうか。自分が新郎で、桃花が新婦。わかりやすい。
綺麗な花嫁さんにも憧れはあるが、まあ愛する人の前ではあまり拘りはなかった。
「あなたはここにいる山城桃花を、
病める時も、健やかなる時も、
富める時も、貧しき時も、
妻として愛し、敬い、
慈しむ事を誓いますか?」
その言葉に、何かを危険だと思うようなことは無かった。
概ね、もしそうなるならばそれを誓ったのは間違いのない事実であったから。
「はい、誓います」
満足気に微笑むと、女の視線は桃花へ。
いきなりの儀式に戸惑いを隠せていないようであったが、由良来がその手を握れば既に覚悟は決まったように目を瞑る。
「新婦山城桃花」
この儀式は選別の儀式なのであろう。
彼女らの教団に入信するに相応しいか否か。その愛の真実たるか。
全てを見極めるための、真の愛の選別。
ならば、何も問題は無かった。
「あなたはここにいる在原由良来を
病める時も、健やかなる時も、
富める時も、貧しき時も、
夫として愛し、敬い、
慈しむ事を誓いますか?」
「……はい、誓います」
互いに、それが間違いではないことだけは確信していたのだから。
「────それでは証を」
証。そんなものは分かりきっている。
人前でする、ということには多少の気恥ずかしさもあったが。しかし今の二人にとっては、そんな気恥ずかしさすらも愛おしいものに感じられた。
手を繋ぎ、目と目を合わせ、どちらからともなく目を瞑る。
「ふふ、なんだか恥ずかしいですね。私たち、まだ学生なのに」
「言わないでよ桃花、わたしだって恥ずかしいんだから」
二人、自然と距離が消えて。唇と唇が重なる。
わずか五秒、しかし二人の中ではまるで悠久の如く穏やかに時が流れて。
「……ここに誓いは成されました。二人に遥かなる祝福を、幸せな花嫁に在らんかぎりの幸福を」
再び、拍手の嵐が巻き起こる。
祝福が空間を満たし、やがて密度を上げていく。二人が異変に気がついたのはすぐだった。しかし時は既に遅かった。
加速度的に増大していく《加護》に偏った霊力は、やがて強い圧力へと変わる。
「「!?」」
────その時、
教会の真ん中を起点にねじ曲がり、渦が全てを飲み込むように周囲の人々を飲み、新郎新婦すら絡めとるように。
「……ッ! 桃花!!」
「ゆ、由良来ちゃん……!」
慌てて伸ばした由良来の手が、どうにか桃花の腰を抱えて引き寄せる。
その姿を見て、光輪の女は首を傾げた。
「おや。あなた達は見える側、わかる側なのですね。斯様に抵抗ができてしまうことは、それそのものが苦しみを長引かせるだけなのですが」
「っ、な、なんのつもりですか……!」
やがて空間の変化は収まる。
着飾ったような神聖な光が差し込み、かえって悪趣味にすら見えるわざとらしい彩られた教会。
その中心たる祭壇で、女は仰々しく両の手を広げて口を開く。
「ふふ、美しい夫婦の愛情です。やはり幸せな花嫁はこうして愛され、護られてこそなのですよ」
「そ、それは詭弁です……!」
由良来の言葉は聞こえてすらいないのか。気に留めるような様子もなく、光輪の女は上気した表情で二人を、桃花を見て、その手を伸ばし握り締める。
二人に、特に桃花を護る由良来に更なる重圧、その身を捻られるような苦痛が襲いかかった。
「っ、ぐぅ……」
「由良来ちゃん……!?」
「あなたにわかるかどうかは知りませんが、ワタシはユノー様の加護を得ています。ここはユノー様の聖域であり、ゆえにこそワタシの力はここで誰よりも強い。カミでもなければワタシに抗うことかないません。諦めなさい、新郎在原由良来」
「好き勝手言って……ッ! 目的はなんですか!」
霊体に直接干渉される埒外の苦しみに汗を流しながらキッと自らを睨みつける由良来に、女は余裕を持って答える。
