ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る───。
それが、彼女たちの運命。
この世界に生きるウマ娘の未来のレース結果は、まだ誰にもわからない。
彼女たちは走り続ける。
瞳の先にあるゴールだけを目指して───。
――しかし。
ウマ娘であるから、何もせずレースに出られるというものではない。
キタサンブラックもそれは例外ではなく。ゲート練習を行わなければなかったのだ。
ゲートはただ入って、でるだけ。
そんな簡単なものではないと、彼女は知ることになる。
※ウマ娘にもゲートの得意不得意、好き嫌いがあるみたいだけど、人間と同じだったらそんなに大きな差は生まれないよね? でも競馬と同じようなことが起こるよね!
※競走馬はゲートの馴致や練習をして、ゲート試験に合格してレースに出走できる。実はウマ娘もそういうシステムがあるんじゃないかな?
そんな妄想から生まれた作品です。
嘘です。キタちゃんを可愛く書きたかったのが本音です。
実際、サラブレッドはゆっくりゲートに馴らしていくのでそれをウマ娘に落とし込んだイメージです。
史実でキタサンブラック号がゲート云々のエピソードがあるってわけではありません。大なり小なり馴致はあったのは競走馬である以上当たり前ですが
「ゲート練習?」
カフェテリアで共に昼食を摂っていたサトノダイヤモンドに、キタサンブラックは聞き返した。
「うん。午後のトレーニングではゲート練習をするの」
「ゲート……いよいよトゥインクルシリーズデビューって感じがしてきたなぁ……あたしもはやくゲートに入りたい!」
大盛りのロースかつ丼を勢いよく食べるキタサンは、自分が抱いた夢の実現が近づいている気配に心を躍らせた。
並のウマ娘では挑むことすら叶わない、トゥインクルシリーズ。
数多くの才能あるウマ娘がその舞台で一勝すらできず、去っていくことも珍しくない。
幼少のキタサンは、幼馴染のダイヤと共に、煌びやかでいて、厳しい世界に胸を熱くさせた。
そこで綺羅星の如き輝きを見せつけたトウカイテイオーに憧れ、困難を乗り越えた末にトレセン学園に入学する資格を手に入れた。
ダイヤと共に入学し、現在はデビューを見据えてトレーニングをする中で、トレーナーと契約をするに至り――
「でもゲート練習って何するのかな。入って、出るだけでしょ?」
「うーん、私もそう思うんだけど……トレーナーさんは今日はデモンストレーションだけって言ってたよ」
「デモ……みんな簡単にゲートを出ているし、ちょっと練習したら大丈夫な気もするけど」
「私はゲートがサトノの屋敷にあって、使ったことがあるから苦手意識はないんだけど、ウマ娘は狭い所とか、暗い所とか、得意じゃないって教官やトレーナーさんも言っていたから、それが関係するのかな」
ダイヤは生姜焼き定食を食べ終えると、席を立った。
「準備があるから先に行くね」
「わかった。トレーニング頑張ってね、ダイヤちゃん!」
「うん、キタちゃんも」
彼女の背中を見送りながら、キタサンは残ったご飯とカツをかきこんだ。
スターティングゲート――レースをスタートするために必ず入る場所で、走るために避けては通れない場所。
まだデビューの話は出ていないキタサンにとって、それをこなせばトゥインクルシリーズのデビュー、そして憧れたトウカイテイオーのようなウマ娘になる夢が形を持つ確信があった。
「よし……あたしもゲート練習させてもらうぞーっ」
×××
「ダメだよ」
「ええーっ!?」
トレーナー室にキタサンの悲鳴が響き渡った。
「なんで、どうして、なんでですか! ゲート練習しないとレース出られませんよね!?」
「早とちりしないでキタサン。ゲート練習といっても段階があるんだ。ゲートのことを知らないまま練習すると怪我に繋がるから」
