蝉の声に混じって扇風機の風で震える宇宙人の声が聞こえる。
「あ”あ”あ”あ”あ”あ”。あ”?いろはぁ、何食べてんの?あ”あ”あ”」
「パンケーキ。あんたが昨日全部食べちゃったから、これしかなかったの」
そう、今日の分に取っておいたご飯はこの傍若無人な宇宙人に全部食べられた。……連休前に買い置きしていたものがいくつかあったのは幸いか。
ただ、卵も牛乳もない、水と粉のパンケーキ。牛乳はともかく卵さえあればマシになったものを。
ん?扇風機に飽きたか。声がしなくなった。
「……シャッ」
「あ、ちょ。勝手に食べんな」
背後から伸びた手にパンケーキを奪われる。貴重なエネルギーなんだぞ、それ!
「うえぇ、くそまじぃ」
「なら、食うな!」
自分でも思っていたことを遠慮なく口にされる。盛大に顔をしかめているがそこまで酷くは……。まあ、私もこの連休で舌が肥えたか。
これ以上邪魔されては敵わないのでパンケーキを水で流し込む。この後藤原さんに説明することも考えると時間も押している。準備を終わらせて、動画を流していたタブレットを回収する。
「彩葉どしたの?」
「藤原さんのとこ行くよ」
「イツキのとこ?行く!」
扇風機も消して、大体の物を片付ければ準備完了。……黒いTシャツだけで外に出すのはマズイよな。
私の服を一式渡して着替えさせる。
まぁ、中々様になっている。顔いいな、こいつ。芦花が放っておかなそうだ。
「はやくはやく」
「ちょっとは落ち着け」
靴は使ってないサンダルがあったはず、どこに置いていたっけな。
「え~」
文句言うな。
どうにか見つけ出したサンダルを履かせて外に出る。熱気が押し寄せ顔をしかめる。
階段を登って、私の部屋のちょうど真上に藤原さんの部屋がある。ここ数日何度も訪れたその部屋の扉の前で、私は立ち尽くしていた。悩みの元凶は横で不思議そうに私を見ている。
インターホンの前で指が止まってしまう。
「はぁ、どうやって説明すれば」
「これ押せばいいの?とりゃ!」
止める間もなく横から伸びてきた手がインターホンを押す。
こいつ、また勝手に。
注意する間もなく扉が開かれ、藤原さんが出迎えてくれる。
「おはよう」
いつもと変わらないカジュアルな格好。藤原さんの視線が、私から横の宇宙人に移って止まった。
「おぉ~、イツキだ!」
「藤原さん、おはようございます。あのですね」
「イツキ、料理教えて!オムライスとか作りたい」
私が状況を説明しようとしたのを遮るように元気な声が廊下に響く。今の藤原さんからすれば見ず知らずのあんたのお願いを聞いてくれるわけないでしょうが。
そう思っていたが、返ってきたのは変わらない優しい声だった。
「そうかそうか。大きくなったな。いっぱい教えるよ」
「え、分かるんですか」
面影があるにはあるが、確認せずともわかるものだろうか。
「見ればわかるよ」
わかるんだ。いったい何が見えてるんだ?怖いもの見たさが顔を出しそうになる。
「イツキってすげぇの?」
「あぁ、すごいぞ」
藤原さんがためらいもなく頷く。そこは自覚あるんだ。
でも、視線の温度が赤ちゃんの時と変わらない。この人の中では赤ちゃんとこいつは既にイコールで結ばれているらしい。
……それなら任せて大丈夫かな。
「すいません、私そろそろ行かなくちゃ」
予定より早く預けることになるが、登校時間としてはいつもより遅い。そろそろ出なくては。
「えぇ!?彩葉どこ行くの?」
「学校。遅れちゃう」
そっか、こっちには何にも説明してないな。申し訳ないが今は藤原さんに任せよう。マジでこのままだと遅刻する。
「やだ~、一緒いてぇ!」
「ダメ!あんたも成長したんなら独り立ちできるようになって!それか月に帰って!」
また縋りついてくる。さすがに、大きくなったのなら自立できるだろ。そして、赤ちゃんの時のお得意の学習能力でそのまま一般常識を学んで大人しくなってくれ。
てか、今気づいたがまたデカくなってる。成長が早すぎる。このままどこまで成長するんだ?……これなら独り立ちも早いな、よし。
「……」
「どっちもわかんないよ、それに三人一緒の方が楽しそうだし!」
また、一緒にって。そんなにずっとはいられないっての。もしや藤原さんの寂しがりな面が移ったか?
