猫又おかゆ読切短編集   作:夏目陽光

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城址の闇、猫耳は夜の音を拾ふ 【福島県】

秋の夜気は、肌に刺さる。

 

仄暗い夜道。

 

カサ、カサ、と乾いた落ち葉を踏みしめる音が響いてゐる。

 

自分の手は、じつとりと湿つてゐた。

 

少し前を歩く彼女――猫又おかゆは、時折、気紛れに足を止める。

 

闇に目を凝らしては、また歩き出す。

 

「……ねえ、君。本当にこっちの道であってる?」

 

振り返つたおかゆの髪は、紫色だ。

 

同じ色をした瞳が、悪戯つぽく細められる。

 

頭頂の猫耳が、夜の音を拾ふやうにピクピクと左右非対称に羽撃いた。

 

気紛れに首を傾げ、瞳を揺らす仕草。

 

それだけで、胸の奥がひりつく。

 

彼女の服装は、金色の装飾が施された、漆黒のライダースジヤケツトだつた。

 

どこかの高慢な英雄王が身に纏ふやうな、その衣装。

 

会津若松の城へと向かつてゐる最中だといふのに、その西洋的な衣服は、静謐な景色の中に、ぽつんと浮き上がつてゐる。

 

暗がりの向かうから、地元の青年たちの一団が、大きな溜息を吐きながら丸太を運んでくるのが見えた。

 

「おい、そつち持つてくれや」

 

「……! 嘘だろ、これ……重すぎるだろ……!」

 

筋張つた逞しい腕にじつとりと汗を滲ませ、一人の男が、過剰なほどにキレのあるポーズで丸太の端を抱え直した。

 

彫りの深い顔を歪め、虚空へ野太い吐息を漏らす。

 

その泥臭く、無駄に熱い人間の営み。

 

1950年代の木挽きが使う大鋸の思いの中に映る、泥塗れの記録映画に見る労働者の如き野性的な肉体の躍動が、網膜に焼き付いた。

 

おかゆが、その男たちの姿をじつと見つめ、小さく鼻を鳴らした。

 

大きすぎるジヤケツトの裾を無意識に弄ぶ白い指先。

 

「ふふ、そんなに見つめられると、いくら僕でも照れちゃうなー」

 

喉の奥を鳴らす声。

 

吐き出された白い息が、彼女の唇の間から立ち上り、紫色の前髪を僅かに揺らして消えた。

 

自分たちは今、会津若松の象徴たる鶴ヶ城――その秋の夜を彩る「紅葉夜の陣」へと向かつてゐる。

 

息が、詰まる。

 

この焦燥。

 

それは、かつて少年たちが線路の先にある「死体」を探しに旅に出た、あの道程に似てゐた。

 

引き返せない。

 

自分たちもまた、何かを取り返しのつかない場所へと捨てに行くやうな、そんな密やかな冒険の途上にゐる。

 

大きな石垣が見えてくる。

 

闇の中から巨大な影となって現れた、鶴ヶ城の堅牢な城壁。

 

視界が一変した。

 

「わあ……。これは、凄いね」

 

おかゆが小さく声を漏らし、足を止めた。

 

不意に頭上の猫耳が前方にペタンと伏せられ、驚きを物語る。

 

廊下橋の周辺、そして本丸へと続く道。

 

鮮烈な光の演出が、そこにあつた。

 

赤や黄、橙色に染まった木々が、ライトアツプによって夜空に浮かび上がつてゐる。

 

歴史ある石垣の表面には、複雑な光の紋様がプロジエクシヨンマツピングによって投影されてゐた。

 

その極彩色の光は、彼女の着る漆黒のジヤケツトの金色の装飾を妖しく乱反射させてゐた。

 

おかゆは、無意識のうちに歩幅を狭め、自分のすぐ隣に寄り添ふ。

 

服の擦れる音。

 

近い。

 

彼女は、光に照らされた紅葉の葉をじつと見つめてゐる。

 

その瞳の紫色の奥に、赤い光が美しく反射して揺れてゐた。

 

「君。ほら、見てごらんよ。あの石垣の隅のところ」

 

おかゆが細い指先で示したのは、ライトアツプの死角。

 

ほんの僅かにできた、闇の隙間だつた。

 

「あそこにね、きっと何か隠されてるんだ。僕たちの知らない、秘密の何かがさ。……行って確かめてみたくならない?」

 

少年を冒険へと誘ふ声。

 

おかゆは、こちらが答える前に、既にそちらへと身体を傾けてゐる。

 

重心の移動が滑らかで、足音がしない。

 

その身のこなし方は、まさに猫だつた。

 

本丸広場へと進むと、復元された赤瓦の天守閣が、夜空に向かつて聳え立つてゐた。

 

白壁が光を反射し、浮かび上がる幻影のやうに見える。

 

周囲には、同じやうに光の芸術に見惚れる人々の姿が点在してゐる。

 

だが、おかゆは彼らと視線を交わさない。

 

ただ純粋に、目の前の空間を愉しんでゐる。

 

ふと、彼女がジヤケツトのポケツトに両手を突つ込み、小さく肩を竦めた。

 

「……少し、寒くなってきたかも」

 

おかゆが、自分の顔を覗き込んできた。

 

言葉とは裏腹の、余裕の漂ふ表情。

 

紫色の瞳が、じつと自分を捉えて離さない。

 

一瞬、彼女の耳の先端が、周囲の気配を警戒するやうにピクりと後ろへ向いた。

 

「ねえ、君。手を繋いでも、いいかな。……いや、やっぱり、僕のポケットの中に、君の手を入れてよ。その方が、きっと温かいから」

 

悪戯つぽく微笑む彼女。

 

その絶対的な自信に満ちた佇まいは、まさにその豪華な衣装の主のやう。

 

なのに、中身はどこまでも、甘え上手な猫のままだつた。

 

差し出された、漆黒のポケツト。

 

――指が、震えてゐた。

 

それが伝はつてしまふのではないか。

 

そつと、手を伸ばす。

 

狭い布地の中で、互いの指先が触れ合つた。

 

――熱い。

 

温かい彼女の体温が、冷え切つて硬直してゐた自分の内側へと、ゆっくりと染み込んできた。

 

遠くで、夜の風が木々を揺らす音がする。

 

自分たちの冒険は、この紅葉の光の中で、どこまでも続いていくやうな気がした。

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