デスクの前に座るトレーナーの落ち着いた声に、キタサンは渋々引き下がる。
正直なところ、もどかしい思いがあった。
連日基礎トレーニングと体力作りがメインで、実戦さながらの速いタイムでのトレーニングなどはあまりさせてもらっていない。
怪我の防止やまだ成長期に入り切っていない時期というのは説明されて理解しているつもりだったが、元々理屈よりも感情で動くタイプのキタサンとしてはもどかしい気持ちは抑えきれなかった。
「うぅ……まだ早いってことですか、あたしには」
「いや全然。ただいきなりレースみたいにゲートに入ってよーいドン、っていうのは無しってだけだよ」
「それってつまり……」
「ゲート練習、やっていこうか」
渋面を作っていたキタサンの表情が一転、明るくなる。
「や、やったぁ! トレーナーさん、ありがとうございます! あたし頑張ります!」
「そんな力を入れないでいいよ」
「入らないわけないじゃないですか! 気合入れていくぞーっ!」
「うーん、どちらかというと気合入れないほうがいいというか……」
なぜだかトレーナーは少し困ったように笑っていた。
キタサンにはその理由がよくわからない。
「ほら、行きますよトレーナーさん!」
勢いよく立ち上がり、キタサンはトレーナー室を飛び出した。
×××
グラウンドの一角へ向かう途中、遠くに銀色の枠が見えた。
テレビの向こうで何度も見たことがある。
トウカイテイオーも。
これまで憧れてきたウマ娘たちも。
みんなあそこから走り出していた。
「……あれがゲートかぁ」
近づくにつれて、その大きさがはっきりする。
金属でできた枠は思ったよりも無骨で、近くに立つと不思議な圧迫感があった。
けれど、それ以上に胸が高鳴る。
あそこに入ればレースが始まる。
デビューに近づける。
夢の入り口みたいな場所だ。
「キタサンはゲートに入ったことはある?」
「はい、ゲートに入ったことはありません! 今日が初めてです!」
キタサンの元気のいい声がコースの一角に響き渡った。
満足そうにトレーナーは元気でよろしい、と頷くとキタサンは「えへへ」とはにかんだ。
褒めて伸ばす方針のもと、キタサンは伸び伸びとトレーニングに励んでいた。些細なことでも褒められてやる気が上がる。
「トレセン学園入る前から、クラブチームでゲート練習をしたことがあるウマ娘や、実家がとても裕福でそこで練習しているウマ娘もいる。といっても、レースデビューする頃にはそんな大きな差はないよ」
「確かダイヤちゃんも使ったことがあるって言ってたような……でもなんで練習に段階を踏む必要があるんですか? 早くスタートを切る練習をどんどんやったほうが良いと思うんです」
「良い質問だ。ところでキタサンはかくれんぼとかした?」
「かくれんぼですか? うーん……考えてみたら鬼ごっことかのほうが多かったです。かくれんぼでも鬼役をやっていたような……狭い所でじっとしてるってなんだかムズムズしてきちゃって」
幼馴染のダイヤと遊ぶことはもちろん、学校の友達と休み時間や放課後に体を動かして遊んだ記憶は新しい。
友達と遊ぶ時も、とにかく走るのが好きだった。
隠れて待っているより、探す側のほうが楽しい。
「それで、個人差もあるが……ウマ娘は狭いところが苦手な娘が多いんだ」
「そ、そうなんですか?」
キタサンはあまり自覚していない。言われてみれば、なんとなくみんなそう言っている気がする、というくらいのものだ。
でも、自分にはあまり関係ない気がした。
その時、コースの反対側から甲高い声が響いた。
「イーーーーヤーーーーよ!!!!」
思わず肩が跳ねる。
トレーナーがコースの一角を指差す。
「あれを見てみろ」
そこには黒いとんがり帽子を被った小柄なウマ娘がいた。
金切り声を上げていた。
「スイープさん……?」
「イーーーーヤーーーーよ!!!! 今日はやらないって言ったらやらないの! ゲートはイヤなの!!!!」