周囲の空間は捩れ、テクスチャが剥がれ落ち始めていた。それが境界異常の発生に近いものであることを祓魔師の二人は理解していた。
「ワタシの目的は幸せな花嫁の蒐集です。我がカミであるユノー様がそのお力をやがて彼女たちを救うべく解き放つ日、そのために今一時、
要は儀式のリソースとして、条件付け、縛りによって純粋化された存在を多く必要とするのだろう。
祓魔師としてそれなりの場数を踏んできた由良来にとってすれば、その理論に行き当たることは容易かった。
「……あなた方の愛は極めて純度が高く素晴らしいものでした。山城桃花、あなたは正しくジューンブライド、幸せな花嫁と言うべき存在です。是非ともその祝福された霊体は欲しい」
「私の霊体にそんな……」
「ええ。あなたの体があれば、多くの花嫁達が幸せになれるのです。そしていずれはユノー様によりあなたも更なる幸せに導かれます」
女の目は徹頭徹尾桃花にだけ向けられていた。新郎になどは一切の興味が無い、と言外に表して。
苦痛と無視されることへの憤りと、そして何より自らの愛する者に対する一方的な余所者の執着を目の当たりにして。
そろそろ、由良来の怒りも限界だった。
「……さっきから本当に言いたい放題喋ってくれますね……」
「? ええ、申し訳ないですがもはやあなたはほとんど不要なのです。我が教団の囲う花嫁を繋ぎ止めるために、最低限存在はしてもらいますが」
在原由良来は自己肯定感が低い。
その上、自己犠牲の精神と他者を優先する在り方はいっそ英雄的でもある。
この理不尽的な脅威によって様々な人々が脅かされているとあっては、それに対面して居ても立ってもいられなくなるくらいにはお人好しだ。
だが、在原由良来にはそのような英雄的心構えはないし、そう言った側面を持つのと同じように十五歳の少女である側面もまた確と存在する。
むしろ除け者にされていること、なにより何もない自分がそれでも好きな存在を奪われるかどうかなどとあっては人一倍に、由良来は敏感で堪えが効かなかった。
「うっさいなぁ」
「ゆ、由良来ちゃん?」
怒りに満ちた声が、静かに波響する。
すぅ、と痛みや圧は消えていて。ただ湧き上がる憤りが力に変わっていく。
思えば、何を我慢していたのか。
こんな状況で冷静にいられる方がおかしな話だ。単純明快。力で押し切る。
「桃花にはもちろん幸せになって欲しいですけど」
ヒビが入る。やがて聖域は粉々に砕け散り、別なる神格の聖域へと塗り変わる。
歪んでいた空間が再構築され、教会に重なっていたユノーの聖域というレイヤーに異なる色が塗り重ねられる。
「桃花は幸せにならなきゃいけないんですけど……!」
由良来に纏うように穢れが溢れ出し、それはその側から純粋な霊力、純エーテルへと変化されて由良来と桃花の二人を守るかのごとく覆う。
「────桃花を幸せにするのはわたしなんです!!」
『よく言ったじゃねェか……!!』
その言葉を皮切りに。聖域のコントロールは由良来へと移り変わった。
この力場におけるありとあらゆる権限がソレを介して由良来に集約される。
「この霊力……まさか、アラハバキか……ッ!!」
驚愕に目を見開いた光輪の女。
しかし、すぐさま冷静を取り戻してその手を振り翳せば、アラハバキによって塗り替えられた聖域の支配権を半分程度にまで復旧する。
さらに指をパチンと鳴らすと同時に、何者もなかった長椅子に整然とタキシード姿の界異達が現れた。いずれも二号級以上の存在強度を持つヒトガタ、その正体は境界異常と共にうねりに巻き込まれて消えたオーディエンスであろう。
この空間は二人が入るより以前から、巧妙に偽装された正しく敵地のど真ん中そのものだった、というわけだ。
「たとえカミであるアラハバキと言えど、ここはユノー様の聖域。好き勝手はさせませんよ」