本人は見守るというより、珍しく言葉に詰まってる様子だし。さては自分の影響だと思ったか。
思わずそっちに目線が向くも、わがまま娘は止まらない。
「学校ってそんな大事なの!?」
「命より大事!」
だから、邪魔しないで。そういう意志を視線に込めてから藤原さんに向き直る。
「あとはすみません、藤原さん。よろしくお願いします」
「任せて。いってらっしゃい」
その返事に安堵し、私は学校へと急いだ。
「ぶぅ~」
背後からは微かに不貞腐れた声が聞こえた。
※
無事遅刻は免れ、学校も終わった。だが、頭の中はわがままで傍若無人で猪突猛進な宇宙人が、藤原さんにどんな迷惑をかけているかの心配だけだった。おかげで進路相談で生返事をして、先生に心配をかけてしまった。
「はぁ」
早く帰って引き取ろう。
「彩葉どしたん?」
「また無理してるなぁ?」
そして、私の友達はそんな様子の私を放ってはおかない。また心配かけちゃったな。
「大丈夫。それにちゃんと五体満足で生まれて、今も健康体なんだから。これ以上は贅沢ってもんよ」
そういってムンと力こぶを作ってみせる。もちろん、そこにこぶが出来るほどの筋肉はない。だが、沈んだ様子を見せても余計心配されるだけだから。
「そう言ってすぐ無理するからねぇ、彩葉は」
「ちゃんと休め~。正論パンチ、シュッシュ」
「アハハ……」
まあ、誤魔化せた試しはないんだけどね。
「「ん~」」
何故か顔を見合わせた真実と芦花はいつもの道を外れた。あれ、そっちは新設された複合施設では。
「ねぇ、どこ向かってるの?駅こっちじゃ」
「え~、約束したじゃん」
「こっちこっち」
や、約束。たしかここで新しいカフェができたとかで一緒に行こうって話だったような。え、えぇ!?嬉しいけど、どうしよう。今日はさすがに帰らないと!
「でも今日は……」
「問答無用」
「れっちご~」
だが、真実は新しいスイーツへの情熱に燃えている。これは言っても止まらない奴だ。しかも、芦花もそれに便乗するように手を引いてくる。
だ、ダメだ。止まるんだ酒寄彩葉。スイーツの誘惑に負けるんじゃない!帰るんだ!
「ご、後生ですから~」
帰るんだ~!
「彩葉のノートで赤点回避記念~」
「お礼の品で~す。ご査収くださ~い」
「あ、ありがとう」
無☆理
目の前にはふわふわのパンケーキ。しかも三段重ねで大きな苺付きのスペシャル豪華なやつ。しかも、この空気は奢り!今までの頑張りに対するご褒美!
ごめんなさい、藤原さん。帰ったら埋め合わせはちゃんとします!
「いただきます」
わずかな弾力とともにパンケーキにフォークが沈んでいく。切り取ったパンケーキにホイップと苺を載せて頬張る。
「う、うまひぃ」
久しぶりの甘味と苺の酸味が口の中でパーティを始める。
「だよねだよね!」
「……ふふ」
このまま時間が止まらないかな。でも、そうしたら味が分からなくなるか。
そのまま、パンケーキを談笑しながら食べ進める。真実は真剣な表情で分析したと思えば、一口食べてはとろけ顔をさらしている。芦花はニコニコと私と真実を眺めながら、時折皿にも手を伸ばしている。真実の様子に呆れて、芦花と笑い合う。
こうやって三人一緒にカフェに来るのもいつぶりだろうか。
……三人、一緒にか。
「あ、彩葉だ!!」
そこに頭の奥底に追いやっていた人物の声がする。カクつく動きで視線を上げれば、そこにいたのは藤原さんに任せたはずの宇宙人。
「あんた、何でここに!」
思わず声を荒げそうになる。が、控えられたのは声量だけだった。
「彩葉の服着てる。彩葉の友達?」
「かわいい~、誰この子」
そこで芦花と真実から当然の疑問が来る。真実が珍しく目敏い。そうだ、今日は私の服を貸しているから他人の振りなんて出来っこない。ある程度の関係がある前提で説明しないとならない。
「友達っていうか、なんていうか……親戚?みたいなもので」
とっさに出たのはそんな苦しい言い訳じみたもの。だけど、その言い訳は直後の宇宙人の発言のおかげであまり気にされなかったみたいだ。
「彩葉もパンケーキ食べてんの?」
「そうだよ、パンケーキ好き?」
「大好き!でも、彩葉のはくそまじぃから嫌い」
芦花の優しい問いかけにわがまま娘が返答する。あれはお前が勝手に食ったんだろうが!
「こら、余計なことは言わなくていい!それより、藤原さんは!?」
「ん?イツキはあっちいるよ」
こいつを任せた保護者の所在を尋ねれば、奥にある席を指さす。たしかにそこには見覚えのある人物が椅子に腰掛けパンケーキを食べていた。
あ、相変わらずマイペースな人!宇宙人がこっちまで来てますよ!おい、保護者!!私の心配と罪悪感を返せ!しかも、向かいの席には空の皿が置いてある。二人で食べに来ていたのだろう。私もこんな贅沢滅多にできないのに!