「スイープ、頼む……前回のレースでゲート発走再審査になっているから……練習して……頼む……!」
「イヤなものはイヤなの!! イーヤー!! ヤーーーーダーーーー!!!!」
トレーナーが必死に彼女を背中から押しているが、地面に根っこを生やしたかのようにびくともしない。
小柄なウマ娘――スイープトウショウを知っているキタサンは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「あんなに嫌がることもあるんですね……」
ゲートなんて、入って出るだけ、そう思っていた。
しかし、遠くに見えるスイープトウショウは、本気で怖がっているようにも見えた気がした。
改めて、キタサンはゲートに向き直る。
銀色に鈍く輝く、自分の背丈の二倍以上はある高さ。銀色の枠がいくつも並んでいた。
「これは練習用だから、一番右側が広くて、左に行くにつれて狭くなり、一番左の枠が実際のレースで使う広さだよ」
トレーナーの説明を聞きながらキタサンは視線を彷徨わせる。
このゲートから憧れたテイオーが、三冠ウマ娘が、スターウマ娘が、誰もが走り出した場所でもある。
胸が熱く高鳴る――はずなのに、息が詰まった。
ゲートの狭い空間は太陽に照らされ、暗い所は何もない。
けれど、鉄の枠、左右の高い壁、そして前後の扉に囲まれた光景を想像すると、不思議と胸の奥がきゅっと縮んだ。
「あたし……」
なんて言葉を続けようとしたのか、キタサン自身もわからなかった。
生唾を飲み込んだところで、トレーナーが落ち着いて語りかける。
「キタサン。まずは、歩いて、ゆっくり通過しよう。深呼吸しながら、落ち着いて。ただ、歩くだけでいいから」
「歩く、だけ……」
数歩、踏み出した。
ゲートの中はただ狭いだけで、危ないものはない。
それなのに、狭い所に入るだけのことが、なぜか脚を躊躇わせる。
「ううん……怖がってっちゃダメ……あたしはみんなを元気づけるすごいウマ娘になるんだ!」
頬をぱんぱんと叩いて、足早にゲートを歩いて抜けた。
それだけで、びっしょりと嫌な汗が全身を濡らした。
呼吸が長い距離を走った後みたいに乱れて、背筋がぞわぞわとする。
キタサンは味わったことのない不快な感覚を言い表せなかった。
「よくできました。少し、歩こうか。水分も補給して」
ボトルをトレーナーから受け取り、乾いた口に流し込む。
キタサンの小さな喉が嚥下の度に上下した。
それでようやく、一息ついた気がして、溜息をついた。
キタサンはトレーナーと並んで、コースを出て、ぶらぶらと歩く。行き先は彼にまかせたままで、何処に行くのかもわからない。
「ゲート、どうだった?」
「……その」
「怖かった?」
「……はい」
認めることが少し、恥ずかしかった。
あれだけ意気揚々とゲート練習がしたいと訴えたはずなのに、一回素通りするだけで、どっと気が滅入ってしまう自分の行く先が不安だったから。
キタサンは俯きがちに黙っていた。
隣から、落ち着いた、しかしいつもより明るいトーンの声が放たれる。
「これは数ある説のうちのひとつなんだけど。ウマ娘は狭いところに行くと、逃げられない、あるいは自由に走れないことが理由ですごくストレスを覚えるらしい」
「ストレス……」
「そう。ウマ娘のスピードは外敵から逃げるためとか、色んな説があるけど、とにかく走ることを制限される環境が苦手になりやすい、って」
「……そ、それじゃあ、レースであたしは……どうすれば……」
キタサンの声が尻すぼみに小さくなる。
他のウマ娘たちは怖くないのか、テイオーはどうだったのか、生徒会長のシンボリルドルフはどうだったのか、疑念がわいてきた。
「……不安になった?」