『るッせェな。カミだろうがなんだろうが、あの陰キャクソ女の好き勝手にされんのは我慢ならねェ』
「い、陰キャクソ女……!? ユノー様に言っているのでしたら、カミとはいえ容赦はできません」
『クハッ、容赦だァ? オレサマ相手に強気に出たなぁ、ニンゲン』
にょっきりと再び由良来の肩から姿を現したアラハバキが煽る。崇拝するカミへの侮辱に青筋を立てた女が再び合図を送る。
一斉に立ち上がったタキシードの男達。この場を離れ、出入り口に向かおうとする由良来達を遮るように肉の壁となった彼らに振り向いて。
目を瞑り、すぅと息を吸い込む。
「さぁ、花嫁を丁重にお迎えなさい!」
「由良来ちゃん……っ!」
タキシード男達の手が伸びたその時。桃花が悲痛な声をあげて由良来の名を呼んだその時。
由良来の青い目が開かれると共に高らかな銃声一つ、花びらと共に鮮血……穢れが舞った。
「安心して、桃花はわたしが護るから」
桃花に手をかけようとしたタキシード男の頭に突きつけられていたのは、黒不浄で作られた拳銃。由良来の華奢な右腕では抑えきれないであろう大口径は、しかし至近距離ならなんら問題はない。
タキシード男は表情こそのっぺらぼうゆえ窺い知れないが、少なくともそれが人間ならば驚愕の顔で眉間を撃ち抜かれて絶命していたであろう。
力を失い倒れて塵へと変わりゆく。それを見届けることなく、由良来は動き出した。
「数だけ、多くてもっ、雑兵は相手にならないっ!」
『相棒、そこだ! 撃てーッ! いけいけー!』
掴み掛からんとする手をかわし、左腕でその手を捕まえながら頭部に一射。
肩から生えたアラハバキとの視界共有により、ノールックで背後から迫るもう一体にもヘッドショット。倒れ込んだ一体が塵となって幽世に還る束の間、さらに迫り来る二体の貫手に対する盾に変える。
「【獄門変】」
由良来に式法は備わっていない。だがアラハバキと同化している由良来はアラハバキの祓魔術を行使できる。
アラハバキの祓魔術とは無限の穢れリソースの使役と、穢れの加護、すなわち穢れ由来の存在の掌握。
ならば、界異の亡骸もまたその効果の範囲内。
由良来が霊力を込めれば、貫かれた亡骸の背中が不自然に隆起し……。
「……ッ、神聖な場に相応しくない穢れた力ですね」
「界異まみれで神聖も何もないと思うんですけど!」
亡骸の内から突き破るようにして現れた穢れの杭が動きの取れぬ二体を刺し貫いた。
あっという間に四体。残る数は未だ数十体。
その手に槍を携えた三体が歩兵の如く突撃する。由良来の細い体目掛けて突き出された槍を空いた片手で掴み、引っ張って体勢が崩れたところをヘッドショット。
掴んだ槍を奪い取って、迫る槍持ちと打ち合い、挟撃せんとするもう一体には更なるヘッドショット。
流れるように、打ち合っていた目の前の一体に掬い上げるように拳銃を顎へと突き付け連続トリプルヘッドショット達成!
「逃すな! 取り囲みなさい!」
間髪入れず、その歩みを進ませまいと今度は十体。ならば今し方撃ち殺したタキシード二体の亡骸を材料にして、手元に呪瘤檀を生成。地面に転がる残った一体の胸ポケットに高密度高威力の爆弾を滑り込ませたら、亡骸ごと蹴り飛ばして迫る第二波にシュート。まとめて爆発四散!
『クハハッ! いいじゃねェか、ダーティファイトが様になってきてるぜ相棒』
「様になりたくはないんだけど! 桃花、ちょっと揺れるから舌噛まないようにね!」
「へ?」
アラハバキだけの幽世からアラハバキの肉体を召喚する【獄門纏】、その部分展開により黒い筋肉の塊そのものなアラハバキの豪脚を纏う。
「きゃぁあっ!?!?」
桃花をお姫様抱っこしながら一歩で教会の天井スレスレまで跳躍。まとまってまごつく界異群のど真ん中に向かって踵落とし!