「前の猫吸いしてた人じゃん」
「あの人も美味しそうにパンケーキ食べてるね。結構甘いもの好きと見た」
芦花と真実も藤原さんに気付いたのだろう。同じ方向に視線をやっている。
それよりもこの宇宙人だ。どうせこのわがまま娘が藤原さんにお願いして、そのままここに来たのだろう。その好奇心の旺盛さは今朝だけで察しが付く。
「迷惑かけないでって、朝散々言ったよね?」
「えぇ~、でもイツキは外連れてってくれたよ?」
大人しくしていろと伝えたつもりが伝わっていなかったようだ。……これは私の伝達ミスか。よく考えたらこの宇宙人、生後四日だからな。
あぁ~、常識が壊れる。
「彩葉、紹介してよ」
「そうだよ~。こんなかわいい子、隠さないでいいのに~」
隠してたわけじゃ。……まぁ、聞かれなきゃ隠してたかな。それでもこの二人には迷惑をかけたくない。
藤原さん?……今更感あるな。
そんな思考は、余計な一言で強制終了した。
「月から来たの!」
あ、こいつまた!
「「つき?」」
二人が首をかしげている。二人とも常識的だから本当に月から来たとは思わなかったのだろう。
「つ、築地から!親戚筋の子で!」
だから、これで誤魔化されてくれないか?
「築地かぁ、美味しいお鮨屋さん教えて~?」
よし、真実はさすがグルメインフルエンサー。各地のグルメには人一倍詳しい。
「かわいいね、お名前は?」
芦花も美容系インフルエンサーだけあってこの子の顔の良さに興味が移ったみたい。
でも、名前っ!後回しにしてきたツケがここで来るとは。
どうしよう、名前。思い起こすのは夜中に話していたこと。
『あんた、かぐや姫だったりしない?』
「か、かぐや!!そうだよね、かぐや!」
頷け!そのまま名乗ってくれ!視線にこれでもかというほど意志を込めるも、当の本人は頬に手を当てニヤニヤするばかり。
「かぐや。えへへぇ~、かぐやかぁ」
嬉しそうにする宇宙人、改めかぐやの後ろから藤原さんが近づいてきた。重役出勤というやつではなかろうか。
「突然すみません」
「イツキ!私かぐや!」
「よかったね、かぐや」
「ん、うん!」
かぐやは本当に嬉しそうに藤原さんに声をかけている。藤原さんはそんな様子を我が事のように喜びながら、かぐやの口元をハンカチでぬぐった。喜ぶ二人を見ていると、どこかで聞いたことのある言葉を想起する。
『名前』は人生最初の贈り物
そんなに喜ばれると多少の照れくささがわいてくる。
「私、藤原一継と申します。彩葉さんと同じアパートに住んでいて、今かぐやを預かっています。お見知りおきを」
そして、藤原さんは姿勢を正して真実と芦花に向き直って嫌に丁寧な自己紹介を始めた。しかも少し古風な言い回しで。好感度稼ぎだろうか。
あんたの印象、猫吸いで定着してるわよ、とはさすがに言えなかった。
「どうもご丁寧に。綾紬芦花です」
「諌山真実です。こちらこそ、よろしくお願いします」
二人も藤原さんにあてられたのか丁寧に返している。それより、藤原さんってそんな挨拶できたんですね。聞いたことないんですけど?
「何それ、私にそんなことしたことありましたっけ」
「お望みならしましょうか?」
「結構です!」
純粋な疑問だったが、返ってきた言葉に思ったより大きな声で答えてしまい自分でも驚く。でも、藤原さんはいつものように何でもない様子だ。
何かムカつく。
てか、さっきからかぐやが静かだ。……芦花に餌付けされてる。芦花が優しいからって遠慮なしだ。あまり甘やかすものじゃないんだろうけど、芦花も嬉しそうだしなぁ。
「では、私たちは先に失礼いたします。彩葉さんはゆっくりしてから帰っておいで。かぐや、行こうか」
「え~、彩葉と一緒いたぁい」
このまま長居するものでもないと考えたのか、藤原さんが退席をかぐやに促すがわがまま娘は聞きやしない。もっと頑張ってくれ。ちゃんと私も後で合流するから。
「彩葉さんも持ってる楽しいもの、買いに行くんだけど」
「え、行く!またね~、彩葉!」
このまま押し問答を始めるかと思われたが、藤原さんがかぐやに何か囁くと、あっさり手のひらを返してそのまま去っていった。
そのかぐや操縦説明書、あとでくれないだろうか。
友達二人の興味津々な視線を思考の端へ追いやり、私はしばらく現実逃避を続けた。
ダメ!あんたも成長したんなら独り立ちできるようになって!それか月に帰って!
――イツキくんビックリした
でも、彩葉のはくそまじぃから嫌い
――これ書きたかった