「え、いや……その……不安になっちゃって……実際のレースではあそこに入って、じっとして、さらにいいスタートを決めなきゃいけないんですよね。……あたし、できるのかなって」
トレーナーの脚が止まるのに合わせて、キタサンの脚も止まった。
彼は少しだけ膝をまげて、彼女に視線を合わせた。
「最初はそういうウマ娘は多いよ」
「……でも、ダイヤちゃんは」
(きっと、サトノのお家で練習していて、すぐにゲートの練習もできるようになってるんだろうな……あたしは、少し、置いて行かれる)
情けなくて、じわりと、瞼が熱くなる。
自分が天才と信じていたわけではないけれど、未来の予想図は希望が溢れていて、皐月賞や、ダービーでかっこよかった憧れのテイオーのようになってみせると前向きだったからこそ、このつまずきによって、心がじくじくと痛んだ。
「キタサン。ウマ娘も、ヒトも、いきなりできる人なんていないし、怖いものだってあって当たり前だよ。キタサンがおかしいんじゃない」
「……はい」
「それにキタサンは怖くても、ゲートを歩いて通り抜けられただろう? 最初の一歩を踏み出せたんだ。それなら、大丈夫」
ゆっくりでいい。繰り返していい。怖いものではないんだよ。
トレーナーの落ち着いた低い声が、戸惑う心を優しく包み込んでいく。
キタサンは大きく息を吐いた。
「トレーナーさん」
「うん」
「もう大丈夫です。続き、してください」
「わかった」
またゆっくり歩いてゲートへ向かう。
今度は、キタサンが少し前を歩いて、そのあとをトレーナーがついていく。
「トレーナーさんっ」
キタサンは振り返った。
少しだけ、緊張と、恐怖が残っていたけれど、重苦しい感情は無くなっていた。
トレーナーの前に戻り、見上げる。
「……一緒に、ゲートに入ってください」
×××
キタサンは自分が――というより、ウマ娘が狭い空間に息苦しさや恐怖を覚えることを身を以って知った。
でも今は、火照った頬と、手を包む温もりで、そんな思いを懐くことはなかった。
左右の高い銀色の壁。
後ろにとざされた扉と、鉄網ごしに見える走るべきコース。
そしてすぐ目の前で向き合う、自分の手を握るトレーナーの両手。
(トレーナーさんの両手……暖かい)
ゲートに入るときに手を引いてもらい、そして今も、こうして一緒にいる。
(……少し、汗ばんで、恥ずかしい)
上目遣いで彼の様子を窺うと、変わらず穏やかな眼差しで見下ろしてくれていた。
文字通りスタートからつまずいてしまったウマ娘に落胆もなければ、呆れもない、ただ支えようとする、温もり。
キタサンは頬の熱を覚えたまま、少しだけ笑った。
(トレーナーさんに手を握られていたら、なんだか恥ずかしくて、怖いとか、全然感じないや)
「キタサン」
「はい」
「ゲートが開いたら、ゆっくり走るんだ。まだ、最初だから」
「……えへへ。これから、スタートするんですね」
「初めてゲートを出る瞬間だ。楽しんで」
トレーナーの手が離れて、一瞬、名残惜しそうにキタサンの手が伸びて、振り払うように拳を握りしめた。
「――うん。もう、大丈夫」
トレーナーがゲートから出て、合図が聞こえた。
腰を少しだけ落とし、前を見つめる。
まだ、ゲートからスタートすることだけでも、一筋縄ではいかない。
デビュー戦すら遠いのだと、自分が立っている場所を再認識した。
「キタサンブラック、いきます!」
元気よく、キタサンは持ち前の大声を張り上げた。
(トレーナーさんとなら、きっと――)
――トゥインクルシリーズを走り抜けられる。
ガコンッ、と音が鳴り、視界が広がる。
憧れた大レースのスタートと違って、ウッドチップのバ場と、歓声のない静かなコースだけれど、キタサンブラックは確かに走り出した。
「――全力で、駆け抜けます!」
――貴方と、一緒に!
感想よろしくお願いします。
反響次第では実際の競馬ネタをウマ娘に落とし込んだ作品という建前でウマ娘とのイチャイチャを書きます。