土煙を伴って教会の床に大きなクレーターを作りながら、残るタキシードの半分以上を爆圧で塵に変える。
「〜〜、こ、こういうことするなら予め言ってください!」
「ごめん、ごめんって」
お姫様抱っこされたまま自らの胸をぽこぽこと叩く桃花に苦笑しながら降ろすと、今度は片手に黒不浄ガトリングガンを形成。同じく【獄門纏】の部分展開で筋肉塊の巨腕を生成し、軽々と片手で黒不浄ガトリングガンを構える。
未だぷんぷんと怒る桃花の腰を抱いて引き寄せれば、その場で踊るように回りながら、容赦なく残るタキシード達に向けてガトリングガンを掃射、血煙に変えて屠り尽くす!
「し、神聖な教会でなんと下品な……!!! しかしまだです! なんとしてもこの狼藉者を排除し、ジューンブライドを取り返すのです!」
「まだ来るの?」
地団駄すら踏みそうな程の怒りと共に喚き立てる光輪の女が再び手を振り翳せば、先ほど倒し尽くしたはずのタキシード界異が新たに湧き出でる。
由良来にとってはこの程度の数は大した足止めにはならない。しかし、ここが敵地のど真ん中で、意表を突いたことで聖域のコントロールを奪ったとはいえ、依然として相手にとって有利な場であることは変わりがない。脱出に時間をかけるのは愚策だった。
かくなる上は完全体アラハバキ憑依で、という選択肢もあるが、目的はこの場の安全な離脱だ。従って、護ることには不利になるこれは最後まで残しておきたい選択肢となる。
だが、それよりも。由良来にとっては女に対して言いたいことが一つあった。
そしてそれは由良来だけの言いたいことではなく。
「取り返す? いつから私はあなた達のものになったのですか?」
「桃花……」
「私は、誰のものでも……んんっ、強いて言えば由良来ちゃんのものであって、あなた達のものではありません……!」
「自己中どもが……ッ」
羞恥に顔を真っ赤にしながらも宣言する想い人の姿に、由良来は胸が暖かくなると共に力が湧き上がってくるようであった。
だからこそ、やはり由良来はこの場を脱するよりもあの腹立たしい女を捕まえるべきだと思った。
さあ、どうしたものか。どうやって桃花を守りながらあの女のところまで行こうか。
助け舟は思わぬところから、炎と共に現れた。
「やァやァ、お待たせしたね由良来チャン」
「開子さん!!」
教会が炎に包まれる。内部は加護の影響からか一瞬で鎮火したが、しかしタキシード達はそうもいかない。
ステンドグラスを破りながら現れたのは、全身をプロテクターに包んだ長身痩躯の女、八鱗開子。
タキシード達を瞬く間に火だるまに変えた開子は、二人の背後に降り立つとニヤリと笑って正面、光輪の女を指さした。
「由良来チャン、プッツンきてるんだロ? じゃあ、ここは私が手伝ってあげるから行ってオイデ」
「! 開子さん、ありがとうございます! いくよ、桃花!」
「は、はい!」
バージンロードには炎に包まれてふらつきながら彷徨うタキシード達。
その祝福の道を、桃花の手を引きながら由良来は走り出す。
「由良来ちゃん……!」
「なに、桃花っ?」
小さな手に引かれながら、スカートの裾を持ち上げて走る桃花が不意に由良来の名を呼んだ。
なんとなく、今言いたいとそう思ったからこそ。
「好きですっ」
「……っ、わたしも好きに決まってる!!」
燃え盛ってなお、与えられた使命を果たすために立ち塞がったタキシード達。伸ばされた手を掻い潜り、一体の懐で黒不浄大口径拳銃を一撃、二撃で射殺。
亡骸を再び呪瘤檀に成形し大群の真ん中に投擲すると共に、今度は拳銃を即座に大型タワーシールドに変形、シールドバッシュで大群を押し込み、呪瘤檀で爆殺。
なおも仲間の屍を超え、数を使って取り囲もうとするならば!
「まとめて切り捨てる……!」
今度は【獄門纏】にて、しなやかな刃と一体化した細身の黒腕を纏い、一閃。
振り払うと共に伸長した黒不浄刃が、立ち塞がる群体のほとんどを一刀の下に切り捨てる。
「くっ、役立たずども……っ! かくなる上はワタシが……!」
「まだわたしの言いたいこと終わってないんですけど……ッ!!」
「ひっ!?」
歯噛みした女がその手に光の槍を生み出す。だが、それより早く踏み込んでいた由良来の右腕は漆黒の巨腕を纏い、大きく振りかぶられていた。
細い光の槍で防ごうなどと甚だ見当違いな防御は、圧倒的な質量の前にはなす術もない。
なにより、鬼気迫ると言っても良いほどの気迫を纏った由良来に肉薄されて、小さな悲鳴を漏らした女に、気合いで負けた者にもはや勝ちの目など残されているはずもなく……。
「────幸せな花嫁奪うのはそれNTR展開だって偉い人が言ってましたー!!!! バーカ!! おたんこなす!! 性癖倒錯女!!」
「せ、性癖盗作女とはなんでっ、ぐべっ!?!?」
男女平等の拳が、女の顔面に、否全身を打ち抜く!!
派手な音を立てながら祭壇を破壊して壁に打ち付けられた女は、一瞬たりとも堪えることもできずに意識を手放した。
□
「潜入とか微塵もありませんでしたね」
「そうですね。でも不謹慎かもですけど、新鮮で楽しかったですよ」
「まぁ、わたしも楽しかったと言えば楽しかったですけど……」
教祖の女の力で生み出されていた教会は消失し、またそれと同時にユノー教団によって誘拐されていた人間達もまるで無から現れるようにして帰ってきた。一種のカミ隠しという結論だ。
ユノー教団の主である光輪の女は逮捕され、後日ユノー教団関係各所にも取り調べが入ることになる。
当然だが、イベントは中止となった。
かなりの後援者であったユノー教団が摘発されたこともあり、来年以降は開催に関しても見直されるかもしれない。
時は夕暮れ。
一時は騒然となっていた公園にもやっと落ち着きが戻り、結界管理課による簡易的な立入規制の結界が残るのみとなった。
「……はぁ、それにしてもなんだか疲れましたね」
「ふふ、そうですね」
「?」
公園の中でも高いところにある丘の上で、由良来と桃花の二人は沈みゆく夕日を眺めていた。
どっと疲れが襲いかかり、肩を落とした由良来はベンチに座り込む。苦笑しながら隣に座った想い人の気配に、今日もまた守れたことを安堵した。
「上機嫌ですね、桃花」
「そう見えますか? なら、きっとそうだと思いますよ」
慈しみに溢れた微笑みと共に己を見る桃花に、なんだか焦ったくなりながら。由良来はぽふんと桃花の膝に倒れ込み、頭を載せた。
いつものように、やんわりと温かな手のひらが頭を撫ぜる感覚。まだ少し冷たい風が木々をかき分けながら吹き抜けて、それが熱を覚ましてくれるようで妙に心地よかった。
「かっこよかったですよ、由良来ちゃん」
「……臭くなかった?」
「そんなわけありません。女の子は誰だって、まっすぐな言葉に弱いんですから」
自分も女の子なんだけど、という言葉は飲み込んだ。別に自分が男であるか女であるかは、由良来にとってはやはり関係が無かったから。
好きだから好き、それでいい。それ以上のことは自分には勿体無い。
「ね、本番はさ。みんな呼んでやりたい」
「もう、気が早いですよ」
「そうかな?」
L63のみんなや同僚、世話になった先輩祓魔師、友達。みんなを呼んでお祝いしてもらって。
路傍の石には過ぎた願いかもしれないけれど。何もかもが足りていないわたしは、何もかもを得る資格を持たないわたしは、何もかもを求めて初めて何かを得られるのかもしれない。
だから、まずは一つ。
「でも、そうしたいと私も思います」
「うん。わたしも、そうしたい」
二人の道行きの末はまだわからない。
だが、今日だけは二人にとって全てが
────ブレスフル・ジューンブライド完